森の生活

ちいさなクリスマス

冬の、室内のしつらえを少しばかり。

近くの公有地にあるエンジュ(延寿/マメ科エンジュ属)の枝をもらってきて、玄関口に。
豆を包む鞘(さや)がほのかな緑色を呈し、あたりが無彩色ならこれにさえ生命を感じたりします。

上のエンジュにツルウメモドキ(蔓梅擬/ニシキギ科ウメツルモドキ属)が大挙して絡みついていました。
ツルウメモドキの蔓を大甕にさして。
ツルウメモドキのこの赤と黄色の種の彩りは、冬場には貴重なものです。赤は実、黄色は果皮です。


相棒のヨーコさんが余った枝で何やらを作っていたのはリース、「退散祈念、コロナリース」と名づけていました(笑い)。
これは世界に通用するアートかも(笑い)。
この単純にして意表をついた意匠に、バンクシーもさぞやびっくりです(笑い)。

インテリアとしてリビングに置いている、今年漬け込んだ果実酒の一部。
左は、ノイバラ(野茨/バラ科バラ属)。この赤い実は利尿と便秘の治療薬にされているのだそうで。
次に、ナツハゼ(夏櫨/ツツジ科スノキ属)。これはブルーベリーと同じ属ですね。
この果実酒は絶品です。今秋、これを作るために野山を歩いたけれど、収穫はごくわずかでこれですべて。まったくの不作でした。収量の多い年だとこの瓶で5つ6つも作るのですが。
そして、ガマズミ(莢蒾/ガマズミ科ガマズミ属)。きれいなガーネット色になります。
少々、酸っぱみのある野趣満点の果実酒に仕上がります。
このガマズミ、長野の戸隠あたりでは大根を漬けるのに利用するのだとか。赤い大根漬けができるのでしょう。
いずれの果実酒も来年の秋以降にいただきますが、熟成した味がとても楽しみです。

冬に、クリスマスにと、リンゴはいいね。
サクサクとした食感に、プーンと漂うかんばしい香り、そしてこの赤が何ともしあわせな感じがするのです。

横浜の親戚筋が送ってくれた、自宅で栽培しているというレモン。
「農薬を一切使っていないので、かぶりつきでどうぞ」、とのこと。
庭にレモンなんてうらやましい限りです。いただきます。

12月21日は、待ちに待った冬至。これからほんの少しずつでも日が長くなるというのは明らかに希望です。とてもうれしいです。
冬至には柚子湯、いだだきもののレモンを添えて。
そして、冬至南瓜(小豆南瓜)。21日の朝食のひと品として。
冬至南瓜は幼いころから口にしていたけど、小学校の給食でも出ていた記憶があるなあ。
こういう食の風習というのはずっと伝わっていってほしい。
(冬至南瓜の下のゼンマイの煮つけには燻製したちくわが入っており、何とも言えない調和です)。

 

我が家の朝の定番のマキネッタ。このバーナーは山に持っていくものですが、家でも大活躍です。
間近に火を見ながらコーヒーができてゆく時間は豊かなもので。

三重の友人が焼いて送ってくれたシュトレン。さすがはプロの味です。
クリスマスが近くなると、ありがたいことに届けていただきます。少しずつ、少しずつ口にします。
持つべきは友です。ずっと友達だよ!(笑い)。ずっとずっとだよ!(笑い)。

リビングの主暖房の薪ストーブ。バーモントキャスティングス社(米)の“イントレピッドⅡ”。
もう16年の歴史を刻んでいます。

うんと寒い日の補助暖房として、コロナ社(新潟三条)製のロングセラー、対流ストーブSL型。もうこれは30年選手です。
コロナ社は名前が名前だけに大変な1年だったと思います。でも、確かな技術と信頼を誇るこの社名をぜひとも堅持してほしいものです。
ここで名前を変えるようなら、それは負けと同じですからね。陰ながら、応援しています。

ちなみに載っているヤカンは、柳宗理によるデザインのもの。
このヤカンは新潟は燕での生産です。パーツごとに専門の15もの町工場を回ってようやく完成に至るということです。この製造工程がまず、すごいね。
これはヤカンにしてはかなり高価なもの(約1万円)だけど、このフォルムと機能から伝わってくる美しさはやはり値段以上のすばらしさです。使っているとその秀逸性はさらに実感します。
デザインとは、こういうものをいうのだと思います。うっとりです。

クリスマスは、大人になってもよいもの。
それは森に暮らすようになってはっきりしてきたことだけれど、ヒトもまた他の動物たちと同じようにその暮らしは太陽の運行とともにあるということ。クリスマスはキリストの生誕を祝うお祭りとされているけれども、もうひとつは古来の人々が心の底に持っていた太陽神信仰が合わさったものであること。筆者には特に後者が大切なのです。だから。
これから少しずつ少しずつ日が長くなっていきます。率直にうれしいです。

天然のクリスマスツリーが庭に。

恒例のクリスマス飾りを玄関のドアに。
枝は年によってトウヒ(唐檜)とモミ(樅)を使うけど、今年はモミを。

玄関飾りの中心には木彫りのサンタクロースを。
これは実はダイソーの100円商品です。思わず飛びついたものだけど、クリスマスが近くなると飾りたくなります。もう20年にもなるのでしょうか。この素朴さが何とも素晴らしい。

我が家の室内のクリスマスツリー。
これは筆者が手作りしたもので、随分と年月が経ちます。素朴な明かりを灯して。

玄関口には、陶器のツリーを。

有名な児童書に『サンタクロースっているんでしょうか?』(偕成社1977)がありますが、これは単純に好きですね。
この本は、もう100年以上も前の、アメリカのサン新聞に寄せられた8歳の少女からの疑問に、社説という形で掲載された記事の書籍化です。
まず、この投書に対する社説というシチュエーションがいいね。それから、子どもの素朴な疑問に大人が大真面目に構えて、真正面から普遍的な真理を切々と語りかけるのがいい。
子どもの感性って、こうした大人の、大真面目な真正面からの向き合いによって育まれていくのだと筆者は思います。
「この世のなかにあるみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということはけっしてないのです」は、大切な聖句だと思います。

そういえばこの15日、WHO(世界保健機関)が特別な声明を出したのでしたね。
「サンタクロースは新型コロナウイルスの免疫を持っていて、プレゼントを配るために世界中を移動できる」としたうえで、感染対策をしっかりとしてクリスマスを楽しく過ごすよう、子どもたちに呼びかけたようです。
粋なことをするものです。
でも、科学に類する世界機関にしては、免疫を持っている根拠を示さなかったのはひとつの落ち度というべきものか(笑い)。

と、噂をすれば、ムム、何とサンタクロースではないですか。しかも、いかにも重そうな大きな袋まで下げて。
この後ろの木はどこかで見たことがあるし、何やらこの不審な人物、筆者もいつぞやどこかで会ってるなあ。いつだったかなあ。
この顔はいかにもモンゴロイド、真っ白になり切れない髭、そして丸メガネ……。
ん、そうか! 思い出した、思い出した。いつもは手ぬぐいを頭に巻いている、あのチェンソー遣いで、何やら普段は“ドアリラ”とかいうものを作っているあのオヤジじゃないのか? きっとそうだ!
でまた、何で?

そういえば、このオヤジに夏に会ったときには、冬場のアルバイトのために今から髭を伸ばしているんだとか言っていたなあ。それがこれかあ。これからトナカイを誘って拠点のフィンランドに行くつもりなんだな。
アルバイト君、お疲れ様です!

そうなんだ、筆者もサンタがひとりで世界中を一晩で飛び回るなんてどう考えてもおかしいと思ってたんだ。こうして、アルバイトを募って何人にも働いてもらう……、これで納得です。すっきりです。

ずいぶんなカメラ目線だけど、どうしたのよ?!

今年も、こんな感じかなあ、クリスマスイブは(これは昨年の画像)。
我が家の、変わらぬ、ちいさなクリスマス。 

今年の最大のプレゼントは、下の佐藤忠良のブロンズレリーフにつきるでしょう。ただしモノ(“ただひとつの”という意味)ではないです。
この存在を知ってから、出ないかなあ出ないかなあと待ち望んで数年、この秋にとうとうネットオークションに出品されたのです。
それを筆者が逃すまいと落札して手に入れたものだけど、偶然に偶然が重ならなければ決して筆者のところにはやってこなかったでしょう。やはりこれはギフトでありプレゼントであり。
このブロンズのレリーフ「北の少女」は宝物です、大切にします。毎日、CHURYOと会話します。

それでは、メリークリスマス!

 

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