山歩き

藤十郎まで

うっとうしいまでのじめじめとした日々が続きましたが、(東北南部は) この(7月)16日に梅雨が明けたということです。例年よりは1週間ほども早いようで。
昨年(2020年)の梅雨明けは8月に入ってからのことで、とても楽しみにしていた岩手山には現地入りしながら大雨のために登れずじまい。でも今年の遠出の山行(さんこう)はこの分だときっと大丈夫でしょう。小雨ぐらいならそれもよし、ですし。

筆者はこれまで(空とにらめっこをしながらではあったけれども)車庫づくりに専念してきました(現在は“基礎”がほぼ完成)。暑いのと蒸すのとその中での労働は体力を奪い疲労が蓄積し、このへんで休憩をはさみたいなと思っていたところでした。
それで17日、相棒のヨーコさんと連れ立って吾妻に行くことにしました。
東吾妻と西吾妻を結ぶ縦走路の(高層湿原の弥兵衛平より手前の)藤十郎まで。
今年の、月末の山行(岩手県南西部、奥州市胆沢と西和賀町の境に位置する焼石岳/やけいしだけ)への足慣らしを兼ねて。

この日の天候は終日晴れ、下界の最高気温は36℃という高温警戒の予報が出ていた日でした。
ロープウェイで一気に400メートルを上昇(着駅が1,350メートル)、3基乗り継ぎのリフトでさらに500メートル近くを上がります(リフトトップ/1,820メートル)。
ロープウェイの始点から乗っかっているだけで垂直約900メートルを押し上げてくれるわけですから、その気温差も想像がつくのでは。

この日は梅雨明け最初の休日ということもあって、始発からおおにぎわい(東京や関東ナンバーもちらほら、近隣の新潟、宮城、福島は多かったと思う)、帰りにリフトの担当者に聞いたところ、260人ほどの入山があったとか。
当山域が広く愛されているのは西吾妻山が“百名山”に数えられていることとともに、このアプローチの利便性にあるのは確かなようです。

日差しは強いものの、空気はひんやりとして、通りすぎてゆく風が気持ちいいのです。
リフト両脇に流れてゆくダケカンバ(岳樺)やオオシラビソ(大白檜曽)やコメツガ(米栂)の樹林も何とも健康的な美しさです。

下は、リフトトップの北望台にある鐘。
ここからは北に(空気が澄んでいれば)鳥海山や月山、北東に蔵王連峰、北西に朝日連峰、西に飯豊連峰という名だたる山並みを望むことができます。
西吾妻と鳥海山はともに山形県の南北の県境、直線距離にして約150キロ先が見えるのですから胸がすくというものです。

ここから歩くこと25分ほどでそこはもう森林限界(かもしか展望台/1,940メートル)となります。
藤十郎まではその先70分ほどの距離、ほんのハイキングのようなもの。

道々に出会ったのは…、

常緑小低木のアカモノ(赤物/ツツジ科シラタマノキ属。別名にイワハゼ/岩黄櫨)。
6月下旬には見事な群落を見せていたのでずいぶんと花期の長い花です。

筆者お気に入りの高山植物のひとつ、サンカヨウ(山荷葉/メギ科サンカヨウ属)は白い花びらを散らせて実をつけていました。
この緑色の若い実はもうすぐルビーのような青紫に変身していきます。

そこかしこに、ゴゼンタチバナ(御前橘/ミズキ科ミズキ属)。
葉が6枚に純白の花びらが4枚、とても均整の取れた美しさです。

モミジカラマツ(紅葉落葉松草/キンポウゲ科モミジカラマツ属)。
天元台高原から森林限界までの垂直600メートルにわたって分布しています。
このモミジカラマツという名は、花びら様のたくさんの白い雄しべがカラマツの若葉に似ているのと葉はモミジのようであり。

ミネヤナギ(峰柳/ヤナギ科ヤナギ属)の果実。白い綿毛がきれいでした。
ミネヤナギは下は天元台高原、上は森林限界でも見かけるのですが、何ともWikipedia(インターネット百科事典)やよく参考にする体系的な図鑑『原色日本樹木図鑑』(岡本省吾著、保育社1959)にも記載がないのはどうしてなんだろう。なぜ見過ごされるんだろう。
ようやく記載を認めたのは、『吾妻山の植物』(佐藤光雄著、歴史春秋社1995)です。

下は、エビガライチゴと思いきや、ちがいました。海老の殻のようで外皮はそっくりなのだけれど、こちらの葉は5枚の小葉ときています。葉はまるで異なっています。
よくよく調べたらこれは、つる性の落葉低木のゴヨウイチゴ(五葉苺/バラ科キイチゴ属)というものでした。
この同定には山形県立博物館の植物専門員の方にもご協力いただきました。感謝です。
赤い実(木苺)はもうすぐなのでしょう。“ぐりとぐら”にも教えなくちゃ(笑い)。
でも、つる性の木苺があるというのもはじめて知ったことです。

コケモモ(苔桃/ツツジ科スノキ属)の花。
やがて深紅の実をつけるのだけれど、この実を加工したジャムと果実酒はともに絶品です。かつて訪れた北海道の知床の土産物屋で購入して以来、大ファンになりました。
コケモモの生育環境というのは西吾妻でいえば1,900メートルより以上の“高山帯”でないと分布はなく、東北では概して国立公園に指定されているようなところです。
知床の加工品は“垂直植生”からして高緯度地ゆえの採取可能な地域のものか、あるいは栽培でもしているものか。まさか(知床)国立公園内のものを採取して加工販売というのは考えられないしね。それとも、環境省が天元台高原のネマガリダケと同じように採取も料理提供も販売も大目に見て、目をつぶっている?(笑い)。

下は、ウラジロヨウラク(裏白瓔珞/ツツジ科ヨウラクツツジ属)と、そのすぐ隣にガクウラジロヨウラク(萼裏白瓔珞/ツツジ科ヨウラクツツジ属)が。

このふたつはとってもよく似ているけれども、ちがいは要はヒゲのような萼の長さにあり。長い方がガクウラジロヨウラクです。
そもそもヨウラク(瓔珞)ですが、仏壇の隅から下げられる飾り具のようで、花のつき方がそれに似ているということのようです。似ているかなあ?
ガクウラジロヨウラクならルーザの森にもあります。
ガクウラジロヨウラクは日本海側の多雪地帯に多く、ウラジロヨウラクは太平洋側に多く分布するとのこと。
ウラジロヨウラクが西吾妻で見られるのはめずらしいことかもしれない。

西吾妻の名花のひとつでもあるチングルマ(稚児車/バラ科ダイコンソウ属)。落葉小低木。
花期はほぼ終えており、(伝統色でいえば)灰桜色の実は綿毛をまとってジサマ(爺様)のヒゲのようであり、赤子のポシャポシャの(耳の脇の)髪の毛のようであり(名の由来は後者から)。
それにしても、白く大きな花びらといい、花びらが散ったあとといい、そしてヒゲ様(よう)の実といい、これほどの三様三態の変身術を使う者も少ないかも。

下は花びらが散った株。

花期(6月中旬)のチングルマ。

クロマメノキ(黒豆木/ツツジ科スノキ属)の花。
いわゆる和製ブルーベリーです。熟した実をひとつふたつとつまんで口にすると、とてもジューシー。
一切経山を含む東吾妻一帯もそうだけど、吾妻連峰にはこのクロマメノキがとても多く分布しています。

イワイチョウ(岩銀杏/ミツガシワ科イワイチョウ属)。
葉の形が(若い)イチョウのそれに似ているからとか。ちょっと、無理があるかなあ(笑い)。

イワオトギリ(岩弟切/オトギリソウ科オトギリソウ属)の可憐な黄色。
里にあるオトギリソウ(弟切草)の高山型です。

筆者のとても好きな高山植物のひとつ、ミヤマリンドウ(深山竜胆/リンドウ科リンドウ属)の青い星。
栗駒山にもたくさん咲いていたけど、西吾妻は道々そこかしこです。

西吾妻の7月を彩る真白いコバイケイソウ(小梅蕙草/ユリ科シュロソウ属)の花。
たくさんの株が咲き競っています。登山道はコバイケイソウの道といっていいくらいの。

下は、花のあとに種になりかわろうとするコバイケイソウ。

上にはいろんな花々をあげてきたけど、7月初めの山に寄り添うのはワタスゲ(綿菅/カヤツリグサ科カヤツリグサ属)が秀逸です。
福島県は桧枝岐村(ひのえまたむら)の御池(みいけ)からの尾瀬への道、燧裏林道(ひうちうらりんどう)の道々にもワタスゲが印象的だったけれども、この藤十郎への道も格別です。

ワタスゲの背景は吾妻連峰のピーク西吾妻山(2,035メートル)。
西吾妻山はオオシラビソに覆われたたおやかな山です。

木道の脇にもたくさんのワタスゲが。

そして藤十郎までの道々に点在する池塘(ちとう)の数々。
空を映して、雲を映して、池塘の風景というのはどんなにか心を和ませることか。

急にガスがかかって。

下は、人形石から東方の藤十郎に向かう下りの道。
木道が見えるあたりが小凹(こくぼ)です。木道の先の小山が藤十郎(1,860メートル)です。

そしてこの時期圧巻なのが、ハクサンシャクナゲ(白山石楠花/ツツジ科ツツジ属)の花々です。
江間章子の詞による(作曲;中田喜直)「夏の思い出」の中に、“石楠花色にたそがれる/はるかな尾瀬 遠い空”という部分があって、この歌の好きな筆者はこの花の色に日々の夕暮れを重ねています。
ハクサンシャクナゲの、白から濃いピンクの韓紅(からくれない)までのスペクトラムの美しさはたとえようもなく。

シャクナゲを愛でながらの稜線歩きは楽し。

西吾妻にはハクサンシャクナゲとともに米沢市の花ともなっているアズマシャクナゲ(東石楠花)があるのだけれども、なかなかお目にかかれないでいます。
花は濃いピンクにして、葉の裏が綿状の毛が密集しているのだそうで。

藤十郎を過ぎて、藤十郎分岐(1,820メートル)に着きました。
ここを(北へ)左折すると秘湯中の秘湯、大平(おおだいら)温泉の滝見屋旅館に至ります。
昨年の秋にここより下ったのだけれど、アップダウンが少なく、勾配もゆるく、とても歩きやすい道だったことを思い出します。
また行きたいな、大平温泉。

それにしても藤十郎、ひとの名がそのまま山の名というのはめずらしいことだと思うけど(飯豊連峰の西に“藤十郎山”という山はある)、藤十郎とはいったいどんなひと? 登山道の開拓をしたひと?

来た道を戻って、人形石(1,964メートル)で昼食休憩。
相棒は何やら、おしゃまなポーズ(笑い)。

那須からおいでだという登山者とともに遠くをながめながら、あれは磐梯山? あれは一切経山! 安達太良?…。

岩陰での昼食ののちに。

帰り道に出会った、ギンリョウソウ(銀竜草/ツツジ科ツツジ属)。
腐生植物の代表例とのこと。
筆者は透明な白が美しいと思うけど、見るひとによっては不吉を感じてしまうのだとか。別名にユウレイタケ。

帰りはいつものように人形石より北回りのコースをたどったのだけれど、道々思うのは、山道は険し、山道をいつまで歩けるだろうということ。
山の道は(特に下りは)危険がいっぱいです。でこぼこした大きな岩や石を乗り越え乗り越え、刻々と変化する場面場面を瞬時で脳が判断して足(脚)に次の置き場/踏み場を信号として送るわけです。その判断材料が欠けたり、判断が誤った場合は即転倒という事態になりかねません。
つまり、山を歩くというのは神経反射の連続で、この連続に耐えられなくなると歩けなくなることになります。よって山歩きは脚を含めた全身運動であり脳を絶えず刺激するということ、そして何よりの健康のバロメーターなのです。

そして思うのは普段の生活です。
平坦な道、段差を解消する歩道(時に、等間隔で連続する階段)、寒ければ暖め、暑ければ冷やし、食べたければ銭を握りさえしていればほどなく手に入る…、住んで暮らしている環境がひとにとっていかに過保護であるかは明らかです。
環境が整っているということは、健康を保持し丈夫な身体をこしらえていくことへの阻害要因になっていることも確かなことで、それを意識するしないは大きな分かれ目でもあると思います。特に便利と快適を旨とする都会暮らし(町暮らし)にどっぷりというのは、老化を早める機能となっているのかもしれず。
そんなことも頭をよぎったりもしたのでした。

そうして、藤十郎までの快適な山歩きを終えました。下山のあとは麓の温泉で汗を流してさっぱりしました。
日々の労働の疲れなどどこへやら、また明日から頑張れそうです。

そうしてわが家に戻ったのだけれど、その暑さといったら何なんだ!(笑い)。
市街地より130メートルほども高いルーザの森にしてこれですからね、市街地は生き地獄?(笑い)。
まあ、米沢は盆地だから仕方のないことだけど。

もう少しの暑い日々、わが家にはエアコンとかクーラーはないし、耐えられなったら水風呂に日に2度3度とジャボンですかね(笑い)。

それじゃあ、また。バイバイ!

 

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