森の生活製作の時間

畑のへり

本日は(2020年)12月6日。
今年をちょっとふりかえってみると、おおざっぱに言って春が来てから7月末までは工房の増築、(中抜けして)8月末から11月末までの3か月間は畑のへり(縁)の造作に取り組んでいたということになります。
その間、冬場に備えての薪作り(がんばりました)や本業のドアリラの発送や在庫の管理点検をし、それからうんと遊びました。
いろんなところに足を延ばしました。盛岡の街をゆっくりとぶらりぶらりしました。いくつもの山を歩きました。温泉につかりました。他所に、たくさん泊りました。
そんなわけで今年は、これまでにも増して充実したよい1年と言えると思います。

今回は、畑の、石のへり作りをふりかえってみます。

そもそもの畑ですが、こんな森の中に住んで今までの27年ものあいだ畑を持たなかったのには理由があります。
作物を作っても、サルやタヌキやイノシシ(そしてここ数年はアナグマも加わり)にやられてしまう、作物は持っていかれてしまうという危惧があったためです(ここにきて野生動物の出没はすさまじい)。
ましてや相棒も筆者も勤め人であったため日中は留守、その間は畑を守ることなどできませんでしたし。

けれども筆者が退職して在宅の工房のひととなり、相棒も常勤から嘱託へと勤務形態が変わって時間に余裕が出、ならばできるかな、と。
野生の動物に荒らされない、興味を持たれないものでも作りたいな、少しでもいいから、と。そんな思いからの畑です。
できるならその畑は、(景観の魅力が増すよう)美しく縁(ふち)取ってみたいものだと願いました。


下は昨年11月、工房の増築にともない土間コンクリートを業者に打ってもらったところ。

下は、土間コン打ちのついでのこと、畑のへりにすべく車庫ヨコの土地に事前に溝を掘り、石をつめた上から生コンを流してもらい、石積みの下地を作っているところ。
これは何も自分でできないことはない作業ですが、ちょうど職人が入ってくれていた日で、手伝ってもらったのです。

そうして下地の捨てコンクリートはでき、K工務店より好意でいただいたたくさんの高畠石(凝灰岩)が雪が来る前に運び込まれました。実にありがたいことでした。
これは今年8月末の景色。
高畠石は大きいもので300~400キロ、小さいものでも100キロはゆうにあったと思います。それが大小取り交ぜて都合9本。
それを筆者ひとりの人力で動かし、割り、刻んで、積みの作業が可能なように小さくし、それをレンガ(煉瓦)を交えて積んで畑のへりを作ろうとした、以下はその記録です。

下は、定規にした棒の間隔にしたがってダイヤモンドカッターを装着したディスクグラインダーで切断の目安を入れたところ。

目安にしたがって四方の面にカッターを入れているところ。深さはせいぜい25ミリぐらいです。
4面にカッターを入れるって、どうやって動かして次の面を出すって? それはテコの原理!
支点、力点、作用点からなるテコの原理(なつかしい理科の知識!)は実に偉大なものです。筆者の力で、400キロの石といえども動かすことができます。

次は、2か所にレンガ用タガネ(チゼル)を打ち込んでハンマーで叩いているところ。
中央部に寄って作業をしているけれども、実はここが肝心なのです。ハンマーで叩いている下に棒が渡してありますが、この棒に石の全重量がかかっており、叩くことによって重量が左右に分散し、割れやすくなるのです。今回、このことを実感しました。
最後の一撃で石が割れた時の胸のすくような思い!

パーツとしてのブロックが割り出されたとはいうものの、割った面がスパッと平面になっていることは稀です。
そこで、盛り上がっている凸部にはカッターで碁盤の目のように切れ目を入れます。それを平のタガネで取り去ります。

凸部を平タガネで取り去ったあとは、幅広のレンガ用タガネを使っていろんな方向から叩いて平面を作っていきます。
トントンテン、トントンテン、トントンテン……、このリズミカルな金属質の槌音は森中に響いていたことでしょう。
クマ君も、カモシカ君もこの槌音を音楽として聴き入っていたかもしれない。ついで、動物の病気が治ったりして(笑い)。
とするとボクはさながら、“セロ弾きのゴーシュ”ならぬ“槌打ちの豪酒”? ノーノーノーノー!(笑い)

そうしてできたパーツのブロックがこちら。
んーん、文字通りコツコツの日々、カンカンの日々、トンテンの日々の結晶であります。
ここまで来ると、大きな山場をひとつ越えた感じです。9月末の風景です。

いざアール(カーブ)のついた石積みの下地の捨てコンを意識してみると、南側の直線のへり部分が気になりだしました。
というのは、アールの下地ができたあとにその区域内に生えていた笹(正確にはチマキザサ=粽笹/イネ科ササ属)を刈り、さらにはその根をツルハシを使って掘り起こしたのですが、根は地下の四方八方に網の目のように張りめぐらされていて集めてみれば膨大な量になったのでした。境界を作らねば、またもやササは侵入してくるのではないか。
それが不安になり、やはりこの直線部分にも溝を切って石を積もうと思ったのです。

それで、新たに土を掘り、型枠を取りつけ、小石を詰め、水を張って表面の土を下へ下へと移動させてから捨てコンの打設を待ったのです。

そういえば使いかけのセメントがあったはずだと思い探し出すと、もうそれは石のように固くなっていました。何せ、8年前に使ってそれ以来の保管でしたから当然と言えば当然ですが。
でも捨てるのはもったいないこと。工房のコンクリ土間にシートを敷いて、そこで角柱を振り下ろして固まったセメントを粉砕し徐々に徐々に小さくし粉にしていきました。最後はハンマーで小刻みに叩いて。
当然ながら、これだけでは足らず、さらに25キロの袋を2つ買い足しましたがね。でも固まったものが無駄にならなくて、よかった。

モルタル(またはコンクリート)を作る時に最も肝要なのは、砂と(コンクリートの場合は砂利も加える)セメントを混ぜ、それがほとんど均一の色になるまで混ぜ合わせることです。これを“空練り”といいます。これに時間を要します。これが疲れます。
疲れると、ついつい、次の段階の水の注入がいい加減になってしまいがちです。水を思いのほか多く入れ過ぎて、ゆる過ぎるものを作って失敗するのです。

型枠に流し込むものであれば多少ゆるくても用は足しますが、レンガや石の接着剤としてのモルタルならそうはいきません。
モルタルは耳たぶぐらいのやわらかさがいいとはよく言われることですが、そのためには水は慎重に慎重にこまめに入れる必要があります。

そうして南の直線部分も含め、畑を周るへりの下地の捨てコンができました。

作業の友はラジオ。

よく聴いていたのがNHKのR1「武内陶子のごごカフェ」かな。
余談だけど、トーコさんて、ひと言でいうと“共感のひと”ですね。
どんな立場のどんな年代のどんなたよりを読んでもすかさず共感のひと言を添えるのを忘れません。本意とはいえない意見でさえも大いなる共感に対してそれほどでもない共感を区別して添えて、うまくバランスを取るのですから、もうこれは職人技というものです。読まれたひともみんないい気分になるのでは。

それから、大相撲中継はよく聴きました。
耳から実況を聞いて想像力を働かせるというのはいいものです。ただ筆者の場合は、時間をおいて夜に、ラジオの実況で気になった取り組みを配信されたyoutube動画で見直したりしていますが。
“おにぎり君”の愛称がすっかり定着した感のある“隆の勝”はいいね。けれんみのない取り口だし、あの笑顔は幸せをふりまきます(笑い)。

ちょっと横道にそれました。

石のパーツの数に目途がつき、さあ積もうかという時に、それまでの加工の日々で出た大量の石の屑が目につきました。まずはこれを処理してから。
大きいままでは単なる邪魔者にしかならないので割って砕いて小さくし、それを我が家のシンボルツリーのひとつのモミ(樅)の木のまわりに運んで敷きました。

というのは、モミの木はもはや大きく育って雪囲いができないほどになり、周囲の雪をどんどんと取り去ってやる以外に守ることはできませんが、(土地が急傾斜しているところのため)除雪機が周りを移動できるような十分な幅にはなっていなかったのです。それを石の屑で補うことができたのは、文字通り、一石二鳥というものです。

秋は深まって、かたちになってきた畑のへり。


ここで、コーヒーブレイク。

森に暮らし、森の中で日がな一日働いているとはどういうことなのかと言えば、ひとに会うことはほとんどないということです。
ひとは森に用がなく、時別な期間(山菜ときのこ採り)以外は足を向けません(ひと気のない森に住んでいるというそれだけで、“色もの扱い”をしている者も多いかもしれない。…「ポツンと一軒家」などというテレビ番組が視聴率を上げているそうだけど、その下地はこの“色もの扱い”の意識が潜んでいるからでは)。
もちろん筆者とて必要なものは買い出しに行かねばなりませんので、だいたい3日に一回は町に出る感じではありますが、さりとて知り合いのところに行くわけでもないので会話という会話は特にないです。町内会や隣り組とてそんなに用があるわけでもないし。
ということは、郵便配達夫に会ったりたまに宅配のひとにあったりはするけれども、それ以外にひとに会って話すということはまれなのです(家人は別として)。

森は、それこそ森閑として、静かです。
だいたい、500メートル先の、こちらに向かってくるクルマの音でもキャッチできますからね(笑い)、飛ぶ鳥の翼を動かす筋肉のキコキコという音さえ聞こえるぐらいですからね(笑い)。

それで、寂しくない?という声も聞こえてきそうだけど、そうでもないです。

以下には、畑のへりを構想してからの、少しばかりの彩りのスナップをつまんで。

高校の同級生のK君が、埼玉は久喜から陣中見舞いに来てくれました。
卓球のダブルスの相方です(笑い)。ともに、いいオヤジ風情だ(笑い)。
今や彼は、幸手の評判の○○○○店の店主!

と、カナヘビ君ではありませんか。
カナヘビ君は成形した石のブロックに乗ったまま、ずーっと筆者の様子をうかがっているのでした。それも1時間ものあいだ。
筆者がグラインダーの機械音をうならせ粉塵がモウモウと舞う中も、できるだけ粉塵を出すまいと水をかけかけするその降りかかる水滴すらも意に介さずに。ほら、カナヘビ君は粉塵の粉まみれ、大きな水滴を背中に乗っけて。
カナヘビ君はまるで筆者の現場監督! ヨッ、カントク!(笑い)。
訪ねてきてくれて、どうもありがとう。
カナヘビ君、ヒト属のやることがおもしろかった?

時に、保育園以来の友(実際は中学校の還暦同窓会でいろいろと話してからのことだけど)が友だちを連れて遊びに来てくれたこともあったっけ。
近くの山の上で湯を沸かして、コーヒーを。山で飲むコーヒーって、本当にうまいです。 

とすれば散歩の帰り道に、畑の現場のすぐ近くでカモシカ君に会いました。
お久しぶりです!
元気そうで、何より。

秋も深まって、石積みに目途がついた頃に、遠方の鶴岡より親子して素敵なお客様が。
その足で、織物工房を営む懇意のNさん夫妻をお訪ねしたりもしました。筆者の、あこがれのご夫婦。
この工房は文化とクリエイトの匂いがしていつもいい気分になります。

石積みの仕上げにかかっている頃に、何とも、ザリガニ君のお出ましではありませんか。
北にせよ、南にせよ西にせよ、川から我が家は約100メートル弱は離れているし、隣人の田んぼからも300メートルはあります。どうやってここまで来たんだろう。
いつもの風景ではつまらないといって、旅にでも出たその途中だったものか。
どうぞゆっくりしていってね。

石積みも相成り、あとは注文の土が到着するまでの間に、裏磐梯から親しいIさんがお見えでした。
彼はこの間、飯豊連峰を福島県喜多方の川入より入って小国(山形県)に下りたとのこと。テントを担いでの2泊3日の縦走、何ともすごいことを平然とやってのける根っからのアウトドアマンです。
山談義に花開いて。

11月の末(ちょうど土が搬入された前日でした)に、大平(おおだいら)温泉・滝見屋の若女将の安部里美さんが姉上とともにおいででした。
大平温泉は冬季休業の宿、この11月はじめに今期の営業を終了したという安堵感が漂っていました。
山を下りる日の朝には20センチの積雪だったとか。
それにしても、深山の秘湯の一軒宿を111年(開業よりこの年月を経たという)の時間をつないできたということの重さ、すばらしさ。本人の口にのぼった、「旅館の営業をしているというよりは、文化財を伝えているような感覚」というのは、分かるなあ、沁みる言葉だなあ。
お疲れさま、冬分はどうぞゆっくり休まれよ。

(どうでもいいことだけど、筆者のオレンジ色のジャケットがあちこち。まるで服を持ってないみたい。実際そうなんだけど、実はこれはワークマンで購入したお気に入りのエアシェルジャケットという商品です。透湿防水機能がついていて重さが何と170グラム、しかもポケッタブルの優れもの、これが2,900円とは驚きでした。登山用に必ず持っていくのですが、秋から初冬の温度調整にはもってこいで、普段の生活でもついついとなっていたのです。最近のワークマンって、勢いがあるね)。

まあ、数は少ないけれども思い出のシーン、彩りのひとつふたつ、みっつでした。


さてさて、時間を少し戻して。石の2段目を積むところから。

1段目を接着して固定し、そのわきに2段目のシミュレーション。
石は、厚さ(レンガの幅の10センチより多め)と幅(レンガの長さの21センチ)はほぼ同じにしても長さはまちまち、そのバランスを取っています。

1段目に石と石の間にレンガをふたつ、2段目にはレンガをひとつ置いていますが、これは意匠と同時に全体として石が足りるかどうか見通しがつかなかったことによる増量を考えてのものです(結局は十分すぎるほどでしたが)。

練ったモルタルをネコ車から小さなフライパンですくって。

石をヨッコラショと。こういうのは腰に来ますね。イテテテテテ…(笑い)。

もう少し、あと少し。

そうして畑のへりが完成相成ったのです。
畑といっても面積はだいたい16平方メートル(㎡)、約10畳ほどだと思います。いわば猫の額の類いです(笑い)。それでも十分に満足です。

残った資材は敷地の片隅にまとめて。また何かの折にここから運びだされるのでしょう。
うしろがぶっかけレンガ、手前の左が今回規格のブロックにした石、右が余った普通レンガ。

そしていよいよ土が運び込まれました。
2トントラックで、山土が4立米(㎥)、畑土が2立米、牛糞の堆肥が1立米が入りました。
それにともなって社長以下4人もの人足が手足となって働いてくださいました。もちろん5人目を筆者が努めました。
堆肥にはカブトムシの幼虫がゴロゴロ、大小のミミズもたくさんいました。

休憩時間に人足人夫とお茶を飲みながら世間話をしていたのだけれど、大きな手の、力仕事をするひとの話はいいね。ウソのにおいがしないというか、実直というか。

これは事前に相棒のヨーコさんが落ち葉などをビニール袋に詰めて寝かせていた発酵堆肥を、撒いて散らしているところ。

このあと、耕運機でうなって土を撹拌してもらいました。

こんなにまでしてもらって、請求額を聞くと、目玉が飛び出るほどの安さで恐縮のしきりでした。社長はじめみなさんに心よりの感謝です。
土はこれから、少しずつ少しずつさらによいものに変わってゆくことでしょう。

待ちに待った、畑の完成です!

翌朝の風景。
相棒がレーキで表面をさらって小石をできるだけ取り除いているのですが、昨日の写真と表面が違うことがわかるでしょうか。この波打ちの状態の仕業は、アナグマによるものです。一晩のあいだにすっかり掘り返してまるで大型の機械で耕したかのようです。
掘り返しては土中の生物を探して食糧を得たものと思われます。ミミズはたくさん見つけたでしょう、目ざとくもカブトムシの幼虫も見つけたかもしれない。

今回、ニホンアナグマ(日本穴熊/イタチ科アナグマ属)の図をよく見たのだけれど、この爪はすごいね。まるで熊手を手に持っているがごとくです。これで土をかき混ぜるわけです。
まあ、アナグマ君、君の気持はわかるけど、お手柔らかにね。こちらは来年作物を作るんだからね、お願いだよ(笑い)。決して君を、捕って食べたりはしないから(笑い)。

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さて、春以降、畑はどんな姿になっていくものやら。

この3か月というもの、何度すみれ色の空になるまで働いたことか。
気持ちのいい汗をたくさんかきました。

それじゃあ、バイバイ!
巷(ちまた)は新型ウイルスでたいへんになってきたよう。
ひと込みにはくれぐれも気をつけられよ。

 

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