森の生活

早春オムニバス

本日は(2023年)3月26日。
雪国の春先というものは三寒四温などというやわらかな言葉の響きからはみだすこともしばしば、時に強烈な寒波が立ちはだかることがあるものです。
そのひとつが “彼岸荒れ” と呼ばれるもので、これはそのまま宮澤賢治の屈指の名作「水仙月の四日」に結実しています。ここに描かれる春先の荒れ模様は、本当の春がやってくるための試練、雪国に暮らす者が否応なしに突きつけられるきびしさです。

今年も彼岸の入りの18日に、やはり寒波がきました。
覚悟はしていたのですが、精霊である“雪婆んご”(ゆきばんご=「水仙月の四日」の重要な登場者)は今年、激しさも怒りもほどほど、たいしたものではありませんでした(笑い)。
吹雪にはなりましたが、積雪は5センチ程度でした。

下は、18日朝のヒュッテ前風景。

今回のsignalは、春先のことをあれこれと。題して「早春オムニバス」です。

昨年の春のこと、懇意にしている栗園からあまり実がつかなくなった栗の木を伐ってくれないかと依頼されていました。それが気になっていました。
こちらチェンソー使いは(ついこの間の)倒木の伐採でならしたことだし、雪がまだあって草が生え出さない今の時期が最適と思い定め、ここ数日朝早くに通いました。
こういうチェンソーの作業は一気に疲労が蓄積するもの、それでまた腰を痛めてはかなわないので、作業は燃料の給油を1回に限定、約1時間を基本としました。

下は、伐採に必要な用具等一式。
箱の中には燃料の混合油とチェンオイル、それに刃研ぎの棒ヤスリなど最低限必要なものがコンパクトに収められています。

この園の栗の木は戦後すぐの植栽のようで、根元近くの直径で50センチほどの太いものです。
伐採はいつでも身の危険を感じます。だから慎重に慎重に、できるだけシミュレーションをして危険につながることを排除するよう心がけます。
頭上の木の枝の張りはどうか、周りの木と接触しないか、倒す方向は確かか。
チェンソーの刃はよく切れるように研がれているか。
木が倒れそうになった時、自分はどちらに身を引くのか、その時に障害物はないか、足はとられないか…、と。

やはり伐採は、木の葉の生い茂らないこの時期が適しています。
葉が繁茂している時期に、倒れる寸前まで刃を入れても頭上で木の葉が擦れ合い枝同士がかみあって倒れずにとどまっていたこともあり、たいへん危険な状況だったこともかつてはありました。

無事に倒し終えた古木。

筆者はもう、林業従事者の風情?(笑い)

倒した3本のうちの2本には、枯れた葉が何カ所かにかたまってついているものがありました。
これは “熊棚” といって、クリが実った頃にツキノワグマ(月輪熊)が木に登り、枝をへし折ってはイガをたぐり寄せて実をほおばるためにできたものです。
特に出産を控えた母親の冬前の食欲は異様なほどに旺盛、巣ごもりのために脂肪を十分に蓄え、冬眠中の出産に備えるのです。

クマの受精は普通木の葉が生い茂ってくる6月から7月、でも受精卵の着床は11月頃というのですからこれも不思議なことです。このことを “着床遅延” というようです。
これには山のブナ(山毛欅)やクリの実、コナラ(小楢)やミズナラ(水楢)などのドングリの作柄に関係しているという説があります。主食ともいうべきそれら食糧の出来具合に応じて生む数を事前に調整する、あるいは産まない選択をするのだとか。
だとしてクマは、驚くべき生命システムを有しているものです。
何としても生き抜いていく強さといったらいいのか。

クマは栗園はひとが管理しているというのは先刻承知のこと、したがって日中のひとが活動している時間帯にノソノソと出てきたりはしません。クマにとってひとはやはり怖い存在なのです。
よってクマの活動時間はひとが家の中に入ってしまう夕刻から早朝にかけてとなります。
ここを常時管理しているのは90歳代半ばの老婦人、その彼女にしてまだ一度もクマを見ていないというのです。こんなに近くにクマはいるのですけどねえ(笑い)。

切り刻んだクリ。地面の水分がほどよく抜けてから軽トラで現場まで入って運び出します。
これは我が家の薪になっていきます。
他のひとが不要で邪魔なものを、自分は労働を提供してもらい受ける…、こういう関係が好きです。
クリは薪に最適です。斧を振り下ろすとスパーンとよく割れて気持ちがいいし(この気持ちよさはいろんな木の中でもクリが最高です)、火持ちするのも魅力です。

残していく細い枝は、管理するMさんがナタをふるって刻んで乾かして、毎晩の風呂焚き用にしています。
彼女は薪で風呂を焚きます。薪で熱を得て風呂をたてる…、何ともいい暮らしなのです。
Mさんは90歳代半ば過ぎにして一介の農婦、雪が消えてからというものずっと野外で働きます。そして、自分のことは何でも全部自分でするのですから本当にすばらしいです。
Mさんはワタクシの行く末の手本ともいうべきひと、掛け値なし、尊敬しています。

栗園までの途中の空き地に、このところ毎朝、サル(ニホンザル)の(30匹ほどの)群れがやってくるようになりました。
これも早春の風物詩です。
彼等は何をしているのかというと、雪が解けてきて土が顔を出したのをよいことに、キクイモ(菊芋/キク科ヒマワリ属)の芋=塊茎を掘り出して食べているのです。
サルも雪から解放されて、ようやくまともな食糧にありつけたという喜びがあるのだと思います。

それにしてもサルたちは丸まると太っています。この冬はどんな食生活をしていたのやら。


下は、9月末のこの場所のキクイモの花。
サルが掘り返すことによってここはほどよい耕作地になっているのだと思います。サルは天然の耕運機なのです。
ここのキクイモは栽培のために植えたのではなく、どこからか種が飛んできて育って芋をつくり、その芋からどんどんと勝手に広がったものだと思います。キクイモの生命力には驚かされます。
キクイモは救荒作物のひとつ、事実、戦中戦後によく食べられていたのだとか。
今は健康志向から見直されている食材になっているようです。

雪が解けてきたので散歩コース(冬はスノーハイキングのコース)を久しぶりに歩いてみました。
ここは伐採跡地にしてスギ(杉)とカラマツ(落葉松)の植林地、そしてここは木が育つまでの間は広大なフクジュソウ(福寿草)の自生地となり、追ってカタクリ(片栗)の可憐な花がおおいます。
さらに追ってここはワラビ(蕨)が群生し、それからタラ(楤)の芽やコシアブラ(漉油)やシオデ(牛尾菜)など種々の山菜が採れる場所にもなります。山菜の宝庫ともいうべき場所なのです。
筆者たちにとっては暮らしを豊かにしてくれる、まさに楽園です。

今はまだ、雪の消え残りがあちこちに。
こういう様子を斑雪(はだれゆき)、斑雪間(はだれま)というのだそうな。
我々にとって斑雪・斑雪間こそが早春の典型的な風景、もう喜びの春は近いという如実のシグナルなのです。

相棒のヨーコさんは、ここは一面のヨモギ(蓬/もんくさ=餅草)の原に見えるらし(笑い)。
事実カタクリが終わる頃にはここは摘むのにちょうどよいヨモギだらけになるのだけれど、たくさん摘んで、草餅をたくさんつくると今から意気込んでいるのです。もはや唾液が垂れそうなぐらいに(笑い)。
彼女は草餅があれば幸せなのです(笑い)。

収穫のフキノトウ(蕗の薹)。
天ぷらとして、夕飯の一品になりました。

雪折れの樹木が散歩道をふさいでいます。

道脇では伐採をしているようで、樹種ごとに積んでいる風景もあり。これはミズナラのよう。

湿地をうめるハンノキ(榛木)の林。
もうすぐ、やわらかなみどりの芽を吹くのでしょう。

そして、今年もフクジュソウに会いました。
フクジュソウはまだはしりのようで、わずかな株しか咲いてはいませんでした。
もう少ししたらここは黄色の絨毯になります。

このパラボラアンテナのような形状で、光をいっぱい集めるのでしょう。

コブシの蕾はまだまだ堅いままです。

そして、笊籬溪(ざるだに)の現在。
笊籬沼から雪解け水があふれ出て滝となり、滝はゴウゴウと鳴っています。
この轟音が春をつれてくるのです。

下は、前回も紹介した雪渡りの現場、3月5日のことです。
カチンカチンに凍った雪を渡って、野生種のサクラの枝をもらいにきたのです。

で、この場所は屋敷跡なのだけれど、ここにそのかつての住人も知らない植物があります。
それは、雪解けのちょうど今が見ごろを迎えているキクバオウレン(菊葉黄連/キンポウゲ科オウレン属)。清流のわきに群生して咲いています。
群生する花姿は真昼の星のようです。
オウレン(黄連)は生薬、その根茎は抗菌作用の他、胃腸薬、鎮静剤としても用いられるとのことです。

 

そしてもらってきた枝を大甕に活けていたのですが、この21日には蕾の先が韓紅(からくれない)となり、23日には一輪が花開いたのでした。
それから開花は一気に進んで25日には満開となりました。

このサクラは筆者が勝手に “七郎右衛門桜” と名づけ呼びならわしているのですが、それはかつてこの屋敷に住まっていたご当主が七郎右衛門という名だからです。

当主のいうところでは、「祖母が(米沢市の南の)李山(すももやま)から嫁いで来る時に、生家があった場所の山岸の、山の神のたもとのゴヨウを持ってきたと聞いている。オオヤマザクラ(大山桜)だと思う。およそ100年前のこと」とのこと。
ゴヨウとは蘖(ひこばえ。樹木の根元から生えてくる若芽)の “取り木” のことのようです。

筆者はこのうつくしいサクラが野生種そのものなのか少々の疑問があって、(2021年のこと)標本を携えて山形の県立博物館に鑑定を依頼したのですが、後日の回答はこうでした。
「このサクラは、花びらや皮目などの特徴からして “オオヤマザクラ” にまちがいない。現在一般的に見られるオオヤマザクラよりは花びらが大きく色味も濃いけれども、これこそは昔の形質を今に受け継いでいるもの、昔のオオヤマザクラとはこういうものであったと知ることができる。その昔、野山にひときわ赤く咲くオオヤマザクラに魅せられたひとが里に移植したものと思う。現在のオオヤマザクラはカスミザクラなどとの自然交配が進んで、花びらは小さくなり、色も薄らいできている傾向がある」…と。

下は、玄関口に飾った七郎右衛門桜。

  

下は、リビングの七郎右衛門桜。
この気品、この清楚なたたずまい。

この、うるわしさ。
この、あでやかさ。  

これぞ野生の、数百年をつないできた命のうつくしさです。
家の中にひと足早い春がやってきています。

いつの頃からだろう、サクラの名所にあふれるソメイヨシノ(染井吉野)が苦手になったのは。
ソメイヨシノは江戸末期から明治にかけて、江戸の染井村の造園職人たちによってエドヒガン(江戸彼岸)系の桜と基本野生種のひとつオオシマザクラ(大島桜)の雑種との交配で生まれた樹木を起源とするもの。
ソメイヨシノは葉よりも花が先に展開することで評判を呼び、その華やかさがもてはやされ、園芸品種として “接ぎ木” によって全国に広がったとのこと。
接ぎ木をするとは、遺伝子が同一となること、つまりはクローンです。

ソメイヨシノはクローンであるため結実しにくく、結実しても発芽しないのです。
結実して子孫を残す必要がなくなったので、昆虫を呼びよせて授粉させるための蜜を出す機能が衰えています。
したがって虫たちがこぞって訪れることはありません。
また、クローンであるが故に寿命も他のサクラに比して短いということです。

この、ひとの操作によって歓心を買うために作り出され普及したソメイヨシノ、それがサクラの名所を彩るものとなった…、筆者はこの人為性はどうかと思うのです。華やかさのウラには悲哀さえ漂うような。

野生種はいずれも清楚なたたずまいです。
下は山形県の置賜(おきたま/おいたま)地方を中心として見られるサクラの基本野生種。

咲く順に…、
花びらの開き具合が丁子(丁字)の形からの、オクチョウジザクラ(奥丁子桜)。

まるで霞がかかったような、その名もカスミザクラ(霞桜)。

ひときわ色味がさえる、オオヤマザクラ(大山桜)。カスミザクラと開花の時期がかぶります。

純白のミヤマザクラ(深山桜)。
ミヤマザクラは置賜地方に分布はなく、近いところでは蔵王山系に行かないと見られません。

そして高山に咲く、その名もタカネザクラ(高嶺桜/別名ミネザクラ=峰桜)です。

もうすぐ、野生のサクラたちに会えます。
その頃はもう、春真っ盛りの入り口となっているはずです。実に楽しみです。

それでは、本日はこのへんで。
じゃあまた、バイバイ!

 

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