森の生活

今日のひと針

前回のクリスマス前の寒波では倒木があったり停電が発生したりとてんやわんやの事態。その大雪にともなって、雪下ろし・除雪・排雪と動きに動いて働いて身体全体がミリミリ、息がヒーヒーでした。それに間を置かずに、今度は年末年始の寒波です。
こうした連続した寒波の襲来はこたえるなあ。

リビングから見える薪小屋(キツネ小屋=キツネのプレートが掲げてある)の端に積雪を計るためのバーを取りつけてみました。
白または赤のひと区切りが20センチ、とするとぱっと見の屋根の雪は40センチほどに見えます。が、実際は70センチぐらいです。屋根の雪は山のようになっていて、際(きわ)で見えているよりもずっと多いのです。
でもこれで、積雪の目安がつきます。雪下ろしの目安にもなります。

トウヒ(唐檜/マツ科トウヒ属)がまたもやアイスモンスターに。
クリスマスの頃はピエタ(十字架から降ろされたイエスを抱く聖母マリア)に見えたものだけれど、今回はシロクマ君に見えるんだなあ(笑い)。しかも、何人かのシロクマがいたいけな子どもを抱いて悲しみを癒しているような。
これは筆者のコロナ下の心理的反映だろうか。

千手観音にも匹敵する何人もの手。

我が家の前を通るのは林道にして砂利道。
“林道”というのは、道路法に定められたものではなく森林法による呼称なんだとか。したがってここは(米沢)市の管轄でないために、筆者たちがここに引っ越して来るまでは除雪の対象からはずれていたのです(筆者の家を施工した業者が市とかけあってくれて除雪をしてもらえるようになった。1993年冬より)。

で、いまだ舗装ならずです。
今では砂利道はきわめて珍しいものになっているため、これはこれでいいなと思っていたのは事実。けれども冬分に関してはたいへんです。除雪車によって砂利混じりの雪が(時には直径が30センチもの巨大な石までもが混じって)運ばれ、その壁ができるのです。
こうなるとクルマの出入りは無理、少なくとも車庫の前と主屋への入り口は壁を取り除かなければなりませんが、こう砂利や石が含まれていては除雪機で雪を飛ばすことはできません。
除雪機が砂利を巻き込むことによって機体の塗装がはげ落ちてしまい、それが原因で雪が機械にくっつきやすくなりそこから錆がはじまります。さらには、大きな石をかんでしまった場合は除雪機の安全機能が働いて、回転軸とオーガ(雪を巻き込む刃)を結束している金属ピンが切れてしまいます。
砂利や石混じりの雪は機械にとって負荷とリスクがあまりに大きいのです。分かっていながら動かすことはできません。
そうなると、除雪車が通った後には人海戦術、スノーダンプの登場となります。これが結構な重労働です。

我が家のスノーダンプは今は金属製のものを使っています(鉄製1台、アルミ製1台)。
かつてはプラスチック製や、アクリル樹脂に似たポリカーボネート製を使っていましたが、雪への刺さり、雪上の滑りなどその除雪性能は格段に違います。雪下ろしの専門業者がこぞって金属製のダンプを使っているのを見て購入を決めたのでしたが、やっぱりでした。ただし金属製ダンプは性能に見合って高価です。8,000円ほどはしたでしょうか。
雪下ろしにも、今ではこれなくしては考えられません。

雪が降れば、折を見て除雪機を動かします。早朝に、昼に、夕方に、夜にと、とにかくフル回転となります。
下は、リビングの南側の落雪を飛ばしているところ。

この除雪機は3シーズン目、Honda社製の13馬力のものです。オーガのリフトアップができ、雪の高さ80センチまでの対応が可能です。
除雪機はここに移り住んだ1990年から使いはじめてこれで3台目になります。今までは11馬力だったのですが、やはり馬力が上がると仕事の能力・能率は格段に上がることを実感しています。

突然だけれども、筆者が私淑(ししゅく)するのはアメリカの思想家ヘンリー=デイヴィッド=ソロー(Henry David Thoreau 1817-62)です。森の生活にあこがれ、森に暮らしたいと思ったのはソローの導きといってもよく。
ソローについては、絵本作家にして造園家のターシャ=テューダー(1915~2008)も最大級のリスペクトをしていましたね。尾瀬は長蔵小屋の2代目主人、平野長英(1903~88)もそうだった。レイチェル=カーソン(1907~64)は分かるにしても、マハトマ=ガンジー(1869~1948)も強い影響を受けたみたい。
ソローは自然博物だけでなく、パーソンや“個”を尊重する思想も顕著だったし。

その彼の代表的な著書が『森の生活』(WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS/1854)です。筆者の変わらぬバイブルであり、もうめちゃくちゃ線が引かれ、薄汚くなっています。この書はいつ読んでも心を照らします。ひと言でいって、ソローというのは清純ですね。
その『森の生活』にこんなくだりがあります。

“なぜわれわれはこうもせわしなく、人生をむだにしながら生きなくてはならないのであろうか? 腹も減らないうちから餓死する覚悟をきめている。今日のひと針は明日の九針を省く、などと言いながら、明日の九針を省くために、今日は千針を縫っている”。※飯田実訳、岩波文庫1995より
今回の記事の表題「今日のひと針」はここからとっています。

ソローのこの文言の背景をざっくりといえば、「ひとはあくせくと働く必要はない。だいたいあくせくと働かなければならないのは受け継いだ財産や土地があってそれを守らなければならないから、あるいは自分に不相応なぜいたくな暮らしをしたいと望んだりするからだ。住む家がほしければ自分で作ればよい。家を作るのでも考えて工夫さえすれがそうむずかしいことではない。無駄な労働と時間を、自由に楽しく充実して生きていくために使うべきだ。簡素に暮らしてゆこうとするなら労働はわずかなもので十分だ」ということだと思います。だから、根本的に労働観を変えようと。

wikipedia

この箴言(しんげん)はもう150年以上も昔のもの(発行の1854年というのは日本史年表に当てはめれば江戸末期の幕末、ペリーが来航した時期に当たります)。その先見性は驚異的です。
『森の生活』は全篇、この調子のアジテートだけれど(ソローは若い学徒に向けて語りかけているように思われる)、この世界に惹かれるんだなあ。
そうしてソローは森の生活を愛し、森の語る言葉に耳を傾けて学び、その偉大さに首(こうべ)を垂れるのです。

とはいえ、こと雪のこととなれば話は別です。まさに、「今日のひと針は明日の九針を省く」(今日のひと針でほころびを縫い繕うことができるものを、それを怠れば明日にはほころびが広がって10針も縫うことになる)、「今日の雪のひと掻きは明日の九掻きを省く」のです。

とにかく今日やれるところはできるだけやる、今日やれば明日は少しは楽になる、今やれるところをやらなければ、そのつけがのちに重くのしかかる。
怠ったがために、小屋に通じる道はすでに除雪機が入れる状態ではなく、下ろした雪と小屋そのものが同じぐらいの高さになり、あとは崩壊の危険のないよう小屋を掘るばかりとなった苦い経験が筆者にはあります。
怠慢は命取り、せっせせっせと日々少しずつでも雪と闘うのがよいのです。
この覚悟(行動様式や習慣)がないと雪深いところで暮すのはむずかしいのでは。雪とともに暮らすのは苦痛でしかないのでは。
体力気力が衰えた老人が雪をただただ疎ましく思いただただ忌み嫌い、雪のない地方にあこがれるのはまさにこのためです。闘ってしのぐことに耐えられなくなるのです。

今季、2度目の雪下ろし。
これまではシーズンで3度ということはあったけど、これから本格的な雪の季節というのにもうすでに2度というのは今季がいかに異常な気候かということが分かります。

でもね、こういう試練が時にこころよく思うこともあるのですよ、筆者には。ヒトは自然に対して何がしか思い上がって生活しているものだけれど、こういった逆らうことができない現実は少しく謙虚になる機会を与えられているようにも思うから。姑息に生きたくはないですからね。
それから、一度でも“あの春の輝きの美しさ”にこころ奪われたなら、そんな苦い思いさえもへっちゃらになるのかもしれないけれど。筆者たちがそうであったようにね。

下は、クリスマス前の寒波で積もったヒュッテの屋根の雪が落ちて、時間とともに相当に沈んだところ(落雪当時は落ちた雪が屋根まで届いていた)。
そしてそのわきを除雪機でしっかりと十分過ぎるほどに掃いたところ。

下は、ヒュッテの落雪を除雪機でのぞいて、掃いた部分に雪を移動させたところ。
つまり、除雪をするには飛ばして雪を移動する場所の確保を見通しておかないといけないということです。
じゃあ、きれいに掃いた雪はどうしたのかって? それから、そこに移動した雪はどうするのかって?
そこは筆者は少しく狡猾(こうかつ)、夜間あるいは早朝にクルマの通行がない時間帯を見計らって、雪を道路方向に飛ばします。その道路に(意図して出すわけではないけれども)降りかかったものは除雪車が持って行ってくれるという手はずのゆえ。

車庫に格納している除雪機。


本当はここ(右側)も車庫スペースにと作ったのだけれど、かのサンテンイチイチ(2011.3.11)およびその関連の地震で梁4本中の1本が継ぎ手で折れてしまい、その補強もかねて棚を作ったのですがそれによって車は収納できずに物置スペースとなった次第。

下は継ぎ目のところで折れてしまった梁を補修したところ。

バランスをとって、その右側の梁にも補強をして、棚にしています。
タテ方向の柱の補強として斜め材の“方杖”というものを入れていたのですが、その途中に継ぎを入れたのです。自分でいうのは何だけど、これはかなり高度な技術を要していると思います。

左の棚には採ったゼンマイを煮るため(乾燥の下処理)のストーブや野外活動の道具やクルマの整備用具を収納し、右は紙類、金属類、ガラス瓶などをひとまず置いておくごみステーションともなっています。
収納は、機能的になされていると思います。

吹雪の去った後の主屋の玄関口は雪を巻き込んでドアが閉まらなくなることもあります。そんな場合を想定し水抜き栓をひねって水を流して凍りついた雪を溶かしてゆきます。
ここの水は行政が供給する水道水ではなく、近くを流れる最上川源流のひとつの天王川の伏流水です。地下6メートル以下に流れる水は1年を通して温度変化が少なく、真冬にして12℃を下回ることはありません。

水を流した用済みのホースは下のように高い場所にかけておきます。ホース内に水が溜まっていたらそれが凍りついて、次回の用をなさなくなるからです。
これも大切な後片づけのひとつ。

下は、棒の先にアルミ板を取りつけた自作の“雪切りべら”。
これで軒先の雪を切ったり、樹木に積もった雪を衝いて揺すって落としてやります。

そういえば、冷蔵庫が満杯なのです。ならばと考えて、キッチンの窓の外の灯油タンクの覆い(タンク小屋)の屋根の下に冷蔵スペースを作りました。
この時期この空間の気温は0~4度ほど、ちょうど冷蔵庫の冷蔵クラスの温度です。
燻製の下処理中のブロック肉とか、いただきもののシラスとかをここに。

工夫といえば、円形物干し。
100円ショップのセリアで購入していた円形の花瓶敷き(脚は金属砥石で切ってある)を手持ちの鎖で吊り、6箇所にダイソーで購入のステンレスワイヤーのピンチコックを。
これはきわめて安価にできた優れものだと思います。ここに、除雪で濡れた手袋など干して。

でも、今回の寒波は年明け2日には止んで、美しい青空が。こうでなくちゃ。

吹き抜けの窓に雪の木立ち。

それが佐藤忠良の彫塑作品〈ブラウス〉のポスターのアクリル板に映って。
忠良の終生のモデルを務めた笹戸千津子さんの肢体はいつ見ても美しく。
(忠良の弟子でもあった彫刻家としての笹戸の作品が米沢の近隣の川西町にあります)。

我が家の、質素にしてわずかな寿(ことほ)ぎの、迎春元旦の朝食。
「新年 あけましておめでとうございます」。
いずれも近くの山で採ったきのこのムキタケ(剥茸)、スギヒタラケ(杉平茸)=スギワカエ、ナメコ(滑子)に鶏肉の入った雑煮餅、そしてあんこ餅。それに、筑前煮の煮しめに蒲鉾に数の子、相棒のヨーコさんの故郷(福島県)の郷土料理のイカ人参。
ここに使ったイカは燻製したもので、ひと味ちがった逸品となりました。

夜には、神奈川の友人が送ってくれた新鮮なシラスをたっぷり載せた豪華な?“しらす丼”。

そして正月は何といっても、米沢のソウルフードの“鯉のうま煮”です。
米沢では盆と正月はこれがないとはじまらないのです。
ひと切れだけで高いもので1,000円近くもするのだけれど、ボリュームがあって(贅沢過ぎると思われ)我が家では半分コに。
(鯉は信州の佐久も有名らしいけど)米沢の鯉の消費は尋常ではなく、自家養殖場を持っているのは言うに及ばずそれでも足らないと全国から買い入れているらし。
鯉の専門店も何店かあり、季節ともなればそこにはひとの列、マーケットでも山のような品々が並びます。それは異様なほどです。鯉が好きなのです。

鯉を食べるという習慣(うま煮だけでなく“あらい”も)は名君と謳われた米沢藩第9代藩主・上杉鷹山(1751~1822)が奨励したことによるという。
貧しかった米沢藩にあって堀や池に鯉を飼って、生糸をとった繭玉のなかの不要なさなぎをエサとして投げ入れて育て、それを領民の貴重なたんぱく源にしたという話が現代までも伝えられているわけで。

無彩色の雪国の冬にあって、くだものの彩りはありがたいもの。彩りはとても大切なものです。
ご自宅の庭になっているというミカン、神奈川の知り合いからのいただきものです。

三重の友人が送ってくれたユズ(柚子)。
友人の住む地区では人家の庭先にユズを植えている家庭が多いのだとか。けれどもあまり収穫しないのだそうで、「どうぞどうぞ」といただけるのだというありがたい届け物です。
常備の“柚子胡椒”が切れてきたので、また瓶で何本かを作ろうと思います。それから今年は送り主のお薦めにしたがって“柚子麹味噌”を作ってみたい。

コロナで明け暮れた2020年だったけど、21年もその先もしばらくは有り難くないつきあいを余儀なくされそう。
エコノミストやアナリスト(経済の分析・評価者)が予測する経済の持ち直しは2024年というのが大勢のようです(元旦の山形新聞。配信は共同通信?)。これにしたがえば、ずいぶんと先だね。でも経済の回復や持ち直しってこの先あるんだろうか。
それより新型コロナウイルスの収束自体はいったいいつになるんだろう。
ここは本当に長期戦を意識し、とにかく免疫力アップ、体力気力の充実が何よりも肝要かと。

筆者は今年もたくさん山に登りたい。山巓(さんてん)の風に吹かれて、いい風景をたくさん見たいものです。それから山菜を採りながら野山を自由に歩き回りたい。これが、免疫力アップと体力気力に資すると思っています。そして、ドアリラ製作の研鑽を積み重ねたい。

例年ならばこれから約40日の間、厳しくてつらい本格的な雪の季節がやってきます。これからなのです、本番は。
それを乗り越えるためには、我慢です、辛抱です、忍耐が必要です(雪国に育った人間が身につける習性は、きっとこういうことが反映していると思います)。
でもその時期が過ぎたならば、春を探しに雪原をのんびりと歩こうと思います。それはものすごく大きな楽しみです。

それじゃあ、バイバイ。

 

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。