旅の空、飛ぶ声

奥会津でのこと

この(2023年6月)8~9日と尾瀬国立公園の田代山湿原と帝釈山に登ってきたことについてはすでに書き記した通り。
今回のsignalは、山登りのあとの時間的な流れ、その続篇として、奥会津の素朴ないで湯と三島町で開催された工人まつりのことなどを中心に記してみます。
題して「奥会津でのこと」です。
※“奥会津”とは、福島県南西部を流れる只見川流域、伊南川流域の7町村9地域(柳津町、三島町、金山町、昭和村、只見町、南会津町〔南郷・伊南・立岩〕、檜枝岐村)の総称です。

下山後に麓の湯ノ花温泉につかったあとは、下郷町(しもごうまち)の大内宿に立ち寄り(観光客の歓心を買うだけのような場所になり果てていてゲッソリした)、それからぐっと南下して昭和村を経由し柳津町(やないづまち)の山間(やまあい)の素朴ないで湯の西山温泉に向かいました。
湯ノ花温泉から西山温泉までは距離にして約80キロくらいと思いますが、その時々の感覚にしたがって巡ったので、実際はその倍ほどの距離を走ったようです。奥会津は広くて、ふところが深いのです。

まず、その道々で出会った花々など…。

ウツギ(空木/アジサイ科ウツギ属)。
唱歌「夏は来ぬ」(詞;佐々木信綱)に、

卯の花の にほふ垣根に 
時鳥 早も来鳴きて
忍音もらす 
夏は来ぬ

とある“卯の花”がこのウツギですね。
(筆者の庭にも郊外の山野から移植した株があって、ちょうど今咲いていますが)ウツギの花は匂ったりしないのに「にほふ」とは、と不思議に思ったことがありました。
ですが、古語の“にほふ”には「美しく色づく」「美しく照り映える」ともあり、この場合は咲き競って花の白が映えるというぐらいの意味のようです。
それにしても歌詞はうつくしい言葉の連なりです。

バイカウツギ(梅花空木/アジサイ科バイカウツギ属)。
国道400号線で田島(南会津町)から昭和村に差しかかった山中だったと思うけど、道路端に見慣れぬ白い花を見つけました。
ウツギに似ているなあと思ったけど帰って図鑑で調べたら、バイカウツギというものでした。
筆者にしたらはじめての出会いでした。

そこかしこにマタタビ(木天蓼/マタタビ科マタタビ属)の白化した葉が。
かつてはこの植物の果実でずいぶんと果実酒をつくったものです。今は、クスリくさいのが鼻につき、ダメですね(笑い)。

ツルアジサイ(蔓紫陽花/アジサイ科アジサイ属)。
イワガラミ(岩絡)によく似ているけど、装飾花がツルアジサイの花びらは5枚、イワガラミは1枚なので区別できます。
若葉はどちらも噛むとキュウリの香りと味がし、(風味を逃がさないように)軽く湯がいてサラダなどに利用できるということです。

ハクウンボク(白雲木/エゴノキ科エゴノキ属)。
ハクウンボクはエゴノキ(野茉莉)の兄弟だけあって、花の形やつき方がエゴノキにそっくりです。

シラカンバ(白樺/カバノキ科カバノキ属)。
田島から昭和村の集落に入ろうかというところに天然のシラカンバが混じる林が現れました。
シラカンバの木膚の白さは他に例を見ないもの、ダケカンバ(岳樺)は山でよく見かけるけれどもシラカンバは筆者の行動範囲ではなかなかお目にかかれない樹木です。

しかし、それにしても6月というのはどうしてこうも白が目立つんだろう。
ピックアップした6つの植物のすべてが白、白、白…です(笑い)。

昼食は、昭和村に入ってすぐに目に留まった蕎麦カフェSCHOLA(スコラ)という、洋も和も併せたレストランに入りました。
1980年に廃校になったという旧・喰丸(くいまる)小学校の、こちらも校舎の一部だそうで、そのうつくしい空間には目を見張りました。
下は、SCHOLAの玄関口にあった胴乱(どうらん)を利用した郵便受け。
胴乱は、今話題の朝ドラ「らんまん」の主人公・槙野万太郎が肩にかけている(笑い)、採集した植物の保管のための金属製バッグのあれです。
こういうひとつを見るにつけ、建物全体におよぶすぐれたデザイン性を感じてしまいます。

店員さんに、入店記念に撮っていただきました。
校舎全体が見渡せる2階の窓辺で。

注文した蕎麦せいろ。
これは地元の蕎麦粉を使った十割だそうで、掛け値なしにとてもおいしかったです。

うつくしくよみがえった校舎(腐食しやすい土台に継がれた柱材を1本1本検討して、用に耐えない部分だけを取り換えて継ぐという高度な建築技術を駆使していた)。
旧校舎・喰丸小は今、村の交流観光拠点施設としての役目を果たしているようです。見学は自由で、無料。
SCHOLAの店員さんみなさんがそうでしたが、喰丸小の担当の方が実にていねいな対応をしてくださったのも印象的でした。

喰丸小からすぐの、道の駅からむし織の里しょうわにて。
昭和村といえば“からむし織”に直結しています。からむし織はカラムシ(苧/イラクサ科カラムシ属)という植物から繊維をとって織り上げた工芸品です。
かつては(同一の)あおそ(青苧)織が出羽国米沢藩の重要な収入源のひとつに数えられたとのこと。現在は米沢の近隣の南陽市で生産、あおそ織が復活しています。

下は、からむし織の帽子の数々。

山を下りて立ち寄ったのが湯ノ花温泉、この旧・舘岩村にはもうひとつ素朴ないで湯があります。それがもう4度ほども宿泊したことがある木賊(とくさ)温泉です。
筆者はこの温泉の旅館井筒屋が好きで、尾瀬方面の帰りにはここで身体を休めるのが常でした。
湯屋のわきに西根川の清流が流れている、すばらしいロケーションです。
写真は、2010年に会津駒ケ岳に登ったあとのもの。

下が湯ノ花温泉の立ち寄り湯。
筆者は今回、案内標識のままに進んでこの湯端の湯につかったのですが、湯ノ花温泉には4つの共同浴場があるそうです。

筆者は奥会津の素朴な鄙(ひな)びた温泉がとても好きですが、それを導いたのがリスペクトしてやまない漫画家のつげ義春です。
実際1970年5月につげは奥会津の鄙びた温泉を訪ねて木賊温泉の井筒屋に泊っていますし、翌年の5月には湯ノ花温泉に立ち寄り、あとに紹介する西山温泉に投宿しています。
そのほかにつげゆかりの温泉場として(つげ自身が撮影した写真が残っているものでも)、滝ノ原温泉(70年、田島町)、玉梨温泉(70年5月、金山町)、二岐温泉(73年5月、天栄村)、岩瀬湯本温泉(73年5月、天栄村)、早戸温泉(76年5月、三島町)、大塩温泉(76年11月、金山町)がありますが、福島県では奥会津とその近隣に集中しているのです。
こうして見ると、つげ漫画の源泉のひとつがこの奥会津といってもよさそうです。

下は、つげ義春が訪ねた鄙びた温泉を特集した雑誌『男の隠れ家』(あいであ・らいふ1999)。
表紙は西山温泉の中の湯。

つげ義春の鄙びた温泉をテーマにした名作漫画と写真およびエッセーを集めたファン垂涎の書『つげ義春の温泉』(カタログハウス2003)。
これ1冊でつげ義春とはどんな作家なのかが分かるのではないでしょうか。

そうして辿りついたのは、柳津町の山間(やまあい)に位置する西山温泉の老沢(おいさわ)温泉旅館です。
(ほど近い)三島町の工人まつりと結びついて、今はここが筆者の定宿となっています。
着いて早々、ひそかなあこがれでもあった、80代も後半と思しきお婆さんひとりが守っている(立ち寄り湯の)下ノ湯に行ってきました。
今までは在宅時に合わず、入浴ができなかったのです。

下ノ湯のわきを流れる滝谷川にはカジカガエル(河鹿蛙)がうつくしく鳴きかわしています。このやさしくビブラートを利かす声は野鳥のようにうつくしいのです。
つり橋を渡った先に下ノ湯があります。

県道32号にかかる橋から下ノ湯を見たところ。
これが西山温泉の代表的な景観です。

下ノ湯の湯場。
浴槽はふたつに仕切られていて、源泉が注がれる左が熱く、右がぬるくなっています。
筆者はそのふたつの浴槽の中間の湯加減がいいなと思い、洗面器で片方の湯を出し入れしてつかりました(笑い)。 

投宿の老沢温泉旅館。
この古びた看板、昔の温泉宿の造りがいいです。
つげが訪ねた頃の西山温泉の風情を最も色濃く残しているのが老沢です。

そして情緒を醸す清流わきの湯場に通ずる階段。

湯場にはそれぞれに温度のちがう3つの浴槽があり、奥には“老沢温泉神社”が祀られています。

『日本百ひな泉』(岩本薫著、みらいパブリッシング2021)というガイドブックに掲載されている老沢温泉旅館。
著者の岩本によれば、「日本百名山みたいに百湯のひなびた温泉を選定」、西山温泉の老沢は何とその第2位にランクです(笑い)。
これを指して宿の主人は「日本で2番目に粗末ということ?」と自虐して笑っていました(笑い)。

宿の主人提供の、純米大吟醸 會津銀山街道。
この酒は市販されているものではなく、特別なルートで入手したとのことです。
貴重な酒、いやあ、うまかったです。
飲み残しの瓶は遠慮なくいただいて持ち帰り、もったいなくて毎夜、チビリチビリとやってます(笑い)。

宿で合流した横須賀のOさんと、気さくな女将さんと。

Oさんとは2018年に投宿したときからの知り合いです。今回も工人まつりに合わせて連絡を取り合って落ち合ったのです。
Oさんと知り合ってからというもの、野外生活と食の世界において筆者の幅も広がってきたのは事実、感謝です。
Oさんはもう老沢の10数年来のリピーターで、毎年6月には少し長めの休暇をとって滞在しています。
滞在中は旅館の家族とワラビ採りに行ったり、ワラビの塩漬けの仕方を教わったり、そちこちの知り合いのところに一緒に出かけたりしているのだとか。
Oさんはもはや、旅館の客というよりは居候?(笑い) 家族同然の存在なのです。

馬刺しと地物の山菜料理が並ぶ素朴なお膳。
鄙びた温泉宿の、客の歓心を買おうとしないこうした料理はそれだけで価値があるものです(多くのホテル・旅館はこういうことを根本からわかっていない)。
馬刺しはこちらではニンニク味噌をのせて食べるのだとか。とてもおいしかったです。

今回の宿泊での思わぬ収穫は、宿の大女将と女将に、地元に伝わる食文化や保存食についてくわしく話を聴けたことです。

というのは、柳津町の中央公民館が文化庁の「食文化ストーリー」創出・発信モデル事業に採択され、『やまのもの かわのもの』という立派な冊子ができたのだそうですが、これに全面協力したのが当老沢の面々だったとのことです。

柳津の西山も米沢・置賜地方も、日本海からも太平洋からも遠く離れた雪国という点では共通です。
こういった地区の、冬を越すための食の知恵はそれぞれに発達し、伝承されてきているものです。冊子はとても興味深い内容が盛りだくさんでした。

老沢温泉旅館での筆者の滞在は短かったのですが、心地よい時間が流れました。

過去が咲いている今
未来の蕾がいっぱいの今 
河井寛次郎

1986年に誕生したという三島町生活工芸館の前には、民藝運動を柳宗悦とともに主導した陶芸家の河井寛次郎の碑文が刻まれています。
三島町は農業や林業を中心とした人口1,300人ほど(2023年5月時点)の小さな町、雪に埋もれる冬にひとびとはマタタビ(木天蓼)やヒロロ(オクノカンスゲ/奥寒菅)やヤマブドウ(山葡萄)を材料として笊や籠などの編み組み細工を営々と作り続けてきたのです。
そういう伝統的な生活を基盤として工芸館ができたのですが、その意義をこの言葉で飾ったというわけです。
よい言葉です。

81年に制定されたという“三島町生活工芸憲章”にはこうあります。

1.家族や隣人が車座を組んで
2.身近な素材を用い
3.祖父の代から伝わる技術を活かし
4.生活の用から生まれる
5.いつわりのない本当のものを
6.みんなの生活の中で使えるものを
7.生きる喜びの表現として
8.真心をこめてつくり
9.それを生活のなかで活用し
10.みずからの手で生活空間を構成する

以上をベースにして開催されるようになったのが、「ふるさと会津工人まつり」です。

会津の三島町は今や工芸の聖地、この工人まつりは日本でも有数のクラフトフェアとなっています。

COVID-19感染症の影響で3年ぶりの開催となったこの工人まつりですが、実は筆者もはじめてのエントリーをしていたのです。
けれども4月のはじめに主催者から、「厳正なる審査の結果、残念ながら、出展を見合わせていただくことにしました」という通知が来たのでした。
筆者にとっては3年間力を注いできた目標がこの工人まつりだっただけにショックでした。糸が切れた凧のようになってしまいました。
筆者もものつくりの端くれ、オリジナリティにおいては他に引けを取らないと自負していたのも事実でしたので。
でも、結果は結果、また来年に向けて努力しようと思っています。
とはいえ、160の枠に対して、全国から250(個人・団体)を超える希望があったとのこと、約100を落とすという作業も容易ではなかったでしょう。
今回はそういう訳での(製品の質や展示の方法などの)、今後を見越しての下見の意味も兼ねての訪問だったのです。

下は山形県鶴岡市の山間の関川のシナ織のブース。
シナ織は日本三大古代布のひとつ、シナ(榀)の木の皮から繊維をとって織り上げた製品群です。

3万円とか5万円とか、10万円とかそれ以上とか、高価なヤマブドウの編み組み細工のバッグをいくつも買い求めるひとも(転売が目的だろうか)。

3年ぶりの開催とあって、いつにもまして会場の熱気がムンムンでした。
まさに、アメ横状態(笑い)。

奥会津一帯でつくられているマタタビ細工。
マタタビの素材の白さが際立つ製品群です。 

台湾からの出展ブースも。
出展者のこの方と話しましたが、これはイグサ(藺草/標準和名は“イ”)の編み組み細工で、台湾では盛んにつくられているということです。

岩手県宮古市タイマグラからお越しの桶職人(南部桶正)の奥畑正宏さん。
秀逸なドキュメンタリー映画に「タイマグラばあちゃん」(澄川嘉彦監督2004年)という作品があります。
「タイマグラばあちゃん」は岩手の早池峰山の麓のタイマグラという土地に戦後入植した老婦人の生活を追った記録で、その場所に大阪から若者が移住してきて老婦人の生活を学んでいきます。
その若者が奥畑充幸さん。実は、正宏さんはその弟なのです。
ドキュメンタリー映画のこと、今もタイマグラで“フィールド・ノート”という民宿を営んでいる充幸さんの現在の暮らしぶり、正宏さんの製作の様子をじっくりと伺いました。
工人(職人)とじっくり話せることもこのフェアの大きな魅力です。

南部桶正のリーフレットから。

展示されていたみごとな製品群。 

岩手県久慈市の陶工房里一のブース。
 

今回の工人まつりで、筆者が唯一手が出たのがこの工房の、直径が7寸ほどの小ぶりなすり鉢でした。
値段は、4,200円でした。
このすり鉢はもちろん日常使いしますが、よいものは見ていて飽きがきません。うつくしい作だと思います。

そうして、出展160のすべてのブースを見て(疲れました)(笑い)、会場をあとにしました。

もうひとつの楽しみは、三島町のメインストリートの宮下で開催されている“てわっさの里まつり”。
出展内容としては工人まつりとあまり変わらないものの(ここでも70の出展)、地元の飲食ブースも多く、よりお祭りの雰囲気がただよう場所です。
で、恒例ながら筆者がめざすは地元の“佐一の庄”。
佐一の庄はこのてわっさの里まつりで、年に1度の骨董販売をするのです。

我が家には江戸後期から明治初期の古伊万里の皿が多数あって日常的に使っていますが、実はこの佐一の庄から買い求めたものが多くを占めています。
今回購入したのは3枚で200円(その安さにビックリ!)という小皿を6枚、1枚300円(その安さにビックリ!)という7寸の中皿を2枚、計1,000円でした。

店の主人は、「焼き物にある汚れのような、高台(こうだい)跡が嫌われてねえ」というのです。
この皿の底部分が当たった高台跡こそが、時代がかった証拠、印判でコバルト釉薬を載せた上に重ねて焼かざるを得なかったがための跡なのですから。
まあ、ものは見よう、ものは取りようというものです。

高台跡が残る古伊万里の小皿。

古伊万里の中皿。

そうして思いはすべて満たされ、足早に家路につきました。

山に、湿原に、花に…、いで湯に、工人まつりに…、もう筆者は今、奥会津のことでいっぱいなのです。
また行きます、麗しき奥会津!

それでは、本日はこのへんで。
じゃあまた、バイバイ!

 

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