シリーズ「軽トラに住まいを」第1回は、「整地」でした。
つづいての第2回として今回は、「土間コン打ち」を記(しる)すことにします。
“土間コン”とは“土間コンクリート”の略、そもそもの“土間”とは“屋内の、土足で立ち歩くことができる自由スペース”のことです。それを“打つ”とは“コンクリートを敷設(ふせつ)すること”を指しています。“打設”ともいいます。
何故に土間コンなのかといえば、基礎を築き、土台を載せ、上物を立ち上げる際にはそのベースがしっかりしている必要があってのことです。
素人が建物の造作をする場合はしっかりした平面をまず作っておく、筆者はこれが肝要と思っているのです。
この、“土間”という響きは筆者は好きですね。
昔の家にはどこも、フレキシブルな作業場としての土間があったものです。
今、家を新築するなら筆者はきっと、土間スペースをこしらえると思います。そしてそこにはオクド(竈/かまど)を置いて、毎日薪でご飯を炊くのです。ゲホ、ゲホ、嗚呼(ああ)、煙い、けむい!(笑い)。
土間の壁には雨カッパやちょっとした道具類(ナタとかノコギリとか)が掛けてあり、すぐにも野外に出て働くことができる…。片隅には半野外の流し場があって、そこでは収穫物の洗い物をしたり…。
筆者にすれば、こういう暮らしこそが豊かさの象徴、豊かに暮らすというのは知恵をはたらかせ手を加えて一時いっときの時間を我がものとすることなのです。
便利と快適を旨とする都市生活とは対極ですよね。
まあ、2013年に建てた工房を土間にしたのはこういうこともあってのことで。
工房内の作業台は往々にして山菜やきのこの仕分けに使われます。
下は、5月半ばに恒例の、工房の土間でゼンマイ(薇)の(茹で上げの前の、堅い部分の)茎折りをしているところ。
整地をしたのちには本当なら転圧機などによる地面の突き固めが必要なのですが、筆者は地面の堅さはまずまずと見、下地石(ぐり石)を厚くしっかり敷くことを前提にしてこれは省略しました。
筆者の建築の相談相手の棟梁のタカシさんによれば、秋までに整地の作業を終え、ひと冬越せば雪の重みで地面は締まり固まるとのこと。なるほどです。
土間コンづくりは杭打ちにはじまります。
整地した四方八方にまず、計20本の杭(解体した薪小屋の、今後使うには不十分な垂木/タルキを切って利用)を打ちましたが、これはコンクリートの型枠を設置するための固定の柱であるとともに、レベル(水準)を記すものでもあります。
型枠とレベルはどちらも、建築においては絶対におろそかにしてはいけないとても大切な役目を担います。
下は、打った杭にレベルを出しているところ。
これが土間コン打ちの出発、6月11日のことです。
本来はバケツに水を入れて、そこに透明なホースを差し入れてその端の示した水の高さを方々の杭に写してゆく、これがいわゆる“水盛缶”によるレベル出しです。
これはもっとも古典的なレベル出しで、人々が小屋や家屋を建てることを考え出したその時点で確立した太古の昔(有史以前)からある技術なのではないかと推測できます。
ただし太古にホースに相当するものはないと思われ、掘った場所に水を注ぎ入れたり、天然の降雨をもってレベルを出したか、あるいは樋のようなものを多方に渡して水の流れや落ち着きを見たか、でしょう。
水は水準をもって同じ高さで落ち着くという原理をもとにしたこの方法は現在でも十分に通用し、建坪の小さなものなら今でも方々で取り入れられているはず。
また、レーザーレベル(2、3千円くらいからある)でもあれば一発で決まるのですが、当方あるにはあるけれどもどうも昼間の光にレーザー光がまじってよく読み取れず。そして透明なホースの持ち合わせなく。
それで筆者の場合は、結局は下のような、これまた原始的な方法を取ったのです。
建設予定地の中央に杭を打ち、そこに支点を設けてコンパスのように角材(曲がりのない面を使い)を回し、そのところどころに水準器を使ってレベルを出してゆく方法です。
水準器の水泡が中央に来れば水平になったことを示します。
水準器はひとが見て確認するのだから誤差は出やすいけれども、何度もくりかえしていくと読みにも慣れ、ほぼ一定の感覚で水準を出すことができるようになります。
20本の杭に水準を写したのちに、型枠のベニヤを回しました。
これには、使いに使ってもうボロボロになった(壁や床の下地に使われる)構造用合板や選挙管理委員会からもらい受けていた選挙ポスター掲示用ベニヤ(4ミリ。最近はめっぽう手を尽くしても入手が難しくなっている。今は選挙後は廃棄が普通のよう)を使っています。
型枠には重量のある生コンクリートを流し入れるわけで型の材料は厚みのある丈夫なものに越したことはないのですが、杭柱をたくさん立てることと、板の背面からの(石とか砂利とかによる)補強があればたとえ4ミリベニヤでも十分に対応します。
次にしているのは、レベル(杭に〇のあるところ)から一定数値(今回は16センチ)を下げて、コンクリートの高さ基準を取っているところです。
レベルからすべてにわたって一定数を加えれば(減ずれば)そこもまたレベル(水準)になるわけです。
実際の水準を青い線で引き、生コンを流し入れた時にこの線が隠れてしまうことを想定して、その上3センチに赤の目安の補助線を回しています。
型枠ができ、生コンクリートの流し入れのレベルを取ったら、次に敷石下地つくりにかかります。
これには“ぐり石(栗石)”と目つぶしの砂利が必要です。
ぐり石は割った小さな塊の石を用いるのがベストですが買うに及ばず、筆者はその代用として、ぶっかけレンガと道路から拾ってきた石ころをそれに当てることにしました。
筆者はレンガを大量に所有していますが、ここのかつての住人は陶芸をする方で(面識はない)、立ち去る時にレンガづくりの登り窯を壊して土中に埋めていったのです。それを知人を頼って掘り起こしてもらったがゆえの財産なのです。ありがたいことです。
筆者がこれまで作ってきた造作物には様々な箇所でレンガが生かされています。
下は、上から薪ストーブの炉壁、ヒュッテの基礎、そして花壇のへり。
レンガはもうどうにも使えそうにないものでも一応取っておいているのですが、下の写真のように、傾斜のついたレンガ(“横ぜり形レンガ”というらしい。アーチを形成するときに使用)の使い道は如何ともしがたく。
それで今回は、このぶっかけ“セリレンガ”のすべてを投入することにしました。
投入したぶっかけセリレンガ。
石は、ここから2キロ先の地区の市民バス旋回場からほとんどを拾ってきました。
そこは舗装のされていない場所で、冬には除雪車の待機場所でもあり、除雪の際に現れ出た石ころがゴロゴロしているのです。それをていねいにていねいに、いくつもいくつも拾いました。
なので、旋回場は見違えるほどの美しさになりました(笑い)。
それこそ汚い恰好をして石を拾っていると、地区の、犬を連れた散歩の老女が遠目にも不審の視線を投げているではありませんか(笑い)。
まるで敗戦後のモク拾い(もはや、死語ですね。タバコの吸い殻を拾って刻みの葉の部分を集めて新たに紙に巻いてタバコとして再生するもの)のようでさえある(笑い)。
たぶん老女ならずとも、誰もが不審者あるいは哀れな“浮浪者”と思ったかも(笑い)。
それでこちらから親しいあいさつをすると、ようやくワタクシと分かってくれ、こうこうしかじかと説明すると、それはいい考えだ、こんな石が役立つとはいいことだ、頑張れ!と激励してくれるのでした(笑い)。
拾ってきた石を投入しているところ。軽トラで2杯と半分の量を使いました。
下は、「発掘」で出てきた鉄骨など丈夫な鉄の棒を、生コン投入の際のレベル出しの目安とするためにディスクグラインダーで約40センチ程度に切断したもの。
何ごと、廃材利用です。
型枠の生コン投入レベルから拾って、角材の高さに鉄棒を刺しているところ。
この鉄棒の先端を基準に生コンをスコップで配り、均していくことになります。
粗い(ぐり石代わりの)石と石の隙間をつぶす砂利と小石。これは予定地の土を掘って出てきたもの。
これが貴重なのです。
目つぶしの量としては土を掘って出てきたものだけでは不十分で、以前に購入していた砂利も加えました。
砂利と小石を一様に均して敷いたもの。
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ここでちょっと、コーヒーブレイク。
ちょうど鉄棒を刺してレベルを取っていた頃、主屋の屋根の上では“雪割り”の構造を作った棟梁のタカシさん(右)と建築板金のサイトウさんが、今後の作業のやり取りをしていました。
こういう場に割って入って話を聞いているのは、筆者にとっては至福の時です。
課題が出る、その解決のために思考をめぐらしてアイデアを出す…、職人が思いつき考え出す泉のような知恵には本当に感服ものなのです。
この日のタカシさんからの差し入れは、何とも、熊肉でした(笑い)。感謝です。
実はタカシさんは猟友会に所属するベテランの猟師でもあり、この2日ばかり前にこの近辺で捕らえた(彼はこの時は加わっていない)獲物の分け前が自分にも回って来(猟師に今に息づく平等分配の精神)、その一部を持参してくださったというわけです。
ありがたく、ありがたく。ごちそうさまです。
熊のお命、確かに頂戴いたしました。南無南無…。
なんてったって熊は、森の聖者、山の神様です。
その聖者にして神様が、ヒトと折り合いがつかないなら(ヒトが危険に及ぶのなら)対峙はいたしかたないこと。その対峙の末に倒された命といえど、その命を粗末にしたら罰が当たります。
食べることが何よりの供養、ありがたくいただいて次の生命の精につなげていかねばなりません。
フキ(蕗)やウルイ(ギボウシ/擬宝珠)やネマガリタケ(根曲竹)等の山菜(冷凍していたもの)に塩出しきのこと豆腐を入れて、(煮て灰汁を取り十分に柔らかくした)熊の肉を混ぜての熊汁は最高です。
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ぐり石を入れ、目つぶしの砂利を均して、下地をメッシュでおおったところ。
メッシュは結束線をハッカーという道具で巻いて互いを結んでいくのだけれど、実はハッカーによる結束はタカシさんに手取り足取りして教えてもらったこと。道具もお借りしました。
この段階で業者を呼んで生コンの量の見積もりを取ってもらったところ、2間×2間の広さで生コンの厚さは8~10センチで、だいたい容量は1.5立米(㎥)とのこと。
これは事前にタカシさんに予想してもらった数値と一致していました。さすがは大工の長年の勘です。
メッシュを整えた段階で、まんべんなく水を撒いているところ。
水を撒きながら小石と砂利の表面についている土分をどんどんと下に追いやっているのです。表面に土分があると、生コンの接着力が弱まります。
(筆者が笑いながらやっているのは、相棒のカメラマンが笑わせているため)。
と、6月24日に驟雨(しゅうう)です。バケツの水をひっくり返したような、強烈な雨。ちょっとここで横道にそれることを許したまえ…。
この、“驟雨”って言葉をはじめて知ったのは、筆者が18歳の頃に読んだ谷川俊太郎の記念碑的な第1詩集『二十億光年の孤独』創元社1952より「山荘だより 3」からでした。
この詩は今なぞっても、若者のみずみずしい感性がほとばしっていてすばらしいです。
からまつの変らない実直と/しらかばの若い思想と/浅間の美しいわがままと/そしてそれらすべての歌の中を/僕の感傷が跳ねてゆく/(その時突然の驟雨だ)
なつかしい道は遠く牧場から雲へ続き/積乱雲は世界を内蔵している/(変わらないものはなかった そして/変わってしまったものもなかった)
去ってしまったシルエットにも/駈けてくる幼い友だちにも/遠い山の背景がある
堆積と褶曲の圧力のためだろうか/いつか時間は静かに空間と重なってしまい/僕は今新しい次元を海のように俯瞰している/(また輝き出した太陽に/僕はしたしい挨拶をした)
驟雨によって建設予定地はいっときのプールとなり、図らずも筆者が出したレベル(水準)がほぼ間違っていなかったことが証明されたのでした。
偉大なるかな水! 確かなるかな、ワタクシの眼!(笑い)
そうして6月28日についに、生コン車が到着したのです。
生コンの投入ということで、生コンを配って均す作業はどう見通しても筆者ひとりでできるものではなく、援軍として棟梁のタカシさんにお願いしました。
投入された生コンを方々にスコップで配るのはひと仕事、これが難儀します。生コンは重いのです。
当然ながらタカシ師匠ひとりが配っているのではなく、筆者も動き回っています。
ネコ車に生コンをもらい受け、それを方々に配るのはワタクシの仕事でありました。
生コンの投入が終わり、筆者は自作のトンボで生コンの高い低いを調整しているところ。
タカシさんは、隅をコテで均してくれています。
いやあ、ほんとに助かりました。これ以上ない援軍でした。
そうしてコンクリート土間が出来上がったのです。
ようやくここまで来ました。大きな山をひとつ、越えました。
身体を使って働けば、全身が汗でびっしょり。
昼食の前にまず風呂に。
午後の部が終えれば、また全身が汗でびっしょり。
その日の道具を片づけ、翌日につながる段取りを整え…。
そうしてもう一度風呂に入って(ときにシャワーを浴びて)、さっぱりします。
それから、一日の作業の跡をいとおしんで眺めてビールをゴクリです!(笑い)。
夕暮れ時、石楠花(しゃくなげ)色の空に祝福されながら筆者は感慨ひとしおです。
汗をたくさんかいて働くのは楽しいなあ。気持ちいいなあ。明日もガンバルぞ、と。
それじゃあ、バイバイ!
以下、「軽トラに住まいを 3 基礎づくり」につづく。
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