森の生活

灯りと火と その2

2月に入って立春が過ぎても雪の勢いは止まりません。
筆者の記憶では今年は、2005年と06年、12年、14年から15年に続く豪雪の年なのではないでしょうか。まったく、すごい降りようです。

屋根に積もった雪は傾斜にしたがって落ち、落ちればそれを取り除く必要に迫られます。
雪が屋根にくっついたままの放置はできないのです。
雪が沈み込むときに巨大な力が加わって建物の構造をゆがめ、それはやがて倒壊につながっていきます。雪国に暮らすひとびとはそのことの怖さを知っています。 

雪降りやまず。
と、4日の朝のこと、筆者はギックリ腰になってしまいました。参りました。いやあ、痛いです。
今までなら、重いものを持ち上げたとか、クルマを雪からの脱出のために押したとかで電気が走ったのでしたが、今回は特別にこれといった原因が見当たらないのです。ただ、歩いているときにわずかな傾斜にさしかかったその時、それだけでした。
でも考えてみると、毎日のように除雪作業はしていたわけで、知らず知らずのうちに腰に負担がかかり疲労が蓄積していたのかもしれない。
こんな鈍痛に悩まされるのはここ5、6年なかったこと、久しぶりの感覚です。

とはいえ、ギックリ腰の場合は何もせずに安静にしているのは今は逆効果らしく、できる範囲で動くのがむしろいいようで。
それで5日、屋根の上に登っての雪下ろしは相棒のヨーコさんに担ってもらい、筆者は下で構えて除雪機を操作しました。

下の写真は、もはや周りの雪が小屋の軒(高さは190センチ近くはある)まで到達しているがゆえ、まずは周りの雪を掘っているところ。雪下ろしならぬ雪掘りの世界です。
周りを掘って、さらに屋根の雪を下ろして、それを運ぶ作業はたいへんなこと、そうして丸まる2時間半。お疲れ。

作業でぐっしょりと濡れた防寒ウエアはすべて乾燥場となっているヒュッテで乾かします。
筆者の場合は友人からのもらいものを含め、2セットのウエアを交互に使います。


さて、薪ストーブ。
森の生活のあこがれの第一は冬場は薪ストーブで暖を取ることでした。
薪が燃えるときのパチパチとしたはぜる音、時に黄色く赤く、時に白く時にだいだいの色に変わる美しい焔、そしてじんわりと来る乾いたあたたかさ…。
これは人生の喜びそのものだと思ったのです。そして、我が家で薪ストーブを使いはじめて約30年、その喜びにいささかの変化もありません。

工房のストーブ。

工房にて、火吹き(棒)で風を送り小さな火を育てているところ。
この火吹きは自作。
火吹きは白竹(煮て油抜きをしてから乾燥させた竹)をホームセンターから買ってきて適当な長さに切り、中の節を抜き(鉄の棒などで力を加えて押してやれば節はきれいに抜けます)、先端の節にはピンバイス(錐)で小さな穴をあければ出来上がりという簡単さです。
火吹き1本が30円くらいでできるのでは。

薪ストーブの必需品といえばマッチ。
マッチ箱にあしらわれた昔ながらの象や燕や桃の意匠は今にしてもカッコイイです。
マッチとライターの違いは、マッチには軸があり、それが燃えさしになること。これが着火の隠れたポイントなのです。

朝一番にまずは薪ストーブに火を入れます。
今ならまだ薄暗い時間に火を入れると、筆者はその前でしばらく佇んでいることが多いです。
着火し、その火が一番下の新聞紙からその上のダンボール片に、それから焚きつけ用の小割りに、さらには太い薪にと徐々に燃え広がってゆく焔を見つめる時間が好きなのです。心の中の静かな対話がはじまるというか。あるいは、“無”になるというか。
これは筆者の毎朝のルーティーンです。

こののちに除雪にかかりますが、それは新聞配達の車が主屋玄関口前まで入って来れるよう、そして出勤していく相棒のクルマが車庫から出られるよう。
それから朝食となります。

工房にて、薪ストーブで暖を取りながら作業に勤しむ筆者。

マッチは、主屋のリビングの補助暖房の対流式ストーブにも使います(乾電池によるワンタッチ着火の機能はすでに壊れ)。
このコロナ社製ストーブはもう32年ほどが経過しています。近年、芯を一度替えたきりの丈夫さ。冬の強い味方です。
製品の確かさというのは、こういった隔てた時によって証明されるものですよね。

何気に載せているヤカンだけど、これは柳宗理デザインのもの。
今では10,000円ほどだと思うけど、その価値は使ったら分かります。
新潟の燕三条の町工場を15カ所くらい転々として製品化されるのだそうで。

リビングの薪ストーブ。
4台ある薪ストーブ中、これだけは名が知られているメーカー品です。その名もアメリカはバーモントキャスティング社製のイントレビットⅡ。
2次燃焼システムが搭載されていた機種でしたが、経年の使用によって今は機能していないと思います。
ストーブの上で大根をコトコトと。

ギャラリーの薪ストーブ。
ギャラリーは主屋の東側に位置し、外の水場が近いこともありわりと湿気がこもりやすい場所です。
それでここでは作品の保護のために、冬といわず春や秋でもストーブを焚いて湿度を調整することがあります。
もちろん、ここでの冬場の作業に欠かすことはできません。

ここで敬愛する辻まこと(1913-75)のことばを引いておきます。
火というのはつまりはこういうものなのです。
いつもながら、この、流麗な言葉の連なりにゾクッとします。もう、何をか言わんやだ。

炉辺というのは不思議なものだ。炉を囲んで焔を見ている夜は、たとえ沈黙が一晩中続いたとしても、人々はけっして退屈もしないし気詰まりなおもいもしないのだ。相槌を打っても打たなくてもいいのだ。語り手は半ば焔を聴手とし、人々は燃えうつり消える熱と光を濾してあるいは遠くあるいは近く、そこから生まれてくる話を聴くのだから。(画文集『山の声』東京新聞出版局1971)

照明器具でも油を使うものは素朴で素敵です。

下はホワイトガソリンを燃料とするポンプ式のランタン。
こういうのをお前は好きだろうと友人が届けてくれたもの。ヒュッテのインテリアとして。

かつて家族キャンプで使っていたという、知り合いがくれたオイルランタン。これもヒュッテに。

我が家のキャンプで活躍した思い出深いオイルランタン。今はリビングに飾っています。

これは北海道は小樽の北一硝子で買い求めたランプ。
本来は実用的なもので、数度使いましたが今はヒュッテのインテリアとして。

でも、ランプにせよランタンにせよ、機能が形づくる美しいフォルム。このフォルムを見ているだけで楽しいものです。

我が家では特殊な、紐を編んで作られたシェード。寝室の照明。
バリとかグアムとか南の国の民芸品だったような、諸国民芸の店で購入したような。

以下の5点は筆者の自作のシェード。紙(ダブルトレーシングペーパーなど)を折り上げたもの。
大学のデザインの授業で扱われ、折りの間隔の長さとフォルムの関係を法則化して独自に開発・発展させたものです(これは開隆堂出版発行の中学美術教科書に採用されたこともあり)。

これらのランプシェードはかつては生活の場で実際に使っていました。が、素材が紙ゆえに当然ながら埃の清拭などはむずかしかったのは確か。
でも今見ても紙のシェードが醸す雰囲気はとてもいいと思います。
フィンランドなど北欧に、折りによるシェードの文化がありますよね。

  

シェードの下の、おとぼけの子どもたち(笑い)。約30年前のなつかしい一コマです。

光源を竹ひごで囲って作ったフロア用照明。
竹ひごという素材で照明器具を作ってみたかった、実験的な作品です。
仲間内で開催した宮澤賢治の造形展(2006)に寄せて。

ベアツリー(bare tree/裸木)。反映している光はろうそくの灯りです。

クリスマスツリーといえば、モミの木に似せたプラスチックの作り物が多いけど、もっと趣のあるツリーはできないかと考えて作った試験的な作品。ここに点滅ライトをつけたら美しかろうと。
我が家のクリスマスはこのベアツリーをしつらえています。

実はこれまでのsignalで「新作」と表現してきたのは、このベアツリーです。
製品化のために試行錯誤を繰り返して約1か月半が経ちます。もう少しで形が見えてくると思います。

クリスマスイブ。燭台にろうそくを点して。
この燭台は南部鉄器の重厚なもの。骨董として見つけたものです。
まあ、年に一度こんな夜があっていい。

ヒュッテにて、ろうそくの灯り。2014年の12月17日のこと。
実はこの日はたいへんな大雪で倒木がバッタバッタ、道路をふさぎ、電線を切ってしまってたいへんな夜でした。
筆者もまだ勤めを持っていた時で、家まではあと800メートルもあるというのに除雪車が入れずにクルマは通行不能で、そこから歩いてようやく帰り着いたものでした。
相棒も這(ほ)う這うの体(てい)で戻って安息を得ました。

我が家は主屋もヒュッテも暖房は薪ストーブ、主屋はもちろんヒュッテにもろうそくや簡易コンロや水を備えてあるので災害には非常に強い機能を有しています。
この日は特に電気などなくても暮らせる強さを感じさせられたものでした。

廊下の角の趣きのある木の燭台。隣りの梓工房の作品です。
燭台の両脇のラ・フランスは筆者の彫刻作品。
薪にしようとして割っていた榛(ハン)の木を材料として彫ったもの。アクリルによる彩色。

コロナ禍によってここ2年程開催できなかった小正月の行事、さいど焼き。写真は2019年のもの。
地区のひとびとが集う貴重なお祭りです。
暗闇に映える火の灯りはいい。こういう大きな火というのは、心を高ぶらせていきます。
来年こそはできますようにと願うばかりです。

主屋の南側に隣接する林の中の広場での焚火。お客さんを迎えて。
筆者は焚火をして迎えることを客人への最高のもてなしと思っています。
こういうところで肴を口に運びながら飲む日本酒とかワインとかはもう最高です。
森暮らしの醍醐味ここにあり、です。

原作・脚本の倉本聰によるテレビドラマ「北の国から」は心底おもしろかった。熱心に観ていました。
その倉本が着想時分のことを放送当時の1982年1月に、北海道新聞に寄せていた文章がありましたのでここに引いておきます。

都会は無駄で溢れ、その無駄で食う人々の数が増え、すべては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払いそして依頼する。他愛ない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、人みなそこへあこがれ向かい、その裏で人類が営々とたくわえて来た生きるための知恵、創る能力は知らず知らずに退化している。それが果たして文明なのだろうか。「北の国から」はここから発想した。

都会の暮らしにひたりあるいは都会に向かうひとの心情はさて置くとして、この後半の「営々とたくわえて来た生きるための知恵、創る能力は知らず知らずに退化している」という指摘は筆者も感じていたのです。
そうなのです。森に暮らすということの意味は、知恵と能力の退化へのアンチだということ。
ひとつひとつの事柄をていねいに、知恵と工夫をもって小さな課題をひとつひとつクリアしながら生活する、そこにこそ喜びはあるということなのです。
美しさや心地よさへの希求は、課題というものをファクトリーのように次から次へとこしらえてくれるものです。その課題にそって暮らしている、それが筆者の変わらぬ現在です。

今回綴ってきた“灯りと火”についても、この文脈に沿っていたものです。

厳冬の寒さに震え、なかなか布団から出られない幼いボクにカアちゃん(母親)はよく言ったものです。
「イツマデモカナシガッテイルナ!」。
いつまでも悲しがっているな。いつまでも寒さに負けて身を縮こませ気持ちを萎えさせているでない、早く起きて動き出せ!と。
(当地方では“悲しい”という語をこういうふうにも使う)。

雪の多い地方に暮らす者の宿命ともいえる冬の、来る日も来る日も空は鉛色によどんで暗く、雪降り続き、時に猛吹雪、寒くて冷たくて、それが長くて重くて、つらくて耐えがたく…、そういう場所にいて筆者は今もこの言葉に思うのです。
イツマデモカナシガッテイテハイケナイ!、と。
あと少しで春はやってくると、もう少しだと。

そうそう、リビングで朝いつもながらマキネッタで淹れたコーヒーを口にしながら外を眺めていると、庭のモミの木にきれいな鳥がやってきている、のどから腹にかけてあざやかな黄橙色の鳥が、と相棒が言うのです。
強い近視の筆者は5メートルほどの距離でもぼんやりとしてよく見えず、(老眼ゆえ)遠くがよく見える相棒の説明に頭でイメージすれば、それはまごうことなくキビタキ(黄鶲)。
うれしかった。キビタキが我が家に来てくれたのです。
そして、勝手に思ったのです。春は近いぞ、と。

(本日7日朝、自然積雪深は205センチを記録)。

あっ、イタタタタタ、腰がどうも(笑い)……。嗚呼、情けないなあ。
どなたも、腰にはくれぐれもお気をつけを。

それじゃあ、バイバイ!

 

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