森の生活

春という希望

長い冬を耐え忍んでこれからいよいよあたたかな春だと期待を膨らませていた矢先、とんでもないニュースが入ってきました。期待も希望もこれからの何もかもがみんなすっ飛んでしまったという感じでした。
下は、この2月26日に親しい友人や知人あてに送った(添えた)メール。現在の筆者の所感です。

それにしても、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻には驚きました。小生は心臓が凍るような恐怖を覚え、すっかり気が滅入ってしまいました。
こういう時にはまず、情報を遮断し、何か別のものに集中して気を紛らし、気持ちを落ち着かせることを第一にしたいと思います。見えない不安で身体を充満させてはならない。

メディアはこれからいろいろと報道するでしょう。いろんな人間がいろんなことを言いだすでしょう。その洪水からまずは逃れたい。
そして気持ちが落ち着いたら、信用できる情報を選び、組み立てて、自分の対処の仕方、自分にできる希望の持ち方を探ろうと思います。

今はただ一刻も早く戦火がやむよう、ロシアが今後世界の表舞台に立つことができぬよう、判断の誤りは自滅への道であるよう、世界が少しずつでも動いていってほしいと願っています。

世界がいまだパンデミックのさなかというのに、こんな侵略戦争がはじまるなんて…。

今は3月12日です。
それにしてもこの冬は厳しいものでした。
筆者は雪も2月19日の雨水(うすい)までの我慢などと思っていたのでしたが、20日から22日にまでの3日間は超ど級の大雪に猛吹雪の襲来がありました。
雨水を過ぎての大雪に猛吹雪だなんて、反則ですよ反則、ルール違反もいいところ(笑い)。
22日には積雪深が今冬の最高値230センチに達したのでした。いやあ、参りました。

薪小屋の雪下ろしのために確保していたアプローチはもう、筆者の背丈をはるかに超えて迷路のよう。

3月3日には雪がまた20センチほども降って除雪車が出動してきました。

けれども、昨年12月末から屋根の上に載っかっていた巨大な雪の塊りも、3月2日には欠けはじめ、この11日には完全に落下しました。
約7.5トンと推定したその雪の重量で建物の構造を歪めはしまいか、落下した雪が道路を塞いでしまわないかずっと気にかけていたことでしたので、落ちてホッとしました。
やれやれです。

最後まで残っていた屋根の雪の層。
このひとつひとつの層がその時々の大雪、猛吹雪の時間を物語っています。
この層の状態を見ると、最低、7度の大雪、猛吹雪の襲来があったということです。
でも、もう安心です。あとはもう、春を待つばかり。 

3月5日、美しい日の光が降りそそいだので(予報では午前10時くらいまでは氷点下)、スノーシューを履いて雪野原を歩いてきました。

ルーザの森のビューポイントのひとつの笊籬橋(ざるばし)から見た笊籬溪(ざるだに)の現在。
木々の根元が明けはじめています。これが、うれしい。

川はゴウゴウと流れ下っています。
この轟音(ごうおん)の心地よさよ。

切り立った溪の崖の途中からは大きな氷柱(つらら)が見えますが、これは伏流水の証です。
地下6メートルぐらいのところどころから水がしみ出して川にそそいでいます。
この伏流水こそは私たちの生命の源そのもの、溪のすぐわきの我が家では井戸を掘ってこの水を汲み上げ、飲料水をはじめとして生活用水のすべてを賄っているのです。

我が家より道のりにして800メートル程のところにある特別養護老人ホーム万世園。
この場所はハザードマップに指定されている土砂崩れの危険箇所ということもあり、また中山間地では何かと不便ということもあり(施設の職員によれば、この冬の大雪で救急車の通行に難儀したこともあったという)、この施設は今年度中に町なかに移転していきます。
施設の広大な土地は今後更地になる予定で、我がルーザの森はまた一層、自然に還ることになります。

たくさんなフジ(藤/マメ科フジ属)の鞘(さや)がぶら下がっていますが、もうじきこれは素敵なドラマを演じます。
ひとつひとつの鞘がほぼ一斉に身をねじり、タネを遠くに飛ばすのです。自分では移動することができないフジの子孫存続の戦略のスマートさ(賢さ)といったら…。
このときのパ~ン、パーンと弾ける音は春の号砲、タネが鞘から飛び出る光景は春告げの風物詩です。

すっくと立つホウノキ(朴木/モクレン科モクレン属)。

何やら樹皮に黒い模様がついているけど、これはよくよく見るとツキノワグマ(月輪熊)の爪痕、どんどんと樹上高く登っていったときのものです。
なるほど、木登りの好きなクマのこと、ホウノキの樹皮はやわらかいので爪が食い込んでことさらに登りやすいのでしょう。
高く登って大好物のコナラ(小楢)のどんぐりやクリ(栗)の実の出来具合でも観察したものかどうか。あるいはニンゲンの活動を恐る恐るうかがったものかどうか(ボクの様子を見ていたりして…笑い)。それとも単に遊びだったか。

これは一昨年も見ているので、それ以前の爪痕です。

ミズキ(水木/ミズキ科ミズキ属)の赤い枝。
雪国の無彩色の冬にあってミズキの枝の赤さは縁起がよいとして、団子木飾りに用いられます。
この個体は強く厳しい西風に負けてか東側だけに枝を伸ばしているけれども、本来は四方に広がるもの。それが1年ごとに段階状の層をつくるので独特な樹形を作っていきます。
ミズキは特に早春の時期に地中の水分を吸い上げるのだそうで、もしこの時期に根元を伐ろうものなら、ドックンドックンと水のような樹液が泉のごとくにあふれ出てきます。筆者もこれには驚いたことがありました。

下は、たぶんキタコブシ(北辛夷/モクレン科モクレン属)の蕾。
キタコブシの真白い花の咲く春が待ち遠しいです。
この花が咲くと、少しして山菜の王様たるタラノメ(楤芽)が出てきます。追ってコシアブラ(濾油)の若芽ももうすぐ。ああ、ポカポカの春が無性に恋しい。
我が家に少しでも早く春をと願い、キタコブシの枝を1本手折って持ち帰りました。

下は、昨年4月15日の同じ場所のキタコブシ。

持ち帰った枝をさっそく玄関口に活けました。

この雪野原に、天上に向かう1本の木は何だろう。樹皮だけではちょっと不明です。

広い広い野原の雪渡りは縦横無尽にして自由自在。ワクワクします。
日ごろの運動不足に雪野原はもってこいです。
ダブつきぎみのお腹の肉にもきっといいはず(笑い)。 

自分の赤い手袋に何を感じたものやら、相棒のヨーコさんはスマホでパシャリ(笑い)。

ワタクシめはというと、三重の友人が送ってくれた自宅のビワ(琵琶)の葉で、発酵させてから作ったビワの葉茶を飲んでゴキゲンです(笑い)。
ビワの葉茶は効能のひとつとして脂肪を分解、メタボには効果抜群なのだとか(笑い)。それになかなか美味です。

ハンノキ(榛木/カバノキ科ハンノキ属)の球果。
この球果からはタンニンや染料が得られるとのこと。
このタンニン、茶やワインにも含まれてよく聞く名ではあるけれども、ウイスキーの色や香りもオーク材の樽に含まれるこの成分に由来するというし、タンニンを多く含む塗料の“柿渋”では撥水、防腐効果が得られ、漆器の下塗りにも効果的であるらし。

球果の赤黒い色を反映して、早春のハンノキ林は枝々には赤の色が混じります。
やがて新芽が出て、緑と赤の絶妙な色合いになるともうポカポカの春です。

ハンノキは谷地(湿地帯)に好んで生えます。
ここは耕作放棄の水田跡、水田はアシ(またはヨシ。葦/イネ科ヨシ属)で覆われるようになり、そしてハンノキ林が形成されていきます。

谷地を潤すゆるやかな水の流れ。
ゆるやかな水の流れにアシは雪の下から枯れ姿をあらわし、まるでホルスタインみたいに黒が面積を拡大していきます。この白と黒のマーブルはなんという希望であることか。

そして、雪解け水の軽やかな音、光の粒々。

ロシア軍がウクライナへの侵攻で、北部に位置するチェルノブイリ原子力発電所を占拠したという報は侵攻直後のこと。ゾゾっとしました。心臓を得体のしれない何者かに鷲づかみされたような戦慄(せんりつ)を覚えました。
かの1986年のチェルノブイリの過酷事故は筆者の胸に深く刻まれており(ちょうどこの年に第1子が誕生した)、それがどんな惨(むご)たらしい結果をもたらしたのかは概略ながら認識していました。
それを占拠とは。

3月4日になると、ロシア軍はヨーロッパ最大級という南部のザポリージャ原子力発電所を襲撃して掌握。続いて6日には東部ハリコフの小型原子炉を持つ研究所を砲撃ということです。

いったいこれらは何を目的としているものなのか、電力インフラの戦略的遮断なのか、それともおおっぴらには実施できない核戦力の使用をチラつかせつつそれに取って代わる代替措置としての脅しなのか。
いずれにせよ想像しただけでも悍(おぞ)ましい光景にわが身はゲンナリとするばかり。

と、今度は9日、南東部に位置するマリウポリの小児科と産婦人科病院が空爆にさらされたというではありませんか。
どこまで卑劣なのか、プーチンとロシア指導部(単体としてのプーチンとしてよいのかどうか)はいったい何を考えているのか、もう想像が及ばないほどです。

雪国にもようやく春の兆しが訪れています。それは我が家の周囲にも。
花壇の縁は暖かな日差しを受けて雪の組織がザラメ状になりさらには海綿状になり、やがては解けて水滴となって滴り落ち…。
この雪の組織が刻々と変化していく、その様子こそ希望の名に値します。

我が家のシンボルツリーのひとつ、モミ(樅/マツ科モミ属)の下の枝は雪に強烈に引っ張られても決して折れず…。雪が解けるのをじっと待っている姿はあまりにいじらしい。
やがてこの枝も雪から解放されると上の枝同様、水平に翼を張っていきます。
この光景に筆者は雪国の民の姿を重ねてしまいます。これこそ辛苦にじっと耐えつつ希望を絶やさない雪国のニンゲンの象徴であるかのようで。

 と、我が家に美しい野鳥がやってきました。
10日ほど前であったか、リビングから見える庭先で(遠くのよく見える)相棒が姿や色を言葉で描写して(近視の)筆者に伝えた小鳥がいましたが、それはこちらの予想とはちがってキビタキではなかったようです。
今回改めて図鑑で確認すれば、キビタキは天頂が黒く、目の上の眉斑が美しいオレンジなのにこちらはそうではないです。そうしてページをめくると、いましたいました、これはジョウビタキ(尉鶲/ヒタキ科ジョウビタキ属)でした。
名のジョウ(尉)は老人の白い頭のことだとか、なるほどねえ(笑い)。

ヒュッテから至近距離にして8メートル程のブナ(山毛欅)の梢、そこでさえずるジョウビタキを何故にカメラでとらえることができたかというと、このジョウビタキ君はどうしてか筆者に警戒心を示さないのです。
試しにブナの木の直下を何気に歩いてみたのだけれど、彼は飛び立つわけでもなくじっとして筆者の動く様子を見ているわけでして(笑い)。

コンニチハ、ジョウビタキ君!
ボクハコワクナイ、コワクナイ。ケイカイスルニアラズデス(笑い)!
ここは鳥獣保護区の安全地帯、どうぞゆっくりと遊んでいって!
君にこちらが信用してもらっているようでとてもうれしいです(笑い)。

美しく鳴きかわすジョウビタキは、まごうことなき春の使者です。

下は、東日本大震災のあった2011年から1年後に筆者がまとめていたコラムのひとつ。

もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。-ゲオルグ・ゲオルギウ
  ……『ポケットに名言を』寺山修司編

こんなことばを友人が届けてくれたのは昨年4月のことでした。
彼女は言います。
「これはどういう意味をもっているのでしょうね。人は希望をもたずには生きられないから、明日滅びるとしても今日は希望をもって生きるということでしょうか。それとも、昨日、一昨日…ずっとやってきた生き方を、たとえ明日終わるとしても今日も同じことをただ黙々とやり続けることが大事だと言っているのでしょうか」。

魅惑的なこのことばが気になってあれこれ探れば、これはどうも出所があやしい。巷ではルターのものとか、リルケはたまたキング牧師とか。現在有力なのが、ルーマニアの詩人にして小説家のコンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ『第二のチャンス』からの引用です。たぶんこれは、「ゲオルギウ」ちがいの、寺山の勘違いなのでは。

それにしても、これはいいことば。
畢竟(ひっきょう)、彼女の理解いずれも正しく、ひとは希望を持ってしか生きることはできない、希望は生きるよすが、ということでしょう。

手紙は続きます。「(私たちは)原発事故を起こしてしまった世代ということになりますね。でも、ここからでしょう。これで変わらなかったら…と思います。森の生活へ、静かな労働と静かな語らいの日々への大きな転換点にしていかねばならない、そんなことをずっと考えています」。

あの日以降、残された者すべてに課されたのは生活の変革、暮らしの再構成に他なりません。

さて、希望を紡がなきゃ。希望の紡ぎ直しをしなきゃ。

ニッポンにして77年、筆者個人にして65年、この間紆余曲折はありました。いい加減なこともありました、逆戻りしたり大いにブレたりも当然ありました。でもそれでも、個人にして、ニッポンにして、そして世界にしても膨大な時間にわずかずつでも希望を蓄積し、少しずつでも育み、それをルール化してもう二度と大きな戦争はしない、できない、大っぴらな戦火を見ることなどもうない、人類はそういうところまで平和のネットワークを築き上げてきたと筆者もかたく信じていたのです。
それが2022年にして、これです。あああ、です。がっかりです。

さて、希望を紡がなきゃ。希望の紡ぎ直しをしなきゃ。
そのために今日は、アラスカに身をうずめた写真家・星野道夫(1952-96)のエッセイ『長い旅の途上』を読み進めることにします。彼の文章には生命の匂いがする。
その1章「ある親子の再生」と題されたインディアン(東南アラスカのクリンギットインディアン)がアイデンティティを取り戻す壮大なストーリーの末尾に記された文言…、「きっと、人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ」が心にしみます。

今回のsignal「春という希望」は、“春”と“戦争”というふたつがパラレルとして綴られることになりました。
時世が時世だけに空気が重くなってしまったけれど、これが希望と絶望の複雑に入り混じる現在の筆者の心境の吐露です。
さて、何度でも言うけど、希望を紡がなきゃ。希望の紡ぎ直しをしなくちゃ。

それじゃあ、また。バイバイ!

 

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