森の小径森の生活

早春のひかり

雪はどんどんと加速度的に消え去って、今はわずか段丘(ここは小さな河岸段丘ともいえる場所)の北側斜面に残るばかりとなりました。
筆者の早春と春の言葉遣いは明確で、家のまわりに雪が残っているうちは早春、消えてなくなれば春ということにしています。
よって今は早春(の最末期)、今回のsignalはこの時期のあたりの様子をつづろうと思います。
題して、「早春のひかり」です。

下は、現在(2023年4月8日)の我が家。
まだ雪が残り、このあたりで木々が芽を吹くのはもう少し先というところです。

近くの笊籬沼(ざるぬま)。
2月はこの凍った水上を渡ったのだけれど、そんなのは遥か昔のことのようで(笑い)。

あたたかな日がつづいて、外で労働にいそしんでいるとどうも聞き覚えのある、でも節(ふし)のつけようからしたらまったくはじめての鳥の声を聴きました。
誰だろうと思ってよくよく思案すると、カケス(懸巣)はものまねをするということが思い浮かびました。かつてどっかで読んで、記憶にひっかかっていたのです。
それでネット上で検索するとやはりカケスでした。カケスはやはりものまねをするのです。しかも、声色もトーンもまったくちがえたものまでです。誰をまねたかは不明ではありますが。
ものまねをするなんて、カケスはなんてすごい鳥なんだろう。
でも、いったい何のため? のど自慢? 戯れ? 特別の求愛? 身の防御?

下は、カケス。
かつて近くの鑑山で撮影していたもの。

本格的な春がやってくる前にやることはたくさん、散歩道の整備もそのひとつです。雪が来るまでに何度となく歩く道ですから。
この道はほんのプライベートなものではあるけれど(実際の地目は“林道”)、筆者はチェンソーを携えて道を塞ぐ雪折れの木々を処理していきます。
こういうとき、助手(相棒)がいると助かります。切断するかたわら枝を取り除いてくれるので作業が効率よく進みます。
今季の雪は決して多いものではなかったけれど、年末、クリスマス前の湿った雪がどっと降ったのは大きかったと思います。今年は倒木がとても多いです。

筆者たちの山菜採り場のひとつでもある牛尾菜平(しおでだいら)は今、フクジュソウ(福寿草/キンポウゲ科フクジュソウ属)の盛り、一面が黄色なじゅうたんです。

この一面の黄色い風景を今年も見ることができた、これはとてもうれしいことです。
季節きせつの、節目ふしめの典型的な風景を、その年その年に目にする…、これは森暮らしの大切なトピックスです。この連続こそが人生、と筆者は思っています。
筆者はあと何回、このうつくしい一面の黄色を目にすることができるのだろう。

この一帯の枯れ色、これはワラビ(蕨)のホダ(枯れた穂)です。
ホダが日を浴びて熱をたくわえてポカポカの毛布となって、ワラビのあたらしいいのちを育みます。
そしてもうすぐ筆者たちは出てきた初々しい茎をポッキン、ポキリ、ポキン、ポッキリと折っては収穫に勤しむのです(笑い)。
ワラビを食べずして春を語ることなかれ! ワラビの味知らずして春を云々すること厳禁!(笑い) ワラビとはそういった神聖な食材なのです(笑い)。

牛尾菜平から西に500メートルほど行けばそこに小さな清流が流れており、そのわきに群生するキクバオウレン(菊葉黄連/キンポウゲ科オウレン属)が今、花の盛りを迎えています。
キクバオウレンはオウレン属の代表格、この根が生薬(胃腸薬)の黄連です。
生薬の原料ゆえ、全国的には栽培もされているよう。
フクジュソウの黄色に対して、こちらはさながら白いじゅうたんです。

森の早春の花々。

オオイヌノフグリ(大犬陰嚢/オオバコ科クワガタソウ属)。この瑠璃色の美しさ。
この花の命名、その果実が犬のキ〇タ〇に似ているからという発想はスゴイね。爆発するイマジネーション!(笑い)

エゾエンゴサク(蝦夷延胡索/ケシ科キケマン属)。
東北の早春の花の代表格です。
スプリング・エフェメラル(春の妖精/春のはかないいのち)のひとつ。

こちらもスプリング・エフェメラルのひとつ、その代表選手ともいうべきキクザキイチゲ(菊咲一華/キンポウゲ科イチリンソウ属)。
花が青い種のものをルリイチゲ(瑠璃一華)と分けることもあるようです。
花びらに見えるものは実は萼片(がくへん)です。

 

キクザキイチゲ(菊咲一華/キンポウゲ科イチリンソウ属)、白花。
キクザキイチゲは圧倒的に白花が多いです。
キクザキイチゲは、まったくまったく早春の名にふさわしい風景をつくります。

ニワトコ(接骨木/ガマズミ科ニワトコ属)。
早春に花序と葉が同時に展開します。
若葉をてんぷらでという山菜でもあるそうだけど、筆者はまだ一度も口にしていません。
多食は禁物のようです。

キブシ(木五倍子/キブシ科キブシ属)。
早春の花といったら、右に出る者がいないほどの存在感です。
決してビビットな色ではないためにひとの耳目を集めないけど、雪国の春には欠かせない風景の一部です。

小正月に団子木飾りをしたミズキ(ミズキ科/ミズキ属)が芽吹きはじめていました。
この、ツンツンとした芽がこの時期を象徴しています。

笊籬橋のたもとに生えているヤマハンノキ(山榛木/カバノキ科ハンノキ属)の芽吹き。
果実はハンノキ(榛木)に似ているけれども、葉の様子はだいぶ違います。ハンノキの葉は細くとがるのに対して、ヤマハンノキの葉は広楕円形です。

笊籬溪(ざるだに)の谷底の斜面に早くも咲いていたショウジョウバカマ(猩々袴/メランチウム科ショウジョウバカマ属)。
この植物がすごいと思うのは、標高200メートルほどの町場の郊外から2,000メートルの高山(たとえば西吾妻山)にまで生育することができる垂直分布の広さです。これは生命として驚異的です。

近くの小高い山の鑑山は筆者たちが最も好んでいる散歩コースのひとつ。
ここもこの時期に整備をします。
登山道に覆いかぶさる倒木をノコギリで切って除去したり、行く手をさえぎる枝を刈込鋏で切ったりします。
下はそのときのスナップ。刈った枝を取り除いているところ。

左中央に小さく写る、赤い屋根が我が家。

鑑山から見る、西の飯豊連峰と東の吾妻連峰の中間に位置する飯森山(1,595メートル)。
この時期の山肌の白さ(の弱さ)からして、今年は概して雪が少ないです。

鑑山で出会った早春の植物たち。

ヒメミヤマウズラ(姫深山鶉/ラン科シュスラン属)、日本の自生のランです。
初夏に可憐な白い花が数個つきます。

ハナゴケ(花苔/ハナゴケ科ハナゴケ属)、別名トナカイゴケ。
名が示すよう、トナカイの重要な食糧のひとつ。
高山のツンドラ地帯にある植物が、ここルーザの森にもあるというのはとても不思議なことです。これはハナゴケの持つ、想像も及ばない驚異的な対応力のすごさというものでしょう。
ハナゴケはいったん採取されると元にもどるのには数10年を要するとのこと、気をつけたいものです。

ナナカマド(七竈/バラ科ナナカマド属)。
秋には赤い実をつけるナナカマドの、生まれたての若葉。

タカノツメ(鷹爪/ウコギ科タカノツメ属)の新芽。
このとんがり具合がするどい鷹の爪に見立てたというのが命名の由来のようです。
タカノツメは筆者はだいぶ前から気に入っている山菜のひとつだけど、ここにきて少し一般にも知られてきたよう。
とてもよく似たやはり山菜のコシアブラ(漉油)よりもキドい(エグい、にがい)味ですが、これぞ春の味という感じがします。
タカノツメに舌鼓を打つのももうすぐです。

イワカガミ(岩鏡/イワウメ科イワカガミ属)の冬葉。
この夏期のみどりから冬場の臙脂(えんじ)色への変色は糖の集積によって寒さから身を守るため、とどこかで読んだような。

ヒメイワカガミ(姫岩鏡/イワウメ科イワカガミ属)の冬葉。イワカガミのようには変色していません。
ただ、葉のこの程度の変色がヒメイワカガミを同定する特徴なのかは分かりません。
ヒメイワカガミには白い花がつきます。この白花はとてもきれいです。
最初は、イワカガミの突然変異として貴重なものの発見かと興奮したのでしたが(笑い)、よくよく調べるとそうめずらしくはない近縁種だったようです。
ルーザの森一帯はイワカガミの群生地ではあるけれども、ヒメイワカガミを見ることができるのはここに限られるように思います。

イワナシ(岩梨/ツツジ科イワナシ属)。樹高が10センチにも満たない常緑の小低木です。
今、うつくしい花の盛りを迎えています。
やがてナシによく似た食感のある小さな実をつけます。

新芽が山菜ともなるアオハダ(青膚/モチノキ科モチノキ属)の木立ち。
この立ち姿がうつくしく、散歩の途中につい立ち止まって見上げてしまいます。
5月の末に小さな白い花をつけます。
アオハダは雌雄異株で、これは雄株です。

マルバマンサク(丸葉万作/マンサク科マンサク属)の花。
この黄色な、細いちぢれた紐のような花姿は類例が思いつかないほどに独特です。
マルバマンサクはマンサクでもその名が示すよう葉が丸く、多雪地帯に多く分布する種です。

コブシ(辛夷)にとてもよく似ているタムシバ(田虫葉/モクレン科モクレン属)、春先を代表するマグノリアの一種です。うつくしい白です。
コブシには花の基部に一枚の小さな葉がつくのが特徴で、タムシバにはつきません。
コブシは葉の側辺が卵のようなカーブを持つのに対して、タムシバの葉はゆるいカーブで細くて先がとがります。

そして、基本野生種のサクラのひとつ、もっとも早く咲くオクチョウジザクラ(奥丁子桜/バラ科サクラ属)。
この花を見るとようやくここにも春がきたと実感させてくれます。
オクチョウジザクラは春の真っ先の伝令者ともいってよいです。
この花は下を向いてばかり。
まるでやってくる虫たちを雨や日差しから過保護にも守ってやる傘のようです。けれども実際は確実に受粉をしてもらうための戦略なのだろうけれど。

これは植物ではないけれど、ウスタビガ(薄足袋蛾)の抜け殻。コナラ(小楢)の枝についていました。
宮澤賢治に「グスコーブドリの伝記」という長編の童話があるけど、賢治は天然の山繭のなかでもこのウスタビガの繭をモチーフにしたのではと思います。
このうすみどりの繭の糸を紡いで着物に仕立てたものを見たことがあったけど、それはえもいわれぬうつくしさでした。

水が日光を反射しています。
笊籬溪の淵の水面のまぶしさ! 早春のひかり。
そう、この、ひかり。
このひかりは水面だけでなく土にも、草や木や動物たちにも、そして(悪いことをくりかえす)ニンゲンにさえも、すべてのものに平等に降りそそがれています。
ありがたいことです。

早春のまばゆいばかりのひかりを目にすると、佐々木昭一郎が演出したドラマ「春・音の光 川(リバー) スロバキア編」(1984年)を思い出します。
春を謳った映像作品で筆者はこれ以上のものに出会ったことはありません。

「春・音の光 川…」が今もってネット上に残っていました。何という幸いなことでしょう。
URLを貼っておきますので、興味の向きはどうぞご覧ください。
春・音の光 川(リバー) スロバキア編 1984 – YouTube

笊籬滝。笊籬沼から一気に流れ落ちてきます。
笊籬滝はけっして名瀑ではないけど、筆者には欠かすことができない四季折々のビューポイントです。
春先のルーザの森一帯に響く、雪解けの轟音の発信元です。

笊籬沼から歩くこと約10分、山中に入ったあたりに(笊籬淵と名づけている)小さな淵があります。
ここは雪崩の落下現場であり、谷川が直角に曲がるいわゆるクランク地点でもあって、長い時間をかけて少しずつ少しずつ削られ掘られて淵がつくられたものでしょう。
筆者は春夏秋冬、どの季節にも訪れてはその静謐な時間を共にします。

先日、坂本龍一が惜しまれつつ鬼籍に入ったけど、彼の代表作のひとつのピアノ曲「Aqua」はこの淵の水を表現しているようにも思うのです。
筆者はここで「Aqua」を(こころの中で)聴きます。
坂本死して、「Aqua」は永遠となりました。  

野原を歩いていたら立派なアサツキ(浅葱/ヒガンバナ科ネギ属)を見つけました。
春のめぐみ第1号です。
さっそく近くの沢で泥を流し、ひげ根を切り落として…、

ていねいに洗って…、

夕飯のふた品となったのです。
ひとつは、何といっても、おひたし。

ひとつは、高野豆腐を入れて、卵とじ。

んーん、春の香り!

食卓に載ったのは…、もらいものの梅で仕込んだ梅酒、手作りベーコン入りのスープ、我が家のサンショウ(山椒)の実を入れてつくった縮緬山椒(ちりめんざんしょう)、それにアサツキのふた品、それからデザートとしていただきもののハッサク。
何と金の匂いがしない素朴な食事なんだろう、とは相棒の弁です(笑い)。確かに!(笑い)

その翌朝のことでした。
賢治童話の白眉「水仙月の四日」そのまま、それこそきびしい吹雪がやってきたのは。
けれども、春がやってくるための天の精霊たちの儀式は、これでおしまいです。
これからはポカポカの、ひかりまぶしい春となっていきます。

それでは、本日はこのへんで。
じゃあまた、バイバイ!

 

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