森の生活

紫煙たなびいて

9月の半ば頃を過ぎると気温に関係なく、早く早く、薪ストーブが焚けないか、試し焚きはいつできるかとソワソワとします。薪ストーブが好きなのです。火が好きです。森の中で暮らしたいと思った最大の理由は、やはり薪ストーブのある暮らしがしたいと思ったためだったと思います。
チェンソーを唸らせ、原木を玉切りし、斧で割っては薪小屋を満たしていく夏場。薪が積みあがった光景は特別で、同時に心が満たされていきます。薪は、風と日光の熱によって少しずつ乾いてゆき、1年もすればよく燃える立派な燃料になります。石油石炭などの化石燃料に依拠するでなし、原発という愚かな装置に頼るわけでなしに暖をとることのできる喜びは何物にも替えがたく。
そして今年も、紫煙がたなびきはじめました。夏場、来客があったりここで開いている賢治の読書会(米澤ポランの廣場)の時などは、すぐ近くの林の中の広場で焚火をします。なので、火そのものはほぼ1年中、暮らしのそばにあるといってよく。こんなに火が好きなのは、太古からの暮らしを筆者の細胞が記憶しているがため?リビングには2代目の、バーモントキャスティング社製のイントレピッドⅡ。初代は、アンデルセンの箱型の模刻と思われる台湾製のもので、それはそれでスタイリッシュでよかったけれども、シーズンごとに耐火パテを隙間に入れたり耐火塗料を塗ったり、しまいに鋳物そのものにひび割れが入って寿命を迎えました。それでも14年間にわたって暖を提供してくれました。現在のものは11年目に入ります。

我が家には主屋のリビングも含め、計4台の薪ストーブがあります。リビングのもの以外はネットオークションで落札したり、ホームセンターからの注文であったり、いずれも7万円以内の安価なものです。でも、いずれも満足しています。
なんでこうもあるのかって? いくらストーブが安いといっても施工など頼んだら大変なんでは? それは心配ご無用。施工はすべて筆者、法令に触れないよう安全を確保しつつ自分でやるので。煙突そのものも決して安いものではないのだだけど、これはメガネ石などもセットになった安価なものをネットオークションで購入しています。

下は、今回の展示会の主な会場としたギャラリー(普段はドアリラの最終組み立てのアトリエ)に設置しているもの。たった6畳の広さなので、これで十分。高さ55センチほどの小ぶりなもの。
炉台や炉壁のレンガは他のいずれも、ここから掘り出した耐火レンガ、赤レンガ。実はここにはかつて陶芸家が住んでいて、ここを離れる際に登り窯を崩して埋めていったのです。それを知り合いに掘っていただいた。

ヒュッテには新潟のホンマ製作所が企画設計して中国で生産されているMS-310TXという機種が入っています。安物と思って侮るなかれ。とても使いやすく、12畳の部屋はいつもあたたか。
ヒュッテの湿度調整も兼ねて、冬場の洗濯物の乾燥はここで。キノコとか野菜とかのドライものを作れるのもこのストーブがあればこそです。 ヒュッテに併設の工房にも薪ストーブ。木材加工をすればどうにも利用できない残材や木くずが出るもの。それらは余すことなくストーブの燃料にします。工房は9畳の土間(コンクリート間) で軒高も高く冬場はこれ一つではちょっと心もとないのは事実だけれど、工房に入っているときというのは身体が動いているのでこれでも十分な暖かさ。なお、4台のストーブの上に載っている扇風機のようなもの、これは優れモノです。これはカナダのカフラモ社製の“エコファン”という商品で、ストーブが熱してくるとその熱を電気に変え(ゼーベック効果と言うのだそうな)、その電気でモーターが回って暖まった空気を攪拌してくれるのです。その回り具合で燃料の継ぎ足し時も分かります。価格は16,000円程度で決して安くはない買い物だけれど、熱伝導の効率アップにはもってこいです。

下は、敬愛する辻まこと(1913-75)の文章。火についてこんなに素敵な文に出会えた幸いを思います。

……炉辺というのは不思議なものだ。炉を囲んで焰を見ている夜は、たとえ沈黙が一晩中続いたとしても、人々はけっして退屈もしないし気詰りなおもいもしないのだ。(略)合槌を打っても打たなくてもいいのだ。語り手は半ば焰を聴手とし、人々は燃えうつり消える熱と光を濾してあるいは遠くあるいは近く、そこから生まれてくる話を聴くのだから。(『画文集 山の声』東京新聞出版局1971 あとがきより)