森の生活

雪のあるうちに

(2023年の)3月も半ば、今日はその13日。外はしっとりとした雨です。
春のような陽気が続いたり、こうした雨もあって、あたりの雪は嵩(かさ)をぐんぐんと減らしています。
現在のここらへんの積雪は80センチほど、これからは急速に減っていくことでしょう。
記録的な大雪だった昨年とはちがい、今年は春が早そうです。

今回のsignalは、この雪のある時期に、雪があるおかげでできることを綴ろうと思います。
題して、「雪のあるうちに」です。

この2月半ばに「雪渡り」としてスノーハイキングについて書いたのでしたが、そのときは不十分だった雪質は3月に入るとぐっと引き締まって堅くなり、本当の意味での雪渡りができるようになってきました。
下は、3月に入ってすぐの堅雪、雪はカチンカチンに凍って、長靴のみで自在に歩けるようになりました。
そして筆者は毎年(堅雪ができる)この時期に、約2キロ先の国道沿いの屋敷跡に行きます。そこに植栽されている野生のサクラの枝をもらうためにです。
「なんぼでも持っていけ!」という当主の言葉に甘えて。

(知人からいただいた)伸縮自在約5メートルの高いところにも対応する枝切りで。
この枝切り、先端に取りつけられた刃に連動するひもを引けば枝を切ることができるすぐれものです。
直径3センチくらいの枝まで対応します。

雛飾りに代わって置いた古い大甕(かめ)にサクラの枝を挿しました。

樹齢100年はゆうに超すという苔むす古木の枝は趣きが深く。
やがて我が家にひと足早い春を連れてきてくれることでしょう。

この1月から3月初旬にかけて筆者はほぼ毎日工房にこもりきりで、ペーパーナイフを作っていたものでした。
今年10月に5年ぶりの展示会(ルーザの森クラフト展Vol.2)を予定しているので、そのラインナップのひとつに新作を加えたいと思ったのです。
バンドソーで外周を取ってベルトサンダーで粗削りしてからはほとんどの日を手作業でのサンドペーパーを使っての格闘、ものすごい木粉、粉埃の中にありました。
そしてようやく長いトンネルを抜け出て塗装に至りついたときの満足感たるや。

下は、6種のうちのひとつ、“bird”。

作業の最後に、1点1点について “lusa” の刻印を押してから、ステイン系塗料によるオイルフィニッシュをして(浸透系の塗料を塗って布で拭き上げて)完成しました。
下は、サクラ材。サクラ材は特に美しい木目が出ました。

さて、雪のあるうちに。

昨年のクリスマス前に湿った雪が降り積もって、主屋南にそびえたっていたアカマツ(赤松)が折れて電線に引っかかったのでした。
それで電力会社委託の作業チームが来て、引っかかり部分を取り除いてもらったことはお伝えした通り(signal「団子木は春の色」)。

マツの倒木によってあわや断線かと思われたのでしたが、倒れたときにコナラ(小楢)に抱きかかえられたのがよかったのでしょう、断線は免れました。
それは不幸中の幸いでした。

朝のごと、食事の後のコーヒーを口にしながら見るのはいつもの倒木の風景。
ときに、大雪であったり…、

ときに、薄日さすおだやかな朝…、

ときに、春のような甘い空気がただよったり…、

ときに、猛吹雪がやってきたり…。

それにしても倒木をこのまま放置しておくわけにはいかないことは確か、(高さ30メートルはあったであろう)この大きな木の処理を今後どうすればよいのか、ずっと思案しつづけていたものです。
よくよく考えて行動しないとたいへん危険なことは分かりきっています。

そうして思い至ったのは、春が来る前に伐ること、堅雪になる朝をねらって伐ることでした。
それは、春になって雪が解けてからの伐採では樹木まわりの藪状の低木が露わになって作業の足が取られて危険なことがあります。どういう作業であれ(たとえ頭脳的な作業でも)、基本は足場なのです。
もうひとつ大きいのは、雪があることによって、倒した木をふとんに寝かせるように安定させることができ、そういう状態にすればチェンソーの刃を入れるのに好都合なのです。

立っている木を伐る場合(これは何度も経験していることだけれど)、倒す方向に木がないか、邪魔になるものがないかをよく見定めることが肝要です。
この見定めが不確かな場合、倒れた木が他の立ち木に途中で引っかかったりするとさあ大変、そこからはさらにむずかしい作業が待ち受けています。むずかしい作業には危険性がつきまといます。

さて、今回のアカマツの場合は、根元と折れた先の2点で止まっています。まるで60度30度の三角定規のようです。
こうした場合は、どのように伐ろうともあちら側かこちら側の正確な2方向に倒れるのは決まっています。
その決まっている方向を見誤らなければ危険はないのですが、チェンソー使いをもたもたすれば頭上の折れ部分が断裂して落ちてきはしまいかと心配になったりもしたのです。

それで、立ち木部分に梯子をかけて上り、できるだけ高い位置にロープを結わえ、方向を見定めたのちにチェンソーを入れ、傾いたと同時に相棒にロープを引っ張ってもらうという算段をしたのでした。
以上の慎重さがあったために、無事倒すことができました。
胸をなでおろしました。まったく、計算通りでした。

先ほど、雪の上に横たわった木の切断は好都合と書いたけど、その理由は、木本体をあらゆる地点で雪が支えてくれるからです。
説明をすればこうです。
1本の横たわった長い木があるとして仮に3分割してA点とB点で支えるとします。
A点とB点の外側なら容易に切り落とすことができますが、A点とB点の中間は上から切ることはできません。なぜなら、樹木の重さが徐々にチェンソーのバー(チェンを回す板)に力を加えてはさみつけてしまい、そうなるとチェンソーをそこから抜き出すのにひと苦労するからです。
けれども雪に横たわっていれば、切った部分が沈み込むことがないわけですから、チェンソーのバーがはさまれることもないわけです。

せっかくなので、(隧道内の氷筍を見るために)ワークマンに走って買ってきたヘルメットを着用して(笑い)。
立ち木を伐り倒すとき、ヘルメットの着用はやはり必須ですね。

マツやスギなどの針葉樹は薪材としては3級4級ぐらいです。あまり好まれません。燃えやすいため火持ちがせず、タール分が多く出るという理由です。
でも、せっかくここまで生き延びてきたアカマツの供養にもなろうからということで薪にすることにしました。
実際のところ我が家で薪が足りないことはないのですが、放置して土に還すといっても相当の時間を要するということもあって。

ここに引っ越してきた頃、地区の先輩に言われたことを思い出します。
マツをさして、「重くて松、軽くて松」というものです。
これは、生木のマツは比重が大きく重く、乾燥後のマツは一転比重が小さくなって軽いというものですが、何年もいろんな木とつき合っていると、このマツに関しての性質はうなずけます。

それにしても寸があまりに短かすぎる?
そうなのです。上にも通じることですが、マツは木全体が湿っていてゴムやシリコンのようで斧の刃が入りにくい(ズボッと入って抜けにくい)樹種なのです。だから、短寸にしないとなかなか割れてはくれません。

ついでに、アカマツから寄りかかられたコナラも切りましたが、その長さとのちがいははっきりしています。
コナラは気持ちよく割れるし、火持ちもよく、薪材として1級品。
市販されているものは、このコナラ(またはミズナラ/水楢)が多いようです。

話はちょっとズレるけど、(どこで読んで知ったかは忘れたけど)アメリカには「紐のない靴を履く男を信用するな」という古い諺があるそうな。
たぶんだけどこれは、めんどうくさがり屋はよい仕事ができないという意味だろうか。
それに対してカナダでは、「薪割りのできない男は信用するな」(笑い)というのがあるそうな。
こちらは、冬を越すために薪は必要不可欠、それを準備できないのはどうか、ぐらいの意味なのだろうと思います。
これからオトコを選ぼうとするオナゴ諸君、この薪割りの諺を第一に胸にとどめたらどうだろうか(笑い)。その後の人生、まちがいなしと思うのだけれど(笑い)。
筆者からすれば、「高学歴・高収入」なんて、屁みたいなものです(笑い)。これらは人生の充実と何らのかかわりがない。

話戻して、短寸でもひときわ厚みがない部分があることにお気づきでしょうか。

ここは節が入っている部分、マツの場合、節が入っていれば割ることはまずむずかしく、力任せの粉砕以外にはありません。
よって薄くしてそのまま乾かして薪にします。
ストーブの口に入らぬような大きさならチェンソーでタテに切って使います。

この節(枝が出る箇所)は、1年ごとに出来てきます。
つまり、マツは枝に関して輪生(同じ場所から四方八方に伸びる性質)なのです。
ということは、枝の出ている箇所を数えればその木の年齢が分かるというわけです。団子木に使ったミズキ(水木)と同様です。

細かく切るのはいいのだけれど、腰が、コシが、あ、イタタタ…(笑い)。
同じ姿勢での作業はひさしぶりのこと、腰にきたのは確か、イタタタ…(笑い)。
このあと、腰痛ベルトを手放せなくなりました(笑い)。

雪折れした箇所。

倒すために一旦刃を入れた、(筆者の胸高あたりの)断面。
年輪の中心が妙に一方に偏っていますが、これはそのまま、この場所の環境を表しています。目が詰んでいる方向が真西です。
つまり、冬に冷たい西風が吹き抜ける土地ゆえに、西側だけが育たないのです。
本当はここらへんも冬の風は北西方向からやってくるのでしょうが、この土地は天王川(笊籬溪/ざるだに)が東西に走っており、谷に沿って山が連なっているので、そこが風の通り道になっているのです。
道に迷った旅人が、木を切って方角を知るって聴いてきた話だけれど、年輪の様子を見、さらには地形を考慮すればほぼ正確な方角は知れそうです。

根元の幹回りは135センチ、直径は43センチでした。
ちなみに年輪を数えると65くらいでした。
ということは、筆者の年齢とほぼ同じ、戦後日本の分岐点であった1960年そして68年69年の日米安保条約反対闘争も、日本中が沸き立った1964年の東京オリンピックも70年の大阪万国博覧会も、高度経済成長とその後の凋落(ちょうらく)も見ていたんだ、キミも。
日本は大きく変わりました。
1975年のベトナム戦争の終結! そして当然、かの2011年の東日本大震災と原発の爆発も、それから直近、昨年22年のロシアによるウクライナへの軍事侵攻も見ていたというわけだ。
第2次世界大戦後、世界各地で紛争は続いてきたけど、まさかロシアが隣国の主権国家を大胆に土足で踏みにじるとはねえ

切ったものをそのままにしていては雪が解けたときには藪の中に入り込んでしまってたいへん、回収しやすいように、通路になっている谷部に集めることにしました。
相棒のヨーコさんが鳶口(とびぐち)をあやつって、転がしています。

これらは雪が消えた後に軽トラックで回収して、割ったのちに乾燥させて薪にします。

そうして、コーヒーの匂いただよう朝の風景は変わったのです。

現在の我が家の雪の様子。

近くの、ちょっと前には凍った水面を歩くことができた笊籬沼が明けてきました。

家のすぐわきの笊籬溪の切り立った対岸の崖の地肌も見えてきました。
天気のよい朝には野鳥がよく鳴くようになりました。
カケス(懸巣)がギャーギャーと汚い声で、ヤマガラ(山雀)やシジュウカラ(四十雀)が響く高音で、それから悔しいかな(-_-;)、声だけでは分からない野鳥もいくつかやってきて…。
みんな陽光がうれしそうです。みんなみな春を恋焦がれているのです。

天王川(梓川)にかかる笊籬橋から。
雪解け水を集めて、ゴウゴウと鳴っています。
この轟音は希望そのものです。

途中より子の口笛の入り来てわがハモニカの「早春賦」躍る   仙台市 磯田秀子
みちのく歌壇/朝日新聞より

春のにおいがしてきて、心浮かれてハーモニカを口に当てて「早春賦」を吹いていたら、(たぶん)娘が口笛で割って入ってきた、というのですね。
春を背景とした、何と麗しい点景でしょう。

そう、ここらはまだまだ「春は名のみの風の寒さや」の日は多いですが、もう少ししたらポカポカの春がきそうです。それをどんなにか待ち望んでいるか。
もう筆者の目には、まぶしく光るコシアブラ(濾油)やコゴミ(屈=クサソテツ/草蘇鉄)やゼンマイ(薇)がチラチラしています(笑い)。

それでは、本日はこのへんで。
じゃあまた、バイバイ!

 

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。