山歩き

嗚呼、磐梯山!

この8月28日、軽トラの荷台に設営したテントでのはじめてのキャンプは裏磐梯の八方台(1,194メートル)というところの駐車場ででした。
八方台は磐梯山ゴールドライン上の峠、猫魔ヶ岳(1,404メートル)と磐梯山(1,816メートル)の鞍部(あんぶ)に位置しています。
標高が高いゆえ朝方などは気温が8℃、予想はしていたけど寒かったです。
そして早々に朝食をとって6時には出発、磐梯山山頂をめざしました。

下は今年4月半ば、猪苗代湖から見た磐梯山。

今回の、ゴールドラインからの磐梯山。

今年5月はじめの、裏磐梯の曾原山地区から見た磐梯山。
上より、南側から、西側から、北側から。
磐梯山は見る方向によってずいぶんと表情のちがう山です。

山登りでは普通のことだけど、早朝に発つというのはいいものです。
出発が早ければ、その日の行程を終えて早くベース(山小屋とかクルマを置いた駐車場とか)にたどり着くことができます。午後2時くらいまでに着くなら、夕食の準備とか帰路とか次の行動に余裕がでます。
気温の上がらないうちに行動するということも重要なポイントです。ずいぶんと距離をかせぐことができます。
早朝発というのはまた、たくさんのひとたちに交じって歩くということがないので山の息吹とか美しい景色とかを静かな環境で感じ取ることができるし、高山植物を撮影するにしても(ひとが通り過ぎるのを待つとか)登山客への気兼ねもいりません。
いいことずくめなのです。
そして言えることは、早朝に発つひとは上のようなことを共通して意識しているようで、時に会話しても互いに気心が知れている感じがします。

登山口から入ってすぐ、美しいブナ(山毛欅)林が出迎えてくれます。
磐梯山の西側のブナ林というのは、たとえば朝日連峰のそれとはちがって若くて清新なイメージです。それは林相の時間が浅いことからきているのでしょうか。
1888年の大噴火がここにも影響しているのでしょうか。

途中、八方台登山道側から見る磐梯山は美しい円錐形。

ほどなく、温泉跡に着きます。
風情よくロケーションよく、ここはきっとよい湯宿だったのだろうなと想像させる(1990年代後半に廃業したという)旧中の湯。
なお“中の湯”の名の通り、かつては“上の湯”と“下の湯”もあったけど、大噴火によって消滅したということです。

そちこちの地面から湧き出ている湯。

中の湯跡をすぎると高度をどんどんと上げていきます。
以前に同じ八方台から登ったとき(19年7月)は頂上までのコースタイムが約2時間余にしては歩きがきつかったという印象でしたが、それは坂の勾配のせいだと思います。
これぐらいの時間のうちに高度を600メートルほど上がるのですからきついはずです。

徐々に檜原湖が眼下に。

やがて現れ出たのが、爆裂火口の銅沼(あかぬま。1,120メートル)です。
湖水は鉄やアルミニウム、マンガンが溶け込んだ強酸性で、色が赤味を帯びています。
この爆裂火口から溶岩を含んだ火砕流が(のちに作られた)檜原湖めがけて流れ下った、その跡地が今はそのまま裏磐梯スキー場になっているというわけです。
まさにダイナミックにしてドラマチックな歴史を今に伝える光景です。

下は、2020年10月末に銅沼を訪ねたときのもの。
水がぐっと引いて噴石が赤茶色となって現れ出て、それがまわりと相まって美しい景色を作りだしていました。

坂を上りつめるとお花畑と弘法清水の分岐に出ますが、ここはお花畑に進路を取るべし。
お花畑方向に歩いても、周回するようにして弘法清水に着きます。

お花畑でひと休み。
背景は磐梯山の頂上、もうすぐです。

お花畑とはいっても8月の末のこと、花はそうは多くありません。
まして概して、磐梯山は花の山ではありません。

ここで、これまでの登山道から頂上に至るまでに目についた花々などを紹介すると…、

オヤマボクチ(雄山火口/キク科ヤマボクチ属)。
この葉は有用で、草餅の代用にするところもあるとか。
オヤマボクチは我がルーザの森にもあります。

ヤマハハコ(山母子/キク科ヤマハハコ属)。
里のカワラハハコ(河原母子/キク科ヤマハハコ属)にそっくりです。

お花畑にあったコケモモ(苔桃/ツツジ科スノキ属)の実。極小の樹木の一種。
ひとつ口に入れると甘酸っぱくさわやかな味が広がりました。
このジャムは絶品です。

ウメバチソウ(梅鉢草/ニシキギ科ウメバチソウ属)。
お盆をすぎた頃から見られる8月を代表する花です。
白さが際立っています。

ダイモンジソウ(大文字草/ユキノシタ科ユキノシタ属)。
ひとつひとつがしっかりと“大”の字を作って咲いています。
ひさしぶりに会いました。

ミネウスユキソウ(峰薄雪草/キク科ウスユキソウ属)。
ウスユキソウ属にはチョウカイウスユキソウ(鳥海薄雪草)とかハヤチネウスユキソウ(早池峰薄雪草)とか、山の名のつく特産の薄雪草があるけど、ここのはウスユキソウの変種のミネウスユキソウ。
チョウカイウスユキソウとハヤチネウスユキソウは、ヨーロッパアルプスの名花として有名なエーデルワイスに最も近い種といわれているようです。

ミネウスユキソウは磐梯山の登山バッチにあしらわれていました。

お花畑で休んでいると、大きな(空の)ポリタンクを背負子(しょいこ)にくくりつけて(どうして?)猪苗代側から登ってくる青年と会いました。
青年に聞けば、このお花畑は登山道の合流地点にもなっていて、猪苗代側の2コース(渋谷登山口、猪苗代登山口)、それから裏磐梯スキー場からのコースと合わさるとのこと。
そして彼が言うのです。
「今日は鳥海山が見えますよ。月山の右の裾野のちょっとポコンと出ているところ、あれが鳥海山。こんな日はめったにない。ラッキーです」と。

いやあ、この言葉には感動しました。
天元台から鳥海山を望んだことはあります。でも、それよりもさらに遠い福島の磐梯山から秋田と山形の県境にそびえる鳥海山が見えるとは。
磐梯山と鳥海山を直線距離で結ぶと約188キロ、それが見えるってすごいことです。

下は、「月山の右の裾野のちょっとポコンと出ているところ」の鳥海山。
この図は感動ものです。

オオカメノキ(大亀木/ガマズミ科レンプクソウ属)のかなたに控える飯豊連峰。
ここからは、飯豊連峰の最高峰の大日岳(左。2,128メートル)と飯豊本山(2,105メートル)の位置関係がはっきりと分かります。
これも感動を誘う絵です。

檜原湖全景。

山肌の蝶の模様はグランデコスキー場。
スキー場の夏姿というのは、貴重な絵画にいたずらでひっかいたようで痛々しく、筆者としては嫌悪してしまうのだけれど。
その蝶模様の真上が西大巓(1,982メートル)、そしてその右がよく親しんでいる西吾妻山(2,035メートル)です。

「あれ?(その荷物からして)あなたは小屋のひと? 弘法清水小屋の?」と問えば、ズバリでした。
青年は小屋のひと、そしたら前回とても印象深かった女将さん(Sさん)の息子さんではないですか。これにはうれしくなりました。
「母はそのうち登ってきますよ」。
小屋は今、親子ふたりで守っていらっしゃる。実にうるわしいことです。

小屋はお花畑からすぐのところです。

下は、小屋わきの弘法清水。
※写真にキャプションがあるものは、公開された画像から拝借したものです。

tozan guide

弘法清水から最後の急坂を上りつめると磐梯山頂です。

山頂への取りつきにある、趣のある鐘。
鐘には “FUKUSHIMA/35TH 1982” と記されていますが、これはどういう意味なのでしょう。
調べると、安達太良山のくろがね小屋にも同様の刻印のある鐘が設置してあるよう。
とすれば意味は、1947年ということだけが確かなこと。戦後2年という時期と福島県の山とどんなつながりがあることなのか。

取りつきからすぐに急坂です。 

そうして25分ほども上りつめると、頂上に出ます。

どうですか、この景色!
どうですか、この眺望!
まさしくワンダフル!、そしてファインビュー!
なんと素晴らしい景色なんだろう。

筆者の右肩に檜原湖、その奥が朝日連峰、そして月山に鳥海山です。
以下の写真に筆者が写るものは、山頂で知り合った山形市よりおいでのOさんに撮っていただいたものです。

Oさん、頂上に立つ!
Oさんは、30代後半と思しき青年。
3年ほど前に東京から転勤で山形市にいらしたのだそうで、山形県の山を中心として登っているとのこと。
この前は鳥海山であったか、これから安達太良と言っていたでしょうか。
東北の山々全般をこよなく愛しているふうの、さわやかな方でした。

猪苗代湖全景。

あんな海のような巨大な猪苗代湖がまるで坪庭の池のようです。

なんと素晴らしい、いい眺めなんだろう。
磐梯山の魅力は、この360度の大パノラマです。

下は、19年7月のときのもの。
今回より1時間遅い到着のためだったか、下のようなにぎわいでした。

磐梯山は眺望がまったく素晴らしいです。
これがために老いも若きもヒーヒー言いながらも登ってくるのだと思います。その気持ちがよく分かります。
この景色を目に収めることができたら本望だと、これが何よりなのだと。

今回登った(8月)29日は平日の月曜で、子どもたちの姿はなかったものの休日ならたくさんなはず。
80歳にならんとする高齢の男女(特に男性)にも6人、7人は行き交ったでしょうか。
そうした高齢者に共通していたのは、靴にせよリュックにせよ身なりにせよ、しっかりしたものを身につけていたこと、それだけ山登りの経験値あっての自信ということなのでしょう。
登山者で70代なんてざら、30代から60代までは万遍なくという感じでした。

嗚呼、素晴らしき哉、磐梯山!

下って、弘法清水小屋で休憩しました。

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下は、19年の7月の画像より。

店内に入って気づいた最初は、小屋の構造でした。これは、日本古来の在来工法の和小屋建築ではなく、西洋のトラス構造というものです。
トラス構造は三角形を基本とするために梁を継ぐことも容易で(和小屋構造はそうはいかない)、広い空間を作ることができるものです。
小屋は1959年の築だそうだけど、2011年の巨大地震にも耐えて特別傷んだところもなかったとのこと。
前回訪れた19年のあとに太陽光発電と蓄電池を設置し、携帯トイレ使用ブース2室を増設するなど大改修を行ったとのことでした。

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女将さんのSさんにご挨拶すると、何と筆者を覚えていてくださいました。
「あのときは確か、奥様とご一緒だったのでは?」。
「そうです、そうです」。
年に何千人と行き交うはずなのに、覚えていてくださるなんて、恐縮しました。感激です。

「改修の荷揚げはヘリコプターで、ですかね」とカウンター越しのおふたりに聞けば、
「人力、です。大工12人が6トンの荷を(分割して)担いで揚げ、3トンの荷を下げました」とのこと。
そうあっさりと簡単に言うけど、これには驚愕してしまいました。
渋谷登山口からの搬入と思いますが、材料や荷物を担いだら小屋までの急坂の道では2時間はゆうにかかるでしょう。
「私は、大工の食事を運びました」とはSさんの弁。12人分の食事を作って荷揚げする?それもまたたいへんなこと。
それを何度くりかえしたことか。それはそれはどんな労力であったことか。

なお小屋のおふたりは、4月末の小屋明けから11月半ばの営業終了までの間、毎日1時間余りをかけて登ってきては下山する、下山しては登ってくる生活なのです。まず、そのことだけですばらしいです。
毎日毎日小屋を開けるために往復2時間余りを歩く…、こういう歩くことの苦をいとわない生活をしていると、きっと人生観もちがったものになるのだろうなと思わされてしまいます。
虚飾という虚飾を捨て去ることができるような、と言ったら語弊があるかどうか。
Sさんは、きっと笑うでしょうね。

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息子さんが自家焙煎の豆をその場で挽いてコーヒーを淹(い)れてくれるというので頼みました。
豆はコロンビアとニカラグアからのチョイスだったと思うけど、筆者はニカラグアを頼みました。
比較などまったくできないのですけど(笑い)。

そのコーヒーのおいしかったこと。
そのほろ苦さ、そしてコクと香り、もう申し分なかったです。
水はもちろん弘法清水、それにこんな山の上で本格コーヒーが味わえるなんて、なんてすばらしいことだろう。
1杯600円という値段だけど、それは当然です。
決して忘れえぬ、味と香りです。

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この特別なコーヒーは “キヨシcoffee”とあったので、息子さんはキヨシという名前でしょうか。
なお、来るときに運んできた20リットルほどのポリタンクは?と問うと、弘法清水の水を家に持ち帰るとのこと。
満杯ではないかもしれないけれど、帰りに重い荷として背負って山を下る…、それだけこの弘法清水の水を気に入っているということでしょう。

家で、家族においしいコーヒーをふるまうため?
この水でご飯を炊く?
焼酎のための氷を作る?(笑い)

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来訪記念にとSさんと一緒に写真に収まりました。
「それでは、また来ます。ごきげんよう、どうぞお元気で」。

いやあやはり、磐梯山に登ってよかったです。
さわやかな風に吹かれての、素敵な時間に感謝です。

筆者が山を下りるときに50代と思しき女性がひとり登ってきました。
行き合いに「おひとりでですか」と声をかければ、「いや、ふたりです。別行動ということで」とのこと。
筆者がさらに下れば、相方の男性がヒーコラヒーコラ、息絶え絶えで登ってくるのでありました。
別行動ねえ(笑い)。お疲れ様! ファイト!

福井からきたという40代半ばの男性とは山談議に花が咲きました。
車中泊をくりかえして東北の山をめぐっているとのこと、下山後は一切経山に登って北上するとのことです。
「(このところ天候にめぐまれていなかったので)今日は最高ですね」とは、お互いのかけあいです。
ひとりで登っているひとはここにも多かったけど、それは同行者とともに楽しむというよりも山から全身で英気を受け取れる喜びがあるんだろうと思います。そんなふうにも思わされます。
それでは、ごきげんよう。

登ってくる高齢男性のおふたりに、途中停まって道を譲ろうとするも、
「(道を譲られても)そう簡単に、足が出ないんだズ!」と言ってカラカラと笑っていたっけ(笑い)。
まだ、この先ずっと長いですよ、とは言いませんでしたよ(笑い)。

山登りにはひとそれぞれのさまざまな風景があって、それに接するのもたのしいものです。

そうしてゆっくり下りてきて、駐車場に着いたのは11時ちょうどでした。
登って、休憩して、下りて、磐梯山には5時間の滞在だったことになります。

11時の八方台駐車場はこの通り、早朝のたったの5台が満車65台にふくれあがっていました。
ここの駐車場は、好天の日なら朝の8時くらいまでに入る必要があるかもしれませんね。

帰り道に、ちらっと裏磐梯のビューポイントのひとつ五色沼は毘沙門沼に立ち寄って1枚。
美しい湖水と磐梯山はいつでも絵葉書のようなたたずまいです。

奥土湯の秘湯に立ち寄って汗を流し、浄土平でひと休み。
ゴウゴウと鳴り響きながら噴煙上げる一切経山(1,949メートル)はいつ見ても雄大です。
この景色を目に収めて、家路を急ぎました。

それでは、本日はこのへんで。
じゃあ、また。
バイバイ!

 

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