旅の空、飛ぶ声

会津、山の湯と工人まつりと。その1

もう6月。
6月に入ったということは、夏至がもうすぐやってくるということ。それは1年で最も日の短い冬至から半年が過ぎるということ、夏至が過ぎたらあとは冬至に向かっていくことを意味します。
日が短くなるんだあ、冬に少しずつ近づくんだあと思うと残念なのです。冬はそれはそれでよい季節だけど、屋外でできることをぐっと制限してしまうことは確か。
そんな6月7日、福島県会津地方に出かけてきました(この日、東北南部が梅雨入りしたという。昨年より3日早く、平年より5日早いとのこと)。今回は、その紀行です。

出向いた目的はふたつ。
ひとつは、6月8日(土)9日(日)に会津の三島町で開催される「ふるさと会津工人まつり」に行くこと。もうひとつが工人まつりの前泊として三島に近い柳津の山奥の西山温泉に行くことです。これは昨年と同じパターンです。
米沢から三島までというのは約95キロ、クルマで約2時間10分です。この距離だと日帰りで十分なのですが、特に無理をする必要もなく、小旅行気分ということで。

なぜ西山温泉なのかというと、第一には工人まつりの会場にそう遠くはないということ(約10キロぐらいだろうか)、それから何と言ってもそこは、山峡の俗化していない鄙びた温泉場であるということです。どうせ泊まるのなら風情がある方がいいに決まっている。
そしてそこは、若き日のつげ義春(1937-)が訪れた場所。つげ義春のファンのひとりとすれば、それは聖地にもひとしいもので。
つげは1971年と76年の2度、西山温泉の“中の湯”に泊まっています。2度目の来訪時には新館が建っていて、絵に描かれた旧棟は宿泊をやめていたけれども無理を言って泊めてもらったということです。今や中の湯は小綺麗な旅館になっているようで、つげが訪ねたときの素朴な面影は見当たりません。むしろそこからほど近い老沢(おいさわ)温泉旅館の方がまるでかつての中の湯のようです。筆者のめあてはこの旅館です。

下は、雑誌「男の隠れ家」(あいであ・らいふ1999)の表紙。この絵はいいなあ。つげのファンなら垂涎の一枚!
次は、上掲誌の老沢温泉旅館の紹介のページ。

下は、愛読書のひとつ『つげ義春の温泉』(カタログハウス2003)。
つげが若い日に訪ねた、例えば会津であれば他に湯ノ花温泉、玉梨温泉、木賊(とくさ)温泉などの温泉地の写真やイラスト、名作「長八の宿」「ゲンセンカン主人」などの温泉漫画、その他に温泉にまつわるエッセイなども収録されています。
なお、表紙は、西山温泉の中の湯だと思います。

行く途中にいつも立ち寄る、柳津町立斎藤清美術館。
いつ行ってもそこには変わらぬ斎藤清がいて、美しい心象の風景に心癒されます。パリの風景、メキシコ風景、デフォルマシオンの効いた美しいヌード、猫、京都、そしてふるさと会津の雪の風景、五月の景……。
斎藤の極みは何と言っても構図ですね。大胆というのではない、奇抜というのではない、“比”とか“面”の割合とか構図が画面に与える影響についてこれほど考察し心血を注いだ作家はいないのではないかと思うほどです。
筆者は斎藤清の版画が好きです。特に、会津の田植えの頃の田舎の風景がいいなあ。絵の中からカッコウでも聴こえてきそうです。

西山温泉から3キロほども山の中にある西山地熱発電所を訪ねたのは昨年。今年も行こうかと思ったけど雨降りだったので止めました。
山中に忽然と現れるこの地熱発電所は火山の国ニッポンを象徴しているかのよう。
原発事故を起こしてしまった福島の地で、自然エネルギー推進の象徴として頑張ってほしいもの。

そして、西山温泉。
下は、高架橋から見た滝谷川沿いの西山温泉。川の右手が“滝の湯”、一番奥の点のようなところが中の湯、そこから左に少し登って老沢温泉旅館、その坂を右手に折れて少し行くと“新湯”という旅館があります。西山温泉は、このようなロケーションの、計たった4軒の小さな温泉場なのです。
手前の建物にも“下の湯”という湯屋があって立ち寄り湯ができるとのこと。ただ、管理しているのは一人住まいのおばあさん。彼女はよく近くの畑に行っているらしく、主の不在ゆえ入浴はなかなかむずかしいらしい(笑い)。
筆者も行ってみたのだけれど案の定不在でした(笑い)。でも、そこに行くのにはつり橋を渡り、清流・滝谷川が目の前に流れて……、とても心和むいい風情です。

老沢温泉旅館あたりで目にしたのは、野生にして不似合いな豪華な花でした。昨年、はじめて見ました。
よくよく思い出して、もしかしたらイングリッシュガーデンにあるかも知れない、かつて訪ねた旭川の上野ファームにあったかもとガイドブックを見直したらやっぱりありました。
この奇妙な花は名をジギタリス、日本名ではキツネノテブクロというのだそうで、なんともユーモラス。宿の老女将は「ちょうちんばな」と言っていました。
誰かが園芸種のタネを植えて、それが飛んだんだろうね。

宿に着いて、その庭にあった木の花が目にとまりました。
花は白ではないけど、何かエゴノキ(野茱莉)にそっくりだなあと思って宿の人に聞いても分からず。帰って調べたら、まさにそれはエゴノキで、これは園芸種なんだそうな。ベニバナエゴノキまたはピンクチャイムなどという名前をもらっているのだとか。
エゴノキはルーザにもあるけど、この真白い花はよいもの。ちょうど梅雨入りの前後に咲きはじめます。実は炒ったコーヒー豆のようです。

駐車場につくと、何やら筆者に呼びかけるコンニチハがどこからか聴こえるなあと思いきや、旅館の2階から宿の老女将と横須賀のOさんではありませんか。にこやかなふたりが迎えてくれたのでした。

Oさんとは昨年の今頃にここで出会ったのです。それ以来、メールでのやりとりなどがあったので1年という空白感はなかったのですが、再会はうれしいものでした。
Oさんには今回もおいしいコーヒーを淹れてもらいました。何と旅先に豆を携え、知る人ぞ知るPORLEXのミルで挽いたもので淹れてくれるのでした。昨年もごちそうになったので、(豆から挽いてくれていたとはつゆ知らず)今回は筆者が持参したのはいつも飲んでいるものより少し上質なレギュラーのドリップパック、それで淹れて差し上げようと思ったのでしたが、(早々に引っ込めて、)また一杯をいただいたというばつの悪さ、厚かましさ(笑い)。
お互い年齢も近いし同じ時代を過ごしてきたということもあり、今回もずいぶんとしゃべりました。
彼はもう10数年来のリピーターだとか。いいですよね、こういう旅館が常宿というのは。

この古びた看板、昔の温泉宿の造りがいいです。

そして情緒を醸す川底の湯舟に通ずる階段。


湯舟は三つあります。
湯の温度は、流れてくる掛流しの湯道を開けるか狭めるか塞ぐかで調整します。これひとつでいかようにも調整できるなんて、なんて単純で素晴らしいことだろう。今回はぬるくもなく熱くもなくちょうどよい湯加減です。
湯舟の奥に、宿泊者が寄進した奉納の幟が。
窓の外は小川が流れていてそこからカジカガエルの声が響きます。まず落ち着くことと言ったら。
ふと目が覚めた夜半も含め、筆者は今回も4度ほども浸かったろうか。まったく命の洗濯ですね。

脱衣所にあった、昔の牧歌的な入浴のスナップ。乙女も中年の女性も婆も、男性もふたりほど。

丁重なおもてなし、余計なものが何もない空間、カジカガエルだけが響くあたりの静けさ……、老沢温泉旅館には今回もほんとうにお世話になりました。来年、また来ます!

(つづく)