山歩き

西吾妻晩秋

3年越しの展示会=ドアリラ展が終了し、その残された事務作業も終えて一息。これからまた本格的な製作活動に入っていく前の気分転換にと、西吾妻を散策してきました。
紅葉もいいけど、枯れ色の山もいい。荒涼とした殺風景な山もいいもの。

リフトの終点から登りはじめると、冷たい風に飛ばされてくるものあり。雪ではないし何だろうと思って見ると、種たる松ぼっくりの破片ではありませんか。松ぼっくり? そう、このへんの植生はオオシラビソ(大白檜曽。アオモリトドマツ)(シラベ※)とコメツガ(米栂)の混淆林。そのシラベが種をさかんに降らせていたのです。この、紅葉が終わった冷気が山を包む時期の強風による種の拡散は、たぶん活動的だった動物たち(主にはリスだろうか)を避け、続いてやってくる雪を毛布として冬を過ごし、春には芽を出すという戦略に他ならず。そのシラベの知恵に感心しつつ。
ちなみにルーザの森クラフトにあしらってあるロゴの樹木のイメージはモミ(樅)というよりシラベ、シラベの上に星が輝きシラベの上にお日さまは昇る、そういう森羅万象……。ルーザの森にシラベはないんだけれど(笑い)。
木道を歩めば、氷です、霜柱です。山はもう、いつ雪が来てもおかしくないのです。
高山植物の宝庫たる大凹(おおくぼ)も枯れ色に染まっています。ここには初夏、名花・ヒナザクラ(雛桜)が咲きます。ヒナザクラに会いに、ここに来たいといつも思います。“桃李成蹊”という言葉があります。この言葉を筆者は、素敵なもの、魅力的なものがあればそれを求めて人はやってきて自ずと道はできるという意味にとらえているけれども、ここのヒナザクラもそう。
えんじ色に輝く葉は、イワカガミ(岩鏡)。

筆者がとても気に入っている大凹の水場の看板です。この錆具合がいい。この、「山の泉、ここにあり、とわに清し」の言葉もいい。“泉”が中央に大きく配され、あとはタテにヨコにと記された、プロではとても思いつかない配置のトンデモレイアウト(笑い)もまたいいのです。変わらぬ、冷たい水に感謝です。

山登りを楽しむ何人かと話をしました。
「西吾妻って、何にもないんですね。眺望がなくてがっかり。ガハハッ」と木道ですれ違った人は豪快に笑って。「そうですよね、百名山にしては。ここから40分の西大巓だと裏磐梯の湖沼群が見えていいですよ。天狗岩の岩海は好きな風景ですが」。
「西吾妻って、人がいないんですね。昨日登った磐梯山はすごい人だった。静かでいいですね」とは自転車と登山の組み合わせにはまっているという青年。「新緑の頃さえ、そう多くはない。ほとんどはリフト終点から登って人形石に抜けて戻る、その程度で。西吾妻山までは足をのばさないのです」 ……。
「新潟から、やっとの休暇が取れて来ました。来たい、来たいと思っていたんです」という紳士。「西吾妻は落ち着きますね。私にとっては散歩コース」 ……。
筆者も含めソロで登るという人は決して少なくなく、会う人会う人がさわやかな印象を残すのはどうして? 風のようだから?
筆者はとりたててソロを好むわけではないけれど、二人には二人のよさ、グループにはグループのよさとともにソロにはソロのよさ。ソロがいいのは、もう一人の自分とどんどんと会話が弾んでいくこと。明日からの構想も膨らむのです。

天狗岩の岩海は見事な造形。この美しさはそうはないです。しかも石のひとつひつはもはやアブストラクト(抽象)の絵画なのです。こんな場所は何度訪ねても飽きは来ない。
遠くには、飯豊連峰の秀麗なる姿。ああ、憧れの飯豊。もう一度登りたいな、イイデリンドウ(飯豊竜胆)に会いたいな。

筆者の好きな西吾妻は、今年はこれでおしまい。帰りは、白布高湯の西屋の湯につかってまったりしました。ああ、よい時間でした。やはり、山はいいです。
これで充電の完了、明日から工房に入って製作の再開です。

※シラベは、正確にはシラビソ(白檜曽)の別称。敬愛する辻まことが火にまつわる文章でシラベの呼称を使っており、そのイメージを共有したく筆者が勝手に近縁種に使っているものと理解されたし。