山歩き

栗駒日記2

上は、雲海に浮かぶ夕映えの笊森(標高1,356メートル)。
下は、山小屋から見た朝日に映える栗駒山。

翌7月11日(木)は、簡単な朝食を済ませ、5時には山小屋を出ました。高山植物を写真で追う場合、日射しは禁物、曇りの天候やもしくは朝のうちのやわらかい光がいいのです。それで、5時です。

山小屋周辺は草原帯になっており、そこにはトキソウ(鴇草)がたくさん。いい花ですね。

山頂をめざして灌木帯に入ると、ハクサンシャクナゲ(白山石楠花)のはしりが咲いていました。ほれぼれするほど美しい花です。美しい色です。
このあたりには結構な数のハクサンシャクナゲの株があって、あと1週間もしたら見ごろを迎えそうです。

ところどころに大雪渓。
栗駒にして雪渓というのはあまり結びついていなかったのですが、あるんですね、それも堂々たるものが。
栗駒山は宮城・秋田・岩手の県境域とはいえ、植生にしてもこの雪渓にしてもそうだけど日本海気候の影響が非常に強いように感じたものでした。

コケモモ(苔桃)の花がたくさん。
コケモモは9月になれば真っ赤な実をつけます。栗駒はコケモモの道でもあるよう。
この実は口に入れて絶品、ジャムにして絶品なのです。

マルバシモツケ(丸葉下野)の白は目立ちますね。ずいぶんと昆虫を集めては受粉に参加させていました。

このアザミは切れ込みの激しさや刺々しさからしてナンブタカネアザミ(南部高嶺薊)でしょうね。咲き初めのようでした。

そして、オノエラン(尾上蘭)の清楚。

東北の名花、ヒナザクラ(鄙桜)があちこちに。

で、山頂を過ぎ天狗平まで来たのですが(ここで6時30分)、ここは実は岩手と秋田側の最も一般的なルートである須川コースの分岐でもあるのです。けれどもご覧のように通行止めの看板が今季より設置されて登山道が封鎖されています。硫化水素ガスの発生で安全が確保できないためとのことです。
本当は筆者は、せっかくの山小屋泊まりのこと、笊森コース分岐から自然観察路コースを辿って苔花台(たいかだい)に至り、そこからこの須川コースをめぐるという周回コースも考えていたのでしたが……。
登山者によると、これがために秋田県からの登山者は激減しているとのことでした。それで仕方なく自然観察路コースを取るのだそうです。笊森コース分岐からの山頂へのコースは灌木の中の道ゆえ歩きにくかったのは確かであり。

美しい草原帯で。セルフで。

ブナの単調な道をひとり歩いているといろんなことを考えたり思ったりするものです。
ふと今回思い出されたのは「ウサギとカメ」のイソップ寓話のこと。この話は、過信して油断すると失敗する、たとえ歩みが遅くとも着実に進めば最終的に大きな成果が得られるというのが一般的な教訓なのでしょう。
筆者が思ったのは、少し違うのです。
ウサギ君はカメ君を侮りながらも比べたいと思った。比べたいという心理は実は比べる相手に対して優位に立ちたい、優位に立つことによって自分が他から大きく見られたいということと同義なのだと思います。
じゃあ、カメ君はどうかと言えば、単にあの山の麓に行ってみたいという憧れだけがあった。ウサギ君と比べたって能力の違いは歴然としているし勝負になんてなりっこないことははじめから分かっていた。よって競争したいなんて思わなかった。つまり、比べる対象を持たずにただ憧れがあったと思うのです。憧れは精神を下支えします。カメ君は憧れのために一歩一歩と足を前に出した、ただそれだけなのです。“歩みが遅くとも着実に進んだ”わけではないのです(こういう見方は結局、競争を前提にしている)。
結果としてカメ君がウサギ君より早く着いたけど、喜んだのはウサギ君より早く着いたことではなく、目的地に到着したからだったと思います。
そんなシチュエーションの違いを思ったわけです。筆者が山が好きなのは、こんなことなんだろうな、と。

そんなこんなで宿に至りついたのは9時ちょうどのこと。山小屋から4時間ですから、少々早足でしたかね(笑い)。

一旦クルマに戻って、宿に入る準備をし(途中に露天風呂があります)、宿で湯につかりました。疲れがスーッと抜けていきました。

少々休んで、せっかくここまで来たことだしと思い、今後わざわざということもままならないと思い、宿から約60キロ先の大崎は荒谷の蕎麦屋を営む知り合いのご夫婦を訪ねることにしました。

事前に告げていなかったこともあり、(当然ながら)ふたりともビックリ。
昼どきのこと、お店はたいへんな繁盛で、会話も旧交もままならず、筆者は戦場のようなあわただしい様子を眺めているばかり。でも、それはそれでよい風景でした。
彼のエプロンは粉でまみれ、彼女は濡れ手で……。ふたりがこの地で懸命に汗水たらして働いている姿がどこか敬虔なものにも見えたのです。
筆者はかつて勤め人だった頃に職場の同僚とソウルへの小旅行をしたことがあったのですが、ふたりの風景に南大門市場(ナンデムンシジャン)近くの路上で屋台を切り盛りしていた若夫婦の姿が何故か重なっていました。あの時、若夫婦にはその先の夢とか希望のようなものが客のひとりの筆者にも伝わってきていた……。
ご夫妻に、この労働の後に、安らかな時間が与えられますように。この先、やがては慰安の日々を約束しますように。
注文の“天せいろ”(ざるそばに天ぷら)はとてもおいしかったし、思い切って伺ってよかったです。
ありがとうございます、Wさん、Aさん。

湯浜街道を戻って宿に入りました。しかしそれにしても、夜をランプの灯に頼るとは趣のある宿です。
電気が来ていないので当然テレビもなく、ラジオさえなく、あるのは本来の明るさと暗さと、静寂と川の音と……。こういうのが好きなんだよなあ。何でだろうなあ。
すぐ下の写真は電灯だけど、冷蔵とか必要最小限の電力はガソリンを燃料とする自家発電でまかなっているらし。午後9時以降の灯りは湯舟も含め、すべてがランプのようです。

そうして湯につかっていると、またまた筆者は文人、俳人(または柳人=川柳作家)になった気分で句があふれてくるのです(笑い)。

いくつもの闇を集めてラムプ哉

ものの形(かた)朧となりて陰翳礼讃

なつかしい人に会いたやラムプの灯

萬緑のラムプの宿に日の暮るる

前世も見つめてゐたよなラムプかな *前世は、さきしょうの読み

雨の夜は雨の夜もまたラムプの灯

 

外は雨が降ってきていました。昨日から今朝にかけての晴天の反動のように、一晩中降り続いたようです。

2008年に起きた岩手宮城内陸地震はまだ記憶にある災害のひとつ。その現場のひとつがこの辺一帯の温泉地でもあります。湯浜温泉から国道398号を約20キロほど下った温湯温泉(ぬるゆおんせん。すぐ近くに、国指定史跡・仙台藩仙北御境目寒湯番所跡あり)から山に(クルマ可)3キロほど入り、そこから20分ほど歩いたところにあった湯の倉温泉・湯栄館は震度6強の揺れに襲われ、下流が堰き止められて堰止湖が出現して水没してしまいました。一度は行ってみたかった憧れの秘湯がそれで消えたのです。今回の栗駒行き、湯浜温泉を訪ねるというのはそんなことも意識の底にあったのは事実。
あの地震で、この湯浜温泉・三浦旅館も源泉が枯れて新たに採掘し、さらには2011年の大地震でまた枯れては採掘して4年のブランクの後にようやく再開にこぎつけたとは宿の息子さんの話です。福島原発の事故の放射性物質の飛散の風評もあったようで客足は落ち込み、三分の一にまで減ってしまったとは時の新聞記事が伝えていたこと。そんな大災害を経験しながら山の湯宿を守り続けて来たことに、ただた頭が下がるばかりです。

冬季は雪が4~6メートルにも及ぶという湯浜温泉(よって冬季閉鎖)、冬は何度か訪れては雪下ろしを繰り返すということです。そうして山の湯を守る女将さんと息子さん(ご主人は入院中とのこと。早い快癒を祈るばかり)にはいろんな山の暮らしの話を聴きました。筆者も山暮らしゆえ、通じるところは多々あり。このご家族も山の暮らしの魅力をたっぷりと湛えていて、とてもうれしかったものです。素朴な山のものを使った料理もなじんだ食材ながらおいしいものでした。

そうして夢のような栗駒の山旅が終わりました。また来ます。
筆者は、またもやエネルギー満タンです!

家に戻ると、四日の時間の空白の後に、庭のサボンソウ(石鹸草)がピンクの花をつけていました。
夕べにはヒグラシ(日暮)が鳴きはじめていました。