ドアリラ展

シエスタの夢、あるいは展示会余話

展示会初日に朝日に照り輝いていたチカラシバ(力芝)は展示会とともにもうおしまい。秋は深まってゆきます。
今回は、シエスタの夢、あるいは展示会余話。
添えた画像は、喫茶スペースを飾った贈られた花々。文字通り、展示会に花を添えていただきました。感謝です。普段の家の中の花も少々。

どうしたわけなんだろう。幸せを呼ぶがごとくの柔和で仲睦まじいご夫婦が何組もおいでになったのは。それはホテルとカフェを経営のお二人であったり、リンゴ農家やスパゲッティの専門店のご夫婦、あるいはこの春に一緒に定年退職を迎えたというご夫婦等々。これらのご夫婦に共通なのは、互いを見ている視線がやわらかいのです。どちらにも互いへの信頼と尊重があるんだろう、控えめでしかもおおらか、ささやかでつつましいことにも感謝するようなそういう景色なのです。
でも考えてみれば、ドアリラというワードに惹かれ、夫婦共に興味を持っておいでになるそのこと自体がその証拠ですね。そういった景色に触れると、こちらまでもが幸いを分けてもらったようで胸がキュンとすることしきりでした。

こういう事例はどうかと思うけど、認知症があると思われる高齢なご婦人と介護のために東京から地元に戻ったという息子さんがおいでになりました。ご婦人は会場たる我が家の玄関に入るなり、プライベート空間たる半ばぎゅうぎゅう詰めの下駄箱をゆえなく開けるのです。ご婦人はまた、展示ギャラリーに置いておいた「ご自由にお取りください」と記した名刺をすぐさま取ってポケットにしまい、そのうちまた意味もなく何枚もポケットに入れるのでした。「さっき、一枚取りましたけど」と注意を向けると、ばつが悪そうにして「ああ、そうですね」と戻します。興味はドアリラでなしにあるもの見るもの次から次へと移り変わることしきり。息子さんはそういう行動をとがめてはいても、通院の待合室で見た新聞をたよりに会場に行きたいと望んだ母親を、案内してくれたという孝行。

ひきこもりという青年と担当の支援相談員の方がご一緒してお見えでした。青年はモノ作りが好きなようで、外の空気に触れさせたいという思いからこの機会に伺いたいという事前の連絡があっての来訪でした。ギャラリーを案内しドアリラを一通り見てもらい、リビングでコーヒーをお出ししました。青年は徐々にリラックスして、周りの初めての人とも会話のキャッチボールもしていました。相談員が言うには、通所施設以外の場所でお茶を飲んだ姿はめずらしいとのこと。
別れ際に青年は言いました。「とても素敵な空間でした。ありがとうございました」。小さなお嬢さんがお客さま。「こんにちは。(主人は)おひげのオジサンですけどいいですか」と問えば、「大丈夫!」とのことで一安心(笑い)。さらに、とても愛らしくてまるで展示会の花のようなので、「インターネットに挙げていいですか」と聞けば、「大丈夫!」とのこと(笑い)。ずいぶん、「大丈夫!」を使い慣れていると見える。隣でママも大笑い。でのちに、密かに彼女の名前をこしらえました。“ダイジョウブ姫”(笑い)。

この「大丈夫」という言葉、実は筆者の座右の銘にして、額装してアトリエ(今回のギャラリー)に飾っています。「まっすぐ生きていれば/ちゃんとしたものができるから/大丈夫」……。これは秋田木地山系のこけし工人・阿部平四郎(1929-2013)の言葉です。父の後を追って工人となった娘の木の実に掛けていたのだという。今後の職人生活で、思い悩んだとき迷ったとき、どうしていいか分からず出口が見えないときも、「まっすぐ生きていれば」ものはできる、あるいは打開策は見つかるという声がけが筆者の心に響くのです。こういう「大丈夫」もある。
木の実さんは今や木地山系を代表する工人のお一人、こけしに独自の世界を持ち込んで活躍していらっしゃる。なお、この10月25日(木)から31日(水)まで、東京新宿の京王百貨店(美術・工芸サロン)にて、「伝統こけし 阿部木の実展」が開催されるとの知らせが届きました。問合せ℡03-3342-2111 www.keionet.com

「1543年の種子島への鉄砲伝来で鉄砲以上に重要なことは、鉄砲についていたネジが伝わったこと。オスネジを切る(スクリューの溝を彫る)ための工夫、それよりもずっと高度なメスネジの加工技術。このネジによってどれほど日本のモノ作りが発展したことか」と、火縄銃保存会の方は言うのです。こういう、ネジに光を当てて文明を語る慧眼との交わりはとても楽しい。暮らしの場で普通に、文化に接することのできる喜び。人が引けてただ二人の、傍らの薪ストーブには火が入った静かな夕暮れ時。

後日、奥様がいらしてうれしい話を伝えてくださいました。12日がご主人の誕生日だったそうで、お孫さんがプレゼントにとドアリラを渡してくれたとのこと。よい誕生祝いになった、と。そういえば、お子さんとお母様がいらして熱心にご覧になり購入されたのでしたっけ。
こうして世に出たドアリラが、大切な人の、特別な日のプレゼントにしていただけるなんて素直にうれしいです。感謝です。

「吊り下げた紐もそうだけどいろんなこと、この木の球に行きつくまでも大変だったのですね」などと話を向けられると、つい本音が出て、苦労を外に吐き出したくもなってくるもの。「そうなんです、何から何まで一切。この木の球、日本では木工旋盤で依頼を受ける工房はあるにはあるのですが、それを専門にしているわけではないのでかなり高価について。それで行き着いたのが福岡の、輸入物の玩具や雑貨を扱う店で、オーストリア産のブナ材の木球を適価で扱っていることを知って仕入れたのです。ピンも紐も弦についてもそうだけど、師匠がいないというのはこういうことですよね。回りくどくて面倒で、とても迂回してしまう」。
この話を聴いていたいかにも欧米の人と分かる連れ合いの方が流暢な日本語で言うのです。「師匠なんて持たない方がいいですよ。あなたが師匠を持たない正しさは、苦労して苦労してようやく答えにたどり着く、これがいいんです。師匠がいたらこんな喜びはない」。師匠を持たないというのはつまりはそういうこと。苦労に寄りそうのではなく、それを評価しつつ、価値を転換して直言する、これぞアーティストの本領というもの。彼は名の知れる陶芸家。

「板の厚さ4ミリで、幅が160ミリ? それを丸ノコ盤で挽き割った? 信じられない。それは指が何本か飛んでもおかしくない作業だ」。
こういう話は、専門の場にいる人でないと口にできないことです。そうなのです。バンドソーではなく、丸ノコ盤を使って板を薄く挽き割るのはたいへんなことなのです。バンドソーでも試みたのですが、歩留まりが極めて悪く、それでタテ挽き用の刃をつけた丸ノコ盤を使って様々に工夫して挽いているのです。それを想像して驚嘆したというわけです。
筆者の巧緻性では4ミリの板を作るためには6.5~7ミリで挽く必要があります。それは仕上げを見越し、貼り合わせの段差も見越し、その両面を自動カンナで削る必要があるための歩合がその差なのです。幅が160ミリというのは、丸ノコ刃の有効切断の高さが約80ミリであり、木材ブロックの上下の面に段階的に分けて切り込み、最終80ミリで進み、それを上下逆にすれば辛うじて160ミリ幅の板が取れるというわけです。これで最大で、無垢の木のドアリラ(groupD)のオモテ材はすべて、巧妙に観音開きに貼り合わせてあるのです。
たぶんこの話、木工に精通していないとチンプンカンプンもよいところ。こんな話ができたというのも実作者にとってはとてもうれしいこと。

ホームページを作りはしたけれども、それがどの程度の人がアクセスしているものかは気になるところ。いわばそれは、ようやくにして上梓した本が書店に並び、その本を買ってゆく様子をドキドキしながら見ている作家のようなもの。
かつてはあって今はほとんど見かけない画面の隅のカウンター表示。それがあってはじめてどの程度の広がりを見せているのかが分かったもの。ところが今はそれに代わって、Googleがanalyticsというサービスを行っており、ユーザーを何人得たのか、その人はどこで何を開いているかなどが分かるようになっています。ちなみに少しだけ「どこで」のデータを紹介すると、開設の9月6日から今日(10月15日)までに、ユーザーは292人、国別の内訳は、アメリカ合衆国が14人、イギリスはスコットランドで二人、そのほかは日本です。日本なら分布は全国にまたがり、北海道で12人、山形で135人、東京では60人、神奈川が27人と……。これはさらに市町村別でも表示されます。驚きです。
ひとつGoogleはこうして世界を網の目で包んでいることは確か。これはマーケティングの世界なのでしょうが、こうやって時代は前の時代に別れを告げていくんでしょうね。

(宮澤賢治の読書会を主宰しているということもあり)筆者の家は割と人の出入りが多い方だと思うのだけれど、逆に筆者が人の家に上がり込むというのはそう多くありません。どうしてか、あまりどうぞどうぞとは言ってくれない。したがって人の家の内部がどうなっているのか、どんなしつらえなのか、何が飾られているのか、実はよくは分からないのです。で今回、展示会を催し一通りドアリラを見ていただいた後は喫茶スペースとした居間でお茶を飲んでもらいましたら、こんなことを言う人がいたのです。
「ここに住んでいるの? 本当に住んでるの? 普段は町場に住んでいて、ここは別荘じゃないの?」、??
こんなことも言うのです。「テレビとか雑誌とかでは見たことのある空間でびっくりしました。実際には初めて見た」、??
また、こんなことも。「こんなところなら、1時間いくらかでお金を払ってでもいたいなあ。カフェをはじめるなんてはどうなの」、??
確かに筆者はそして多分妻も、この空間を愛しています。周りの風景とともに、この家がとても好きです。だいたい他と比べて自分の位置を確かめるということをしないタチゆえ、これが特別と思ったことはありません。ただ暮らして心地よいように、できれば美しくあるようにと願っているだけで。
さらに、居間にテレビがないことを指して、こんなことを言います。「テレビがここにない? 普段は見ない? そんなら世の中の流れが分からなくて大変じゃない!」と嘆き、心配する声。心配はご無用、世の中の流れが分からない、そんなことはないです。新聞はあるし、ラジオを聴くし。でも、日々の情報で重要なことってそんなにあるんですかね。つまらない情報を大事だと思わされているんじゃなくて。ヘンリー=ソローは言っていたと思うけど、情報は新聞など一か月前のものでも拾い読みして十分と。メディアやジャーナルなんてそんな程度。

これから久しぶりのシエスタが復活し、夢も見ましょう。たぶん、展示会で満たされた楽しい夢。
外にはもう、セイタカアワダチソウ(背高泡立草)の黄色な三角シャッポです。

 

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