森の小径森の生活

雨水にて(雪の記憶 ’21‐’22)

今日は2月19日、二十四節気のうちのひとつ、雨水(うすい)。
天気予報ではこれからも雪マークの日は続いていくようだけれども、そこは雨水、今後の雪は知れたものです。
雪はもう恐るるに足らず、あとは一進一退をくりかえしつつ春が一歩ずつです。

今回のsignalは、記録的とさえいってよい今季の雪の様子を書きとめておきたいと思います。
題して「雨水にて(雪の記憶 ’21‐’22)」。

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この冬の特徴は、寒気団が立て続けにやってきたこと、しかも晴れの日はごくわずかで気温がきわめて低く推移したことです。
クリスマス直後から年始にかけて、1月の半ば、1月末から2月第1週にかけての強烈な寒波の襲来は骨身に染みました。堪(こた)えました。

降雪では2月7日朝に205センチの最大自然積雪深を記録したのでしたが、これは降った雪の量が多かったということもありますが、気温が低いがために雪の沈み込みが少ないことも大きいと思われます。

ちなみに記しておけば、今年2022年に入っての1月と2月を合わせた1日の平均気温はマイナス1.7℃です。
ここ30年間で、1月と2月を合わせた1日の平均気温がマイナス1.0℃を下回ったのは…、2014年のマイナス1.6℃、13年のマイナス2.5℃、12年のマイナス2.6℃、08年のマイナス2.0℃、01年のマイナス1.6℃の5度。1990年代には1度もなく、これきりなのです。
寒いはずです。

積雪では、気温が異様に低かった2013年には、市中172センチ(アメダスデータ)に対してここルーザの森で280センチ超を記録しています(280センチ超というのは、計測の棒の高さを超えたということです)。

なお、以上の気温のデータは気象庁のアメダス〈米沢〉の“過去のデータ”に拠っています。積雪においては計測地とここではだいぶ違うけれども、気温においてはあまり差は感じられない。
必要に駆られ(宮澤賢治の童話の白眉「水仙月の四日」を読み解くために)1920年代の盛岡の気象を調べたことがあったけど、データがきちんと残されていることはやはり素晴らしいことです。

下は2月16日現在。
(飛ばして高くなった雪の上に乗って写真を撮れば)電話線がもはや目の高さです。

下は、モーグルのこぶのような、ボコボコとした小山の突起物がたくさん。
この画像は何だと思います?
実はこれは墓場、ここから2キロ先の地区の共同墓地の風景です。

我が家は2005年と06年に雪のために(04年に建立した)墓の一部が倒れてしまうという苦い経験があって(墓のメインは五輪塔ゆえに垂直に対して不安定ということもあった)、それ以降は雪が来る前に雪囲いをするようにしてきました。
今年は特に心配だったので墓の周りの雪かき作業をしました。もうこれで大丈夫です。

この調子だから、ここらで春の彼岸(春分の日を中日として前後3日)に墓参りなんてとんでもないこと。
墓は彼岸でもまだまだ雪の下です。

家の前の新雪の林に朝日が昇ってきて。
美しいです。

下は、公道(林道)から見た我が家、定点の3枚。
下に順に、21年12月27日、22年1月21日、2月1日。
屋根に積もった雪は(雪割り=雪切りの設置によって)大方は落下したものの、L字に曲がった箇所の雪割りの上に大量の雪が載ったままです。

大雑把な素人計算で説得力があるかどうかだけれども、建物にかかる重量は100センチの積雪1坪(畳2枚=約180×180センチ)で1トン程度として、屋根に残った雪は締まりにしまって150センチで5坪とすれば、最低7.5トンもの重量がかかっていることになります。
この重さは建物の構造を痛めつけはしないか、小屋組み(棟と小屋束と梁)はこの重さに耐えうるのか、7.5トンというのは筆者には恐怖の数字です。

山形県の北部の新庄市ではこの冬、雪の重みで住宅が倒壊し、住民が亡くなったという痛ましい事故がありました。
屋根には200センチほどの雪が積もっていたということでした。
(雪国のニンゲンなら、その風景がどんなに危険か分かろうというもの。亡くなった方は64歳だったそうだけど、自分で対処しようとは思わなかったのか、それができなかったのか。周りの住民は指摘できなかったのか、みんなで協力して雪下ろしはできなかったのか…。住民は地区で孤立の関係にあったのか…。町場でありながらも、孤立の状況はここ米沢でも散見されるようになってきている)。

 

正直、この屋根に載った雪にはホトホト困り果てたのです。どう対処してよいか自分の頭では解決策が見いだせなかったから。

この家屋は最も高いところ(棟)で8メートル30センチあり(平均的なマンションの3階天井あたりに相当とか)、登って作業するようには設計してはいないのです。したがってまず自分が屋根に上ってどうこうできるものでなし。
では高所で作業ができる職人を頼む必要があるのか、あるいは高所作業のバケット車を手配せねばならないのだろうか(ものの情報によれば、1例、高所12メートルの作業バケット車のチャーター費用は66,000円/日とあった)、他にどんな方法があるだろうかと悩んだのです。

そんな折、何気に見ていたネットニュースで福島県は南会津の只見町の様子(積雪は250センチくらいと言っていたと思う)が映し出されていました。
やはり只見もこの冬は大雪で、大量の雪が屋根に載ったままになっている家屋の紹介でした。屋根の大方の面積は電熱を通して溶かしているが、電熱が及ばない一部にはたんまりと残っているとのこと。

そこでそこに住まう老女(74歳)が言うのです。「(家の躯体は頑丈にできているから)このぐらいの雪で家がペシャンコとなることはないな。ただしこれ以上だと軒はやられてしまう」と。
ああ、このひとは雪の怖さを肌で知っていると筆者はすぐに思いました。このぐらいだったらこうなるという予測ができるひとは信用に足る、次善の策として次から次へと知恵を働かせることができるというものです。

そうして彼女は2階部分に、対流式と反射式を合わせて石油ストーブを5台(この数がすごいね)を置き、天井に通ずる窓口(屋根裏点検口)を開放して屋根裏へ熱を送っていたのです。筆者はその映像を見て、これだ!と膝を打ちました。

どの家にも屋根裏点検口はあります。当然、我が家にも。
建築後にも屋根裏の点検(換気とか結露とか湿気のこもり具合とか、野地板の痛み具合とか)の住宅診断は必要で、建築業者はそれを意図して作っているものです(屋根裏に上ったことがないお御仁がいたら、是非にとお勧めします)。

ですが我が家には30年以上使う対流式のストーブ(コロナ社製)は補助暖房として1台あるきり、ならばあと少なくとも2台を購入してこの危機を乗り切ろうと考えました。
そしてほどなくほぼ同じ仕様のものをなじみの電気店に頼みました。

それにしてもこのコロナ社製対流式ストーブの性能の良さと頑丈さ、ゆえに仕様をほとんど変えずに現在も着実に売れ続けているらしいです(ライバルはトヨトミだけれども、暖房能力が格段に違うようだ)。

下は、2階和室の押し入れの屋根裏への点検口を開放し、ストーブを焚いて熱を送っているところ。

開閉口の大きさは半畳=約90×90センチ。
直下に、温湿度計を置いて空気環境を管理しています。
(筆者は折に触れ天井裏に上って屋根裏を観察してきたのですが、この点検口の石膏ボードの板がボロボロになっていて、この際に2分割したものを合板と小割りで作り直しました)。

吹き抜けの直下には、ストーブ台を工夫して設置し、熱を送っているところ。
地震の時などのことを考えていい加減なものを設置したくなかったので、ストーブ台作りに1日を費やしました。自分でいうのもなんだけど、作りは堅牢です。

この熱の送風は2月10日から開始しました(熱を必要な箇所に効率的に送るために、手前の下から扇風機であおっています)。
このストーブは、灯油5リットルを入れて約10時間連続の燃焼が可能です。

このためにふたつのストーブで1日灯油10リットルを消費します。
原油価格高騰の折、屋根の雪を溶かして減らすためだけに灯油を消費するのはもったいないことだけど背に腹は代えられません。ストーブは1台2万円と少しだったけど、これも同様です。

下は、主屋を正面(東側)から見た、2月10日、15日、17日の屋根の雪の様子。

クジラの背中のような稜線が徐々に変形している様子が見て取れます。
雪が少しずつですが減ってきています。

最近ちょっとした用ができて、懇意にしている大工のタカシシショウ(師匠)のところに出向いたのでしたが、彼も同じ悩みを抱えていました。
2階建ての作業小屋に雪が降り積もって(棟で雪が接着剤のようになって)落ちず、さりとて屋根は高くて上がって雪下ろしはできず、それで小屋内に脚立を組んで高い足場を作り、その上にジェットヒーターを載せて(スゴイ発想だ!)熱を送って落としたということでした。
考えるところ、行き着くところはシショウも筆者も同じでした。要は、熱です。

主屋を南側から見たところ。
写真は下に、2月11日と12日。

12日には熱の力によって雪が解けて塊の状態を保てなくなって割れ、雪は大きな地震のときのような音を立ててずり落ちました。
ものすごい雪の量でした。これでまずはひと安心。

屋根の棟の走りを南側から見たところ。2月13日。
だいぶ痩(や)せてきました。
雪が痩せるときには、(地層のような)雪層がくっきりとしてきます。

南側から、L字の曲がり部分を見たところ。2月12日と17日。
5日間で稜線に微妙な違いが出てきています。
雪は少しずつ解けて雪割りをせりあがってきたので、落ちるのはあと少しという感じです。

主屋を北側から見た棟のL字箇所。13日、そして19日(本日)。
よく見ると大きく痩せてきていることが分かります。
これでも、一番高いところでは圧縮された雪がまだ120センチはあると思います。

室内の佐藤忠良の彫塑ポスターには新雪の樹木が映り、

お雛様は南からの日を浴びてうれしそうだ。

と、15日のこと、家の周りを観察していると、雪野原の広範囲にわたってタネがたくさん散布されていました。
ヤマモミジ(山紅葉)のようだけど、なぜ15日に一斉なのかが不思議です。
フジ(藤)のタネは雪解けの3月末に森じゅうに一斉に、パチッパチッと鞘(さや)がねじれて弾ける音立てながら飛び出すのだけれど(これはなかなかの感動ものです)、ヤマモミジもこれに似て、もっとも好条件の日を選んだということだろうか。
こんなところにも春を感じます。

ああ、明るい夜だなあと思って外に出ると満月がトウヒ(唐檜)の上に照っていました。16日の22時のことです。

雪夜の満月というのは本当に明るいのです。
目が慣れてくると、数百メートル先でも見えるがごとくです。

明るい月に照らされて、ちょっと幸福な気分。

雪が締まってきて動きやすくなってきた雨水(うすい)。
スノーシューを履いて、スノーハイキングに出かけました。

まずは家からほど近い、原生林の生い茂る笊籬淵(ざるぶち)。
夏季には青く澄んだ水も今は照り返す緑も青空もなくどんよりとしています。倒木が沈み込んでいるようで。

どうしたわけか谷川のひとっところに野鳥がたくさん集まっていました。
カモ(鴨)のつがいが飛び立ちました。
シジュウカラ(四十雀)は黒いネクタイをして。
カケス(懸巣)は橙や青い羽根をちらつかせて。
ヤマガラ(山雀)も鳴いていたような。
それからもっといたのだけれど、あとは悔しいけど分からずです。
でも、野鳥の姿とさえずりは春が近いことを感じさせます。

谷川にかかる倒木の上に積もった雪を渡る相棒のヨーコさん。

笊籬沼の氷上にて。
(氷上つながりでオリンピック。スピードスケート女子1,000メートルの高木美帆さんはカッコよかった!…笑い。さらにつながりでいえば、ノルディックスキー複合団体はわくわくしました。ジャンプ/瞬発力とクロスカントリー/持久力というまったく違う筋肉を要求されるこの競技のおもしろさ、団体の妙技)。

もうすぐ笊籬沼のアシも角ぐむことでしょう。

氷の上を生まれて初めて歩いたという相棒は、ストックでツンツンして氷の厚さを確かめていました。
分厚いところでもおっかなびっくり(笑い)。

約90分のハイキングはちょうどよい身体ほぐし、よい運動でした。

そうそう、前回、ギックリ腰になったということを記したら、お見舞いやらアドバイスやら経験談やらが届き、恐縮しました。とてもありがたかったです。
実は最近のこと、筆者は雪道に足をとられ、またもや腰にギクッときたのです。せっかく治りかけてきたのに、ああ、またやってしまった、これはヤバイ!と思ったのです。
ところがです、これが荒療治となったらしく、それ以後かなり緩和された感じになってきました。こういう(インパクトを受けてかえって痛みが緩和されるという)のは初めてのこと、荒療治というのは時に必要なのかもしれない。

最大205センチだった雪は、現在170センチちょうどです。だいぶ圧縮され落ち着いてきました。
雪渡りの旬はこれから、とても楽しみです。

そんなルーザの森の、雨水の報告でした。

それじゃあ、また。バイバイ!

 

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。