まるで決まりごとのように、冬は今年も雪をつれてやってきて、時に猛吹雪もありまして。
ここは東北、日本海側気候の内陸部の、山形県は米沢の郊外のルーザの森です。
今は年改まった2023年の1月10日、ルーザの森は耐えなければならない厳しい時期に入ってきました。これから2月の末まで気が抜けない日々が続きます。
太平洋側とちがってこちらは、冬の間に日光が顔を出すという日はわずかで、ほとんどはどんよりとした鉛色の重い空、雪の空です。
それは時に息苦しく、身体縮こまり、気も萎えさせてしまいがちになります。
そういうことに押しつぶされるかどうか、はね返せるかどうか…、これが雪国の冬の暮らしのリアルです。
雪はうつくしくはあるけれど、実に苦いものでもあります。
本日、外は吹雪。
作業中の工房の窓の、雪囲いの板渡しのすき間から。
積雪は約140センチ。このあたりとしたら、この時期、これは普通です。
吹雪がくれば荒れ狂ったように雪を巻き上げます。
こうなるとひとなどまったくの非力、じっとしている以外にはありません。
下は、リビングからの風景。
朝までの新たな積雪が10センチを超えると予想された場合、市役所の土木課は午前2時に各除雪業者に除雪の指令を出します。そうして一斉に除雪がはじまります。
この地区の場合は3時前に除雪車が動きはじめて、担当地域の最後のエリアである我がルーザの森に達するのは約4時間後、7時前ぐらいです。
こういうふうに降雪が多いと予想されるときは筆者もそれに合わせて5時に起き(1年中ほぼ変わらないことですが)すぐにスタンバイ、家庭用の除雪機を動かして(雪の多いときで)約70分ほどの除雪をします。
そうしてクルマが出ることができるように車庫の前をきれいにし、主屋の玄関口から公道までの約50メートルほどの道を確保します。
その他の家屋まわりなどの除雪は日中の仕事となります。
近くの笊籬(ざる)沼の現在。
今は無彩色の寒々しい景色だけど、もう少しして気温が下がると氷が分厚く張ってきます。そうなればスノーシューで自由に動き回れるようになります。
スノーハイキングはとても楽しいものです。
併設の工房とヒュッテの煙突からは薪ストーブの煙がたなびいています。
この厳しい冬のためにこそ、薪ストーブはあります。
この薪ストーブの煙の景色を見たいがために森に移り住んだのかもしれないと思うほどに、筆者は薪ストーブを愛しています。
ヒュッテの薪ストーブ。
薪ストーブはあたたかいです。
工房のストーブ。
いずれのストーブもとても安価なものですが、炉台とか囲いのレンガ積みとか、煙突の施工もすべて筆者の作業。ものづくりの醍醐味がつまった作業だったことを思い出します。
静かな雪の夜です。
と、昨年末の12月19日のこと、家から約150メートルのあたりで倒木が道を塞ぎました。
翌20日には、相棒の出勤のクルマの直前で、やはり同じ場所で倒木がありました。
危ないところだったようです。
後ろに見えるのは幹の途中で折れたアカマツ(赤松)。
駆けつけて、道にかかった木をチェンソーでぶった切ってクルマが通れるくらいにはしました。
と、さらに同じ19日に、我が家に隣接する林の中の、25メートルくらいには伸びていたと思われるやはりアカマツが折れて、電線を直撃しました。
倒れるときにコナラ(小楢)に寄りかかったのがよかったものか、断線せずに済んだのは不幸中の幸いでした。
これはリビングの目の前でのこと、それにしてもすごい光景です。
電力の供給は(ここでは)東北電力、よって送電に支障が出る事態が発生した場合は電力会社の責任で解決することになります。そこで電力会社は電線にかかった樹木を取り去るべく専門の業者に作業を委託します。
電力会社というのは(全国どこでも同じだけど)発電から送電までを一括独占している特殊な会社形態で(ここが原発依存体質から抜け出せない最大の問題なのだと思う)、したがって発送電にかかる一切の経費を電力料金に押し込んでいます。こういう事故対応の経費も、もちろんそうです。
そうして委託業者がやってきたのは倒木発生から2日後のことでした。
同じような事例が各地で起きていたらしく、ようやく順番が回ってきたという感じでした。
現場は高所作業車の入れない場所、どうやって電線に引っかかっている太い枝を取り除くのかを興味津々で見ていましたら、ふたりして電柱に登り、まさしく薙刀(なぎなた)のような長い柄のついたノコギリで根気よく少しずつ切ってゆく(下では枝に引っかけられたロープを巧みにあやつってサポート)、それが作業のすべてでした。
プロとはいえ、本当にお疲れ様、という感じでした。
電線への引っかかり部分を取り除いて着地したアカマツの幹。
雪解けの季節がきたら、今度は筆者が残された木を伐り倒すことになります。きっと、大仕事なはずです。
長くここに住んでいるけど(今年11月で30周年!)、こんなことははじめてです。
なぜ道路の封鎖も電線への直撃もアカマツなのか、その理解はむずかしくはありません。
林の中で木は自分以外の樹木と太陽の光を求めて奪い合いの熾烈(しれつ)な競争を絶えず繰りひろげているものです。
それはごちゃごちゃと全員が狭いリングに上がって、サバイバルの殴り合いの様相といっても過言ではないくらいです。
そうして光が得られない個体は光合成ができなくなって、やがて枯れる運命となります。森では、そういった立ち枯れのコナラ(小楢)をよく見かけます。
一方アカマツは、日光が得られなくなった幹の下の方の枝と葉を自ら落としつつ、とにかく上へ上へと成長を続け、そのトップあたりにだけ常緑の針葉を茂らせるようになります。
そこに重い雪が積もったらどうなるか、しなって耐えて、耐えられなくなれば折れるしかないのです。
今回の倒木はこれが原因です。
雪のないところに住むひとにしたら、ここの環境はとんでもなく過酷なように思えるのかもしれないけれど、筆者はとても好きです。
課題があって、それを知恵を働かせながらひとつひとつクリアしていく、それが何ともこころよいのです。
ひとってそこでばかり動物としてのニンゲンを実感すると思うのですが、ここではその実感ができますから。
そう、筆者にとっては、不便とか不都合とかはイヤなものではなく克服すべくタネ、それは価値でもあるのです。
観光客のように、よい季節によいところに出かけて風景を愛でる、おいしいものを口にしていい気持ちになるのもいいと思うけど、そういう、いいとこ取りのつまみ食いに本当のその土地の魅力というものは分からないのではないでしょうか。
そして今、都市であれ地方であれ、日本中が便利と快適という洪水の中に放り込まれてアップアップ、息絶え絶えでどんどんと生きる力を減退させているように思うのは筆者の勝手な想像というものでしょうか。
いわば日本全体が、知恵を働かせて暮らしを営む者から観光客化してきているというか。
試練のないところに、こころからの喜びなんてやってこないと思うなあ。
春が光り輝いてうつくしいのは、試練を乗り越えているからです、きっと。
*
雪が来たからといって、苦々しく思ってばかりはつまらないこと。
楽しみを見つけていかなくちゃ。
そこで筆者は、工房の仕事のかたわら、ひさしぶりに燻製をすることにしました。
燻製は寒い季節に限ります。
煙をできるだけ冷やしつつ燻(いぶ)す、これが燻製品の出来不出来を左右するのです。
燻製器は2020年の秋に、ガソリンスタンドからもらった20リットルのオイル缶ふたつでつくった自作のものです。
筆者は長い間燻製に憧れを持ちつつ手つかずであったので、よく考えてしっかりしたものを時間をかけてつくりました。
下は、製作したとき(2020年11月)のもの。
食材をのせる網や金属ざるをかなりフレキシブルに置ける構造になっています。
この燻製器を使って、下処理(スパイスとともにふり塩)して一週間ほども寝かせ、塩抜きした豚バラブロックや鶏のささ身、それからイカやホタテの海産物やチーズなども燻しました。
燻製した食材はとにかくおいしいです。
そのままであるいは料理に混ぜ込んだりと利用はさまざま。ベーコンを焼いてパンに添えたり、小さくしたチーズをサラダに入れるのもよし、これで冬の食卓が少し豊かになります。
煙がかかると食材がなぜにこうもおいしく変身するのか、それはまるで魔法のよう、先人の保存の知恵に感謝するばかりです。
下は、燻製なった鶏のささ身。
この時期のもうひとつの楽しみは、ビワの葉のお茶つくりです。
三重の友だちが今年も庭の新鮮なビワ(枇杷)の葉を摘んで送ってくれました。
ビワの葉の堅い手触りは、形はおおいに違えどこちらの高山に咲くシャクナゲ(石楠花)の葉にとても似ています。
まず葉のいちまい一枚をていねいに洗います。特に産毛が密集する葉の裏はたわしでこすってきれいにします。
それから堅い中央の主脈を取り除いて、ビニール袋に密封して1週間、あたたかい場所で発酵をうながします。
発酵させた葉を小さく切り込んで、3、4日ほども薪ストーブの近くで乾燥させればビワの葉茶のでき上がりです。
でき上がったビワの葉茶。
ひとつまみして、約2分ほど煮出してからいただきます。
ある管理栄養士がweb上で紹介していたビワの葉茶の効能は…、
・(ウルソール酸による)骨密度低下の防止
・血液のアルカリ性化
・脂肪の分解
・咳止め、喘息の改善
・殺菌、消毒、鎮痛…
これってすごいですよね。これはもう、おいしい薬です。
これで免疫力はバッチリです。
ビワの葉茶は客人へのもてなしにとても重宝しますし、筆者にとっては今や日常的な飲み物になっています。
*
1月も1週間が過ぎるころになると、小正月の行事である団子木飾りのことを考えはじめます。
今年は相棒が職場でもほしいと頼まれているというので、それじゃあ一緒に散歩がてら天然の団子の木を採りに行こうと誘いました。
団子の木はミズキ(水木/ミズキ科ミズキ属)という木です。
ミズキは5月の末に真っ白い花をつけます。こけしの材料にもなる木です。
少しばかり歩くと、笊籬沼のほとりにミズキがありました。
夏場ならともかくこの無彩色の冬にミズキと他を比べて見分けるのはむずかしいことは確か、彼女もまだ見分けにくそうでした。
冬のミズキの見分けのポイントはふたつです。
ひとつは樹形、枝が1箇所から四方に伸びていてそれが段階状になります。いわゆる輪生(りんせい)です。
こういう段階状の木はそうそうあるものではありません。
その段は1年でひとつ増えるので、段数を数えればそれがそのまま樹齢ということになります。
もうひとつは、枝先の芽はツンと天を指していて、それがとても赤いことです。この赤さゆえにめでたい木とされているのです。
下は、相棒のヨーコさんがようやくのこと、ノコギリで切ってゲットした大きなミズキの枝。
懇意にしている寺の和尚は、ミズキは敷地内に生やしておくものではないと言います。
曰く、「ミズキは水をとても吸うから水木というので、敷地内にそういうものがあると防火上、縁起がよくない」と。なるほど、一理ありです。
一度、根元の幹の直径が15センチほどに育ったミズキを伐り倒したことがあったのですが、そのときの、樹液が(まるでポンプを動かしているように)ドクドクとあふれ出てくる様子が今も目に焼きついています。
ミズキはそれほど水分を多く取り入れている木なのです。
筆者は縁起を担いだりしない質(たち)で、敷地にもミズキが何本か生えていますが、そのままにしています。
下は、筆者が敷地内から切ったミズキの大きな枝。我が家に飾るために余計な枝を落として形を整えているところです。
団子木飾りは我が家では毎年恒例の行事なので、枝に吊り下げる(モナカの皮のような、材料はもち米のような)“船せんべい”は期間が終われば大切に保管してくりかえし使っています。そうしてもうかれこれ、20年にもなるのでしょうか。
それで昨年あたりから、古びて褪色はげしいものは少しずつ更新するようにしています。
今年は、団子玉の船せんべいを1パック、買ってきました。200円ほどでした(鯛とか恵比須様とかの大きな立体が入っているものは1,000円ほど)。
この時期になると、スーパーマーケットに普通に船せんべいが売っているあたりが地域性というものでしょうか。と同時に、吊り下げるべくその本体のミズキも売られています。1メートルくらいの長さの枝で350円くらいでしょうか。
当然ながら、まわりの野山にたくさんある我が家ではミズキの枝を買ったことはありません。
団子玉の半分の縁(へり)を水につけ、吊り下げ用の木綿糸を添えて、もう片方の半球を重ねれば、団子玉のできあがりです。
そうして、飾りつけていきました。
飾り終えて2階のギャラリーから見下ろしたところ。
赤い芽が天を衝(つ)いて。
ミズキの枝ぶりの特徴がよく分かる絵です。
見上げれば。
ぶら下がっている奴凧とか大入り袋などは、お年玉のポチ袋の両面張りでつくったもの。
“無病息災”、“家内安全”、“五穀豊穣”などの文字札は、パウチでつくったものです。
あたりは雪でおおわれて白が支配する風景は寒々しいもの、ましてどこまで続くかしれない長いトンネルの中を歩いているような日々で、気持ちまでもが塞ぎがちになるのも仕方ないことです。
特に体力の衰えいちじるしい高齢者や身体の調子の思わしくないひとにとっては忌々しいものと映るのもいたしかたないことだと思います。
だから、団子木飾りというのは単に小正月の行事を越えて、早く春をと願う希望の祝祭なのです。
この彩りうつくしいあざやかさこそが春の象徴です。
そうして、陽光まぶしいポカポカの野山を思い描きながら、少なくともこころには春をと団子木に託すのです。
こんなうるわしい祝祭が今も息づいているこの地方はすばらしいです。
春よ来い、早く来い、です。
そうして我が家の団子木は、雛人形がお出ましになるころまで飾られます。
*
団子木飾りを終えた翌朝10日のこと、いつものように食後のコーヒーを飲んで外を眺めていると、黄色な物体が左から登場して林の中に消えました。
調べるとそれはホンドテン(本土貂/イタチ科テン属)の中のキテン(黄貂)というものでした。いやあ、うつくしかった。
このホンドテンは絶滅危惧種指定の貴重な動物のよう、我がルーザの森に棲んでくれていて、こころからの感謝です。どうもありがとう。
その時の、写真。
ガラス窓に映る室内の灯かりの真下あたりにキテンがいます。
下は、それを少し拡大した絵です。
実際にはこんな感じです。まったくうつくしいです。
それから最近頻繁に見るようになったのはシジュウカラ(四十雀/シジュウカラ科シジュウカラ属)です。
この野鳥もうつくしいものです。
ベランダの下から、すぐそばのモミ(樅)の木の中ほどへとずいぶん行ったり来たりしていますが、ねらいはベランダに積んだ薪のすき間に入り込んでいるカメムシ(正式にはクサギカメムシ/臭木亀虫)なのでしょうか。
カメムシはおいしくはないのだろうけれど、背に腹は代えられぬということでしょうか。
でも、こんな生き物たちといっしょに住むことができるなんて、なんて幸せなことだろうと筆者は思うのです。
フクロウ(梟)もオッホオッホと鳴きますし、カモシカ(羚羊)もツキノワグマ(月輪熊)もいっしょですし(笑い)。クマとの遭遇だけは避けたいですが(笑い)。
森は四季折々に魅力に満ちていて、まったく飽きることはありません。
春を呼ぶもうひとつは、筆者にとっては、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲 BWV.988」、しかもグレン=グールドのピアノ演奏の(他の演奏者のものと聴き比べるのだけど、他ではどうもしっくりこないんだなあ)。
この曲を聴いていると、光のつぶつぶが飛び跳ねるようなのです。そう、光のつぶつぶです。
バッハとグールドが、陽光まぶしい春の景色を連れてきてくれるのです。
ほんとうの春よ、来い、早く来い、です。
試練は当分つづくけど、それを幸いと思ってがんばっていきたいと思います。そのうちスノーハイキングも雪渡りもできましょうし。
大丈夫、春を思うことのできる者は乗り越えられる、そう言い聞かせて。
本日はこのへんで。
それじゃあ、バイバイ!
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