森の生活

おゝ、フレデリック!

雪国では、立春を過ぎたとて寒気団はくりかえしくりかえしやってきて、手がつけられないほどの大雪に吹雪はままあること。
今冬は特に厳しく、正直、ほとほとです。雪は容赦なく、体力と気力を奪っていきます。
60代半ばの(まだ衰えの覚えのない)筆者にしてそうだから、高齢であったり頼る者が他にいない立場だったりのひとなら、どんなにか心細いことか。

筆者は現在、日常的に家にいるのでその時々の状況に対処のしようがあるのだけれど、勤めを持っていた時分も大雪と吹雪は来ていたはず。
ふりかえってみると…、ふだんはできずにため込んだことを土日に集中し、夜の雪の降り方次第では早朝4時に起き出しさらには帰宅してから深夜にかけての(時には吹雪をついての)除雪ということもたまにあり、それでも立ち行かない場合は年次休暇や特別休暇を取って対処していたように思います(対処というより“対峙”の方がふさわしいかもしれない)。
そうでもしないと間に合わなかった。

下は、主屋(母屋)の玄関口の、扉と郵便(新聞)受け。吹雪の襲来。

外は猛吹雪。
こういう時は特別の用事がない限り、家の中にいるのが無難です。
これが一日中あるいは二日に渡って続くことがあるけれども、こうなると想像するだけで恐怖を覚えます。変に外に出たりすると危険がいっぱいです。
当然ながら、こんな時のクルマの運転はアウトです。

吹雪がようやく収まって。

吹雪のあとの笊籬溪(ざるだに)、天王川の流れ。

雪原の中の(風による雪の吹き飛ばしや吹き溜まりが防げる場所に設置している)積雪計。現在はちょうど180センチを示しています。
黄色と黒の帯ひとつが20センチ、下の赤の区切りが200センチラインです。上の赤は250センチラインで、棒のトップが290センチ。

ここに越してきて28年になるけど、ここ10年に限って言えば(それ以前は計測していない)2013年の2月末(26日)に積雪深265センチを記録しています。
記憶とすれば、05年と06年もすごかった。
06年は米沢市中のデパート最上階に入居していたボウリング場の天井が崩落したということもあったなあ。

下は、2月10日現在の、公道(林道)からの我が家へのアプローチ。
除雪機で雪を飛ばしていることもあって、両脇の壁は筆者の背よりも高くなっています。

屋根からの落雪の瞬間。タイムリー!(笑い)
この直下にいたら、冗談抜きに、即、お陀仏です。

とはいえ、朝ごとに眺める同じ風景にしても、日によって外気が緩んできて少しだけ春が近づいてきていることを感じることがあります。
そうすると思わず自然に、口について出ます。「春だねえ」。
微妙な物言いかもしれないけれど、空気が甘く感じられるのです。春のにおいと言ってもいいような。

笊籬溪にかかる笊籬橋すぐわきのヤマハンノキ(山榛木/カバノキ科ハンノキ属)の松かさ状の果実。

甘い気がただよう空。

2月に入って、シジュウカラ(四十雀/シジュウカラ科シジュウカラ属)をよく目にするようになりました。
ウグイス(鶯/ウグイス科ウグイス属)も、(啼きはしませんが)工房に飛び込んでくることも。
野鳥の動きが活発になってきました。

yakimujyより

シジュウカラがトウヒ(唐檜/マツ科トウヒ属)に、出たり入ったり。
ともすれば松ぼっくりの中に潜む種をつついているのか、夏場の乾燥時に開いて下に落ちた種をついばんでいるのか。

シジュウカラは薪小屋への出入りも頻繁で(薪にはフンがついていたりもする)、目的はカメムシ?
カメムシは薪の隙間に入り込んで仮死状態になって冬を過ごすことが多いのですが、それを狙っているもよう。
みんなみんな生き延びるのに必死なのです。

こちらは、にっくきアオゲラ君の仕業。車庫の正面のつつき跡。主屋もこれで何箇所かやられています。
アオゲラもカメムシ狙いというのがあるかもしれない。
あるいは本格的な狩りのためのドラミングのウォーミングアップ、ヒト属が朝によくやっているラジオ体操のようなものかも(笑い)。

そうして筆者はこの時期、あるネズミ君の物語を思うのです。
あらすじはこうです。

夏場、ネズミたちはみんな冬に備えて昼も夜もせっせと働いて食べ物を蓄えました。でも、1匹だけは別。
どうして働かないのかと聞く仲間たちに、そのネズミのフレデリックはこうのたまうのです。
「こうみえたって働いてるよ。お日さまの光を集めてるんだ」と。
また聞けば、「色を集めてるんだ」と。
さらに聞けば、「ことばを集めてるんだ」、それが仕事なんだと。
冬が来て、楽しく過ごしていたのもつかの間、たくさんあった食べ物も徐々になくなり、しまいには尽きて、みんなはおしゃべりをする気にもならなくなりました。
そしてみんなは思い出したように聞きました。「きみが集めたものはどうなったんだい?」。

そこでフレデリックはいいます。
「目をつむってごらん。君たちにお日さまをあげよう。ほら、感じるだろ、燃えるような金色の光…」。

みんながせがんでさらに聞けば、「もういちど、目をつむって!」って。
そしたらみんなには青い朝顔、黄色い麦の中の赤い芥子、野苺の緑の葉っぱのことを話し出すと、心の中にぬり絵でもしたように、はっきりと色を見たのです。
「じゃあ、ことばは?」と聞くと、せきばらいをし、ちょっと間をおいてから、舞台の上の俳優みたいにしゃべりだしたのです。……(以上は筆者の意訳)

そう、上はレオ=レオニ(1910-99)の、絵本『フレデリック』(1967/New York。1969好学社)。
さすがはレオ=レオニ、この世界は見事です。

厳しい冬にこの物語はぴったり。
この主人公のフレデリック君は、暗く長い厳しい冬にあって、暮しを維持していく上で食糧は大切だけどそれだけではない、想像やあこがれや希望、いわば無形の糧ともいうべきものも大切なんだというわけです。
(これを私たちは“文化”や“芸術”、もしくは“思想”あるいは“哲学”というのですよね。ここでは“詩”ですかね)。
それは冬という場面設定ではなくても、やや大げさに言って、“人生”という長いスパンにも当てはまるのかもしれない。
今でなら、先行きの見えない新型コロナ感染の惨禍の時代にも通ずるような。
いずれにしても大切なことは、目先のことだけじゃ、ないということ。

で、筆者もフレデリック君のありがたい話に耳傾けたというわけです。
あと少し、あと10日したら希望の春は見えてくる。春の足音が聞こえはじめる。
こうしてイメージされるあこがれの色や音やにおいや言葉が春を呼び起こすんだと。呼び込むんだと。

そんなことを願い祈って…、
赤いリンゴを、大きなやちむん(沖縄の陶器)に。

笹野花(木を削って作った花。米沢は笹野集落に伝わる民芸品)を、仏間に。

この時期にはいつもの、福島県郡山は高柴デコ屋敷の張り子のお雛様たちにご登場願って…。

千葉の友だちからはメールで、「水仙や梅や桜(河津桜)が咲いています。今日は畑でブロッコリー、ネギを収穫。白菜と大根も」と伝えてきました。
それはもう、筆者たちにしたらまごうことなき春の景色。
でも、そちらはそちらの春、こちらはこちらの、やがて来る春です。

そして筆者はこの時期、グレン=グールド(1932-82)のピアノによるバッハの「ゴールドベルク変奏曲BWV.988」が聴きたくなります。
粒立ったピアノの音のひとつひとつが、春の足音のようなのです。

久しぶりのまぶしい光に、濃いコバルトの影。
もう少し、あと少し。

それじゃあ、バイバイ!

 

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