ドアリラの朝 ドアリラの夕べ
山歩き旅の空、飛ぶ声

裏磐梯だより1

7月も下旬というところまできました。もうそろそろ梅雨明けかなとは思うけど、まだ発表のない27日、裏磐梯に遊んできました。今回はそれを。

今回は相棒のヨーコさんの休暇も取れ、筆者もほどよい暮らしのアクセントとして(アクセントだらけじゃないか!という声あり。笑い)ふたりで出かけてきました。
昨年のちょうど今頃も同様で、天元台より入って西吾妻山、西大巓(にしだいてん)を踏んで檜原湖を眼下にグランデコまで縦走したのでしたが、今回は磐梯山登山をメインに計画しました。

朝、米沢の自宅を4時40分に出て、檜原湖を抜けてゴールドラインに入って間もなく磐梯山八方台登山口についたのは6時半過ぎのこと。自宅より2時間弱、距離にして約60キロしかないのです。今更ながら、こんな近くに日本有数の一大リゾートが開けているなんてとつくづく思います。

下は、愛車のジムニー。八方台登山口に着きました。

歩きはじめてすぐに感じたのはその林相の美しさでした。それは檜原湖をクルマで周遊したり五色沼を歩いたりしたときにも感じたことでしたが、今回の登山口から続くブナ(山毛欅)の林は青年のように若く、清らなのです。そして、これが裏磐梯の特徴なのだとあらためて思い知らされたのでした。

筆者が今までに歩いてきたブナ林というのは飯豊連峰や朝日連峰の麓だったり、鳥海山だったり、御所山(船形山)だったり、つい先日の栗駒山だったりするのですがいずれも巨大な老木の林立とともに倒れ朽ち果てて横たわっていたりとその風景はズシリと重い時の流れを感じさせる荘厳なものだったように思うのですが、ここのそれはあきらかに違います。
そして思い至るのが1888(明治21)年の磐梯山の大爆発、大噴火のこと。
噴石・噴出物によって川が堰き止められて大小さまざまな湖沼群ができたのは見てよく分かることですが、この林相の若さも爆発がいかにすさまじいものだったかを示すのです。爆発によって、森という森は焼き尽くされたんだろう、若い林相はそこからの130年という短い時間のヒストリーなのです。
嗚呼、清々する風景。

そうして30分ほどでかつての磐梯温泉・中の湯跡に出ます。
そこから急登もありますが一歩一歩と踏みしめれば、1時間少々で6つある登山ルートの交差点の弘法清水に着きます。ひと息です。
途中にはお花畑もあって、山旅の目を楽しませてくれます。

サンカヨウ(山荷葉)は青い宝石をつけていました。
口に入れれば、種は大きいけれどとてもジューシー。

地味ながら趣きがあるズダヤクシュ(喘息薬種)。
当てられた漢字のごとく、喘息の咳止めとして重宝されたことからの命名のようです。

カワラナデシコ(河原撫子)の高山型のタカネナデシコ(高嶺撫子)。背が低いくらいで筆者には見分けがつかないなあ。
サッカー女子の日本ナショナルチームをして“なでしこジャパン”と呼んでいるけど、“なでしこ”に、この花をイメージできる人ってどれだけいるんだろう。

ヤマハハコ(山母子)。里型のカワラハハコ(河原母子)に雰囲気が似てますね。

白からほんのりとした赤を帯びたオヤマソバ(御山蕎麦)。
イタドリ(虎杖)を小型にしたような。

もうこれは北海道のエゾニュウ(蝦夷ニュウ)かとも思われるほどに茎の太い、ミヤマシシウド(深山猪独活)?

ミヤマホツツジ(深山穂躑躅)。
家の敷地に、ホツツジ(穂躑躅)があるけど、その高山型です。目立つことはありませんが、美しい花です。

森林限界を抜けてお花畑に出たのですが、雲海が海そのもののようで、かつて歩いた礼文島の風景にそっくり。礼文島は緯度高くして、中部山岳地帯の3000メートル級、ここら東北の2000メートル級の花々が平地に普通に咲いているのです。
下は、さながら桃岩あたり(笑い)。爆発のすごさを物語る風景でもあり。

オニシモツケ(鬼下野)のうっすらとした淡いピンク。

文字通り、イワオトギリ(岩弟切)。オトギリソウ(弟切草)の高山型。

ヤマホタルブクロ(山蛍袋)。
里にも(筆者の住むルーザにもわずかに)ホタルブクロ(蛍袋)はありますが、その高山型です。花の根元にある萼片の間に反り返る付属片があるのがホタルブクロ、ないのがヤマホタルブクロ。ちょっと見はむずかしいですね。

ツリガネニンジン(釣鐘人参)の高山型のハクサンシャジン(白山沙参)に似ているなあ、でも違うなあと思って、弘法清水小屋(売店)の女主人のSさんに聞けば、これはミヤマシャジン(深山沙参)というのだそうな。磐梯山にはヒメシャジン(姫沙参)もあるとのこと。
美しい青紫が目を引きます。心を落ち着かせる釣鐘です。

で、ほどなく弘法清水に着きました。もうここは山頂直下です。

ここには二つの山小屋(売店)があり、登山客の憩いの場になっているようでした。筆者たちはそのひとつの弘法清水小屋に立ち寄ってSさんにいろんな話を伺いました。
何とSさん、お見受けするに筆者とそう変わらない年齢ながら、ここに寝泊まりして営業しているのではなく、店を開く4月下旬より店仕舞いの11月はじめまでのほぼ毎日、渋谷口ルート?を登っては下り、下りては登るを繰り返しているのだとか。「風呂に入れないのはねえ。布団でも寝たいし(笑い)」。
冬は閉鎖だけれども、時に雪の情況の見回りなどでカンジキをはいて登ってくるのだそうで、着くまでに4時間以上はかかるということです。
健康なわけですよね。そういう毎日ならどんな人生観が宿るのやら。
Sさんは、表情がとてもやわらかで、さわやかな印象のひとでした。

登山者に頼んで、撮ってもらいました。

山頂直下(30分で頂上)なのに、弘法清水は四合目? 実は磐梯山の標高1,816メートルが富士山の約半分で五合目を頂上としていることのようだけど、変なの!

この清水は冷たくてほんとうにおいしいものでした。

ミネウスユキソウ(峰薄雪草)。そして、ウスユキソウ(薄雪草)。

このキク科ウスユキソウ属にはたくさんの種類があるのだけれど、ヨーロッパアルプスのエーデルワイスに近いものとして、次のものが有名です。飯豊や朝日に咲くミヤマウスユキソウ(深山薄雪草)、早池峰特産のハヤチネウスユキソウ(早池峰薄雪草)、それに(筆者はまだ登っていない)尾瀬は至仏山のホソバヒナウスユキソウ(細葉鄙薄雪草)、そしてレブンウスユキソウ(礼文薄雪草)など。
ウスユキソウ、ミネウスユキソウも含めて、ウスユキソウ属の花は清楚で美しいです。

黄色は、ミヤマアキノキリンソウ(深山秋麒麟草)。これは咲き初めと思うけど、里型のアキノキリンソウ(秋麒麟草)が8月の末頃から10月はじめなのに対して、やはり早いものですね。

栗駒にもたくさんあったマルバシモツケ(丸葉下野)が山頂付近に。

ハリブキ(針蕗)に若い実が。

山頂まであと、少し。

磐梯山は単独峰ゆえ、360度のパノラマです。まあ、今回は東側にガスがかかっていて安達太良山が見えなかったのは残念ですが、ほかは素晴らしい眺望でした。
あれが月山、あれが朝日、そして飯豊、吾妻……、なれ親しんだふるさとの山々が青く美して映えていました。(越後や信州の山々も見えるのだそうだけれど、認識も地理関係も分からずに残念)。
眼下には北に檜原湖・小野川湖・曾原湖、南に巨大な猪苗代湖が広がっていました。まさに壮大なパノラマなのです。磐梯山の最大の魅力は、この眺望ですね。

ただ一方、スキー場やゴルフ場など山肌を幾何模様にこそげ落とした姿を目にしてしまうと、自然へのひとの罪や愚かさを感じたのも事実。ひとは自然にたいして何と負荷をかけているんだろう。

朝日連峰あたりを背景にして。

好天に恵まれた、しかも土曜、この日の登山客はものすごいひとの数でした。
学生なのか新入社員なのか何か研修の一環のような団体客、家族連れ、あきらかに保護者ともどもの小学校の学年行事、子ども会と目される団体、若いカップルやわれわれのような中年の夫婦も多く……、磐梯山がいかに親しまれているか、それが分かるような登山でもありました。

山頂の小さな社に手を合わすひと、あり。賽銭はいくらなんだ?(笑い)。
眼下に猪苗代湖。

弘法清水にある鐘。ナナカマド(七竈)を背景に、よい景色です。

弘法清水小屋のベンチを借りて昼食。
持参したカップラーメンにストーブ(バーナー)で湯を沸かして、手軽に。食後のドリップコーヒーもおいしかった。

下山途中に見えた檜原湖。

磐梯温泉・中の湯跡。
かつて憧れをいだきながら山の地図を眺めていたときに、いつかは行ってみたいと思っていた温泉のひとつがこの中の湯でした。弘法清水小屋のSさんに伺えば、閉めたのは約20年前、後継者がいずに廃業したとのことでした。典型的な湯治場で、若い頃彼女も家族に連れられて利用していたと言います。
廃屋の奥までは立ち入らなかったのですが、建物の向こうは檜原湖が一望できるはず。檜原湖を眼下にして湯につかるなどぜいたくなものだったでしょう。
なお、“上の湯”、“下の湯”あっての“中の湯”なわけで、“上の湯”、“下の湯”は先に触れた大爆発・大噴火によって小磐梯が崩落して消滅したとはものの情報です。
なお、この温泉までは宿のクルマ(ジムニーだったろうか)が走っていたのだそうで、そういえば道幅もそれらしきものだったなあと思ったもの。20年という時の流れは土を削ってご覧の通りなのだけれど。

到着は13時ちょうど。
いやあ、天気にも恵まれ、よい山旅でした。

宿に入ったら、屋根をたたく雨音が……。つくづくハレ男です、筆者は(笑い)。

(つづく)

 

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