森の生活

灯りと火と その1

2月の声を聞き、立春が過ぎたというのに、ここルーザの森のどこにも春は立たず、見当たらず。
日本の麗しい歌曲「早春賦」(1913年。w吉丸一昌、m中田章)の“春は名のみの”の“風の寒さや”ならぬ“雪の多さや”、そして“今日も昨日も 雪の空”なのです。
ここでは春は、遥かに遠い世界です。

筆者は除雪車のオペレーターとは顔なじみになっています(コンクリートで積んでいた石垣が冬季、除雪車によって一部破損し、米沢市に申し出たら市の費用で修復してくれた。その時に作業に当たってくれたのが土建業者の社員であり、このオペレーターだった)。
知り合っているというのは何かと都合がよいもので、例えば「車のすれ違いのための待避所を」と要望すれば聞いてくれるし、例えばこちらが車庫の前をすっかりきれいにしたところに通りかかった場合は、意図して雪を置いていったりはしないのです(当然ながら、大雪のときおよび余裕がなさそうなときはそうでもない)。除雪車フロントの排土板(スノープラウ)の左右の出や傾きなどの操作でいくらも加減ができるようで。

今夕もお疲れ様です。
我々雪の多いところに住む者にとってオペレーターは、コロナ禍の医療従事者のようでさえある。

ただいまここらの自然積雪は190センチ。明日には200センチ超えになるやもしれず。 

この2月初旬の時期にして190センチ、200センチというのは、正直いうとちょっとキツイです。堪えます。
積雪深のピークは2月の半ばと踏んでいるのでそれまではまだまだ時間があるのです。それまでの辛抱というもの。
これが、20日の(二十四節季のひとつ)雨水(うすい)ともなればもう大丈夫。たとえ吹雪が来たとしてもそう続くものではありません。
だから筆者たちは、厳冬期にあって、雨水の来るのを強く待ち望むのです。

冬のよきパートナーともいうべき除雪機・ホンダ1380JRとともに、セルフで。
この“1380”という数字は13馬力で除雪幅が80センチを意味しています。

さて、このsignalに関して昨年の今頃からあたためていたテーマがあって、それは“灯りと火”についてのことでした。
この“灯かりと火”について大げさに言ってしまえば、筆者が森の暮らしにあこがれ、実際に住みはじめた頃から大切にしているものなのです。いわばポリシー。日々の暮らしというのは、あたたかな熱と光を放つ火と美しい照明とによって彩られるという。
というわけで、以後2回にわたってお届けするsignalは題して「灯りと火と」、今回はその1です。

雪がやんだ外から見たリビングの灯り。
普通なら団子木は仕舞いの時期にかかっていますが、我が家ではもうしばらく飾っておくことにします。

時に筆者は、なぜひとは日没とともに一日の活動を終了せずに“昼”を引き延ばすのだろう、と考えることがあります。なぜに夜という時間が必要なのか。
もしもひとが日没を期して一日の暮らしにめどをつけ、あとはわずかの時間を火を点して楽しみ慈しみそれから寝るようなら、化石燃料などはさほどいらないだろうし、そういう生活様式ならば現在言われている気候変動の危機というのは起こらなかったはず。
つまり、危機的な状況を作ったのは便利と快適をひたすらに追い求め消費に消費を重ねてきたひとたち、もっというなら日本を含む“先進国”といわれる“大量生産・大量消費”を旨とする国々のひとびとにほかならず。
こういう国々の生産消費活動によって“開発途上国”といわれる(“先進国”も“開発途上国”も何ともへんてこな用語だ!)ひとびとの暮らしを飲み込んでいるんだよね。第一に、資本主義の習性としての搾取、そして気候変動によるまともな直撃。
少なくとも筆者は、このことの自覚だけは持っていたい。

それにしても、なぜひとは“昼”を引き延ばすのだろう。
自分はどうなんだろう。
それは、日没を活動の区切りとするにはまだ体力に余りがあるから? その余りは酔いを楽しむため(笑い)? 音楽を聴いたり、新聞を広げたり、本を読んだりのため? インターネットを楽しむ? 家人との時間も?
でもこの“余時”もなるべく早く切り上げるにこしたことはなく。

下は、リビングの照明。2012年。
我が家の現在の照明器具のランプシェード(電傘)のほとんどはガラス製でできていますが、10年くらい前までは自作していました。
牛乳パックの良質なパルプを取り出して糊で固めて成型していたのです。
今見返しても、これはこれで美しくもあり。

下は2011年1月。このランプシェードも自作。
光が他の写真と異なっているのは、我が家はこの時期(かの大震災の2011年)までは白熱球(60ワット)を使用していたのです。
この頃までの意識としては、まるで昼間を思わせるような蛍光灯の白い光は避けたかったという思いがありました。

大震災で原子力発電の過酷事故が起こった2011年3月以来、電球は徐々に白熱球からLEDに切り替えはじめました。それは、電気を使うそのこと自体に痛みを感じたからです。電気は有限、それこそ大切に使おうと。

現在の照明の消費電力はかつての白熱球時代の60ワットの場所(リビング)には12ワットのLEDを、その他はほとんど6ワットほどにしています。
我が家の電気料金は(工房での使用も含めて)、冬場で月に5,000円程度、夏場で4,000円未満です。これが安いかどうかは比較が必要ですが。

外灯は3箇所。いずれもセンサーで反応します。
下は、南側の林の中の広場にゆくところに取りつけたもの。

主屋の玄関口。

工房(兼ヒュッテ)。

主屋の、さまざまな形のガラスシェード。
同じ光源だとしても、照明というのはそれを包み込むシェードで変わってくるもの。さまざまなシェードであるということは、光にさまざまな表情があらわれることを意味しています。
部屋や空間の特徴に合わせてシェードをしつらえるのは空間環境をデザインするということでもあります。このデザインはとても魅力的です。

ガラスのランプシェードは骨董屋からの購入やネットオークションでの入手がほとんどです。中には廃業の機屋から安価で譲ってもらったものもあり。

下は、1階の玄関すぐの(ギャラリーの向かいの)和室。
このガラスシェードは一般的なものに比べ、縁がわずかに落ちているめずらしいもの。

和室わきの仏間。重厚感漂う寸胴(ずんどう)のフォルムです。

2階の和室。洋館にでも点されていたような趣のあるシェード。
この部屋ははじめは筆者の書斎として構想し、やがてはゲストルームに、さらには息子の部屋と変遷しました。
現在、ゲストルーム(客が泊ってもらえる場所)の機能はヒュッテに移っています。

下は、2階の和室に通じる渡り廊下の角。ドーナツを4つ重ねたようなユニークな形状のシェード。これも洋館の小部屋にでも使われていたものか。

壁には、山形に縁を持ったドキュメンタリー映画監督の小川紳介(1935-92)の代表作のひとつ「ニッポン国 古屋敷村」(1982)の大きなB1ポスターが貼ってあります。

92年に若くして亡くなった小川紳介の追悼上映集会が拠点とした上山市牧野(まぎの)の古民家で何度か開かれて参加したものでしたが、そこにはやはりドキュメンタリー映画監督の原一男さんとか、映画評論家の山根貞男さんなど著名な方もおいででした。その時に小川夫人の白石洋子さんから特製カレーをいただいたのでしたっけ。
忘れがたい思い出の一コマです。

トイレ(左奥)と浴室(右奥)に通じる廊下。これもセンサーによる点灯。
ランプシェードは1950年代にはまだ一般的だったと思われる傾斜のゆるい乳白色の電傘。
この一般的なタイプは、今でも1,500~3,000円くらいで入手可能な品のように思います。

脱衣所。小さな寸胴タイプ。

玄関口。少々太鼓型のフォルム。

玄関に入ってすぐに、山形肘折系のシュウスケ(周助型こけし)とともにハンコタンナ(庄内地方の女性の日除け)をまとった“首”があります。
ここを照らす照明は横浜は中華街で見つけた電気スタンド。鉄と鋳物でできたレトロな雰囲気のもので気に入っています。

ギャラリー。

ギャラリーはアトリエを兼ねており、ドアリラなどの造作物の最終段階の作りおよび塗装はここで行います。
その机上を照らすのは、建て替えにともなって総合病院から廃棄されたもの。かつては医師の診察に寄り添った照明です。
このスタンドは、新たな場所を得てうれしそうです。

工房で作業中の筆者。現在は新作を手掛けており、サンドがけの作業ゆえにマスクは必携で。

工房内ではLED直管の主照明の他は、LEDのクリップライトで手元を照らしています。同じLEDでも工房だけは電球色でなく昼白色のものを使っていますが、これははっきりと見えることが肝要なためです。

工房隣りのヒュッテの、風除室(ロシア式の前室)。これはセンサー点灯。
風除室はスノーシューの置き場にしていて、思ったがすぐに外に出られるようにしています。 

で、以上の照明をずーっと連ねてきて、どうも暗いなあ、明るさが足りないなあと思う御仁も多いのでは。
そうなのです。筆者の照明の考え方の基本は、この“ほの暗さ”にあります。

喫茶店とか(今となってはなつかしい響きだね)、スナックとかバーとか(あまり行ったことはないけど)、雰囲気を大切にする場所はみんなみなほの暗いもの。それは、ほの暗さにこそ想像が広がり思考が宿るからだと思います。想像の広がりや思考こそは、生活を彩るイマジネーションの源泉です。
と、いうことなのです。
(本からの情報だったか、全国的に見ても東北地方というのは冬の暗さが精神的につらいこととともに貧しかった頃の家の暗さへの反動からか、“明るさ”信仰が強いらしい)。

節分を迎えて、今年も雛人形を飾りました。

相棒曰く、「飾るのは、ものの数分!(笑い)」。
でも、この高柴デコ屋敷(福島県郡山市)で作られた(いただきものの)張り子の男雛・女雛を中心とした雛人形は素朴でいい。
もう、家の中だけには春が来ているようで。

手前の小さな張り子は会津産の起き上がり小法師(おきあがりこぼし)。
みんな平和な顔でけっこう。
手前の君は、飲みすぎ?(笑い)

それから、晩酌のネタが尽きて、仕込んであったノイバラ(野茨)の果実酒(Alc.35度)を瓶に移し替えました。ノイバラ酒は野生の香りがいっぱいです。
ノイバラにも春を感じつつ。

春よ来い、早く来い!だ。光の春が思われる今日この頃です。
それでは、バイバイ!

 

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