あなた(君)にとって、最も美しいと思う花は何? と聞かれたら、どう答えるんだろう。筆者は迷うことなく、“ヒメサユリ(姫小百合)”と言います。
個々のこの花の、桃色から伝統色・一斤染(いっこんぞめ)にいたるスペクトラム(微妙に違いながらの連続)の透き通るような何とも言えぬ色合い、か細い茎、うつむき加減な姿……、ヒメサユリとはよく命名したものです。率直にも美しいと思います。
実はこの命名は植物学の権威・牧野富太郎にして、その時の標本はここから25キロほどの羽前小松(東置賜郡川西町)のものだったとか。*(『置賜の花』小野寺忠男著、私家版2003より)
今回は、ヒメサユリのはなしです。
ヒメサユリがこの時期、ここルーザの森に咲くのです。
咲いているのは、筆者の知る範囲では笊籬溪(ざるだに)の北側一帯と我が家の東方のごく限られた場所です。今回は笊籬溪北側を歩いてみます。
取りつきまで歩いていく途中、クマヤナギ(熊柳)が赤い実をつけていました。
クマヤナギの実は黒熟すると食べては甘くておいしいですし、果実酒にもできます。我が家でも作っています。
この枝はしなって強靭で、その昔は雪の上を歩くために靴につける輪樏(わかんじき)を作る際の蔓紐の材料にしたとのこと。
現在の笊籬溪。ヤマボウシ(山法師、山帽子)はちょうど今頃、白い花(本当は総包片)をつけていると思うのだけれど、鬱蒼とした緑で見えにくく。
もうこの緑は、夏だね。
途中、ハナニガナ(花苦菜)の花が。
植物によく“ナ(菜)”とつくものがあるけれど、命名の約束ごととして、食することができるものにつけたのだそうな。したがって、ハナニガナとは食べられるけど苦い、そういうものに咲く花という意味なんだろう。
これはこれできれい。
9月には黒熟しておいしい実をつけるナツハゼ(夏櫨)の若い実もそちこちに。
さて、ヒメサユリ。
そのユリをはじめて見たのもヒメサユリという名を知ったのも筆者が就職間もない頃(1980年頃)、学生時代の友人たちと鳥海山に登ったときのことだったと思います。
確か、山形県側八幡町(現酒田市)の湯の台口のルートでしたが(現在の手軽なルートとはずいぶんとちがってずーっと下の方からの登りだったと思う)、第一の目標の滝の小屋に至るまでの登山道のそちこちにその花は咲いていたという記憶があります。
これはヒメサユリ、と教えてくれたのは後輩の女性でした。そのとき、こんなに美しい花があるんだと思いました。感動でした。
ヒメサユリに似たものにササユリ(笹百合)があるということです。でもこれは西南日本に分布します。
ヒメサユリよりはずっと大きく、背丈は50から80センチほどになるとのこと。こちらはせいぜい50センチまで。蕊(しべ)の色はヒメサユリが橙(だいだい)に対して、ササユリは赤ですので区別は容易です。
このヒメサユリは日本の固有種。
自生地はかなり局地的で、山形、福島、新潟に限られる(宮城県南部のごく一部も)とのことです。県境域に多く産し、この3県の、山地から亜高山帯にかけて分布しています。
筆者が山登りで目にしたのは、いずれも山形県域の以東岳とそこから連なる朝日連峰、それに飯豊連峰、鳥海山ぐらい。(西吾妻山にはよく行くけれど、見かけないなあ。吾妻連峰の場合は、福島側に咲いているみたい)。
まあ、とにかく希少なわけです。
ヒメサユリは花びらが内側に3枚、外側に3枚ある花が茎の頂部に横向きにつきます。
花びらは例えばヤマユリ(山百合)がそうであるよう斑点などなくて無地単色、葉は笹の葉形で互生します。
筆者たちがこのルーザの森にやってきてかれこれもう26年になるけれど、ヒメサユリとの出会いは今も忘れることができません。
ヒメサユリは登山でしか見ることができないとばかり思っていたのですが、ここにもあったのです。移住して6、7年経つか経たないかの頃だったと思います。それはゼンマイ採りの末期だったと思うけど、家のすぐ近くの南側の藪を歩いていて松の木の根元にひと株のヒメサユリを見つけたのです。感激でした。
でも次の年には残念ながらそこには見当たりませんでした。
が、今度は筆者たちがよく使う広場に、そして家の周りにと顔を出すようになってきて喜んだものです。
こんな美しい花が我が家にやってきてくれたことがうれしく、四方八方から、ときに腹ばいになってと折に触れ飽かず眺めたものです。が、いずれも1年あるいは2年で姿を消してしまいました。すごく残念でした。
せっかく生えてきてくれたのに、なぜに消えてしまうのか。それは日光の加減なのか、土の具合いなのかは今もよく分かりません。
そして2015年の5月の末こと。
東京と神奈川からお客さんがおいででみんなしてルーザの森を歩いたのですが、その中のお一人が一株のユリの小さな蕾を発見したことからこの森のヒメサユリ事情は変わりました。その散歩のあと約1週間後にそこを歩いてみると、あるではありませんか、自生しているヒメサユリが。そっちにもこっちにも。決して群れを作ったりはしないけど、ポツンポツンと何と道々に35株ほども。驚きでした。
それからというもの、5月末から6月の初めにかけてのわずか1週間にも満たない短い期間の散歩がことのほか楽しみになったのです。この森に暮らす幸いがまたひとつ加わりました。
ここは普段は誰も歩かない道ゆえ、盗掘もなく乱獲もなく生きのびて来られたのだと思います。そして今後も、知られませんようにと願うばかりです。
地元の人に聞けば、ヒメサユリはその昔、ルーザの森を含む梓山地区(ずさやま。この土地の名は、“ツサ”という、山と山に狭められた土地という意味のアイヌ語からという説がある)には低地でもごく普通に咲いていたものだということです。が乱獲にあってほとんどが消滅してしまったのだと。
まわりにたくさんのこんな花を見たら、切り花にして花瓶に活けたりしたくもなったものでしょう。そのうちにどんどんと数を減らしていったんだろう。
このヒメサユリの群生地としては山形県は大江町(大山自然公園)、福島県は熱塩加納村(あつしおかのうむら。現在は喜多方市)宮川地区が知られていて、今や有名観光地になっています。
近年、熱塩加納にそれを見に行ったことがあったのですが、山の斜面一面がピンクの色で埋め尽くされてそれはそれで圧巻でした。が、手入れされ管理されているせいか一本一本の茎がここのものよりはるかに太く、途中枝分かれした三叉四叉の花もめずらしくはありませんでした。とにかくにぎやかで豪華という印象でした。
しかし、ヒメサユリの本来の特徴はか細く可憐で静かなこと、そこでは花の持つ情緒はすっかり抜かれてしまって美しさも半減したことを覚えています。
やはり、ルーザの森のヒメサユリの方がきれいです。
と、いつもの道を歩いていると、印象がまったくちがうユリに出会いました。3年前のことです。
ヒメサユリの花というものは必ずや桃色の色味が入るものですが、雪のように白いものを発見して目を疑ったのです。
写真を撮って家に戻って、新種だろうかと図鑑とにらめっこしても一向に埒があきません。葉も茎も、蕊の様子も蕊の色も、他のヒメサユリとの違いは見当たりません。ただ、花の色だけが違うのです。
結論は“突然変異”、まれに白花も産出されるという。
熱塩加納で発行している案内リーフレットによればそれは30万株につきひと株、とのこと。その昔そのあまりの希少さゆえに会津の藩主に献上していたという記録が残っているとも。
そんな希少なものがここにあるなんて!
今年は一株が増え、花も昨年までのふたつから三つに増えました。うれしいです。
どうぞ今後も、誰にも見つかりませんように。
ヒメサユリ咲く道を戻り……、
天王川流れる笊籬溪を渡り……、
我が家に戻りました。
このルーザの森に咲くヒメサユリ、永遠であってほしいなあ。