森の小径

美しい紅葉

年によって紅葉の彩りはちがうものだけれど、極度の寒冷と極度の酷暑猛暑を経ての今年の秋、ルーザのそれは美しいように思います。写真はヒュッテと道を挟んでのヤマモミジ(山紅葉)ですが、はたして今まで、こんな色を見せていたものかどうか。

実は筆者は、紅葉がきれいだと思うようになったのは50代を前にしたころのことで、それまでというのはほとんど無関心、むしろ新緑の青葉若葉の方に惹かれていたものでした。みどりのグラデーションには生命の匂いがしていました。けれども、紅葉というフォーヴ(野獣)のような極彩色が愛おしくなったのは、この色こそが死に装束にふさわしいというイマージュが加わったからです。そう語っていたのは立松和平ではなかったか。彼岸に渡る後先の、狂ったような情念、これが生の最後の姿だと。

ところで紅葉、英語で何というか知ってます? 基本、対訳はないのだそうで、無理に訳して、“red  leaves”.“autumn leaves”.“color change”ぐらいなのだそうで。この英語圏の感性の乏しさ、言葉の貧しさにはげんなりするばかりなのです。日本語で“紅葉”と言ったとき、それは、人生の傾きあるいは黄昏、年月を経ての彩り、そんなこともかぶってしまって人は様々な心象を投影させるもの。ゆえにこそ人は、紅葉を愛でる。そしてそれはたぶん、最も美しい日本語のひとつ。

上は、町場に近い人気のない公園を歩いていた時のスナップ。苔むした地面に、ナカカマド(七竈)の赤い実がきれい。赤と緑という補色の美しさ。