ドアリラの朝 ドアリラの夕べ
森の小径森の生活

若葉のころ

薫風の吹くころとなりました。若葉のころとなりました。
5月のはじめの7日間というのは、1年のうちでももっとも美しい季節だと思います。生まれたての緑の色合いが日々刻々と変わり、それにともなってあたり一面から霊気が湧き立ち、生命が横溢しはじめます。それを筆者はどう受け取ってよいやらドキドキし、心躍って狂おしいほどなのです。

この時期、野鳥は次々と森の舞台へのデビューを飾るのだけれど、今に特徴的なのは何といってもツツドリ(筒鳥。ホトホギス科カッコウ属)です。森の道を歩いてこのツツドリの(名の通り、筒を吹くような)ホホ、ホッホホ、ホッホという声を聴くときほどのどかな平和を感じることはありません。そのツツドリが今年も約束したように啼きはじめました。

そんな美しい季節の、(我が家の、天然の庭に限っての)樹木の若葉のことを。

ウワミズザクラ(上溝桜。バラ科ウワミズザクラ属)の若葉。
もうすぐ瓶ブラシのような白い花穂をたくさんつけ、ほぼ同じ時期に咲きそろうフジの花と交差するときの色合いの美しさは格別です。
花の後のスカスカの葡萄状の青い実を塩漬けにしたものをアンニンゴといって食す地方もあるようで。新潟あたりが盛んみたい。

フジ(藤。マメ科フジ属)の若葉。
当signalで「イワナシの道、マンサクの道」(20年3月末)の冒頭で触れたことだけど、実はこの日5月4日の夕方もパチンパチンというフジがタネを飛ばす音をさかんに聴きました。で、現場に近寄ってその様子を見ていたのですが、莢(さや)が強烈な力でねじると同時にタネは垂直方向に対してほぼ45度の角度で一直線に飛んでいくのを目撃しました。
単純計算で例えば5メートルの位置にあるタネは5メートルは飛ぶことになるし、もっと角度がつけばさらに飛距離は伸びるはず。すごいことです。
このフジ、もう少ししたら、それこそ藤色の美しい房状の花をつけます。これは、“ワラビが出てきましたよ”、という知らせでもあり(笑い)。

ウツギ(空木。アジサイ科ウツギ属)の若葉。
「夏は来ぬ」(佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲)という日本の唱歌があるけど、そこに登場するのが卯の花、それがこのウツギです。

卯の花の匂う垣根に
時鳥早も来鳴きて
忍音もらす夏は来ぬ

さすがは歌人の佐佐木信綱の作る七五調の、時を写生する言葉。
この歌詞の冒頭に「卯の花の匂う」とあるので、もう少し先の真っ白い花の満開のころに鼻を近づけてクンクンしたことがあったけど、少しも匂いませんでした。で、当時大学に行っていた娘にそのことを話したとき、彼女が言うには、“匂う”というのは花が咲き乱れることも指す、と教えてもらったことがありました。当時彼女は古文を読んでいて、そういう表現に出会ったとか。なるほど。

下は、6月半ばの満開のウツギ。

ダイオウグミ(大王茱萸。グミ科グミ属)の若葉。
ダイオウグミはナツグミ(夏茱萸)のひとつで、実が特に大きいことからビックリグミの名もあるようです。
ここの木は実をついばんだ鳥の落とし物からの発芽だと思います。

6月に赤く大きな実がなります。少々渋いところもあるけど、甘さは十分です。
イヌガヤ(犬榧。イチイ科イヌガヤ属)の若葉。
筆者がこの森にやってきた当時、カヤ(榧)に似ているなあ、カヤなら実が食べられるよなと期待したのですが、こっちの実は苦くて食には不向きとのことです。残念。名に“犬”がつくというのはそういうことですね(でもなぜ、“犬”なんだろう?)。

実には油分が多く、絞って灯油に使われたこともあったとか。この写真は10月末のもの。

アオダモ(青梻。モクセイ科トネリコ属)の若葉。
もう少しすると線香花火が集まったような白い花が咲きます。花が集まると壮観な景色になります。
アオダモは知る人ぞ知る、野球のバットとなる木ですね。程よい木の繊維の密度、程よい重さ、粘りっこさあたりがバット材として選ばれた理由なのでしょうか。

ホオノキ(朴木。モクレン科モクレン属)の若葉。
ホオノキは樹高30メートルにもなる高木です。葉は40センチほどもざらの、日本一大きなものです。6月頃になると、樹上に大きな白い花をつけます。
材はサクサクと刃物が入って、昔の図画工作の授業ではこれで版画を彫った経験のあるひとも多いかも。
下駄の歯もこれでしたよね。筆者は1956年の生まれですが、このことが実感として分かる最後の世代かも(笑い)。

我が家に自生するサンショウ(山椒。ミカン科サンショウ属)の若葉。
この木が身近にあるおかげで、食卓は豊かです。
若葉は筍と一緒に。会津の郷土料理の“ニシン山椒”にしたり。
たくさん収穫できる青い実はていねいに摘んで、“ちりめん山椒”にします。実は茹でて冷凍にしておくので、“ちりめん山椒”は年がら年中食卓にあり、なくなれば作ります。ちりめんじゃこはネット通販でのキロ単位の取り寄せです(笑い)。
“ちりめん山椒”は京都の名産のようだけど、ルーザの森もどうしてどうして(笑い)。青い実はケチらずにふんだんに使えるので、風味はこちらが上かも(笑い)。

またサンショウは、我が家の大切なお客様のミヤマカラスアゲハ(深山烏揚羽。アゲハチョウ科アゲハチョウ属)の食草のようで、6月になるとヒュッテの前に必ず来てくれます。一度に3頭も4頭も舞うことがあって、それはそれは見事です(何で蝶は“頭”で数えるんだろう?)。今年は第一陣が早くも来ました!

今、ヒュッテの前のブナは、美しい若葉のころ。
背景には銀色のコナラの若葉が控えます。

ブナ(山毛欅。ブナ科ブナ属)の若葉。
新緑の頃のブナの若葉ってやわらかい産毛でおおわれていて特別です。光を透かして輝く様はあまりに美しくドキドキします。
夏の、繁茂する堂々たるブナもよし。朝日連峰だとか飯豊連峰だとか、栗駒だとか名だたる名峰の麓にはどっしりとしたブナ林が控えていますが、その荘厳さは比類なきものです。

ブナは「橅」の字が当てられることもありますが、これは用をなさない木という意味で、ブナをバカにしたものです。
ブナは乾燥とともに材が暴れて、歪んできます。ということは、その歪みや狂いを調整しなければ、建築や家具の材としては使用するのにむずかしいのです。あえて使う場合は狂いを取るために乾燥させては挽き、さらに乾燥させては挽き、つまり二度挽きが必要になってきます。そういうことからの当て字ですね。
でもこれって、本当は菌による同じ活動である“腐敗”と“発酵”を区別して名づけるのと同様、人間にとって都合がよいかどうかを価値基準にしている行為ですね。
あくまで人間は、人間中心主義を貫こうとしています。今回のコロナ禍についても社会総体がこの観点で観ているような気がします。これとは別の観点から観たら事態はどうなのかといった議論は必要だと思います。

ブナ材は体育館の床などによく見られます。板の表面に雨が降っているような模様があるので分かります。長さはいずれも45センチほどの短寸で、繋ぎのためのパーツとしての利用です。これも歪みの性質を持っているが故ですね。
でも、それにしてもの、ブナの美しさ。

若葉のころは、もはや山菜の季節。
待ってました、この日を来るのを。筆者はもう、ろくろ首状態(笑い)。

下は、コシアブラ(漉油。ウコギ科ウコギ属)の若葉。
コシアブラの若葉は優秀な山菜です。季節には当置賜地方でもマーケットに並び、結構な値段で売られています。天ぷらもいけるけど、まずはおひたしが最高でしょう。醤油をベースに、マヨネーズや鰹節、刻んだクルミを添えたりして楽しみます。
コシアブラは独特のキドさ(エグみ)が春を実感させ、その年にはじめて食べるときには(初物をいただくときには、これに限らず)感謝の意を込めて東の方向(太陽が昇る方向)を向いて笑うのがこちらの倣いです。
山菜王国の秋田でコシアブラが食されるようになったのはつい最近のことだそうで、福島は県北出身の相棒のヨーコさんは、この山菜自体知らなかったとのこと。あまりにおいしいので、長い間、山形県より緘口令(かんこうれい)が敷かれていたのかもしれない(笑い)。

当地方米沢の伝統工芸品、笹野一刀彫のひとつの“木花(笹野花)”は、コシアブラの材を削って作り上げたもの。雪に閉ざされる地方の、技の彩りでもある。

タカノツメ(鷹爪。ウコギ科タカノツメ属)の若葉。
タカノツメこそはビビットな美しい緑です。利用はコシアブラに同じ。キドさは、こちらが上かも知れない。塩や味噌の味付けの切り合えにしてあたたかいご飯にまぶして食べるのもおいしいです。
地元でもほとんど知られていないけれども優秀な山菜です。
タカノツメのもうひとつ注目すべきは、黄葉の美しさです。カスタードクリームをもう少しあざやかにしたような、美しい黄色になります。

ハリギリ(針桐。ウコギ科、ハリギリ属)の若葉。
別名はセンノキ(栓木)。30メートルもの高木に成長します。若い木にはタラノメをしのぐ鋭い棘がありますが、大きくなると棘は消滅してしまいます。
若葉の利用はコシアブラやタカノツメに同じです。これもまたちがったキドさと風味があっておいしい山菜ですが、これも地元の者は知らないようです。もったいないことです

下は、コマユミ(小檀。ニシキギ科ニシキギ属)の若葉。
枝に、コルク質の翼(よく)があるものをニシキギ(錦木)といい、ないものはコマユミとされます。この辺りには翼のあるものを目にしたことがないのでほとんどはコマユミだと思います。
秋になると、果皮が割れて赤橙色の実が出てきます。雪が降っても落ちないので無彩色の風景にかすかな彩りを添えます。

ヤマツツジ(山躑躅。ツツジ科ツツジ属)の若葉。
もう少しで全山がこの朱赤の花で彩られます。朱とは違う、赤とも違うその混じり合った微妙なレッドがあざやかで、周りの万緑とすばらしいコントラストを作り出します。

リョウブ(令法。リョウブ科リョウブ属)の若葉。
一風変わった名のリョウブは当てられている字の通り、法令で定めたという意味のようです。何を? 飢饉に際して、救荒植物としてこれを食べるようにと。筆者にしてリョウブを食べたいとは思わないけれども、そうして飢えをしのいだ歴史の証人でもあるのでしょう。
やがてたくさんの尖がった白い花穂で満たされます。

クロモジ(黒文字。クスノキ科クロモジ属)の若葉。
枝を折ると何とも清々しい香りがあたりに漂います。

ヤマウルシ(山漆。ウルシ科ウルシ属)の若葉。
樹液に触れると皮膚がかぶれるので注意が必要。筆者は以前いただいた材に知らずにチェンソーをふるって、顔がパンパンに腫れあがったことがありました。樹液が飛び散ったのです。あの時は、まいった(笑い)。くれるひともくれるひとですよね。
ひとは山のウルシを厄介者扱いするけど、秋の紅葉の美しさといったらないのです。紅葉グループからウルシが抜けたなら、世の中の半分はきっと落胆を隠せないでしょう(笑い)。それほどに、ゾクッとするほどにヤマウルシの紅葉は美しい。
その昔、果実からは木蝋が作られたともいう。

マルバマンサク(丸葉万作。マンサク科マンサク属)の若葉。
阿波踊りのような、細い縮れた紐のような黄色な花は有名だけど、葉はあまり知られていないかもしれない。より丸っこい葉のマルバは日本海側気候に多いということです。

ヤマモミジ(山紅葉。ムクロジ科カエデ属)の若葉。
姿かたちが近縁のイロハカエデに似ていますが、筆者にはなかなか区別がつきません。分布もほとんど変わりはないようですが、葉がやや大型であること、日本海側の多雪地帯に多いものとして、これはヤマモミジでは。

ハウチワカエデ(羽団扇楓。ムクロジ科カエデ属)の若葉。
生まれてそうは日にちが経っていない葉にはこれから葉緑素に変わる前の赤味が差しています。これはアントシアニン(赤)やカロチロイド(黄)という色素がクロロフィル(緑)という葉緑素を作る色素へと変化する過程のものとか。これが、春百彩(はるひゃくさい=春紅葉)の彩りのひとつの要因でもあるようです。

イタヤカエデ(板屋楓。ムクロジ科カエデ属)の若葉。
秋に冴えた黄色に黄葉する木で、筆者が特に好きな木のひとつです。敷地内には自生するイタヤカエデが何本かありますが、特別に1本をヒュッテと母屋の中間に植栽して育てています。
この木はメープルシュガーの代用にもできる樹液を出します。この木で本格的に樹液採取の事業を起こした記事を読んだことがあったなあ。テレビ朝日系の「人生の楽園」に登場したことがあったかも。
以前は、スキー板の材に、今でもバイオリンの材に、家具に建具にと用途は幅広くあるよう。
吾妻山麓の滑川温泉の露天風呂に、まるで屋根のように覆いかぶさっていたのはこのイタヤカエデだったと思う。

カンボク(肝木。レンプクソウ科ガマズミ属)の若葉。
ワラビが出る頃ともなると木全体を雪が降ったように真っ白な花(小さな両性花のまわりに大きな5枚の装飾花が縁取る)で覆いつくすようになります。この花が終わるころに、やがて梅雨がやってきます。

シラカンバ(白樺。カバノキ科カバノキ属)の若葉。
これは植栽されたシラカンバのまわりにあった実生からの幼木を移植したもの。ただ近くに自生のシラカンバもあることから、このあたりも生育に適しているようです。大きくなって、白い木肌のすっくとした姿を見たいもの。
原作の紀行文にも映画にもあったシーンだけど、「デルスウザーラ」にシラカンバの白い樹皮を大切にふところにしまっている主人公デルスの姿がありました。森の中で野営するには火は欠かせなく、着火の際の焚きつけにこれが有効なのです。筆者も試したことがあったけど、樹皮はきわめて薄くはがれると同時に油分を含んでいて着火には素晴らしい材料であることを認識しました。


若葉のころ。

ビージーズに「若葉のころ」という歌があって、筆者はこの歌が好きで、今でもよく聴きます。
「若葉のころ」(原題First of May)は、ご存じ「小さな恋のメロディ」(1971年公開のイギリス映画)の挿入歌。公開時に筆者はちょうど多感な15歳、ヰタ・セクスアリスの匂いを放ちはじめていたんだろう、映画の幼い恋の物語と相まって耳にやさしかったんだと思います。
主演のトレーシー=ハイドとマーク=レスターは筆者とほぼ同じ年代、もう彼らも還暦を過ぎたわけだ(笑い)。
歌詞には、大きかったクリスマスツリーが小さくなり(子どもはどんどんと成長し)、幼かった恋を若葉のころにかけて(first loveをfirst of mayにかけ)、過ぎ去ってきた時間をなつかしんでいる、そんな詩情が漂っているよう。

下は、ウラジロモミ(裏白樅。マツ科モミ属)の若葉。
吾妻連峰の麓の五色温泉近くの林の中にあった実生(みしょう)の幼木を育てたものです。

こんなに大きくなって、もはや雪囲いで雪から守れる限界を超えてしまいました。

トウヒ(唐檜。マツ科トウヒ属)の若葉。
唐檜とはいえ、日本原産とのことです。
いつも大変お世話になっている近くの栗園の、実生のものをもらって植えたもの。これもずいぶん大きくなりました。

先日、妙齢の女性がドアリラを求めにご家族でおいでになりました。その方がリビングで寛いで言うことには、“ここは米沢なのに米沢ではないみたい、まるでヨーロッパにいるみたい”。
その言葉は室内の山荘風の雰囲気も影響したでしょうが、植栽しているモミとトウヒを目にしたからかも。
モミとトウヒはともに、ずばり、クリスマスツリーをイメージして植えたものなのです。ここをして遠い異国に思い及ぼすひとにうれしくなります。


ルーザの森は今、萌えいずる若葉のころ。
下の写真に見る我が家はポシャポシャとした銀色で覆われているのがわかるでしょう。その銀色の正体はコナラです。コナラの若葉が光に反射しているのです。

コナラ(小楢。ブナ科コナラ属)の若葉。
コナラの若葉の銀色はやがて目の覚めるような美しい緑に変化していきます。
コナラは新葉が展開すと途中に雄花序を伸ばして黄色な花粉をまき散らします。それは外に置いたクルマが薄く黄色に染まるぐらいだけれど、それはゼンマイの最盛期を指します。嗚呼、想像しただけでクラクラしてしまう。

ミズナラ(水楢。ブナ科コナラ属)の若葉。
大きくなった葉はコナラもミズナラも似て波打つようなはっきりした鋸歯(輪郭のギザギザ)がありますが、ミズナラの葉はコナラよりずっと大柄です。コナラには葉柄があるのに対し、ミズナラはほとんどありません。
標高が約350メートルのルーザにあってミズナラはきわめて珍しいもので、庭に1本だけ自生しており、あたりの森を歩いてもそうはお目にかかれません。これが400とか500メートルぐらいになるとミズナラは大きな林を作る、つまりコナラよりもより高い土地に勢力を持っているのです。
かつて新潟は山北(さんぽく)の奥三面にマイタケ採りに誘われて行ったことがあったけど、マイタケは決まってミズナラの巨木の根元に生えているのでした。

クリ(栗。ブナ科クリ属)の若葉。
このクリは最も早くひとが栽培というものをはじめた木のひとつであったでしょう。青森の三内丸山の縄文遺跡では栗畑が確認されており、それは木の実の安定的な収穫もさることながら、もうひとつの重要な目的はその木材にあったのではないかと推測されます。
クリは薪として割っても、斧は素直に入って小気味よいほどの音を立てて割れていきます。ということは、落葉広葉樹にありがちな木の性質としてのねじれや歪みがほとんどないことを意味しています。それは同時に、まっすぐなよい建築材が取れることの証明です。
さらにクリ材は、腐朽に強い。建築の際の土台にすえたり、鉄道の枕木に使用されたりするのはそのためです。とても有用な材木なのです。
筆者はドアリラの製造を生業(なりわい)としているけれども、今小屋には原木買いしたクリが眠っています。あと3年後には使えるようになります。それは、とても楽しみ。

刻々と変わる若葉のころの緑の様子を追っていくと人生観は変わるのかも知れない。そうして自由な時間を得た筆者は、幸いや歓びの質がこの時期をして変わったのでした。
「若葉のころ」は、これにておしまい。バイバイ!

さて、工房の増築の作業にかからねば。
ようやくここまでこぎつけました。完成までには、あと、1か月かなあ。

 

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