森の小径森の生活

いつもの、春のならい

(2024年の)春はぐんぐんとスピードを上げて駆けているよう、雪がそう多くはなかったと記憶する昨年(23年)のここらの一切の雪の消え去りは(4月)18日のこと、それが今年は明日10日には見えなくなりそうです。
ちなみにですが、22年の雪の消え去りは5月8日のことでした。それからしたら、今冬の雪がいかに少なかったか、いかに穏当な冬だったかがうかがい知れようというものです。

今回のsignalは、足早にやってきた今年の春の、筆者たちの迎え方について、題して「いつもの、春のならい」です。

いつもの、春のならい(慣らい、倣い、習い)。

あたたかくなった野辺に出れば、アサツキ(浅葱/ヒガンバナ科ネギ属)がたくさん出ていました。食材とすべし山菜の第1号です。
店頭に並ぶ栽培ものの茎の太さにはかなわないものの、新鮮でみずみずしい天然のアサツキは何よりの春からの贈り物です。
さっそくにも掘り起こして数株を頂戴しました。

春四月の、日がさんさんとふりそそぐあたたかな日中(ひなか)、母親はよく近くのリンゴ畑(生まれ育った家は近隣の南陽市の、果樹栽培がさかんな山沿いの集落にあった)にさそって、一緒にアサツキを採ったっけ。それは幼い筆者の、春の日ほどにあたたかい幸福な時間だったわけで。

洗い場は我が家の(南に隣接するコナラの広場の)すぐ下の小流れの笊籬川(ざるがわ)です。
この川は、県南の米沢に発し、山形県のみを南北に縦断して酒田の海に至る最上川の源流のひとつです。
最上川は流路総延長は229 キロで、一つの都府県のみを流域とする河川としては国内最長の大河です。
笊籬川の水は、この上流には汚染するものは一切ないので当然にも飲むことができる天然水、こういう川がすぐのところにあることの幸いを思います。
我が家はたとえ地震などの災害で水道管から通水しなくても大丈夫、井戸に釣瓶を落としたり、ここに水を汲みにくればいいのですから。

笊籬川は見ての通りの一枚岩、つまりルーザの森自体が巨大な岩塊の上に成り立っているのです。
また、川底が一枚岩ということは、大水が来て川が濁っても清流に戻るのにはそう時間を必要としないということでもあります。
笊籬川の流れは(特に今は雪解け水をあつめて)急なので、アサツキを水にひたせば根の泥は瞬時にきれいになっていきます。

川で洗ったアサツキは台所に移して、ひげ根を落とせば料理の準備はOK、まずは何といってもおひたしでしょう。おひたしは、アサツキを熱湯に30秒くらいくぐして冷水に取りぎゅっとしぼってかつ節をまぶせば出来上がりの超簡単。これが幼いときからの、身体に沁みついている春の味です。
決して酢味噌和えではなく、醤油がただそばにあるだけのアサツキの素朴なおひたしがいい。

相棒のヨーコさんの思い出の品という、アサツキの卵とじ。
合わせる高野豆腐は欠かせない具材です。これはうまいです。
筆者もアサツキの卵とじは食べていたけど、他の合わせものはあったのかどうか。

下の写真は卵とじにしては黄色味が少ないように思うかもしれないけれど、我が家は(ゲージ飼いではなく)平飼いのニワトリの卵を購入しており、平飼いは意図的な色素飼料を与えないために黄身がレモンイエローだからです。
我が家の食事は質素ながら、卵に関しては信用できるものを選んでいます。

米沢(東南置賜地方全域といってもいい)の郷土料理のひとつに、「冷や汁」というものがあります。名からイメージする汁ものではなく、言わば野菜の浸しものです。
季節の新鮮な野菜をさっと湯がいたものに(特別な具材として)戻した凍みコンニャクを混ぜ、干し貝柱と乾燥シイタケを戻して作っただし汁をかけた素朴な料理です。これがあっさりして実においしく滋味豊かなのです。
冷や汁は盆や正月やハレの日には家庭でもよくつくるもので、当地方の温泉旅館では自慢の郷土料理の一品として供されているよう。
今回、その冷や汁をまねて(今回は貝柱がないので市販のだしを使って)、フレークのブナシメジとアサツキを合わせたものを作ってみました。これも、とてもさっぱりしておいしかったです。

下は、ある日の我が家の夕食。
トップは青菜(せいさい)漬けを相棒がごま油で炒めたもの、尾瀬の長蔵小屋で食べた野沢菜の炒めものが忘れられずに青菜を代用として相棒につくってもらったものです。
筆者が幼い頃から舌にしみついている冬の常備菜の青菜漬けを今冬に試みたけれどもどうもうまくいかず、これはその再利用です(自分はまだ青菜の下漬けの塩の抜き加減が身についていない)。
それから友人からのもらいもののかぼちゃを煮たものが少し、そしてアサツキの料理。
これで力が出るのか疑わしくなるほどの、なんて素朴な夕餉なのだろう(笑い)。

朝の決まった時間(5時半)に起きて、日記をつづってその日の行動を確認し、顔を洗って朝食をとって、歯磨きをして食器を洗って片づけをし…、決まったシエスタがあって(13時半からの1時間は訪(おと)ない禁止!電話厳禁! (笑い))…、夕方6時までしっかり働いたら即刻ビールに手を伸ばす(笑い)…。
筆者に日々のルーティン(日課)があるよう、春には春のルーティン(季課?)があるのです。
そういう、いつもの、春のならい。

この雪の消えぐあい、このところのあたたかな日差し、これならフクジュソウ(福寿草/キンポウゲ科フクジュソウ属)はもう咲いているはずと思って出かけてみると案の定でした。
今年もうつくしい黄色い絨毯を見ることができました。うれしいです。
もう少しするとここはヨモギ(蓬)の原となり、カタクリ(片栗)の花畑となり、追って良質のワラビ(蕨)が湧くように出てきます。
われわれは何としあわせなところに住んでいることかと思います。すばらしきかな牛尾菜平(しおでだいら)!
この牛尾菜平という名は相棒とふたりだけが共有する地名です。何のことはない極上の山菜のシオデ(牛尾菜。別名に山アスパラ、またはヒデコ)が出ることからの自分たちの呼び名ですから(笑い)。

牛尾菜平のわきは榛(はん)の木林。
ハンノキ(榛木/カバノキ科ハンノキ属)は谷地(湿地)に育つ樹木で、ここはもともとは水田だったところのようです。
ハンノキはそのうち赤味をふくんだうつくしいきみどりの新芽をふきだし、やがて全身を萌黄(もえぎ)色に包んでいきます。その若々しい姿もあともう少しというところでしょう。

新潟をめぐっていた若い頃、水田の畔に稲のはさ掛け用にすっくと立つ樹木が植えられていた風景を思い出すのだけれど、それがこのハンノキと分かったのはずいぶんあとのことでした。
出荷の効率化のために稲を天日に干さなくなっている昨今、その独特の風景は今に続いているんだろうか。
また、ハンノキは宮澤賢治作品の名品に数えられる「鹿踊りのはじまり」の重要なモチーフのひとつ。ここに夕日が差しこむ場面は鹿の姿と重なってとても神々しく印象的なものです。

下は道路端にあった木です。
この特徴的な雄花序(ゆうかじょ)はハンノキのそれに似ているけれどつき方はハンノキにあらず、ではシデ属のものかと疑うも形が違うし、さてはヒメヤシャブシ(姫夜叉五倍子)のもの?  筆者はそれ以上は分からず特定できませんでした。これからしばらく葉などを観察してみることにします。
それにしても春はたくさんの樹木が雄花序をつけますが、このみごとな雄花序は実に春ですよねえ。

と、後に現場に行ってみて再度観察すれば、さっそくにもこの樹木が何か分かりました。正解はツノハシバミ(角榛/カバノキ科ハシバミ属)です。
決め手は雌花でした。芽鱗に包まれたまま開花する赤い柱頭が目立つのです。
この赤い花に感動して植物の世界に入ったというのは、筆者が私淑する在野の植物研究者の神保道子さんです。


ツノハシバミの実はとてもユニークな形で鳥の小さな頭からでるくちばしがいくつか集まったよう、中の小さな果実は日本のヘーゼルナッツとも呼ばれとてもおいしいものです。
下は7月末のツノハシバミの実。

いつもの、春のならい。

今年も国道13号わきに立つ(かつての嘉藤七郎右衛門邸の敷地の)古木のオオヤマザクラ(大山桜/バラ科サクラ属)の枝をもらってリビングに活けました。
もらってきた枝を大甕に差したのが3月後半、蕾がふくらみはじめ先が濃い韓紅(からくれない)のピンクになってきたのは4月1日、下の5分咲きがこの6日のことです。

そして満開を迎えたのはそのわずか二日後の昨日8日のことでした。

それにしても、この気品あるうつくしさはどうだろう。サクラというのはこうでなくちゃ。
この七郎右衛門桜(筆者の命名です…笑い)は、同じ町内会の七郎右衛門さんの祖母が(市中より南方の)李山(すももやま)からここ梓山(ずさやま)に嫁いでくるときに、100年以上前に山から掘り出して植栽して育てたというサクラの蘖(ひこばえ)を持ってきて屋敷に植えたものと言い伝わっているものです。
このサクラは、花びら大きく花の色あわく赤く、昔のオオヤマザクラ本来の形質を今に引き継ぐ伝道者なのです。

そうして、スプリングエフェメラル(Spring ephemeral=春のはかないいのち、春の妖精)のキクザキイチゲ(菊咲一華/キンポウゲ科イチリンソウ属)も咲き出して。

下の写真は花だけを見ればみんなキクザキイチゲのようだけど、右はアズマイチゲ(東一華/キンポウゲ科イチリンソウ属)で、左はキクザキイチゲです。花はそっくりだけど葉がまったく違います。
この混在はあまり見かけないものです。

エゾエンゴサク(蝦夷延胡索/ケシ科キケマン属)も咲き出して。
ただしこの花、これまでエゾエンゴサクとして親しんできたのに、今は北海道に自生するものに限っての種名と言い、東北地方に産するものはオトメエンゴサク(乙女延胡索)と分けるそうな。どうでもよいけれど。
このエンゴサクもスプリングエフェメラルのひとつ。

いつもの、春のならい。

慣れ親しんでいる散歩コースを歩いてきました。
現在の笊籬溪(ざるだに)。もうどこにも雪は見当たらず、春がいっぱいです。

この清冽な水にはイワナ(岩魚)とヤマメ(山女魚)が共棲しています。
友人のフライフィッシャーに言わせるとイワナとヤマメの混在はめずらしいとのこと、この谷川は2種が交わるほどの絶妙な水温が保たれているということでしょう。
ちなみに、(ものの情報によれば)イワナの活性適水温が10~15℃、ヤマメは8~18℃とのことです。

谷の際(きわ)に咲くキブシ(木倍子/キブシ科キブシ属)の花。日本の固有種。
キブシはスズラン(鈴蘭)様の花をクリーム色に染めて房状にたくさんつけたような花、これは何ともいえずニッポンの趣きです。
ニッポンの春を代表するのはこのキブシではないかとさえ思うことがあります。

今年初めて、ショウジョウバカマ(猩猩袴/シュロソウ科ショウジョウバカマ属)を見ました。
猩猩とは古典上に現れる、猿のようで人間のような想像上の動物ということです。
この植物の驚くことには垂直植生の、その範囲の幅の広さです。
ここルーザの森の標高は約350メートルだけど、町中の郊外の250メートルあたりでもショウジョウバカマは普通に見かけるし、片や西吾妻の高山帯の頂上2,000メートル付近でも見られるのです。
ショウジョウバカマは姿かたちに似合わず(?)強靭な生命力を秘めた種です。
こんな広い垂直植生を有する植物って他にあるのだろうか。

鑑山の登山道には今年も約束どおりにイワナシ(岩梨/ツツジ科イワナシ属)の花が咲いていました。これでも樹木、落葉小低木のひとつです。
花の長さ(花床から先端まで)が15ミリほどの小さな花が、我が世の春とばかり咲き誇っていました。

黄色なマルバマンサク(丸葉万作/マンサク科マンサク属)の花がそちらこちらに。
マルバマンサクは太平洋側に分布するマンサクの日本海型、雪国型です。マルバの名の通り、やがて出てくる葉の葉先が丸く半円形になります。
雪国にあってマンサクの黄色な花は早春のシンボルと言っていいのではないでしょうか。
マンサクの葉は硬質の照り葉で紅葉があざやか、秋にも存在感を示します。

イワナシ、マンサク…。
そして、もう少しするとこの道は、コブシ(辛夷)の白い花によく似たタムシバ(田虫葉)が咲き出しましょう。それから全山がイワカガミ(岩鏡)となって、ついでヤマツツジ(山躑躅)の赤に彩られていきます。
鑑山は花の山なのです。

雪が消えたこの時期に鑑山に向かう目的のひとつは、登山道の整備と清掃にあります。自分たちの慣れ親しんでいる散歩コースにして高山の登山前の軽いトレーニングコースでもあるゆえの。
この山は誰もが自由に入ることのできる米沢市所有のもので、9月下旬から10月中旬に限ってひとが入ります。なぜって、ここはマツタケ山だから。
そして中には、朝食のおにぎりのフィルムや飲み物の缶やペットボトル、それからたばこの吸い殻などのゴミを捨てていく不届き者もいるのです。
でも筆者が看板で注意喚起し、こうしてこの時期に清掃と整備を兼ねて歩くこともあってずいぶんとゴミは減ってきたものです。

下は、登山道上の枯れ枝を払っているところ。

そして、歩きやすいようにと登山道にかかる枝を刈込ばさみで伐っているところ。

休憩地の岩場から。
遠景の中央の赤い点が我が家。赤い屋根の我が家がここからははっきりと見下ろすことができます。
ここからは西に飯豊連峰の東端を構成する白い飯森山(1,595メートル)や、南に吾妻連峰の東端の家形山(1,877メートル)からの稜線の縦走路も見えます。
ここに来るたびにすがすがしくなります。ここには平地とはまたちがういい風が吹きます。

そうして、集めたゴミと引っ張り出してきた廃タイヤがこれ。
これはいずれも登山道ではなくて、駐車スペースにもなっているその取りつき口のものです。
さっそくにも市の環境生活課の不法投棄担当に連絡をして、後日回収してもらうことにしました。

イヤですね、こういうことを平然としてしまう不届き者がいるというのは。
自分の敷地に積んでおけばいいだけのものを、こうして山間(やまあい)まで運んで捨ててゆくという根性の腐れ、人生の憐れ。

ここでひと息、コーヒーブレイク。

さてさて、前々回のsignal「らしからぬ冬に」に佐々木潔の絵本『ゆきのひ』を取り上げたことから、読者から雪つながりでシュルヴィッツの絵本『ゆき』を紹介され、前回のsignal「春はオウレン」で『ゆき』にふれたのでした。そして筆者はシュルヴィッツつながりから絵本『よあけ』をたどったのです。

そしたらです、signalの読者がまた絵本の話題をつないでくれました。

シュルヴィッツの『よあけ』は、私が上山の書店に勤めていた時に不定期で書店通信を書いていて、好きな絵本として紹介したことがありました。
とは、小中学時代からの友人のN君から。
筆者が就職で仙台から米沢に移ってきて、たまに通う本屋でその時彼は書店の店長をしていたのでした。なつかしい再会、それからのつきあいです。

シュルヴィッツ。
『ゆき』は知りませんでしたが(すてきなストーリー)、『よあけ』は 若いとき、一目惚れして、誕生日に迎えて、以来 そばにあります。ほんとうに、いいですね。何度、ひらいても。
絵本も、多くは知らないけれど、きっとこれは 店の棚に、面見せか平置きになっていたのか。落合恵子さんの「クレヨンハウス」(当時、東京表参道)で 出会ったのでした。
とは、神奈川は逗子でsignalを読んでくださっているYさんからのものです。
湖に舟をこぎ出す…、静謐な中に刻々と移りかわっていく光のまぶしさ…、自分もそうだけどひとはこの本に心にしまっておきたい心象風景を思うのだと思います。

絵本の話がありましたが、私もユリ・シュルヴィッツ、大好きです。私のお薦めは『おとうさんの ちず』です。
戦争で故郷を追われ、過酷な暮らしをしていた時、父がパンを買わずに、代わりに持ち帰った世界地図。少年は父を恨むが、その地図がパン以上に飢えを満たしてくれた…そんなお話です。機会がありましたら、ぜひ。
とは、先のN君と同様の同郷で、今は屋久島に住む友人のHさんからのものでした。

絵本からシュルヴィッツ、シュルヴィッツつながりで『ゆき』と『よあけ』、そして『おとうさんの ちず』…。
Hさんのおすすめという『おとうさんの ちず』、シュルヴィッツの世界に惹かれながら取り寄せて読んでみました。

『ゆき』(1998)は少年の無邪気、雪へのあこがれと愛着がテーマと言っていいでしょう。それに先んじる『よあけ』(1977)は、時代に翻弄され乱されてきた作者が見つめていた対極のpeace & quietの境地、それこそ東洋的な静寂の世界でした。


そして『おとうさんの ちず』はシュルヴィッツ自身の自叙伝というべきもので、ファンタジックな絵柄からは遠い、残酷なほどの苦いリアリティーが浮かび上がってきます。
父が(パンを買う代わりに)持ち帰った地図に自由の翼を広げて空想世界に遊ぶ少年のこころはどこまでも伸びやかで、それゆえに祖国を追われた苦しみがにじみ、避難民として過ごした作者の難渋の生活が偲ばれるのでした。

そう、今も現実の、ウクライナのひとびと、パレスチナのガザのひとびと、そして戦争や迫害を受けて祖国や故郷を追われている人々はたったこの1年で1,910万人が増えて、今では1億840万人となっているとのことです(※UNHCR駐日事務所統計2022)。
『おとうさんの ちず』はこうした現実に直に重なるのでした。

国を動かす者はなぜに平和の尊さが分からないんだろう。なぜに対立の芽を摘むていねいな努力を怠るんだろう。そこに憤りを覚えるのは決して少数ではないはず。


シュルヴィッツに接していると、絵本はアート、絵本はある意味、詩でもあるようで。
最近知った印象的な言葉…、「デザインは課題を解決する、アートは課題を共有する」。
これがなんか、響くんだなあ。
世界は今、上質なアートとデザインを求めているのだと思います。

そうしていつもの、春のならい。

冬の間小屋に保管していたメキシコ製のオオカミ(コヨーテ?)のテラコッタを外に出して、分厚いガラスの蓋をかぶせました。
このオオカミが手を取り合って踊っている姿…、これがほほえましいです。
ガラスにヒビが入っているのは、冬のあいだ野外に置きっぱなしにしていたことがあって、雪の重みに分厚いガラスが耐えかねたため。雪の信じがたい圧力が加わったのでしょう。それからは冬分は雪のかからないところに引っ込めることにしました。

主屋のリビングの前庭に、いつもの日時計を設置しました。
これは、素焼きの植木鉢を3ケ組み合わせ、医療用の洗面器を載せその上に置いたものです。
針はほぼ正確に北を指しています。

ヒュッテわき、道路わきの、ロータリーとしても機能している花壇。もう何年も植えるだけ植えて放置していた花壇を、これじゃあいかんと根の塊りや球根を掘り起こして別の場所に仮置きし、はびこる根をできるだけ取り去って耕しました。
ここはあとはガーデナー?の相棒にお任せ、どんなレイアウトにしてくれるものやら。
なお花壇の周囲は、ここにかつて住まっていた陶芸家が埋めていった登り窯の廃レンガと枕木の切れ端でつくったもの。2004年に母親の死去に際して構想したものです。

ステンレスの三角錐(いただきもの。変電所の碍子/ガイシの覆いだとのこと)の中には父親と母親の分骨を納めています。つまりここは、素朴な追悼施設でもあり。
つくった当時より今は三角錐がふたつ増えているけれども、下の写真で言えば、左は井戸の覆い、真ん中に見えるものは今は枯れてしまったハタンキョウ(巴旦杏/スモモの一種)の木の根の覆いです。

そうして、いつもの、春のならい。

季節の中でも春は特別。
春は一方的に向こうからやってきて、勝手に過ぎていくのではなくて…、
春はていねいに迎えて、慈しんで、ていねいに送るものなのです。

それじゃあ、また。
バイバイ!

 

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