森の生活

団子木の春

ここルーザの森は年が明けて小正月が近づくにつれ、またもや荒天となりました。
吹雪も吹雪、超ド級の猛吹雪が襲来しました。

我が家は“燃えるゴミ”を出すのは週に1度と決めていて、それが金曜の今日(14日)。
雪が小やみになったのを見計らってクルマを出したはいいものの、その判断は甘かったと思います。
ほどなく猛吹雪に遭遇してしまい、視界ゼロです。
頼りの電信柱も除雪でできた道路両脇の雪の壁の陰影もはっきりしない。こうなるとクルマの運転はお手上げです。
こういう場合はハザードランプを点滅し、ヘッドライトを点して上向きにして、できるだけ自分の存在を相手に示すようにします。そして吹雪が落ち着くまで道の端の安全な場所に停車するのが何よりです。
そうしてようやく2キロ先の収集所にたどりつき、怖い思いをして家に戻ったのでした。


実は筆者は、ちょうど5年前の今頃、自宅工房での木工作業中に目にけがを負い(切り終えた木片がマルノコ盤の高速回転の刃に引っかかり、それが右目を直撃した。保護メガネはつけていなかった)、それ以来、失明は免れたものの右目は見るものすべてが霧がかかったように白濁するようになっていて、吹雪のときには特に困りものなのです。
吹雪におののいてしまうのはそういうこともある。
(それ以降、機械を使っての作業は慎重の上にも慎重を期して行うようになりました。当然ですが)。

雪の笊籬溪(ざるだに)。

鑑山(かがみやま)と呼びならわしている山の、岩肌の休憩場所もこの通り。
ときにルーザの森を俯瞰(ふかん)して撮影しているのはこの岩場からです。

ヒュッテのガラス窓の、雪囲いの板の隙間から見た主屋側。外は猛吹雪。

吹雪が少しやんで。

夜も雪降りやまず。

雪は止むことなく、モサモサと降っています。
雪がとめどなく降る様子を“モサモサ”と表現するのは当地方(あるいは山形県)の方言と思うけど、こちらとすればこれを超える形容のオノマトペは見当たらないのです。

午後4時過ぎ、早朝に続いて本日2回目の除雪車が来ました。

筆者は雪国の住人のこと、吹雪にも積雪にも慣れてはいるものの、限度というものはあるものです。想定の一線を越えるともはやお手上げです。
こういう場合は天からの「じっとしていなさい!」という指令にしたがう他はありません。

筆者は工房に入る日常ではあるけれども、作業にひとまずの区切りを迎えていたので気分転換にと台所に立ちました。
相棒の実家からいただいていた大根と白菜がたくさんあって、まずは大根のそぼろあんかけを、それから白菜の大量消費を目的に中華の“ラーパーツァイ(辣白菜)”を作りました。
ラーパーツァイとは白菜炒めぐらいの意味なのでしょうか(ざく切りにした白菜を塩を振って水分を出し、それをごま油で炒め、中華スープの素や酒、醤油、酢で味つけしたもの。唐辛子を加えるとgood! 最後に白ごまをふりかけて)。

さらに当地方特産の地物野菜“雪菜”(雪の中から掘り出すもので、全身が白い)の浅漬け“ふすべ漬け”も作りました(“ふすべ”は当地方の方言の“ふすべる”から来ているとのこと。熱湯を注いで冷やし、それを数度繰り返すと辛みが増してくることを指すという)。
ラーパーツァイに程よい辛みがある雪菜の漬物を混ぜたらうまかろうとのイメージからです。

雪菜。ふすべ漬けは2日を要するので食するのは後日です。


下は夕食の1品とした大根のそぼろあんかけ。戻した乾燥キノコが加わっています。
煮汁はキノコの戻し汁も一緒にしているのでコクも出ていて美味でした。

コゴミを使った1品が添えられました。
春になったらコゴミを採るのはいつものことなので、冷凍保存していたものを煮物に。
油揚げとこんにゃくとで身体にやさしい味でした。

外は雪降りやまず。
こうして本格的な冬がやってくれば、雪国のニンゲンはあたたかな春が恋しくて恋しくて心に灯を点しはじめるもの。せめて心には、ほのかな春を、です。

リビングに置いたシャコバサボテン(蝦蛄葉仙人掌/サボテン科スクルンベルゲラ属)。
29年前に新築祝いということで友人からいただいたものが大きく育ちました。
この若いみどりと韓紅(からくれない)がいい。

玄関口のしつらえ(室礼)。
筆者が採取してきたツルウメモドキ(蔓梅擬/ニシキギ科ツルウメモドキ属)の枝を相棒が大甕に活けました。
枯れてさえ落ちないたくさんの赤い実が映えます。

寒さ厳しい冬にあってリンゴの赤は何とあたたかく美しいのだろう。
日持ちしてサクサクの食感がたまらない“ふじりんご”(正式には“サンふじ”)は、買い足しながら春がくるまで常備します。
リンゴのない冬なんて考えられない。

玄関先の電話口に飾ってあるシュウスケ、佐藤巳之助(1905~77)による山形肘折系の周助型こけしです(“周助型”の周助/1873~1939は巳之助の父であり師匠)。
所持している自分でいうのも何ですが、数多い作家が試みているシュウスケ(周助型)でもこれは名品だと思います。
意志的な強さとやさしさを秘めたまなざし、鼻がいいし口もいい、凛として実に美しいたたずまいなのです。
シュウスケは春を呼ぶまなざしでもある。

そして、松の内もそろそろという8日、我が家恒例の団子木飾りをしました。

枝は買うものでなし、自生するものゆえ、できるだけ大きく立派なものをと思って、我が家ではだいたい3メートル弱のものを使います。
また、左右のバランスよきよう、ふたつにきれいに枝分かれしたものを選びます。
普通の民家でこれほど大きなミズキ(水木)を飾るのは本場米沢(あるいは置賜地方)でもあまりないのでは。

子どもたちがまだ家にいた頃にみんなで団子木の飾りつけをした記憶があまりないので、我が家の団子木飾りの歴史はここ10年くらいだと思います。
きっかけは勤めを持っていたときの出向先で、大きな団子木飾りを見たことから。
そのとき、それは単純に美しいと思ったと同時にその色合いに春の日のまぶしさが連想されたのでした。
なら自分も飾ろうと、せめて部屋のなかだけでも春を呼び込もうと。
この団子木のミズキはルーザの森にいくらも自生し、敷地内にも生えているのは分かっていました。あとは船せんべいを買えばよしということで。

この団子木飾りは筆者が幼いころは(米沢を含む置賜地方なら)たぶんどの家でもおこなっていたことで、粗末な我が家にもそれは飾ってあったものです。
わずかな船せんべいとともに、やわらかな餅を丸めて枝えだの先につけ、それが落ちると炒ってあられにしたような。

けれども便利や合理あるいは快適という価値観がひとびとを支配すると(それは高度経済成長と軌を一にしていただろう)暮らしは押しなべて即物的となり、15日の小正月でもその意味は薄れ、春を呼ぶ風習は廃(すた)れ、団子木飾りはいつの間に(筆者のなかにも)消えていたのでした。そうしてたぶんほとんどの家庭から消えたのだと思います。
けれども今あらためて、団子木は美しいと思う。
団子木の艶(あで)やかな彩りは寿(ことほ)ぎそのものであり、春への願いであり祈りだと思うのです。それはまごうことなき希望というものです。

米沢の地に来て(古老に)聞いた言葉に、“女正月”があります。これは小正月の別名です。
正月元旦二日は自分の家で新年を祝い、3日ともなれば親類縁者たちの訪(おとな)いがあって飲んで食べて騒いでのおめでたさ、その後も家長の仲間うちの酒席もあって女たちは休む暇がない、ようやく15日になってほっと一息つける、これが女正月とのことでした。
往時のめでたさの風景が見えるような、そしてその陰で祝いの席を支えた女たちの苦労…。これはもう、過去の記憶としてよいと思います。

近年は中央資本の大型スーパーマーケットでも船せんべいとともにミズキの枝が売られるようになってきているのですが(1メートルぐらいの枝ぶりで350円ほど)、それは今の世にかつての風習が復活してきている証拠のようです。よいことです。

船せんべいの丸いものは繭玉や稲穂の米の粒を模してもいるよう。
養蚕で栄えた土地のこと、良質なたくさんの繭ができるよう、そして米をはじめとした作物が豊作であるよう願ったものでしょう。

福の神の恵比須様。

めでたいの鯛。

“五穀豊穣”、“無病息災”、“家内安全”などの願いの札は、筆者がパウチでラミネートしたもの。

 

“大入”や“達磨”、“奴凧”の絵柄は文具店で見つけたぽち袋を切りぬいたもの。それを両面に貼り合わせたものです。
この“ぽち袋”って、最近まで何気に使っていた言葉だけれど、「これぽっちのご祝儀で申し訳ないけれども…」の“ぽち”のようで。
願いの札も縁起の絵柄も、まあオリジナルな工夫です。

下は、敷地内のミズキ(水木/ミズキ科ミズキ属)。
画像では見えにくいけれども、ミズキは枝を横に張って四方に広がり階層(層)状になるので、今の無彩色の時期でも見分けがつきます。
1層が1年の経過を意味するので、このミズキは8年から10年の木ということになります。
こういう層状になるのは、背景のマツ(アカマツ/赤松)も同じで、このことによって樹齢を知ることができます。

檀家として加わっている寺の住職は、「ミズキは敷地に生やしておくもんじゃない。ミズキは水を吸い上げるから水木というので、火の災難に合うので縁起がよくない」などと言うのですが、まあ“言われ”というのはいろいろあるもので。
で、実際に大きくなりすぎて建物の邪魔になったミズキ(根本の径で15センチくらいの太いもの)をチェンソーで伐採したことがあるのですが、その株からの水の噴き出しようといったらなかったです。
名は、住職の言う通りなのです。

下は、5月末の白い花咲くミズキ。

ここらで団子の木というのはミズキに決まっていますが、山形市の伝統的な初市(十日市)では(すでに枝に直接繭玉がついている)柳(シダレヤナギ?)の枝が売られていました。ところ違えばです。

ミズキの赤い枝は、上へ上へと向いています。
この枝の赤さと上向きがめでたさとマッチしたのでは。

夜の屋外から。

雪が止んで、外から室内を。

こうして“立春”、そして“雨水(うすい)”を待ち望んで過ごすことになります。

外は相変わらずの吹雪です。工房の高窓からの外の様子。

工房の薪ストーブに火を入れて。
外が氷点下なら、工房があたたまってもまあ10度くらいですがね。
作業をするにはこのぐらいがちょうどよい室温です。

日がな一日、新作に向けて、サンド(紙やすり)がけ、ヤスリ(ノコヤスリ)がけということもままあって。

ときにギャラリー(兼アトリエ。組み立てや塗装、こまかい作業はこちらで)にも火を入れて。

15日朝には積雪深は175センチに達していました。
その数値に恐れをなして、ふたつの小屋の雪下ろしをしました。
まだまだ厳しい冬が続きます。
団子木の彩りよろしく、その厳しさを乗り切っていこうと思います。

それでは、お元気で。バイバイ!

 

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