森の生活

柚子のある暮らし

本日は(2023年)1月28日、このところ雪はだいぶ落ち着いていて、1月のこの時期としたらずいぶんと楽をしていたものです。
が、そううまいことは続かずに本日は時に吹雪、用あって町に出たらもうどこもかしこも真っ白で運転が怖いくらいでした。
現在の積雪は120センチ、明日の朝にはさらに30センチほどの積み増しになる気配です。

で最近、工房の仕事の合間をぬってユズ(柚子)のジャム(マーマレード)づくりをしました。
ふりかえってみると、このユズは少し前までは縁遠いものだったのに、遠くに住む友人のおかげでとても身近なものとなりました。
ユズは今ではすっかり暮らしにとけこんでいます。
そんなことで今回のsignalは、我が家のユズをめぐる小さな物語、題して「柚子のある暮らし」です。

なぜユズが筆者たちに縁遠いのかといえば、それはもちろんユズなどの柑橘類というのはまわりの果樹園にあるわけでなし、人家の庭にあるでなし、それを手に入れるとなれば遠い産地から送られてきたものを買う以外にはないからです。
しかもユズというものはこちらでは高級品で、中ぐらいのもの2個で250円とか300円ぐらいはすると思います。
高嶺の花なのです。
それでも年に1度ぐらいはと思って、冬至の柚子湯にと買ったこともあります。
下は、2018年の冬至に、湯に放ったユズ。

ユズは真ん中のもの、上はもらいもののレモン、下はカリン(花梨)で植えている木から収穫したものです。
カリンは植えているとはいえ(カリンの花の美しさといったら例えようがないほどです)、我が家のものは年に3個とか4個ぐらいしか実ってくれません(-_-;)。それは、日光がなかなか届きにくい場所であるのと、寒さと多雪が影響しているのは明らかです。土地柄として適さないのだと思います。
でもまあ、わずかながら、こんなふうにして香りを楽しむのもいいわけでして。

筆者がユズに覚醒したのは、相棒が出張のおりに買ってきてくれた柚子胡椒(こしょう)からでした。今から8年ほど前、2015年あたりだったと思います。
それは大きさはさほどではないのに妙に分厚いガラス瓶で(笑い)、内容量はわずかだったと思います。高価なものという印象でした。
そのときまず、柚子胡椒には胡椒が入っていないのになぜ胡椒と名乗るのか違和感を覚えました。でも九州では唐辛子のことを方言で胡椒と呼ぶそうな、そこからきていると知って納得はしました。
でも本来の命名なら、“柚子唐辛子”だと思います

柚子胡椒をあたたかい蕎麦とかうどんの薬味として添えたときの、何とも言えないほどよいしょっぱさと辛さ、そしてユズのプーンとただよう香気…、これにはノックアウトという感じでした。
この世にこんな魅力的な薬味があったなんて。
それまでの、一味、七味の唐辛子からは大きな飛躍でした。

それでネット通販で、産地から無分別のものを購入して自ら柚子胡椒づくりをはじめました。
高価な薬味と思っていた柚子胡椒を手作りできる喜び、そしてそんなすばらしい薬味を遠慮せずに年中食卓にあげることができる喜び、それは我が家にしたらまさに食卓革命ともいうべきできごとでした。
筆者はもうユズの虜(とりこ)でした。

自分は柚子胡椒をつくっている、その味にとても感激していると友人に伝えたのだと思うけど、ここ3、4年、その友人がユズを送ってくれるようになったのです。しかも、こんなにと思うくらいの、目を丸くしてしまうほどの量を(笑い)。
「庭のユズが実っているから取りに来て!」と、ご近所さんからお声がけがあるんだとか。
まったくうれしいことです。

器に盛って眺め…、
いやあ、いい色だ。
実に、美しい。
んーん、いい匂い、いい香り。
盛った器は福島県は尾瀬の玄関口の桧枝岐村(ひのえまたむら)の、素朴な刳(く)りものです。素材は、ハンノキ(榛木)でしょうか。

テーブルに広げれば、ユズは冬の日をあびて…、
ユズはまるで春のひかりだ。

何と美しい黄色…、
これはもう、春の使者です。

友人というのは、岩手県胆沢(いさわ。現・奥州市)出身で現在は三重県亀山在住のフキコさん。
筆者の最初の就職先だった仙台市で、筆者の高校の同級生の友人として知り合いました。
それから彼女は仙台を離れて三重のひととなり、49歳で勤めを辞めて自営のパン屋に転身したという変わり種です。
この、ヒラリと身をかわしてやりたいことを追求する姿勢はみごとで、その姿に筆者はあこがれを覚えたものでした。
あたりまえだけど、「致死率100パーセントの人生」(親しみを覚えていた木内みどりの言葉)で、人生は誰もたった一度きりのもの、そうした中で自分のやりたいことに突き進んでいく彼女の姿はとてもまぶしく映ったものです。

下は、2005年、南フランスにパンつくりの修業に出たときのものだそうです。
それにしてもいい表情だね。
写真は2点とも、本人提供。

彼女はその後自宅で、週3日営業の小さなパン屋を開き、今は営業からは退きつつもパンづくりの講師として各地に赴いたり、教育の現場(特別支援学校)に出張して焼いたり、季節に応じ求めに応じて焼いたり…、今はパンづくりをゆるく続けているそうです。
とにかく彼女は自分でつくることが好きで(その点は筆者も同様)、ことに味噌や甘酒、柿酢などの発酵食品はお手のもののようです。

筆者はそんな彼女に燻製器一式をつくってそろえてプレゼントしたことがあったのですが、当然、燻製の虜になったよう。
この前は孫に「誕生日のプレゼントは何がいい?」と聞いたら、「サクラチップのチキン!」と言われたといって笑っていました。
9歳が、サクラチップ燻製のチキンねえ(笑い)。

いやちょっと待て、9歳が所望したのは、“チキン”を強調したのではなくチップ材の“サクラ”の方だったのかも知れぬ(笑い)。
そうすると、筆者が送っていた工房の作業で出たカンナくずの“ナラチップ”との比較において“サクラチップ”と言ったのかも知れぬ(笑い)。
燻製材のちがいが分かるとは、末恐ろしき9歳(笑い)!
これも、DNAのなせる業かも(笑い)。

そういえば最近は、無煙炭化器なるものを購入して、不要な木材を燃やして炭にし、畑の土の改良剤にしているとのこと。
そうして彼女は暮らしを思いのままにデザインし、暮らしをつくって日々を楽しんでいるのです。

・・・

ここで少し話はそれるけど、歴史に名を残すジャーナリストの長谷川如是閑(はせがわにょぜかん/1875-1969)のことです。日本の民主主義の形成にあって、忘れてはならない人物です。
筆者が持っている古い写真集『現代日本の百人』(田村茂写真・著、文藝春秋新社刊1953)にダンディな長谷川が載っています。

写真を説明して、長谷川の曰く。

この寫眞で、私の着てゐる上着は、自分で工夫した書齋の仕事着で、洋服の上にでも和服の上にでも着られる、和服でも洋服でもない上着である。手にしている杖は、山で伐つた杉の木の枝を拂つて皮を剝いで、登山杖の石突をつけた、手製の杖である。(略)
手細工ずきのために、子供の頃はよく年長者から「豪いひとになれないよ、」といはれて、「豪い人なんか大嫌いだ、」といひ返したが、後年には、そんなことをいふものに、「人間は、かうして頭でなしに手のはたらきで文明人になつたのだ、」と、手細工をしながら、私流の社會人類學の講釋をして聞かせた。
(原文)

そう筆者も、人間は「頭でなしに手のはたらきで文明人になった」と思うのです。
そして、ただ持っている金で買って欲を満たすのではない、不都合を解消するのではない、自分で工夫して課題を解決し、工夫してものをつくる暮らしにこそ本当の喜びは用意されているとも思うのです。
たぶんフキコさんの信条も同じなのでは。

ということで、下には、これまでつくってきた柚子製品を紹介します。
まずは2016年、翌17年、そして21年の柚子胡椒つくり。

何事肝心なのはユズの皮を薄くていねいにむ(剥)くこと、白い綿が入るとあまり感じのよくない苦みが混じるということです。

むいた皮をていねいにみじん切りにして…、

みじん切りにしたものをミキサーにかけてさらに細かくし…、

ミキサーで細かく砕いた(いただきものの)唐辛子に、塩を混ぜ…、

 

ユズの皮を加えて混ぜれば柚子胡椒のできあがりです。

皮むきはめんどうには違いないけど、他はそうめんどうなことはありません。
ただ、唐辛子の粉砕のときはゴム手袋が必須ですね。それをせずに作業をしたことがあって、その手で目元をこすったら、もう、ギャオー!!!という感じでした(笑い)。まるで拷問を受けたかのよう(笑い)。

下は21年作ですが、唐辛子の分量をまちがえて多く入れてしまい、のちにユズ皮をつけ足して、味を調整しました。

下は21年製の柚子胡椒です。
21年製といえど、冷凍保存をしているものなので今でも利用しています。

続いては、柚子麹味噌。
これはフキコさんに教えてもらったものです。
以下は、21年の1月のことです。

米麹にユズの皮のみじん切りを加えて混ぜ、

醤油を加えて1週間。
毎日1回、よくかき混ぜます。

1週間が経過したら、キビ砂糖(砂糖なら何でもよいのだけれど、我が家ではやさしい甘さが得られるようにとキビ砂糖を使うことが多い)を加えて弱火で30分。

熱がさめたらできあがりです。
柚子麹味噌は味噌ではないのに、いかにも味噌という感じです。

ラベルはお遊びで作っているもの。
ひとに差し上げるのに印象がよいように思って。

で、さっそくです。ふろふき大根をつくりました。

ストーブの上でコトコトと。
薪ストーブって、こういうこともできるのでいいです。

炊きあがった大根に、できあがったばかりの柚子麹味噌を添えて、せん切りのユズ皮をのせて。
いやあ、おいしいです。
寒い夜にはもってこいです。うってつけです。

下は、そのときの夕食です。
左上の柚子麹味噌の瓶を基点にして時計回りに…、
日本酒=地元の純米酒・錦爛(笑い)、ゼンマイ(薇)に合わせたさつま揚げや糸コンニャクなどの煮物、ナメコ(滑子)の味噌汁、ふろふき大根、ご飯に、米沢の伝統野菜 “雪菜”(雪の中から掘り出して収穫する野菜。熱湯をかけると辛さが出る独特なもの)の漬け物(=ふすべ漬け)、そして中央が燻製したシャケのマリネです。

マリネ。

上の食事は特別に用意したわけではないです。これを見て笑ってしまうのは我が家の食事って、なんて金がかかっていないんだろうということ(笑い)。
ゼンマイは自分たちで採取して干しあげて加工したもの、ナメコは近くの山で採ってきて塩漬けにしておいたもの、ダイコンはもらいもの?、シャケの燻製は自分でつくり(笑い)…。

こういう、金をかけない種族がふえると、日本の資本主義は回らなくなって、国家滅亡の危機に瀕(ひ)しますね(笑い)。
筆者が国家滅亡の罪で首謀者として捕まえられたらどうしよう(笑い)。
つまり資本主義というのは、簡単に言って、必要でないものをさも必要なように見せかけて(好感度よろしき有名人を使って、ああだこうだと御託を並べさせ)、何でもかんでもの物やことがらに値段をつけて買わせようとする、そうして“必要”をあらたに作りながら回している社会システムのことですよね。
筆者にはどうもこれが、健康的とは思えないんだけれど。
筆者はこのシステムを拒否することはできないけれど、そこにどっぷりと浸かっていたくはないのです。

外の今、雪が降り続いています。
ここで、ちょっとコーヒーブレイク。冬の米沢の風物詩を。

下は、かつての今の時期の、リビングに飾った“笹野花”、木を削ってつくった花です。
米沢では笹野一刀彫という伝統工芸が引き継がれています(資料では千数百年の歴史があるとか)が、笹野花もそのひとつです。。
刃物はサルキリといって幅の広い包丁のような独特なもの、それ一本で彫りあげてつくる民芸品です。
材料はすべて、今は新葉が山菜としてもてはやされるようになったコシアブラ(漉油)の木です。
笹野花の場合は彫りあげた花をアカミノイヌツゲ(赤実犬黄楊/モチノキ科モチノキ属)という常緑の木に刺して全体を花束に見立てています。

笹野花はかつては笹野の住民が冬場に各家々を回って売りに歩いていたものですが(我が家にも一度だけおいでになったことがある)、今はもうその姿はありません。
笹野花がほしければ、毎年1月17日と決まっている笹野観音堂の十七堂祭に出向いて買うことになります。

fudoukaku.com

下は、かつての花小屋風景。

sasanokannon.com

今年も用あって(友人の埼玉県幸手のラーメン屋が開業30周年となり、そのお祝いにと)出向いたのですが、8年前に8軒ほどだった花屋(出店)は、3年前には4軒にまで減り、今年はたった1軒のみでした。
1軒ゆえに参道前の恒例の花小屋(臨時テント)はとうとう掛けられず、境内に移動してのこじんまりとした営業になっていました。
花小屋の風景は数百年変わらずに続いてきたのだと思いますが、今年2023年で途切れたなんてとても残念至極です。
そしてこの美しい工芸はこのまま廃れていってしまうのでしょうか。それも危惧されます。

外は寒々しい真っ白い風景にあって、室内にはせめてもの彩りをと願いが込められた笹野花。
この造形は見事です。
見事なわざは、ただただに美しい。

賢明な方はこれを見て、あれ?、と思ったのでは。アイヌの祭具のイノウ(イナウ)に似ていると。
そうなのです。これはアイヌの技法、ここ米沢の笹野集落にはアイヌコタンの遺跡もあり、笹野一刀彫の起源はアイヌ民族に求めることができるのです。
嗚呼、悠久の歴史!

イヌツゲの木の葉に枯れようが目立ってきたら、花だけを取り出して並べて飾ったりもします。

で今回、フキコさんに送ってもらったユズは何と7キロでした。
ありがたいことです。


柚子胡椒はまだ大丈夫、柚子麹味噌も冷凍したものが十分にあるし、ではと、今回は柚子ジャム(マーマレード)をつくることにしました。

大きなテーブルをいっぱいに使って様々なボウルやざるを置いて、我が家はさながら食品加工場と化しました。
団子木飾りの空間は、ユズの香りでいっぱいです。

剥いてもむいても…、

むいても剥いても…。

 

でも、少しずつでも皮はたまり…、

皮をせん切りにし、さらに細かく刻んで…。

皮がなくなったユズを半分に切って…、

果汁をしぼり…、

しぼりにしぼって集めた果汁。
しぼった果汁は当然ジャムの材料にするものですが、一部これを凍らせてキューブ状にして保存し、鍋物のポン酢がわりにしたりもします。これはいけます。

果汁に水を足し(我が家ではしぼった残りかすを煮て、有効な成分を抽出したものを足した)、増粘剤(ペクチン)となるという種を袋に入れてしのばせ、キビ砂糖を投入し、皮を加えて煮つめました。

そうして柚子ジャムはできあがりました。
朝の9時にはじまって、できあがったのは夜の9時頃でしたかね(笑い)。
右腕が腱鞘炎です(笑い)。

 

それを朝食に添えました。
やはり、自分たちで手作りしたせいか、おいしいです。
甘さもちょうどよいです。

ヨーグルトにのっているのは、ナツハゼ(夏櫨)ジャムです。つくったものをいただいたもの。

ジャムの瓶が並んでいますが、買ったものはここにはありません。
左から今回の柚子ジャム(マーマレード)、フキコさんが送ってくれたハッサク(八朔)とアマナツ(甘夏)でつくったマーマレード、(キューイフルーツの原種のような)野生のサルナシ(猿梨)ジャム、これはいただいたもの。そしてナツハゼジャムです。
こうやって手作りのジャムが並ぶと、それだけでうれしくなります。

最近つくったベーコンを小松菜と一緒に炒めて…。

デザートは、いただきものの干し柿という朝食でした。

マキネッタでいつものエスプレッソのコーヒーができました。
コーヒーを口にして外の雪景色を眺めながら、本日の、除雪を含めた行動計画を立ててと…、
さあて、また、あたらしい一日がはじまります。

本日はこのへんで。
それじゃあ、バイバイ!

 

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