森の生活

まいったなあ!

まいったなあ! すごい雪です。

(2020年)12月13日は雪が降ってくるという予報は出ていたものの、本降りにはまだまだと高をくくっていたのです。
イカの一夜干しが手元にあるし、これを燻製にしない手はないだろう、しかも多少の雪があっても気温は0℃ほどの好条件、外気が低温なら上等な冷燻状態の温度が保てる…、そう思っていたのです。
(本当はこの日、興味があるなら、晴れておだやかな天候なら、食材を持ち寄って一緒に燻製でもと知り合いに伝えていたのだけれど、この天候では心もとなく)。

雪に燻製器、これはこれでいい風景ですね。

ところがその夜から本降りの雪になりました。クリスマス前にしては近年にない激しい降り方です。
これは明らかに昨年の小雪(地区のどんな古老に聞いても、昨年の米沢の雪の少なさは記憶にないという)の反動だと思います。自然はこうして絶えずバランスを取ろうとする。

今回の降り方の推移をシンボルツリーのひとつのトウヒ(唐檜/マツ科トウヒ属=エゾマツの変種)で見てみましょう。
上から、13日11時、14日23時、15日6時、16日20時、19日13時、そして20日23時です。

 

 

こんなに変わってしまった20日のトウヒに、筆者は“ピエタ”(十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリア)を見てしまうのは、想像のし過ぎというものでしょうか。どうだろう。
クリスマスが近いせいだろうか。

雪は本日(22日)朝にようやく収まりました。ほっとしました。
本降りの18日には積雪がすでに100センチ(ルーザの森測候所の積雪計=何のことはない目盛りを入れた竹竿。風や樹木の影響を受けないところに設置しているもの)を超え、吹雪模様の19日には130センチに、20日には140センチに達したのでした。

ここらへんの平年の最大積雪深は2月初旬のことで150センチほどなのですが、それよりも1か月半も早くそれに近づいてしまったということになります。
こういう降り方というのは年明けの1月10日過ぎにやってくるという覚悟はできているのですが、時期の早さには正直、まいりました。

(家庭用)除雪機はフル稼働。
下は、大きくなり過ぎてもはや雪囲いができなくなったトウヒの周囲を除雪しているところ。

木が折れるというのは、周囲に雪がどんどんと積もり、圧縮し、それが少しずつ消え去り、雪の嵩が減り、雪が凍る……、そうしたときに凍りついた枝々が周囲の雪に引っ張られることによることが多いのです。雪囲いのできない木は、周囲を絶えず除雪してやることが必要です。


小屋の雪下ろしをする相棒のヨーコさん。
筆者は一緒に屋根に登ったり、下で待ち構えて除雪機を動かして雪を飛ばしたり、行ったり来たりの両睨み。
これでゆうに130センチは積もっています。

 

雪下ろしというのは、このへんでは(締まり雪で)だいたい80センチをめどに行うのですが、今回はあまりに一気の降り方で、こんな嵩(かさ)になっての雪下ろしとなりました。
今回は吹雪の中の雪下ろしでしたが、我が家のような“アスト”(雪留め)を取りつけていない屋根の場合は、気温が0℃以下の方が安全な作業ができるのです。気温が上がれば、屋根上ですべって雪ごと落ちてしまう危険性が高まります。
この経験が筆者には2度あります。その時には瞬時に判断し、(滑り台のごとくに)頭を上にし雪の上に乗っかることが肝要です。

一生懸命に雪下ろしをやって、次の日の朝に起きて見てみると何と50センチの新雪が(笑い)。

下は、22日から日中の最高気温がプラスに転じることを見越して、20日に車庫の屋根の“雪切り”をしたところ。
天頂(尾根)部分が両側の雪を接着する役目をしているので、こうやってスコップとスノーダンプとで取り除いてさえやれば、雪は自然落下してくれます(ましてやこの屋根は、建築以来18年目にしてはじめて今夏に業者から塗装をしてもらったばかり)。
予測通りに22日夕方には両側の雪がともにすっかり落ちました。大成功です。

この車庫の大きさは3×3間(間=1.8m)、屋根は両翼(せり出し)を含めればだいたい7×8m(傾斜分を含め)、それに締まり雪の積雪1.4mをかけると雪の総量は78.4㎥。
締まり雪の重量は1㎥で250~500㎏とのこと、ここは1週間程度の時間的な経過から言って350㎏として(かなりおおざっぱだけど)、全体でだいたい27,440㎏=27.440トンということになります(締まり雪の最も低い値の250㎏でさえ19,600㎏、約20トン)。
これはとんでもない数字です。建物って、こんな重いものさえ支えているのです。本当に、お疲れ様です!
一方、これが落下したらどうなるかは想像の通り。これが雪の怖さのひとつです。

ヒュッテと工房の雪が落ちて、下からの雪にもうくっつきそうになっているところ。
これで限界、屋根の雪と下の雪がくっついてしまうと、巨大な力が働いて建物の構造を歪めるのです。雪が解けて嵩を減らすときに引っ張る力が尋常ではないのです。
こうなると下の雪を取り除く必要があります。

除雪車もフル稼働。
行政の除雪車は10センチの降雪を確認するかそれが明らかに予測される時に(市土木課から除雪業者に指令が出て)出動するのですが、15日からの5日ばかりは早朝に夜にと2回ずつ来ていました。
下は20日早朝の出動。押してくる雪の量が半端ではないです。

 

で、この一気の雪でどうなったのかといえば、主屋の煙突が反ってしまいました。
2004年のこと、新しいストーブがやってきたのを機に新しい煙突を設置すべく煙突を支えるための梯子を抱かせたのですが、その梯子の上部が巨大な雪の塊が屋根を滑ろうとした衝撃を受けきれず曲がってしまったのです。その影響で煙突が反ってしまったのです。その時は、天井の方から異様なバキバキという音がして、不審に思っていたのでしたが。
こんなのはじめてのことです。かの3.11の巨大地震にもしっかりと耐えた煙突がです。こうなると取り替える以外修復は不可能、実に残念なことでした。

で、さらに、周囲はどうなったのかといえば、倒木の数々です。
やはり自然の樹木もこの一気な雪には適応できなかったようです。

今回の倒木は、すべてマツ(アカマツ/赤松)に集中していました。
マツはスギ(杉)のようには枝々を垂らすことができず、雪の重さに耐えられなければ枝が折れる、最悪の場合、木そのものが倒れてしまいます。
スギとの比較で今回、もうひとつ大きな違いに気づいたのですが、スギはどんな密集地に植えられても円錐形の形に生長する(日が当たる当たらないはあまり意に介さない)のに対して、マツは隣に広葉樹などがあれば、その側の枝は伸びずに、とにかく開けた空間の方へ開けた方へと枝を伸ばして葉を茂らせるのです。それでどうなるのかといえば、木としての形のバランスを崩します。そういう木に雪が積もればその重量で徐々に幹自体が傾くのは当然で、これが倒木の原因のひとつということです。

そして22日に一箇所の倒木が電線を直撃して断線、電力会社は漏電を食い止めるためにその断線箇所のずっと手前、約1キロ地点の電柱をもって通電を停止したということです。事故発生が9時、通電停止が10時半でした。それによって我が家も、それ以降復旧の午後5時半まで電気は来ませんでした。

まあ、我が家の主暖房は薪ストーブ、明かりはすぐに蝋燭を灯せるようになっているし、コンパクトな(山で使う)調理器具もそれなりの食糧も備えているので慌てることはありませんが、久しぶりの長時間の停電に電気のありがたみを感じましたね。

で、今回つくづく思ったのは電力事業者の対応の回りくどさともたつきぶりです。
まず、停電を報告しようと懇意のガソリンスタンドに駆け込んで借りた電話で(筆者は携帯電話を所持していない)仙台のサービスセンターを呼び出すも(込み合っていて)不通、待っていては埒(らち)があきそうになく、ではと直接電力の米沢支社に出向きました。けれども受付には誰もいず、大きな声で呼べば、しばらくしてやってきた女子社員は、「停電対応については分社化したのでそちらの方へ」、ときたのです。
そこからまた電話をして、ようやく担当者が現れたという始末です。それが11時。
そして担当者の、「午後から伺おうかと思っていました」という言葉には呆れて脱力したわけで。サービスって、こんなんでいいのかなあ。
なんで日本という国は、こういう欠くべからざるインフラの電気事業が国営ではなく、私企業に任せているんだろう。

最後はモミ(樅/マツ科モミ属)の話。
庭に1本のモミをシンボルツリーのひとつとして植えているのですが(20センチほどの実生の苗木を山中よりいただいてきたもの)、今回はじめて雪囲いをしなかったのです(大きくなりすぎて、木組みができなかった)。
そうして観察するとモミは雪が積もれば枝を垂れ下げて、樹木全体が槍のように鋭角になって天を衝くような姿に変わるのでした。これはちょっとした驚きでした。
その下は晩秋の、まわりのコナラ(小楢)の落ち葉が舞っていた時のモミです。翼を広げるごとくに枝を張っています。ここからの変身はみごとというほかはないです。

ここで思うのです。
クマなら冬分は食糧が得られないために冬眠をする(この雪は冬眠に入ったクマの巣穴の入り口をふさぎ、毛布となって暖かくしているだろう)、サルは目立ったものがないなりに食べ物を探し続け、クワ(桑)の木の皮をはいで食べたり、雪を掻き土を掘り返してはキクイモ(菊芋)の芋を食べてたりして飢えをしのぐ…。
広葉樹は晩秋に葉を落として吸水を停止し、落下物(降り注ぐ雪)に対して当たる面積をぐっと減らす…、針葉樹、特にモミは槍のように変身して雪を受け止める……。
こういった動物・植物の環境への適応に対してヒト属は、環境が変化した時には悪いのは変化した環境の方で自分ではない、したがって環境を変えていくのだという発想をしがちなのではないのか、と。環境に適応できるように、己を柔軟にしていく努力はどうなのか、と。

今年2020年は新型コロナウイルスに翻弄された年といってもいいと思うけれども、「婦人公論」(11月12日)において漫画家で文筆家のヤマザキマリがこう語っていました。
「人間は特別な生き物なのか。地球で一番えらいような顔をしているのは知性があるから? でも人間は温暖化の要因を作り、地球にとってはウイルスみたいな存在なのではないか」と。人間はウイルスね。
ヒト属が新型コロナウイルスを悪者にし恐れるように、地球は人間を疎ましく思い、そして恐れていると。
さて、この感染はどんな推移を見せていくのか、いつまで続くのか。

吹雪がやんだ朝の、真っ白な笊籬沼(ざるぬま)です。
静かです、平和な風景です。

それでは、バイバイ。

 

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