森の小径製作の時間

雪原ハイキング

 

リビングに居て、どうも違和感を覚えるなあとずーっと感じていたことのひとつがカップボード(cupboard。ネイティブなら、“カバド”というらしい)の色でした。もう28年もの長きにわたってつきあっているのだけれど、どうもしっくりとはきていなかったのです。
白からブラウン系の室内にあって、濃いグリーン系の家具の色は溶けていかない。

この棚は1992年頃に職場で廃棄物として出たものをもらってきたもの。医療棚として使われていたもので、正面と側面にガラスがはめられた、時代を感じさせるものです(約60年の時を刻んでいるのでは)。
もらってきた当初は表面の透明クリアラッカーがそこそこ剥がれまだら模様でみっともなく、塗装をし直さなければと思って安直にもあり合わせの塗料を使ったのだけれど、これがいけなかった。

それでこの際、思い切って、気合を入れて、再塗装をすることにしました。
正面の扉のガラスをはずして(時代物というのは組み立ての原理は割と単純です)、金属の取っ手はすべて抜き取って、磨いて。
ネジを回して蝶番を取って正面の扉自体も外したかったのだけれど、ネジは時代感のある溝が1本切ってあるもの(日本でいうところの“マイナス”もの)でスクリュードライバーで回そうとすればネジ全体に錆が入っているのか回らず、無理に回せば頭がすぐにもつぶれてしまいそう。それで取り外すのはやめにしました。

入念に入念にマスキングをして。
塗装の8割は、塗料がついてほしくないところをどうやって隠すか保護するか、いわゆるマスキング如何にあります。この作業に手を抜かなければ、塗装はほぼ成功というものです。

購入してきた(塗料缶に記された)色は“コットンホワイト”、一般には“オフホワイト”というものでしょうか。雪のように輝く白に対してほんの少しだけ黄みが入ってくすんでいます。
我が家のカップボードはこれでイメージ通り。これで積年のモヤモヤもすっきりしました。根をつめただけのことはありました。

この先、このカップボードにどんな運命が待っているものやら。
使おうと思えば、筆者がこの世にいなくなったそのずーっと先、100年とか200年はゆうに持つでしょうね。塗装というのはそういうものです。

塗装のあとさき。

2月の後半になっても幾度かの吹雪に大雪があって。

カップボードのひと仕事を終えると、解放的な日がやってきました。長く、重く、苦い季節からのようやくの解放です。
この日2月28日は最低気温がマイナス10℃を下回り、そして晴天が約束された一日。
こうなるともう外に出るしかない、待ちに待った雪渡り(堅雪渡り)ができます。

ヒュッテ前のトウヒ(唐檜/マツ科トウヒ属)の針葉も凍りついて。

現在の我が家。
左上のクルマを基準として、雪の状況が把握できます。そして、ものみな氷の世界です。

現在の自然積雪深は160センチほど。
25日には一気の降雪で180センチちょうどまで増えたのだけれど、このところの日中の気温の上昇でずいぶんと解けて嵩(かさ)を減らしました。そして放射冷却によって表面が凍りました。
雪が解けて、沈んで引き締まり、解けた表面が凍って…、これが雪渡りの条件なのです。

今冬の雪のすごさを物語る太い松の倒木。
我が家から50メートルもないところで。

スノーハイキングの楽しみのひとつは、動物の足跡ウオッチング。
この足跡は間違いなくイノシシ(猪)。
イノシシは脚が短い上に体重が重いときています。よってイノシシが歩いた跡というのは、やおらU字溝を渡すようなこんな深い溝が切られていきます。

早春を思わせるせせらぎ、反射する早春の光。
川の両側にイノシシが横切った跡がくっきりと。

これはオコジョ(山鼬鼠)? それともタヌキ(狸)?

これはリス(栗鼠)君!
筆者はここらで縞のあるリス(シベリアシマリス/リス科シマリス属)と濃いグレーのリス(ニホンリス/リス科リス属)の両方を見たことがあるけれども、これだけではどちらかは分からない。
何か、うれしそうに行ったり来たりしています。

これはカモシカ(羚羊)君。
カモシカとイノシシの足跡だけをみれば同じふたつ爪、とてもよく似ているけれども、脚の長さのちがいがはっきりです(笑い)。カモシカは雪面に腹を擦(す)ったりしない。

んん? これはヒト属の足跡らし。ずいぶんと楽し気なようで(笑い)。

ハンノキ(榛木/カバノキ科ハンノキ属)がすっくと天を衝いて。

ハンノキが黒い果実をたくさんつけて。

ハンノキの群落。
ハンノキはこのように谷地(湿地)によく現れます。
山手の耕作放棄をした田んぼはやがてハンノキ林になっていきます。
このハンノキの芽吹き前の少しだけ赤の混じった色彩……、これが筆者たちの、何とも言えない早春のきざしでもあります。やがてここは美しい若い緑の林になっていきます。

朝の木立ちの、コバルトの長い影。

雪原は広々として。
この雪の下には、たくさんのフクジュソウ(福寿草)が花咲く時を待っています。それから可憐なカタクリ(片栗)も。
そしてタラノメ(楤芽)にコシアブラ(漉油)にハリギリ(針桐)、ワラビ(蕨)にゼンマイ(薇)に、そして何より山のアスパラとでもいうべきシオデ(牛尾菜)が。これらの山菜がこの下で静かに息をしているのです。もうそれを思うとワクワクゾクゾクします。

この場所、古地図の小字名では“綱大平”となっているのだけれど、誰もそんなことは知らないし我々とてなじみ薄いもの。それでここを(例えば“西森”とか)いろいろと呼んできたのだけれども、相棒のヨーコさん曰く「“牛尾菜平(しおでだいら)”がいいんじゃない」。うん、これはよい命名かも知れない。

これが名前の由来のシオデ(牛尾菜/サルトリイバラ科シオデ属。秋田ではヒデコというのだそうで、知り合いのヒデコさんが喜んでいました)。
細いものは同属のタチシオデ(立牛尾菜)。
とてもおいしい山菜です。
写真は昨年の5月末。

林床には可憐な花々が咲き乱れた鬱蒼とした森だったこの場所は3年前に皆伐されて切り開かれ、今やすっかり杉の植林の場と化しました。
それは一見味気ない風景になってしまったのだけれど、わずかな時間にさえ野生の復元がなされてきたのです。
何とフクジュソウはすぐに息を吹き返し、追ってカタクリも咲き出し、それから素晴らしい何とも感動的なシオデが出るように(見つけやすいように)なってきたというわけ。
ここはあと15年20年もすれば杉の苗木は育って風景は一変するだろうけど、それまでには花や山菜などのたくさんの楽しみを提供してくれるでしょう。
冬にはこんなふうな雪渡りのフィールドとしても。

雪渡りの頃というのはワカン(輪樏=かんじき)やスノーシューなどなくても雪の上を縦横無尽に歩けるのだけれど、こういったものを装着すれば万全です。
時に杉林の中を通ったりする場合は日光が届かないために日中に雪が解けず、したがってそこは凍ることなくサラサラの雪が覆っていることもあって、こういうところを通るときには長靴ではアウト。それから、木の根元は雪が崩れやすくなっており(木の幹が持つ熱で回りの雪をじんわりと解かしている)、こういうところにも危険が潜んでいます。ということでのスノーシューなのです。
下は160センチもの雪があるというのに、この通り。

雪原は粒々した光の集積、まるでダイヤモンドの砂が一面にまかれているよう。
相棒は雪に倒れ込んで、「うーん、真っ青な空!」と。

仰向けになって手足をパタパタと。
ナスカの地上絵もビックリの図が現れて(笑い)。

いやあ、毎年のことながら雪原ハイキングは気分がいいです。この時期ならではの素晴らしい時間、清々します。
休憩に熱い紅茶を。家で作ってきて、保温ボトルに入れて持ってきました。

家のすぐそばの笊籬溪(ざるだに)、天王川(最上川源流のひとつ)の現在。
もう少ししたら、雪解け水の轟音が溪全体に響き渡ることでしょう。それは何という喜びであることか。
四季のはっきりしたみちのく東北に住んでいることの幸いをつくづく実感します。春はこうしてやってくるのです。

水はどこまでも澄んでおり。

雪原ハイキングは楽し。


カレンダーめくれば春が迸り

3年ほど前の「朝日川柳」(朝日新聞)にあった句だったと思う。いい句です(作者名が特定できないのが残念)。
句のよう、3月の声を聴いたとたん、春が迸(ほとばし)りはじめます。

翌3月1日は、筆者はひとりで歩いてきました。
筆者愛用のフランスはTSL製スノーシュー。

優雅にお茶を飲んでいるのは近くの凍った笊籬沼の上。
流れがあるところだけは氷が解けはじめています。
水はやがて落差10メートルほどの滝となって天王川に落ちてゆきます。

アシ(またはヨシ。葦、葭/イネ科ヨシ属)はもう少しで角ぐむでしょう。

ここは広大な谷地。その一角が笊籬沼です。

帰り道にあったクリ(栗)の落ち葉。
雪原の表面から5センチほども沈み込んでいますが、風に舞って落ちた葉が太陽の熱を受けてそこだけを解かしたのです。これも、小さな春のきざしです。

雪のハイキングをひとしきり楽しんで、筆者は今、いつものように工房にこもっています。
昨年の今頃に手がけたバターナイフの数々の試作品から、デザインをより抜いて規格化しました。バターという食材、それを掬(すく)ってパンに塗るという行為、これをなすための機能をデザイン化しての製作は実に魅力的な作業なのです。
この秋にも予定している第2回目の展示会ではドアリラを主にしつつもカトラリーも少々加えたいという希望があり。

下は昨年の試作品の一部。デザインを一から起こしたルーザの森クラフトの完全なオリジナル。
ひとつずつが微妙に違う形状で、握りや掬いの具合などをいろいろと試していました。
何人かにモニターをお願いして、使い勝手の意見を頂戴したりもしました。


今はデザインを規格化した1種100本(樹種はハルニレ、サクラ、セン、チーク)ほどのバターナイフを一気に手がけていますが、このぐらいの数を相手にしていると工程が明確化されて、作業はより精確にそして合理的に純化していくものです。
ものつくりでは、この、数をこなすということがとても大切だと思っています。
静かな静かな森の中に、ひたすらにサンドがけをする音が響く工房の時間です。

窓からは、早春のまぶしい光。

「(こちらは)雨が止んで、木々の芽が吹きだしています。山がもこもこ盛り上がる照葉樹の森の春の始まりです」とは屋久島の友人からのたより。

一方こちらは、昼にはシジュウカラ(四十雀)がさかんに遊びに来て、夜はフクロウ(梟)が啼きはじめたルーザの森。ここはまだまだ雪は深いけれども、春に向けての新しい時間が動きはじめました。

それじゃあ、バイバイ!

 

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。