製作の時間

軽トラテント、デビュー

今年2022年の夏はずいぶんと暑くしかも天候不順でしたが、(8月の)20日をすぎる頃にようやく秋の気配が漂い、夜には虫の声が響くようになりました。

こちらは冬を前にして薪小屋のスペースは心もとないほどにスカスカで、よってここしばらくは薪づくりに勤しんでいました。
チェンソーで切って斧をふるっての薪づくりは体力の消耗が大、ひと仕事が終える頃には身体中が汗びっしょり、即シャワーということになります。そろそろこれも飽きてきたなあ(笑い)。
ということで、ここらでひと休み、骨休めもいいでしょう、許されるでしょう。

天候をさぐれば、28日午後から29日いっぱいはひさしぶりの晴天のよう。
待ってました!
こうなると、行動は早いです。
そそくさと準備を整えて、午後3時には家を出ました。
いよいよデビュー?、なのです。

待ち焦がれていたのは、テントを張ってキャンプをしつつ山に登ること。
しかもテントを張る場所は、何を隠そう愛車スズキ・キャリーの荷台です。荷台がそのままキャンプサイトになるのです。
自分で言うのもなんだけど、この発想はすばらしいし、特許ものだと思います(笑い)。
これならわざわざ野営場に入らずに済むし、当然のこと利用料はかからない。
道の駅など駐車できるスペースがあればそこでキャンプは可能、水とトイレがあれば申し分なし、なくてもどうってことはない、町中だろうが山だろうがどこへでも出かけて、どこででもキャンプです。
第一に登山口まで夜までに到着し、早朝に山登りを開始するには持ってこいです。
この自由度って、格別です。もはや“ドラえもん”級です(笑い)。
このことを筆者は1年ほど思い描いていたのです。

野外生活の好きなひとならテントを持つのはひとつの憧れでもあります。
でも、これが高価なのです(最近出回るようになったチャチなものは論外として)。
商品全体が品質に比して比較的安価と思われるスノーピーク(snow peak)やモンベル(mont-bell)でさえテントは4万円くらいから。他は7万8万なんてのはざら、いろいろ買い集めると10万円ほどにもなるもの。
筆者は(性分でしょうか)レジャーといえど、このあたりには手を出しません。

筆者が購入したのは(いろいろと検討した結果) ネイチャーハイク(naturehike)の“サイクリング1 ウルトラライト”というもの、サイクリストやライダー用に開発された商品ということでしょうか。アウトドア市場で勢力を急拡大させている中国メーカーの製品です。
価格は13,000円ほどだったと思います。グランドシートも付属してのこの値段は、格安というより破格です。
しかも、重さは(ペグを除いて)たったの1,500グラムほどです。これならたとえ山に持っていっても苦にはならない。

購入の決め手はやはり、軽トラック荷台に収まるかどうかのサイズ感(205×95×110センチ)で、広さなら1畳より少しだけタテに長いくらいです。
それからもうひとつは、1本つながりのシンプルなフレーム構造がいい。
そして、色としてのオレンジがいい。

購入後すぐの4月の末に、まずは部屋に設置してみました。
このテントは自立式なので、ペグを必要とせずに設営できます。
当然この中で本番さながらに寝たのですが、ん~ん、いい雰囲気!(笑い)

部屋で広げてからだいぶたっての7月はじめこと(その間、いろいろと仕事があったのです)、実際に軽トラの荷台に設置してみました。
ジャストサイズ!
荷台はリアの囲い板(後アオリ)を倒すと約232センチになり、長さは十分です。
横幅は50センチほどの余裕があり、ということは出入り口にスペースができるということ。
ここに履物やちょっとした荷物も置けそうです。

気になったのが雨の日、雨が降ったときのこと。
浸水してきたら寝ているどころの話ではありません。

子どもたちが小さかったときにはテント泊での家族旅行をよくしたものでした。
山形県内はもちろんのこと、佐渡を含む新潟、軽井沢を中心とした長野、南会津の福島、岩手、秋田、青森、そして北海道の各地…、ずいぶんと回りました。

下は、1998年8月、小樽の港で。フェリーに乗り込む前の晩。

1992年頃のこと、佐渡からの帰り道に立ち寄った新潟は笹神村(現阿賀野市)の五頭キャンプ場(現在は“五頭山麓いこいの森”となっているよう)で、夜分に大雨が降りだしたことがありました。
家族はイビキをかいてグースカグースカ(-_-;)、ワタシひとり外に出てビショビショに濡れながら(-_-;)、テントまわりの溝をシャベルで掘ってなんとかしのいだ、なんてこともあったっけ。
こういう姿って、家族は知らないんだよね(笑い)。まあ、いいけど。

今回購入したテントは一応、耐水圧3,000ml.をうたっています(ちなみに傘の耐水圧は200~500ml.程度とのこと)。
でもたとえ大雨でも大丈夫なよう、スノコを作って荷台に敷くのがいちばんと考えました。
そして不要時の収納も考え、それは6分割とすることにしました。

正確な複数枚を作るときは、製作のための治具(じぐ。英語のjigに日本語を当てたものという)をまず作ることからはじめるのが肝心です。
下が、その簡単な治具。
左右の溝にスノコの足を置きます。

できたスノコの1枚。
材質や板幅が違うのは、ありあわせの材だからです。

同じサイズのものが6枚でき、車庫での塗装の準備が整いました。
このようにして車庫は往々にして作業現場に変わります。

もう30年も前に(金物店を廃業した)知人からもらったステイン系(浸透性)塗料がまだ残っていて(ステイン系塗料って、凝固しないのがいいですね)、それでペイントして耐久性を高めました。
これで防腐防虫効果は抜群、屋外の使用でも大丈夫。

こういう凹凸の極端なものの塗装のポイントは、塗りづらいところからはじめて根気強く行うこと。
この場合はまず裏側、特に板と板のすき間がそれに相当します。
塗りやすいところからはじめたならば時間の経過にしたがってむずかしいところになっていくわけで、神経的にだんだんきつくなってきます。余計な手間もかかってきます。こうなると作業がいい加減になるのです。
塗装に限らないことですが、仕事全般、むずかしく神経を使うところから取りかかり、簡単なところはあとでというのが合理的な手順だと筆者は思っています。

念入りに2度塗りをしてから、1週間ほども乾燥させたでしょうか。

下は、完成したスノコ6枚を軽トラの荷台に敷きつめたもの。
“遊び”はタテヨコとも10ミリ程度にしています。
6分割の1枚が70.0×63.5センチなので、これなら不要のときの片づけも無理なくできます。

この荷台シートと座面のすき間がミソです。

7月27日に、本番さながらの設営をしてみました。
テントの設営しやすい場所を確保し…、
グランドシートを広げ…、
1本つながりのアルミニウムのフレーム(骨)をシートに渡し…、

フレームにインナーテントを吊り下げ…、

フライシートをかぶせます。
これで5分くらいの短時間。簡単です。

ガイロープを張って、入り口のスペースを広げたところ。

筆者が“蟹族”(低予算の旅行者。背負った大きな横長のリュックが蟹に似ていたことからの命名のよう)として小ぶりなドームテントを買ったのは45年以上も前のこと、それからしたらテントはずいぶんと進化を遂げたものです。
それはまったく感動ものです。

下は1977年の頃?、まさに蟹族。
ところは北海道は礼文島だったろうか。羽幌(はぼろ)から渡った天売島(てうりとう)だったろうか。
どうでも、なつかしいね(笑い)。

地面に設営したテントを軽く持ち上げて、軽トラの荷台に移動させれば完了です。
実際は荷台にじかに設営するのもそうむずかしいことはありませんでした。

下は、お試しのお泊り(笑い)。テント泊の予行演習。
相棒からは、「クマに襲われないでね」というやさしい言葉で送り出されて(笑い)。
当然、何の苦もなく、快適な一夜をすごしました。

記念すべき軽トラテントデビューの第1夜に選んだ場所は、裏磐梯は雄国沼(おぐにぬま。1,090メートル)の金沢峠でした。
我が家からだとクルマで110分ほどで行くことができます。
ニッコウキスゲで有名な雄国沼ももはやそういう季節でもなし、たぶん誰もいないだろうし、湖水を見下ろしながらのキャンプはいいだろうと思ったのです。
翌日は雄国沼を眼下に猫魔ヶ岳(1,403メートル)をピークとして、3時間ほどの周回コースを歩くのもいいかと考えました。

ところがです、これが誤算でした。
8月はじめの大雨の被害はこちらにも及んでいて(そういえば、裏磐梯自体が観測史上最高の降雨だったという)、峠への山道は土砂くずれのためか通行止めだったのです。ショックです。

下は、雄国沼に行く途中から見た夕刻の会津平野(盆地)。

筆者は現実を素直に受け入れるタイプなので、ショックはショックでも引きずったりはしません。
現実はどうにも動かしようがないし、そこに抗いのエネルギーを使うのはまったくの無駄です。
それではとすぐに気持ちを切り替えて、檜原湖の南端から猪苗代湖への峠越えの八方台に行こうと思いました。

八方台に行くルートは猪苗代まわりの方がぐっと近く、磐梯山西側を通っての磐梯山ゴールドライン(かつては有料道路。冬季閉鎖)に入りました。

下は、ゴールドラインから見るたおやかな磐梯山(1,816メートル)。
磐梯山は見る方向によって全く表情の違う山、これほど表情に違いを見せる山もめずらしいと思います。
磐梯山と猫魔ヶ岳の鞍部(あんぶ)に位置する八方台(1,194メートル)の駐車場に着いたのは午後6時近かったと思います。

八方台は磐梯山の最もポピュラーな登山口にして、雄国沼への連絡路の入り口でもあります。
きれいなトイレもあって、休憩舎もあります。
この駐車場は約60台の収容能力があるようですが、普段なら昼前には満車となって他の第2、第3の駐車場へと移らざるをえない人気の場所なのです。

筆者が八方台に到着時点ですでに3台のクルマがありました。
当然他のクルマも宿泊が目的、いずれも車中泊のようです。
車中泊って、車内の光が外にもれないように完璧に遮光カーテンをめぐらすのですね、はじめて知りました。
遠くからおいでなのか、夜分に2台ほどが入ってきました。仮眠の後、即登山という態勢なのでしょう。

設営は5分もあればできましたが、もう夕闇迫る午後6時をすぎた頃。

あたふたして簡単な夕食を作りました。
できあいのレトルトの牛丼とご飯パックを湯であたためて。
それにウインナーソーセージを焼いて。

テントの中では枕元に山の地図をおいていろいろと想像してニヤニヤする、これは普段と同じことです(笑い)。

いつものように300ml.ほどの定量のワインを飲んで(笑い)、おやすみなさい、でした。

夜のしじまに甲高いけものの声が響いていましたが、キツネだと思います。
経験からしてこの声はクマではない。クマの声は野太い。カモシカの声を聴いたこともあるけど、やはり低い声。声量からしてもキツネくらいの身体の大きさがないと出ないような声です。
複数で鳴きかわしているようでした。

夜中に一度、小便に起きたけど、漆黒の空には美しい満天の星でした。満天の星など、ひさしぶりのことでした。
ルーザの森の星もきれいだけれど、高山のそれはさらに冴えていました。

下は、早朝5時。気温は8℃。
いやあ、予想はしていたものの寒かったです。
中綿の防寒パンツを用意していったのは正解でした。
寝る時にはダウンベストをつけ、その上に防水透湿のレインジャケットを着こんでシュラフにくるまったのですが、それで正解でした。
雨対策としてスノコを作ったはよいにしても、それゆえに外気がテントの底にじかに入り込んでくるのは予想していなかったこと。この時分なら今後は、シュラフ2ケとか掛け毛布の用意という対策もせねばと思います。
いい勉強になりました。

朝食は途中コンビニで買ったロールパン2ケとポテトサラダ、それから家から持ってきた卵で目玉焼きを作って(エライ!)、牛乳でと。十分な食事でした。

下は、駐車場の東側からの写真。
奥にポツンと、テントを撤収した愛車が見えます。
筆者はもう歩き出した時間だと思いますが、翌日はこんなによい天気だったのです。
※写真にキャプションがあるのは公開された画像から拝借したものです。

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このあとの山登りについては、次回のsignalに続きます。
乞う、ご期待!

 

それでは、本日はこのへんで。
じゃあ、また。
バイバイ!

 

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。