森の小径

初夏の峠をこえて(下)

在野の植物研究者の神保道子さん(以下、ミチコさん)とご一緒した(5月24日の)初夏の峠越えの植物観察の記録、その後篇です。

下は、宮城県七ヶ宿町の湯原(ゆのはら)から、国道399号上の唯一の集落の稲子へ向けての山道の取りつきあたり。

〔これはオオバボダイジュですね。シナノキもオオバボダイジュも1枚の羽根のような苞(ほう)がついた実が特徴的です。その羽根のような苞葉に柄があるのがシナノキ、ないのがオオバボダイジュです〕。
以下、〔太字〕はミチコさんの発言です。

オオバボダイジュ(大葉菩提樹/シナノキ科シナノキ属)の実際のものをはじめて見ました。
葉の清新な若いみどり、シナノキよりもやわらかく大きな葉、そしておおらかな樹形には感動さえ覚えました。
これ以降、山道を進めば、めずらしくなくたくさんのオオバボダイジュの自生種を見ました。
これがまず、峠をへだてた米沢側との大きな違いのひとつと意識しました。

苞と実のなる部分を説明するミチコさん。

これから咲こうとする花の蕾。

〔サワグルミですね。クルミといえど私たちが知っているクルミではありません。食べられません。実は10円玉に8個も入るくらいの小さなものです。私たち口にするのはオニグルミですね〕。

沢沿いの山道に、たくさんのサワグルミ(沢胡桃/クルミ科サワグルミ属)がありました。
サワグルミ生い茂る、まさしく初夏の、気持ちのいい山道です。

七ヶ宿の湯原から3キロも入ったであろうつづら折りの道にさしかかったあたり、クルマのまえに突然に現れ出たのは3頭のツキノワグマ(月輪熊)でした。
ツキノワグマは何度も見ているけれども一度に3頭というのははじめてのことです。興奮しました。
体長はいずれも目視で80センチほどでしたので、いずれもかなり成獣に近い子どものようでした。
こちらはクルマの中だし、怖いというよりはワクワクしてうれしくなるような感覚なのはツキノワグマが棲むことができる環境がここにはまだあるという思いがあるからです。

カメラをすぐ構えたけど撮影には至らず。
イメージとしては下の写真のようです。
写真は、2020年7月に岩手県で撮影されたもの。撮影者は岩手大学農学部3年の渡辺颯太さん。

web 朝日新聞2020.9.3

日本の固有種のフジ(藤/マメ科フジ属)がうつくしく咲き誇っていました。
でも、山持ちにしたらフジは厄介者です。木にからみついて、しまいには木そのものを倒してしまうゆえ。
日本のフジ属の自生種は2種しかないので覚えるのに好都合です。
フジともうひとつはヤマフジ(山藤)。ヤマフジの蔓は右巻きなのに対してフジは左巻きです。
まぎらわしいことだけど、ヤマフジというのは種名であって、“山のフジ”という意味ではないです。
だいたいヤマフジの分布は近畿地方以西とのことなので、東北で藤だと思えばそれはフジです。

山中で見た巨大なトチノキ(橡木/ムクロジ科トチノキ属)。
ルピナスのような花がさかりで木全体にツンツンしています。
トチノキの蜂蜜はとても有名ですから、ミツバチもたくさん出入りしているのではないでしょうか。

と、稲子峠(ピーク645メートル)を少し下ったあたりでトチノキに絡みつく、何と、白い藤を発見しました。
ここ東北には自生種の藤はフジしかないので、白いといえどもこれはフジです。すばらしいです。
この天然の白いフジは突然変異したものではないでしょうか。
たぶんこれは貴重な個体、この光景を目に焼きつけようと、筆者はしばらくたたずんで見ていました。

ハリエンジュ(針槐/マメ科ハリエンジュ属/別名にニセアカシア)。


一見花房がフジに似ているけど、蔓ではないのですぐ区別できます。幹や枝にはトゲがあります。
この倒木に12月頃、天然のエノキタケ(榎茸)が、あの市販の色白で長い柄のものとは似ても似つかぬ姿で群生していたのを見たことがあります。
筆者はそれを収穫し、滑茸をつくったのですが絶品だったものです。

下はその時のエノキタケ。
撮影は2014年11月30日。

と、ミチコさん。

〔ハリエンジュはニセアカシアですね。北海道でアカシアというのも、これでしょう。ハリエンジュ(の花穂)は天ぷらがうまいですね。ソテーもいいと思う。スミレ類やフジ、クズでコンポートをつくったこともありましたよ。形をくずさずにやさしく煮てあげて。でもハリエンジュはむずかしい。ケーキの上にのせるアンジェリカも〕。

コンポートねえ。ソテー、ねえ。それにアンジェリカねえ(笑い)。
ついていけないです、ミチコさん(笑い)。

セイヨウミツバチ(西洋蜜蜂)がつくる“アカシア蜂蜜”って、これですよね。
今このハリエンジュが繁殖いちじるしく、特に河川敷では支障木として全国で問題になっているよう。
蜜源を守りたい養蜂業者と行政との間で伐る・伐らないのせめぎ合いの綱引きが行われているようです。
なお筆者はこの倒木を薪材にしたことがあるけれども、比重はコナラ(小楢)のように大きくて材質は堅牢、火持ちは抜群です。
またこの材は船の甲板にも使われるのだそうで、だとすれば耐水性と耐用性にもすぐれているということでもあるのでしょう。

団塊世代がみんなして目を潤ませる歌、1960年に発表された西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」のアカシアもこのハリエンジュ。
なんでだろう、この歌を思い浮かべるだけで筆者もこころが湿って目がウルウルです。ヤベエ(笑い)。
どうしてくれよう、ニシダサチコさん(笑い)。

ハクウンボク(白雲木/エゴノキ科エゴノキ属)の白い花が咲きはじめていました。
もうすぐ満開の時期を迎えるようだけど、遠くから見ると白い雲がたなびいているように見えます。
ハクウンボクとは、いい命名ですよね。命名者の文学的センスを感じます。

山道に入ってからズーッと気になっていたミズキ(水木)のような、でもミズキでないような。
ミズキなら階層状になる枝ぶりもどうも中途半端。

〔これはミズキに似ているけれども、ミズキじゃなくてクマノミズキですね。ミズキは枝ぶりから別名クルマミズキとも呼ばれますが、これはそんなふうには見えない。ミズキなら花(花序)は水平に広がるけどこちらは盛り上がっていますね。葉も枝に対して対生しています。ミズキは互生です〕。

クマノミズキ(熊野水木/ミズキ科ミズキ属)。

道脇のいたるところに咲いていたケナシヤブデマリ(毛無藪手毬/ガマズミ科ガマズミ属)。
ケナシヤブデマリはヤブデマリの雪国型、名は葉に毛がないことに由来しています。
両性花の花序のまわりに真っ白い装飾花が特徴的です。
装飾花は無性花の花弁だけのものですが、5枚のうち1枚だけが小さくなっているのが分かります。
このケナシヤブデマリは二井宿の峠をこえると急に出現します。これもミツバウツギ同様の分布をしているようです。
米沢にないことはないけど、見かけることはそうはありません。

オヒョウ(於瓢/ニレ科ニレ属)。
ミチコさんが声を上げたひとつがこのオヒョウでした。
ものの本では、日本では北海道に多いとのことです。
葉の先端が3~9裂し、その尖ったギザギザはあまりに特徴的です。
筆者が見たのはこれで2度目です。

オヒョウはアイヌ民族とかかわりの深い樹木で、(日本占領下における)樺太の白浦地方では樹皮をオピウ(opiw)とも呼び、“オヒョウ”の名称はこれに由来するともされています。
樹皮は強靭で、アイヌはこのオヒョウの皮から繊維をとって糸にし、織って敷物にしたり、布や衣服に仕立てたといいます。
シナ織りと同じようにオヒョウでも織物の材料にしていたわけです。
貴重な標本のひとつだと思います。

ミチコさんがさらにあっと声を出し、見上げた先にあったのはアカシデ(赤四手/カバノキ科クマシデ属)でした。

下は、筆者撮影のいつぞやのアカシデ。 

〔あっ、アカシデだ。新芽が赤くなるのです。果穂が垂れさがっているでしょう。シデ類の特徴です。アカシデはクマシデ属ですが日本のクマシデ属の自生種はサワシバ、クマシデ、アカシデ、イヌシデ、イワシデの5種です。シデ類はうつくしいです〕。

このあたり、森全体がエゾハルゼミ(蝦夷春蝉)の大合唱でした。
この大合唱は梅雨が近いことを教えてくれます。
ルーザの森でも今エゾハルゼミが鳴きはじめているけれども、梅雨が明ける頃にはヒグラシ(日暮)が加わります。日中はエゾハルゼミ、朝方と夕方はヒグラシの3部制となって夏の時間が過ぎていきます。

そうしてようやく着いたのです。山中深くたたずむ稲子の集落に。
稲子は1681(天和元)年に仙台藩の藩境と直轄林の警備のために人為的に作られた足軽集落とのこと。
筆者がはじめて高畠からの国道399号で鳩峰峠をこえこの稲子集落に至ったのは、もうあれこれ30年も前のことだと思います。そのときはたしかに住民がいたのです。けれども今は人影は見られません。
ただ遠くから通(かよ)っているのか、それともひっそりと誰かがお住まいなのか、動物除けの電気柵が設置してあってわずかな面積の畑を耕している様子も見られます。

なお、稲子集落についての情報は、ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に詳しく掲載されています。

林業によって安定した収入が見込めた1960年には127人の住人がいたという稲子集落。
一時は木地細工、遠刈田系のこけしの製作もしていたという集落でもあります。
小学校の分校はあっても中学校がなかったゆえ、生徒は山道を片道2時間をかけて歩いて湯原まで出たのだとか。
甘えの利かないよい子ども時代を過ごしたのだと思います。それは一生に宝ともなる丈夫な身体と強い精神をこしらえたことでしょう。
現代は、なんやかんや言っても甘え放題。子どもも、そして大人も。

山形県高畠町側から見た稲子集落の中心地。
先が福島市茂庭、標識左が七ヶ宿町湯原となります。

ちょうど集落の中心にあったオオバボダイジュの大きな木。
オオバボダイジュは、まるで内部で清新な風をつくっているかのようにさわやかな木です。

 

稲子集落から福島市茂庭に通じる心地よい道。
紅葉の頃もきっとみごとな景色が広がることでしょう。

途中、気になってクルマをとめました。
地質が道路斜面にむき出しになっていて、一見するとコンクリートで固めたよう。でもさらによく見ると小さな石が凝灰岩によっておおわれていることが分かりました。
筆者は今ちょうど宮澤賢治の「台川」という地学実習の様子をつづった物語を読みかけていて、そこに“凝灰質礫岩”という鉱物用語が出てきていたのです。
これがそのまま賢治がいう“凝灰質礫岩”かどうかは分かりませんが、礫岩(コングロメレート/conglomerate )であることは確かなようです。
素人目に見たら特別天然記念物にも相当するようなすごい標本だと思うけど(笑い)、地質学の専門家が見たらどうなんだろう。

写真は、やわらかい岩石質の中に、堅い小さな岩石が攪拌されたようにして埋もれていることが見て取れます。

さらに不思議なのは次の写真です。
左が礫岩・コングロメレート、右が明らかに凝灰岩です。
この境目がタテ(ほぼ垂直)ではなくヨコ(水平)なら堆積層の重なりと理解することはできるのですが、タテならどうなのかということです。
そもそも礫岩というものは地下深くで巨大な圧力を受け悠久の時間によって小石(礫)が異なった質のものとまじりあって塊りになったもののよう。それがここ標高約400メートルあたりに出現している…、ここにどんな造山運動があったものなのかを想像しただけでクラクラしてきます。
いやあ、感動しました。
これは、ミチコさんとともにビックリです。

〔マツ枯れという現象が話題になっていたけど、最近気になるのはスギ枯れなんですよ。このへん一帯にスギ枯れが見られますよね。マツ枯れの原因は病害虫が主のようですがスギはそうではないらしく、ともすると温暖化に関係する大気環境の変化かもしれませんね。気になりますね。全国で報告があるようです〕。

スギ枯れという荒れた姿をはじめて意識しました。

そうして標高をどんどん下げていくとダム湖(摺上川ダム)が見えはじめました。
ダムの堤体盛立(擁壁)完了が2002年のこと、試験湛水開始が2004年とのことです。
筆者はこれ以前にここを通っていますので、その時は縄文遺跡の発掘調査をしていたような印象でした。
今は満々と水をたたえています。

この下に沈んでいる梨平という集落全景。
かつてここには山と人生がとけあった山棲みの暮らしがあったのです。
豊かな暮らしだったんだろうなと思います。
写真は、摺上川ダムインフォメーションセンターの掲示から。

梨平の、かつての子どもたち。

ダム湖沿線には今、ノイバラ(野茨/バラ科バラ属)が咲き誇っていました。
ノイバラのまわりはいい香りでいっぱいでした。
ミチコさんもこの沿線の群落にはとてもうれしそうでした。
秋になって赤い実がつき、それを収穫してノイバラ酒を作ったことがあったけど、黄水晶のように美しい酒ができたっけ。もちろんおいしかったです。

〔あれ、イタチハギっていうんですけど、あの花穂がイタチの尾に似ていることからの命名でしょう。あれでもハギなんですよ。かつてハギって、草本に分類すると思っていたのですがこれは木本なんですね。これからあの穂の先に紫の花がつきます。土壌の固定力が強くて移入された植物ですけど、増えすぎて景観を壊しているという指摘もされるようになってきましたね〕。

イタチハギ(鼬萩/マメ科イタチハギ属)。
筆者は目にしていつつも、まだ穂の出ないものばかりを見ていたので、ハリエンジュ(針槐)の幼木と思っていた節があります。
ひとつまた、覚えました。

そうして、ダム湖の直下にたたずむ霧華亭(きりはなてい)というそば処で昼食をとり(十割の更科そばは掛け値なしにおいしかった)、すぐわきにたたずむ温泉施設「もにわの湯」で汗を流して観察会を終えたのです。

ダム湖からの水が流れる摺上川。
岩石の節理がうつくしく映えていたものでした。

日本海側気候と太平洋側気候がせめぎあったら植生はどういう姿を見せるのか、このテーマは実におもしろかったなあ。
いやあ、楽しかったです。
植物にくわしい方とご一緒すると、ただ漫然とながめているのとは全然違うのです。
それから、筆者は自分ひとりでも植物観察をするのですが、これは何かなあ、これはどうしてかなあと思うことはしばしば、その時に瞬時に聴いてお話を頂戴することができる、解決することができる、解決の糸口を見つけることができる、これが専門家とご一緒する観察会の最大のメリットです。
まさに充実の時間でした。
ミチコさんには本当に、こころからの感謝です。
またの機会を約束して、今回の初夏の峠越えの観察会を閉じたのです。

本日は29日、ルーザの森ではあまり聴かないカッコウ(郭公)が鳴いていました。
カッコウの初鳴きです。カッコウもこの森を選んでくれたということかな(笑い)。うれしいことです。
キミもこの森を気に入ってくれるといいな。

それでは、本日はこのへんで。
じゃあまた、バイバイ!

 

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