みどりは今、1日と言わず半日と言わず、1時間と言わずも刻々と変化しています。ものすごい目まぐるしさで。
ひとがこの時期、ひとっところに座してその様子を眺めることができたなら、もう感動で胸がいっぱいになって、争いごととか悩みとか苛立ちとか不自由だとかはとるに足らないほんのちっぽけなものとなると思います。みどりの力って、そういうものです。
下は、主屋のすぐ南の広場。5月12日、14日、15日のコナラ(小楢)のみどりの変化。
敷地内にある、
ウワミズザクラ(上溝桜/バラ科ウワミズサクラ属)の花が咲きはじめました。
ガマズミ(莢蒾/レンプクソウ科ガマズミ属)の花が咲きました。
ヤマツツジ(山躑躅/ツツジ科ツツジ属)の花が咲きだしました。
そしてイワカガミ(岩鏡、岩鑑。イワウメ科イワカガミ属)の花も。
これらはいずれも、サイン。「ゼンマイが出ました、もう、採り頃ですよ!」という明確な合図なのです。
そうするともう身体はソワソワ、もうモゾモゾ、心臓がトクトク!(笑い)。それはもう、「救心」が必要なほど(笑い)。行かなくちゃ!
こうして筆者たちは、このことに限らず、まわりのサインを見ながら聴きながら日々を暮らしています。
筆者が電波を通した情報をあまりありがたく思わないのは、不完全なヒト属がある意図を携えてこちら側を操作しようとする、そのいかがわしい匂いを嗅いでいるためかも知れない。自然の情報にはそのいかがわしさがない。
相棒のヨーコさんはハケゴ(腰籠)をつけ、筆者は山菜バッグを肩から掛け、リュックを背負い、クマ鈴をチャリンチャリンと鳴らして山道を行けば、何と美しいハウチワカエデ(羽団扇楓/ムクロジ科カエデ属)の若葉。
日に透けて重なる青葉の、多様な緑のグラデーション。
ツツドリ(筒鳥/ホトトギス科カッコウ属)の「ホホ、ホッホ」やキジバト(雉鳩/ハト科キジバト属)の「デデーポッポー」に見送られて、杉林を抜けて。
チゴユリ(稚児。イヌサフラン科チゴユリ属)がそちこちに咲いて。
チゴユリがゼンマイの時期に一斉に林床を埋める様は壮観です。
秋口に濃い紫色の美しい実をつけますが、これは有毒です。
ノギラン(芒蘭/キンコウカ科ノギラン属)の若葉。みずみずしい緑です。
ノギランをはじめて見た時、高山でよくお目にかかるコバイケイソウ(小梅蕙草)かなあと思ったものでしたが、違いました。
ノギはススキ、やがて名のごとくススキのように花穂(かすい)が立ってきます。
オヤマボクチ(雄山火口/キク科ヤマボクチ属)の若葉。
やがて薊(あざみ)のような花をつけます。名の由来は、花が枯れるとポシャポシャの繊維となり、また葉の裏にも綿毛のような組織ができて、それを集めて着火剤として使われたという説から。確かに、すぐに火が着きそうです。
去年の夏、磐梯山に登ったときのこと。袋いっぱいに何やら採取しているひとがいて、見せてもらえばオヤマボクチの葉っぱでした(彼はこれを地元の名で呼んでいたが忘れた)。餅に混ぜこむと言っていたけど、これもヨモギ同様に有用な植物です。
オヤマボクチのことを一般には、“ヤマゴボウ”と言っているのかも知れない。根も食用です。
筆者たちが行くゼンマイ採りの山は、コナラ(小楢)をはじめとする多様な広葉樹が大きく育ったこんなところ。家から歩いて10分もしないところです(笑い)。もう山は、ケタケタと笑っています。
山中、少々湿り気のある場所で遭遇した直径1メートルほどの奇体な光景。
察するに、こんなに泥をひっかきまわし深く掘るのはイノシシ(猪)ではないでしょうか。
ここルーザの森には、大型獣としてはツキノワグマ(月輪熊)やカモシカ(氈鹿、羚羊)、イノシシが棲んでいますが、クマの足跡はありません。二本爪の跡でもカモシカの生態から言ってこんな行動は聞いたことがないので、きっとイノシシだと思います。湿地に潜むミミズなどの小動物を探しているのでしょう。イノシシって、図体が大きい割りにミミズなどの小動物(他にはオケラとかダンゴムシとか?)が本当に好きみたい。あの、生物の独特の匂い?がたまらないのでしょう。
我が家で干しあがったゼンマイはとても自家消費できるものではなく、日頃お世話になっているひとに差し上げたり、親戚に送ったりします。いつも送っている北海道の従兄夫婦は到着するとすぐに電話をくれるのですが、想像及んで、「採ってから、茹でて、乾燥させて、揉んで……、たいへんな作業だね。採るったって、山奥の急な斜面や危険な岩場なんかに行くんしょ。ゆるくないね(楽ではない)」と同情を寄せてくれます。
山菜採りで遭難、岩場で滑落して死去となどというニュースを聞くことがあるけれども、そのほとんどがゼンマイ採りですね。実際、そういうところに限って太く育ったゼンマイが出るのは確かなこと。従兄夫婦の想像もそんな情報を得てのことでは。けれども、何の何の。
“茹でて、乾燥させて、揉んで”というのは確かだけれど、筆者たちが行く場所は決して危険なところではありません。子どもでも、70代くらいの普通の体力の方なら何ら無理のないところです。
下は、杉林の中。見渡すかぎりゼンマイ、まるでゼンマイの畑という感じです。
杉林というのは、秋になって葉っぱを降らすわけではないから、したがって腐葉土をあまり作らず、したがって小動物もあまり生きて行けず、よって野鳥も来ない寂しいところ。日光が林床に届きにくいので、下草もあまり生えません。それでもゼンマイは、たくさん出るのです(ただし、土壌が栄養分に乏しいので太いものはあまり期待できない)。
杉林ってだいたいこんなところなので辺りは拓けていて見通しもきいて、安全です。筆者たちの収量の半分以上はこういった杉林からのもの。
日を浴びるゼンマイたち。
ゼンマイ(薇/ゼンマイ科ゼンマイ属)はシダ植物。
ゼンマイは雌雄異株で、雄株(男ゼンマイ)と雌株(女ゼンマイ)があります。食用とするのは雌株です。雌株は栄養葉で雄株は胞子葉、胞子葉を摘んだらやがて種(しゅ)は細ってしまいますからね。
下が、胞子葉の男ゼンマイ。
相棒と一緒に行くと、とにかく訴えます。「離れないでね、絶対に。お願い。こっちは怖いんだから。熊が出たら、闘ってもらわなくちゃならないんだからね」(笑い)と。
うすうす気づいていたけど、拙者は相棒の用心棒であるらし。しかも熊からの(笑い)。
ところがです。離れていくのは筆者ではなく彼女の方、もう興奮してアドレナリン全開となって、ゼンマイに眼がくらんでどこへやら、がいつものことなのです。ゼンマイは怖ささえも凌駕するようで(笑い)。
杉林から広葉樹帯に移ると、光が差し込んで風景は一変します。光に反射するみどりがあふれ出します。ということは下草が繁茂し、見通しがきかず、前進するのも少々厄介になります。でも、栄養たっぷりの土壌にあって、立派なゼンマイが育つのも確か。
それから美しい一枚岩の河床が現れます。最上川の源流のひとつです。この川は上流に何の汚染源もありませんので、喉が渇けば掬って水をいただきます。まさに、天然の“天然水”。
こんな川の縁(ふち)には、太くて立派なゼンマイが出ていることがよくあります。川もねらい目です。また、山の地形には谷筋と尾根筋があり、谷筋は特にねらい目です。水とともに滋養・栄養分も流れてきてゼンマイを太く育てるのです。
何ともすごいフジ(藤)の蔓。こんなんで引っ張られたらどんな大木もひとたまりもありませんね。
フジは、一向お構いなしに、上へ上へと登っていくけれど、理由はタネをより遠くに飛ばすためです。仮に45度の角度で飛ばし速度が保たれるとして、30メートルの木なら根本から30メートルも飛ぶのです。すごいことです。こうしてフジは勢力を拡げていきます。
山持ちにとってフジは厄介者。フジの花がきれいだとて親しみは持たないでしょうね。立木が倒されてしまうわけですから。
せせらぎを行けば、ウルイ=オオバギボウシ(大葉擬宝珠/キジカクシ科ギボウシ属)が。
ウルイは夏には柄のある白い花をたくさんつけます(総状花序)。コバギボウシなら、青紫の美しい花です。
ウルイは葉を落とした白い茎のおひたしはうまいものです。鯖缶と一緒に煮て食すのもまた美味なり。
鯖缶で思い出したけど、鯖缶の消費量の日本一は山形県だと思います。今にはじまったことではないけど、とにかく鯖缶を食べるのです。
上にウルイと一緒にと書いたけど、アザミ(アザミ類は多いけれども、すべてが食べられます)やワラビ(蕨/コバニイシカグマ科ワラビ属)、アイコ(ミヤマイラクサ=深山刺草/イラクサ科ムカゴイラクサ属)やウド(独活/ウコギ科タラノキ属)の葉先など雑多に混ぜ込んだ山菜汁にももってこい。そして何と言ってもネマガリダケの汁物に鯖缶は欠かせない。
それから乾麺のうどんを茹で、“ひっぱりうどん”として素の麺をお椀にとって食べるけれども、この受け椀には納豆や薬味が用意されると同時に鯖缶もまた必須なのです。
健康ブームに乗って昨今の鯖缶消費は結構なことだけど、それによって品薄になったり、値が吊り上がってしまうことは山形県民にとって切実な死活問題です(笑い)。
新標語「ちょっと待て その鯖缶を手にする前に 山形県民(を想像せよ)!」(笑い)
オオヤマザクラ(大山桜/バラ科サクラ属)の美しい花ももう終わり、河床の澄んだ水に花びらが浮かんで静かに流れていました。
いつもの青瞳淵(せいとうぶち)に立ち寄って、憩うひととき。
これでゼンマイ採りは終了。
ヨッコラカッコラ、ヨッコラカッコラ、あまりに採り過ぎて愛用のリュックの片方の肩ベルトのつけ根が取れてしまったという次第(笑い)。
9時に家を出て、終了11時過ぎ。重い荷を背負い、ようやく家路についたのです。
帰りの道々に咲いていた、レンゲツツジ(蓮華躑躅/ツツジ科ツツジ属)。
レンゲツツジの花は、緋色に薄いピンクが混ざったような美しい色合いです。
レンゲツツジはここらでは普通に咲いています。裏磐梯の雄国沼(おぐにぬま)はニッコウキスゲとともにこの花の名所として知られているけれど、ここルーザの森もどうしてどうしてです。
これは個人的な思いだけど、レンゲツツジの群生って、少々どぎつ過ぎて美しさを損なうように思います。あたりが一斉にみどりで、そこにポツン、そこにポツンというのがいいです。
ちなみに、ルーザの森に咲くツツジ科ツツジ属の躑躅は4種類。それは今頃に咲く、ヤマツツジ、レンゲツツジ、ムラサキヤシオツツジ(紫八汐躑躅)、それに夏に咲くコメツツジ(米躑躅)です。
ここらならヤマツツジ、レンゲツツジはともに一般的で普通に見られますが、ムラサキヤシオは稀です。見つけるとその美しい韓紅(からくれない)の色にうっとりします。ところが約1,000メートルの天元台に行けばムラサキヤシオがたくさん、裏磐梯の景勝地の五色沼にあってはムラサキヤシオばかりだったことが印象的でした。ところ違えばの観です。
帰りの道々に咲いていた、ミツバツチグリ(三葉土栗/バラ科キジムシロ属)。
花が同じ黄色で近縁のキジムシロに似ていますが、こちらは3枚の小葉。キジムシロは5~7枚ですから区別はできます。
いやあ、ゼンマイ採りは疲れます。登ったり下りたり、横たわる木をくぐったり乗り越えたりの全身運動。それはアスレチックスなど問題にならないほどです。実に体力勝負、すごい運動量。当然の疲労困憊です。
(上は、2時間も動き回っているからで、これが小1時間ぐらいならむしろ快適な運動でしょう)。
帰り着けば、ヒュッテ隣接の木工房は山菜加工場に早変わり。作業テーブルに収量のすべてを載せたところ。
収量はどのくらいあったものか体重計で測ってみれば、バッグ類の重量を差し引いて、何と12キロ!
ここからは午後の部の作業となります。
1本1本の茎の硬さを確かめ、容易に折れるところを探してポキンポキンと折ります。
折ったものは一輪車にため(笑い)、それを薪ストーブ(たぶんこれは新潟のホンマ製作所製の、薄い鉄板の時計型ストーブ。このシーズンだけではあるけれども、もう25年選手です)まで運び、沸騰させた湯にゼンマイを投入して茹でます。
待つこと7分でちょうどよい茹で加減となります。茎を指でつまんで押してそのつぶれ加減が茹で上げの判断基準です。
鍋はリサイクル品。古い炊飯器の内側のアルミの器に、外側の取手をはずして(絶妙の技術で(笑い))取りつけたもの。これが重宝するのです。
Ø30センチ、深さ約15センチのこの大鍋にゼンマイを満杯に入れ、少なくて10回は茹で上げるのではないでしょうか。湯が湯切りなどで少なくなったら、一緒に沸かしているヤカンの湯を足していきます。
茹で上がれば、すのこの上にできるだけ均等に並べて乾燥を待ちます。
薫風吹いて、青葉がそよぎ、あたりは鳥の声、風の音、まぶしい春の光……。
傍らにはラジオが鳴って、今日も東京基準のニュースやたよりが届きます(今もって、covid-19の話題満載だ)。ニュースやたよりに反応したり、あーだこーの世間話、手と足は止まることなくせわしく動いてゆく……。
*
ここでコーヒーブレイク。
我が家の玄関の前に、ウスギタンポポ(薄黄蒲公英/キク科タンポポ属)が今年も約束したように咲きました。中心の大きな円が黄色で、まわりが薄いクリーム色をしています。
これは日頃お世話になっているMさんの栗園にあったひと株をいただいて移植したもの。このへんの野山で見つけることはかなりむずかしいです。
タンポポは日本全土がセイヨウタンポポに浸食されて、在来のニホンタンポポは駆逐される一方。たまにニホンタンポポなど見ると思わず、ガンバレ!と声援を送りたくもなるもの。ウスギタンポポも在来種のようです。
セイヨウタンポポとニホンタンポポの区別は、総苞片(そうほうへん。蕾を包み込むような葉が変形した部分)が反り返っているかどうか。反り返るのがセイヨウタンポポ、反りがないのが在来種です。よくよく見てると在来種の方が花も葉も茎も大型で美しい姿をしています。
ありふれた蒲公英にあって、在来種の、さらにウスギタンポポは特別な感動を与えてくれます。
ユキザサ(雪笹/ユリ科マイズルソウ属)。郊外の野にあったものを移植したものです。
これはれっきとした山菜で、もっともっと増えないかなと楽しみにしています。
光を浴びて、白い花が美しく。
*
ゼンマイのある程度の乾燥が進めば、今度は揉みの作業に入ります。揉みを入れなければ、ゼンマイは針金のようになってしまいます。揉みの作業は、戻した際のゼンマイのコシに(ということは食感に)大いに影響しそうです。出来上がるまでには、4~6回ほどはていねいに揉みます。
保存しやすいように、徐々に、小さく小さくまとめていきます。
乾燥にはとにかく日光が頼り。晴天が続けば丸2日で干しあがりますし、そうでなければ何日もかかります。雨が続けばお手上げなので、我が家ではいつでも室内で乾燥が進むように薪ストーブをすぐにも焚ける用意をしています。雨が続いて、せっかくのゼンマイを台無しにしたこともあったし、乾燥不十分にて虫がついたこともあったし。
部屋干しするときのゼンマイの香りは幸福そのもの、よい香りが部屋いっぱいに広がります。これは当事者でなければ味わえない特別なものです。
干しあがったゼンマイは、元の重量の約10分の1となります。今回の場合は収穫総重量12キロ、余分な茎を落として約10キロとして、できあがって1キロというところです。
でも、やはりゼンマイは苦労して作る価値あり。そのゼンマイ煮のおいしいこと、おいしいこと。ビビンバの食材としてもベストですよね。
当置賜地方(山形県全域だと思うけど)では、ゼンマイはハレの日に祝い事に、そして盆に、暮れに、正月にと欠かせない食材です。そうして長い長い食文化の伝統が今に引き継がれているのです。
ゼンマイを採って、乾燥ものを作り上げるというのは、そうした先人たちが営々として培ってきた時間を身体に感じることでもあります。
できたゼンマイは、我が家では、密封のナイロン袋に入れ、薪ストーブで出た灰をまぶして保存します。これだと、虫がつくということはまずないですね。そうして最低6か月ほどおいたのちに、食材として使いはじめます。
*
この季節の食卓は、山菜三昧。コゴミやコシアブラなどのおひたしや天ぷらにはじまって、今はワラビのおひたしが毎食に。
このワラビのおひたしの食べ方っていろいろのようで、青森ではわさび醤油が一般的なのだとか。我が家では生姜の千切りを添えて味醤油と醤油を混ぜたもので食べるのが定番です。今はサンショウの若葉がふんだんなので、葉を散らして試したけど、これもグーでした。にんにく醤油もいけそうです。鰹節を添えるのもいいね。
いずれにせよ、ワラビのおひたしこそはおいしい。
なお、下の特別に分厚い皿は、長井市の甍窯の作品です。
「掘りに来ないか」というありがたい友人の誘いに甘えて竹林からの掘りたての筍は、様々に生かして。筍ご飯、筍煮、生のまま焼いて自家製の山椒味噌をつけて、孟宗汁で。
ずっとずっと友だちでいようね、ケーコさん!(笑い)。約束だよ!(笑い)
筍ご飯の茶碗は、宮城は栗駒陣ケ森窯の鈴木照雄さんが焼いたもの。筆者の退職(勤めにおさらば)の際の、なんともうれしい記念品です。
筍煮の皿は、古い印判もの。江戸の後期から明治のはじめの雰囲気です。コバルトがみどりに映えます。
生のまま焼いて、自家製の山椒味噌をつけて。
そして、出ましたゼンマイ煮。昨年のゼンマイを戻して、鰊や人参、油揚げや糸こんにゃくを和えて。
この大きな器は筆者が特に好きな大分の小鹿田焼き。
果実酒(これは、ウメとクマヤナギのブレンド)で乾杯する、いつもの夜も更けて。