山歩き

彩りの東吾妻

軽トラ用車庫の建築は土台の据えつけが終了し、製材所に発注していた野地板や張り板も9月27日には出来上がってきて、あとは棟上げを待つだけというところまできました。大きな区切りです。
棟上げは当初からひとりでするつもりはなく(できるものではなく)、(あらかじめお願いしていた)助っ人のタカシ大工と相談し、10月3日と決定。それで、それまでの5日間がぽっかりとあいたのです。
よし、山に行こう!

ということで思い立ったら即実行、即準備、翌28日の早朝には(家からクルマで90分ほどの)吾妻連峰の東端の浄土平(じょうどだいら)にいました。この素早さったら(笑い)。
今回のsignalは東吾妻(ひがしあづま)の山行記録です。
題して「彩りの東吾妻」。

「山と高原地図11磐梯・吾妻」昭文社より、一部

ここで“東吾妻”としているけれども正式ではありません。これは、普段筆者が人形石とか梵天岩や天狗岩、西吾妻山や西大巓(にしだいてん)などをひっくるめて西吾妻と呼びならわしているからで、吾妻連峰の東側の山域というほどの意味です。
多くは“浄土平エリア”とでも呼ぶのだろうけれど、それでは狭すぎの感は否めず。

そもそも吾妻連峰というのは福島市西部から米沢市南部にかけての東西約20キロにわたる山並みです。
ここでの東吾妻は、浄土平や一切経山(いっさいきょうざん。ふつうは“ざん”を取って、“いっさいきょう”と呼ばれている)、東吾妻山や鎌沼、そして鎌沼の西方約2.5キロの谷地平湿原などを含めることとします。

どうせ行くなら1泊2日の山中泊で、できれば荷物を軽くすることを考えて食事の提供がある(東北にしてはめずらしい)営業小屋の吾妻小舎(あづまごや)に泊まりたいものだと思ったのです。
吾妻小舎は時の流れを感じさせる趣きのある建物、いかにも山小屋という感じの素朴な雰囲気、かつて西吾妻への縦走の起点に利用したこともあって。
ところが連絡を入れるもあっさりと断られてしまいました。「このコロナ禍でお客さんが来なくて、今週いっぱいは休みにします」と。残念!
仕方ないや、じゃあ避難小屋泊でと気持ちを切り替えて、それで急遽、持ち物に自炊の用意も加えたのです。

コース取りは磐梯吾妻(ばんだいあづま)スカイライン上の鳥子平(とりこだいら)登山口から東吾妻山、下って鎌沼沿いを酸ケ平(すがだいら)湿原へと伝い、一切経をピストンと考えました。
泊まる小屋は酸ケ平小屋でと。
急ぐものではないし、ゆっくりのんびりと、東吾妻の秋を堪能しようと。

浄土平駐車場にクルマを置いて、まずはスカイライン上を鳥子平登山口までを歩きました。1時間くらいだったでしょうか。
下は、朝日のあたる一切経山(1,949メートル)を背景として。

鳥子平より入って、東吾妻山(1,975メートル。東吾妻の最高峰)をめざしました。
この山域はなじみながら東吾妻山は筆者にははじめての山で、今回の山行の目的のひとつでもありました。

鳥子平口からのコースの景勝地のひとつ、景場平(けいばだいら)湿原(1,680メートル)にて。
大小の池塘(ちとう)が北側の東吾妻山と調和して美しいです。

東吾妻山についてこれまで聞いていたのは、鳥子平コースの道はぬかるみが多く滑りやすいということでした。
でも今回はしばらく好天が続いて登山道は良好そのもの。確かに、石ゴロゴロの道では苔むしているところもあって、湿っぽさを物語ってはいましたが。

そうして登りはじめて2時間ほどで東吾妻山の頂上に立ちました。
その絶景たるや、胸のすく思い。しばし見入りました。

写真は頂上より北側を見ているのだけれど、南側は磐梯山や猪苗代湖、そして檜原湖などの湖沼群の裏磐梯が広がっているはずなのです。が、この時は待っても南側の雲は動いてはくれませんでした。これは残念。

奥の、山の地肌をむき出しにしているのが一切経。その下に広がっている湖が鎌沼です。鎌沼の脇の小高い山が蓬莱山です。
濃い緑はオオシラビソ(大白檜曽)やコメツガ(米栂)などの針葉樹。鶸萌黄(ひわもえぎ)ともいうべき薄い黄緑は矮小化(わいしょうか)したチシマザサ(千島笹。別名にネマガリダケ/根曲竹)。手前の濃い臙脂(えんじ)色はナナカマド(七竈)など。
神の作配(さはい)か、絶妙な彩りなのです。

山頂で30歳前後と思しき地元の青年としばし話しました。
時間が取れるとこうして方々の山に登っている、知床とか大雪とか北海道にも足を延ばしているとのこと。
東吾妻山は穴場で、みんなは一切経に登って鎌沼を回って帰ってしまう。ボクは一切経よりこっちの方が好きだなあ、と。
あの噴煙を上げている一切経の大穴火口のすぐ上の硫黄分の堆積の黄色が昨年よりも一段と濃くなっていると思う、とも言っていました。
山の何が楽しいかってそれは頂から見る遠くの風景だそうで、福島県南に古殿町というところがあり、そこの何の変哲もない山(700メートルほどの、鎌倉岳だったろうか)に登ると何と、富士山が見えるということです。福島県から富士山とはねえ。
そういえば頂上からは朝日連峰も月山も見えたのです。運が良ければ、鳥海山も見えるはず、と。
それでは、ごきげんよう。お元気で。

東吾妻の山域は冬場厳しい気候条件にさらされますが、それを象徴するように、オオシラビソは東方にだけ枝を伸ばしてまるで旗でもなびかせているふう(旗状樹)。

鳥子平からのコースでは頂上までに誰ひとりとて出会わなかったのですが、鎌沼に向かっての下山道では10人ほどともすれ違ったでしょうか。それは中年のご夫婦だったり、妙齢の女性のソロだったり、若いカップルだったり、高齢の男性であったり…。
やはり、東吾妻山の眺望のよいことを知っている方たちのようで。

下山後にふりかえった東吾妻山のたおやかな山容。

そうして下山してちょうど12時近く。
鎌沼を眼下にした絶景の中で(相棒が用意してくれた)パンをかじって昼食をとったのです。
なんかここは特等席。こんな席はどんなにお金を出しても得られるものではない。

で、ここで考えました。
残っている自由な時間はたっぷり、このまま本日の行程を終了させるにはもったいない。一切経直下の酸ケ平小屋はすぐ近くだし。酸ケ平ではなく、これより西方に3キロ弱の(時間にして90分ほどの)谷地平小屋まで行ったらどうか、宿泊はそこがいいんじゃないか、谷地平湿原を歩くのもいいんじゃないかと。
そこは2000年に当時中学2年の息子と、一切経より縦走して東大巓から大倉新道を通ってたどりついた思い出の場所でもあって。
そうしよう。

姥ケ原から谷地平への分岐。
姥像なのでしょうか、少々不気味でもあるのだけれど、どうも時代感はないなあ。

小屋を過ぎて開ける広大な谷地平湿原。ここは吾妻連峰を代表する高層湿原のひとつです。
谷地平湿原は浄土平からは遠く、訪れるひとのまれな別天地なのです。

湿原には木道が伸びているのだけれど、この木道は少々坂になってゆるやかに登り、ゆるやかに下ります。
つまり、この湿原自体が平らではなくこんもりと皿を伏せたように盛り上がっているのです。このことは高層湿原であるゆえのひとつの証明でもありますね。

これはセルフで。
後ろは縦走路の、右が烏帽子山(1,879メートル)だろうか、左が昭元山(1,892メートル)だろうか。

点在する大小の池塘。
後ろはニセ烏帽子山(1,836メートル)だろうか。

脇を清流・姥沢が走る谷地平(避難)小屋。

15人収容能力とものの書にはある小屋内部。
中央が土間で、周囲が板敷きになっています。

本日はここでワタクシがひとり。
夕刻までに、東京から来て米沢の天元台から入って東大巓から大倉新道を通ってここまで来たという方がおいででしたが、もう少し距離を稼ぎたい、日のあるうちに酸ケ平小屋まで行きたいものだということでした。
大倉新道では沢の渡渉に膝の上まで水につかった、ガッハッハ!と笑っていました。元気なご同輩だ。
それでは、ごきげんよう。道中、お気をつけて。

明るいうちに寝床のセッティングを済ませ。

清流で冷やしたワインを明るいうちからゴクゴクと(笑い)。
いつもは日のあるうちはアルコールは口にしないのだけれど、本日は特別ということで(笑い)。ご褒美、ごほうび(笑い)。
しまった!、焼き鳥缶を忘れてきてしまった(笑い)。

左のガイドブックは自然公園財団が編集発行している『浄土平・裏磐梯』。美しい写真とともにとても適切で簡潔な説明がされています。

夕食はカレーライス。
なんとこれは、湯を注ぐだけで60秒でカレーができるという優れものです。たっぷりの野菜が食感よろしく戻ってくるすばらしいクオリティーです。
1食分で250円ほどするけれど、山の生活にはとてもありがたいです。アマノフーズというところで出している“畑のカレー”というフリーズドライ商品。山登りのひとには、超有名かも。
ごはんも湯を注いで15分で出来上がる尾西食品のもの。
尾西食品の商品にもこれまでずいぶんと世話になってきました。ここにあるのは“白飯”ですが、他には“えびピラフ”だとか“山菜おこわ”だとか12種あるそうで、バラエティーに富んでいます。最近は災害用にも好評を得ているよう。

そうして5時には食事を済ませて、あとは小型のラジオでニュースや天気予報を聞き、7時には眠りにつきました。

日が落ちたら寝る、これは当たり前のことで、なんでひとは夜を昼間化してきたんだろう、とも思うわけです。朝日とともに起き出して、日没とともに寝る(夏と冬ではずいぶんと睡眠時間に開きがでるけど。笑い)…、ひとびとがこんな生活スタイルに徐々に移行していったら、気候変動だとかエネルギー問題だとかは意外に簡単に解決できるように思うのだけれで…、夢想だろうな(笑い)。

冷気を心配したけどそんなでもなく、防寒用の長袖Tシャツを着て下ズボンをはいたくらいでしのぐことができたのはよかった。翌朝の外気で7度ぐらいでした。

夜半、小便に起きたときの漆黒の夜空の美しさには息をのみました。
ノクターンブルーの深い闇の中に燦然とカシオペアが輝き、当然にも、“W”の右の三角の底辺の先を追っていくと北極星が見えました。
天の川に満天の星、その下に、ワタクシただひとりがぽつんといることの圧倒的な孤独と不思議。
約3キロ先の浄土平にも吾妻小舎にもひとはいないと思われ、ともすると半径10キロにワタクシひとりなのかもしれない記念すべき夜。こういう特別な夜もたまにはいいものです。

小屋にはノートが備えつけてあり、そこには、日常から抜け出して本と酒を持ち込んで一夜を過ごすことに喜びを見出すという会津若松のオヤジだったり、冬分にスキーツアーで毎年のように訪れる市川からのご夫婦もいるようで。
ノートには様々な人生が綴られてあったものです。

そうして翌29日は(いつものごとく)5時前には起き出し(笑い)、カップそばの朝食をとって身支度を整え、7時前には小屋をおいとましました。お世話になりました。
そうして、鎌沼近くの姥ケ原まで戻ってきました。

東吾妻の秋を彩る様々な植物…。

エゾオヤマリンドウ(蝦夷御山竜胆/リンドウ科リンドウ属)はもうおしまいです。
近縁のエゾリンドウ(蝦夷竜胆)が茎の途中にも花をつけるのに対して、エゾオヤマリンドウの花は茎のてっぺんにだけつきます。

セザンヌのうるわしい色彩を想像させるムラサキヤシオツツジ(紫八汐躑躅/ツツジ科ツツジ属)の紅葉。
実に美しい。

ゴゼンタチバナ(御前橘/ミズキ科ミズキ属)の紅葉。
見事な赤です。

ツルツゲ(蔓黄楊/モチノキ科モチノキ属)。
筆者がはじめて出会った植物。

ネバリノギラン(粘芒蘭/キンコウカ科ソクシンラン属)。
延びた茎をさわるとネバネバするのでこの名があります。深まりゆく秋の、葉の枯れ色が美しい。

コバイケイソウ(小梅蕙草/ユリ科シュロソウ属)の枯れた様。
コバイケイソウの花は4年から7年の周期性があるとのことだけれど、はじめに歩き出したスカイライン上にも途中の景場平湿原でも谷地平湿原も、そしてここ鎌沼畔でもこんな感じだったので、今年は当たり年だったのかも。

クロマメノキ(黒豆木/ツツジ科スノキ属)の紅葉。
果実はまったく和製ブルーベリーの趣きです。
ひとつ失敬して口に入れると、ん~ん、ジューシー!

照り輝くチングルマ(稚児車/バラ科ダイコンソウ属)の紅葉。
ガンコウラン(岩高蘭)の針葉のみどりがコントラストを作ってきれいでした。

オオカメノキ(大亀木/レンプクソウ科ガマズミ属)。
オオカメノキは別名にムシカリ(虫喰)の通り、虫に食べられた葉をよく見かけます。
葉は黄色だったり、だいだいだったり、赤だったりして目を楽しませてくれます。

コメツガ(米栂/マツ科ツガ属)の若々しいみどり。

オオシラビソ(大白檜曽/マツ科モミ属)の美しいみどり。

シラタマノキ(白玉木/ツツジ科シラタマノキ属)。
この白い果実は甘くてサロメチールのさわやかさ。

ガンコウラン(岩高蘭/ツツジ科ガンコウラン属)にクロマメノキが混じって。美しいコントラスト。

ハウチワカエデ(羽団扇楓/ムクロジ科カエデ属)の見事な赤が青空に映えて。

ミネカエデ(峰楓/ムクロジ科カエデ属)の黄葉。
ミネカエデは黄色になるものやら赤く染まるものやら多彩です。まちがいなく、秋の彩りの代表選手。

ナンゴクミネカエデ(南国峰楓/ムクロジ科カエデ属)。
ミネカエデよりも中央の裂けた葉の先が長いのが特徴のよう。見事な赤を呈します。

ナナカマド(七竈/バラ科ナナカマド属)の濃い臙脂の紅葉。
東吾妻山域で感激するのはこのナナカマドの臙脂色です。赤い葉は方々にあるけれどもここのナナカマドは大方この色が代表的です。

うろこ雲の空に映えるナナカマド。
こちらは典型的な赤いナナカマド。

クロウスゴ(黒臼子/ツツジ科スノキ属)の紅葉。
これもクロマメノキ同様おいしい果実がつきます。
スノキ属ってみんなおいしい果実をつけるようです。

ハナヒリノキ(嚏木/ツツジ科イワテンナン属)の紅葉。
ハナヒリはくしゃみの意味。
有毒植物にして、かつては汲み取り式便所の蛆殺しに使われたということです。昔びとの知恵ですね。

鎌沼にそびえる前大巓(1,911メートル)の山肌を彩るナナカマド(七竈)、オオシラビソ(大白檜曽)、チシマザサ(千島笹)など。

一切経と鎌沼、湖に浮かぶような蓬莱山(1,802メートル)が収まる絶景。
高齢のご夫婦がハーハーヒーヒー、息を切らして登ってきました。

 

鎌沼を背景としたミネカエデの黄葉。

一切経の途中より見下ろした酸ケ平湿原の全景。
中ほどに見えるのが酸ケ平小屋。 

酸ケ平湿原の池塘。

酸ケ平湿原から鎌沼へと続く木道。
あたりは背の低いチシマザサ(千島笹)に覆われています。

そして、ようやくガレ場の道を上り詰めました。
ここが一切経山(1,949メートル)の頂上、そこに象徴的なケルンがあります。

没後20周年となる屋久島の詩人・山尾三省(1938-2001)に『一切経山 ― 日々の風景』(溪声社1997)という随想集があります(筆者にとっては、三省の書では最高のものと思っています)。

そこにこんな記述があります。
「吾妻連峰といえば、山形県育ちの妻から常々好きな山のひとつとして聞かされていたので、もしかしたら一切経山の名も知っているかと思い、早速に尋ねてみると、知っているどころか高校時代の学校登山で登ったこともあるという。/「昔のことでよくは覚えていないけれど、木も草もない岩だらけのごつごつした白っぽい山だったような気がする」/そうであるなら、その山の名前のいわれについて何か聞いたことはないかと、にわかにその山が身近になったことに驚きながら尋ねてみたが、そういうことは何も知らないということだった。/「ただ、あそこらには浄土平とか涅槃坂とかいう、そういう関係の名前が多かったのを覚えている」」。

その「妻」が筆者の小中学の同級生でして、そのよしみで2000年に屋久島にわたって山尾家族と交流を持ったのです。そして、いつか近いうちに米沢にお招きして、できれば一切経山にご一緒したいものだと計画を練っていたのでしたが……。
世の中、叶わないことのなんと多いのだろう!

そして、何としても目に収めたかった一切経眼下の五色沼。別名に“魔女の瞳”。
東吾妻にやってくるひとの多くは、この魔女の瞳をめあてにしているんだと思います。筆者にしても同様です。やはり、この湖を目に収めないことには。

なんと美しい青、なんと美しい水。実にすばらしいです。
三省さんがご一緒だったらどんなにか感嘆したことだろう。彼は人目はばからず、舞ったのではないか。

魔女の瞳を眺めているとき、ひとりの青年が湖を見下ろす左端のガレ場の急な道を降りていくのが見えました。それを見ていた中年のご夫婦が「下山口はこっちだな」などと言って後を追うようにするので制止しました。
青年はたぶん、湖畔まで下りて、そのあとは進路を西に取る西吾妻へのロングトレイル縦走コースに入ったのです。道がまったく違います。
やはり山での素人判断は怖いもの、判断するときには地図を参照する癖をつけておく必要がありそうです。

ご夫婦は福島市出身ながら現在は埼玉にお住まいなのだそうで(サンテンイチイチ後の避難だったのかもしれず)、下界はどんよりと曇っていたのでどうかと思って登ってきたんだが、五色沼、いやあ感激しました、はじめて見ました、と晴れがましく笑っていたものでした。
それでは、ごきげんよう。

当然ながら、多くのハイカーが山頂にいました。
これは、北側の五色沼方面ではなく、南西方向を見ているハイカーたち。

南西方向には鎌沼を真ん中に置いて、左に磐梯山(1,816メートル)が見えます。ここも絶景です。

 そうして、一切経は今もゴウゴウと激しく音立て、噴煙を立ち昇らせています。
一切経は生きている火山なのです。

いやあ、よい山行でした。
これでまた、エネルギーが満ちてきました。筆者の日々の活力というのはこういうところから来るのです。
また、車庫つくりに精を出すゾ、頑張るぞ!

それじゃあ、また。バイバイ!

 

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