製作の時間

軽トラに住まいを 1 整地

signalでは今回からしばらく、(連続にはならないと思いますが)何回かにわたってシリーズ「軽トラに住まいを」を記していこうと思っています。
筆者にとってのこうした作業の記録は写真つきの日記あるいは備忘録のようなもの、一方、(業者に任せきりにしないで)自ら小屋や車庫を建てることをお考えの向きにはちょっとしたガイドの役目をするかもしれず。また、建てないまでも家とか小屋とか屋根の掛かるものへの興味は暮しの足元を見つめることにもつながるやもしれず。
まあ、気楽につきあってください。

シリーズ第1回は、そもそもの“整地”です。

新型コロナウイルスの感染が今(2021年7月現在)にまで続いている状況、今年の当方に影響があったとすれば、2018年10月以来の当クラフト(ルーザの森クラフト)の展示会を昨年に続いて今年も断念せざるを得なかったことがあります。
移動に制限がかかるなか、米沢という一地方でのこじんまりとした展示会に筆者はあまり意味を見出せないのです。それで、今年も中止としました。
それから福島県会津は三島町の一大イベント(日本有数のクラフトフェア)“ふるさと会津工人祭り”が今年も開催中止となり、出店を予定していた身としてはこれにも拍子抜けの感は否めず。
展示会の開催と工人祭りへの出店参加はともに、準備OKなんですけどねえ。

コロナ禍の大状況のなかで「あれができない」「これもできない」などとブツブツ愚痴ってもはじまらないこと、それなら心機一転、筆者が大きな課題と目標としたのが薪小屋(クマ小屋。観光土産“熊出没注意”のプレートを小屋につけていたための呼び名)の解体と車庫の建築でした。とても気になっていたのです。
このふたつは気を引き締めて取り組まなければければ成し遂げること叶わず、しかも膨大な時間を要する大きな仕事です。

一念発起して薪小屋の解体に取りかかりはじめたのは5月3日のこと。

上物のすべての材料を撤去(今後の作業に生かせるものは釘を抜いて保管。腐朽したものや使えそうにないものは焼却など)したのが5月23日のこと。

予定地にかかっていた松の根切りが終えたのが5月30日です。

薪小屋入り口の踏み所にしていた埋設の枕木ブロックを撤去し(ほとんどを欲しいという友人にもらってもらった)完全な更地にしたのが31日のこと。
薪小屋の解体については既報の通り(signal「薪小屋を解体す」参照)です。

そうして解体は約1か月に及びました。
これを業者に頼めば、重機を入れて、人足ひとりとしても2日仕事だったでしょうね。ただし、材料は廃材となって釘抜きなどはせず、一括してトラックに積み込んでの産業廃棄物処理場行きでしょうが。
解体作業に素人の者が慎重に慎重を期してケガのないように注意し、ていねいに行うとは時間を要することなのです。それにしても小屋の解体に1か月とは時間のかかり過ぎ(笑い)。

当然ながら、こんなことを朝から晩までやっていたわけではなく、気分転換に山菜採りに歩いたり(ようやくめぐってきた春爛漫の5月だもの、ずいぶん頻繁に出かけました)、山に登ったり、裏磐梯にドライブしたり、山形まで映画を観に行ったり(それは、「ブータン 山の教室」)もしたのです。
1か月とはそういうことでもあります。

つくろうとする車庫(クルマの住まい)は我が愛車スズキ・キャリー(軽トラ)用のもの。
前に乗っていたキャリーは13年もの歳月を野ざらし状態、ためにセルモーターにはじまって電気系統やらなにやら一気に壊れてしまい、それで昨年12月末に乗り換えたのですが、今度は快適な(クルマの)住まいを提供したいと思ったのです。
先の軽トラには本当に申し訳なく思っています。

下は我が愛車スズキ・キャリー。軽トラはとにかく働きます。
重い荷物の運搬はもちろん、勤め人時代の職場への出勤も、遠出もこれひとつ。
(写真提供は那須野桂子さん)

予定地は薪小屋の跡地、広さとしては薪小屋よりは若干広い4坪(8畳/2間×2間。薪小屋は3坪/6畳/1.5間×2間)です。
ただ解体した薪小屋と大きく違うのは、今度は土間コンクリートを打設して、それから基礎を築き土台をのせて上物を立ち上げるということ。
筆者にしたら本格的な建築としては最後かもしれないという思いもあって(ホントかな?…笑い)、ほぼ自分だけの力で、建築の“いろは”の“い”からなぞってみたく思ってのことです。
建築というのはそれ自体ダイナミックですからね。“いろは”の“い”から、というのはさらに躍動的でワクワクする体験になるはず。

そうしてまずはじめたのは、予定地の地面の(地表面から約15センチほどの)掘り下げでした。
掘り下げて出た残土をそのまま単純に何処かに持ってゆくだけならそう難儀はしないと思うのだけれど、筆者の場合は土そのものを吟味して種類別に仕分けたいと思ったのです。
掘り下げた残土は木や草の茎や根と不純物(ゴミ等)と石と土とに分け、今後使えるものは取って置き、不要なものは廃棄し処分する。
気持ちとして、コンクリート土間の下地も吟味したかったのです。

ということで、熊手を使って、少しずつ、少しずつ。
この熊手、たぶん100円ショップで購入したものと思うけど、すごい道具だと思いますね。熊手なら、ちょっと引っかくだけで、混在していた物が大きさによって分離されていきます。これはある意味、感動です。
熊手がなければ、それこそ道具というものの初期段階の棒切れがその役目を担うでしょうし、それ以前としたら、手指そのものになりましょう。

石(砂利)はコンクリート打設のための下敷き(目つぶし)として利用するためのもの、土は今後畑や花壇に使えるかもしれぬと思って。

そうして、熊手と移植ベラで実にのん気にプリミティブにやっていたのですが、1日かけて進んだのは畳1畳分にも満たず。これには、まいりました(笑い)。
ていねいな仕事を心がけるのはいいことだけど、これではねえ。時間があまりにもったいない。

ここでちょっと横道にそれるけれども…、実は同時並行して、主屋を含めた大胆なメンテナンス工事も入っていました。
向こうに見えるは大工の棟梁、筆者がひと知れず師事する地区のタカシさん。
棟(むね/屋根の峰)に“雪割り”をつけてもらうため、屋根上げの本格的な工事の前にその構造体を作って運び入れてくれたところ。

雪割りは、文字通り雪を割る屋根部材です。屋根に積もった雪が長く留まらないようにと取りつけるものです。
昨年12月の大雪は異様なほどで倒木があちこちで発生したものでしたが、我が家では雪が高く積もって長く屋根に留まったがゆえ(雪は時が経つと気温や家屋の温度で粘り気が出るようになり、それが棟では餅のようになって左右の傾斜の雪をつなぎとめてしまう)、それが落下する際に我が家の生命線の薪ストーブの煙突をも巻き込んで、煙突が支柱もろともグニャっと曲がってしまったのでした(室内で聞いたその時の音は怖かったです)。こんなのはここに越してきて30年近くではじめてのことでした。
それで今後のことを考えての雪割りの設置です。ついでに、ヒュッテ(兼工房)とジムニー用車庫(兼物置)にもお願いしました。

土を掘り下げるということは、そこからさまざまなものが出てくるということでもある。これはまるで考古学の遺跡発掘調査のよう。
下は、出てきた金属類。
中には、スコヤ(直角定規)だとか釘締めなどの大工道具も。自転車のブレーキやボルトナット、ペグ、擬竹、電線なども。

出てきたゴミ類。プラスチックの食品容器類、ビールの缶、ガラス瓶の破片、ビー玉やブーメランなども(笑い)。
ヒトって、ずいぶんと地表を汚すものですね。こんなことをするのは地球上ではヒト属だけです。

元の住人の暮らしがうかがえるのはよいのだけれども、こうして土に埋めて(あるいは捨てたままにして)ここを立ち去ったというわけだ。
(筆者は、こういう立ち去り方はイヤだな)。
この発掘調査員が2021年の筆者ではなく100年後200年後のx君だとして、その時彼は何を思うのだろう。とにかく大変な量のゴミ類でした。

熊手と移植ベラでの残土の仕分けは(やりがいがあって、…笑い)いいのだけれどもあまりにも非効率と悟り、その時思い出したのは昨年に作っていた篩(ふる)い器のことでした。
昨年の秋は畑のヘリとその土をどうするかが目下の課題で、その中で浮かんだのが、効率的に土を篩って土と石などに分けることができる篩い器を作ることでした。
ネット情報で見てみると、X字の脚と篩い器がついた実に簡易なもので1万円を超えるぐらい。この構造ならあり合わせの材料で自分で作れるかも、と思いました。

枠の中の円形は市販の篩い器。
篩い器の下のメッシュはホームセンターからの頑丈なものだったかもしれない。
側板の下部のギザギザは前後に動かすときに篩い器全体に振動を与えられるようにつけた刻み。
最初はすべて鋭角にしていたのですが、これでは抵抗が大きすぎて前後進まず(笑い)、結果、角を落としました。

回転軸は丸棒を軸にしてそこに塩ビ管を通して、スムーズに回るようにしました。
回転軸台はハンドクランプで(コンクリートやモルタルを手練りする時に用いる)ネコ車に容易に固定できます。篩えば土がネコ車にたまっていきます(これは我ながら、グッド・アイデア!)。
上の網には目を通さなかった石や金属類やガラス片やゴミなど様々なものが残ります。それを仕分けていきます。

作業は熊手を使っていた時よりも格段の速さで進んでいきます。その効率たるや5倍くらいだったでしょうか(笑い)。
暮らしは何ごと、知恵ですよね。

ネリスコップ(モルタルなどを練るために作られている小ぶりな角型のもの)1杯分の土を盛って、篩って。

篩って、篩って。

土と分離された砂利がどんどんとたまっていきます。
この砂利は、やがて土間コン打ちのための重要な資材になっていきます。

良質な土もどんどんとたまりはするものの(畑にはもはや土がいっぱいで)行き場所なく(笑い)、それで敷地内の自生山菜のスぺースに仮置き。

そうして、徐々に徐々に掘り進めていったのです。

それにしてもこうも土に向かい合っていると、地球に触れているという妙になつかしい感覚になるのはどうしてだろう。
そうワタクシは地球人ということにあらためて気づかされるというか。

ときに炎天の下、圧倒的なみどりの森の中にワタクシがひとり。
孤独です。半分こころよく、半分、妙に落ち着いてゆくような孤独な時間。
ときにルーザの森にしてはめずらしいカッコウ(郭公)が鳴き、ときにアカショウビン(赤翡翠)やサンコウチョウ(三光鳥)がやってきては美声を響かせていきます。
ホトトギス(不如帰)の甲高い声とエゾハルゼミ(蝦夷春蝉)の唸るような音のシャワーは暑さを増幅しながら…。

あと、少し。

もう少し。

そうして、すべての土を掘り下げ終わったのは6月11日のことでした。ようやくここまできました。
ここに車庫(クルマの住まい)が立ち上がっていきます。
車庫の設計図もまだ引いていないのに、イメージは明確になってきています。

以下、「軽トラに住まいを 2 土間コン打ち」につづく。

それじゃあ、バイバイ!

 

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