製作の時間

軽トラに住まいを 6 棟上げ

シリーズ「軽トラに住まいを」は6回まで来ました。
今回は建築のクライマックス、題して「棟上げ」です。

“棟上げ(むねあげ)”というのは文字通り、小屋(建物)の頂部の横架部材である“棟(むね)”または“棟木(むなぎ)”を上げることを指します。これは工程のひとつだけれども、非常に大きな区切りを意味します。

棟上げはまた、“上棟(じょうとう)”とも“建前(たてまえ)”ともいいます。
それまで危険が多々あった大工の労苦を慰労し、今後の安全を祈願するもの、この建物に災害や災難が来ないように神に祈るもの…、それは儀式と結びついていくのです。
(1993年築の筆者の主屋がそうであったように)住宅の上棟では、近所の人々を招き寄せて縁起物の五円(ご縁)玉や餅を蒔き、祝い酒とたいそうな馳走(ちそう)を用意して皆にふるまい、大工にはひとりひとりに金一封を恭(うやうや)しく手渡しして……。

この棟上げに関する風習を最近ではまったくなしにするか、極めて簡略に済ますのがもはや一般的なのだとか。
その理由が、めんどうなことを避けたいのと経費の削減と来ています。これではねえ。
これだからひとはどんどんと心を貧しくしていくのだと思います。愛すべき住む器が単なる物と化しているのは不幸です。

とはいえ、今回の車庫ごときでは施主にして(素人)大工である筆者は何もしていませんよ。が、遠い友人から志が届いたのには恐縮してしまいましたが。

この軽トラのための車庫づくりは…、
以前の建造物の薪小屋を解体し始めたのが5月3日、整地をし、土間コン(ベタ基礎)を打ち、レンガなどを積んで、基礎が完成したのは7月20日。そして木取りをして、刻みを終えたのが9月の5日。

それから足らない部材を調達し、土台を据えつけ、そしてようやくにして棟上げの日を迎えることができたというわけです。これで約5か月、感慨深いものがあります。

刻みは終えはしたものの、実は部材の調達はまだ不十分、特に屋根の下地を構成するタルキ(垂木)は22本が必要なのに圧倒的に足らないのです。
どうしよう、製材所に注文しようかホームセンターから買ってこようか、それよりもらえる手はないだろうかなどといろいろ思案しました。
まずはもらうことは可能かと、日ごろお世話になっているK工務店に相談したところ、「ちょうど解体したばかりの材料がある。梁も柱もタルキもある。どうぞどうぞ!」というありがたい申し出でした。
ラッキーでした。こういうのを“渡りに船”というのですね。
それでお言葉に甘えてさっそくにも引き取りに行きました、心ばかりの手土産を携えて。
これを新品で買ったのなら1本(米松材45×60×4,000ミリ)につき1,600円ほど、それを30本ほどもいただいたのですから、感謝のしようがありません。

それでさっそくにも釘の入りのない3面を自動カンナで化粧をほどこし(見映えのため経年感のある表面を薄く削り)、専用の案内定規を作ってタルキとタルキがてっぺんで合わさる先端の角度切りをしました。

いよいよ土台の据えつけです。
これはたいへんに精度を要する作業で、基本はドリルに15ミリビットをつけて土台に差し込んでいきます。でも、このドリル穴が有効だったのはアンカーボルト(基礎と土台をつなぐボルト)設置の12カ所中(基点となる)1カ所のみでした(笑い)。
残りはどうしても位置取りが不正確になり、ドリル穴では遊びが足らず対応できなかったのです。
このドリル遣い、ガイドがあるわけでなし(前後左右の目安線は引きましたが)、四方に対して垂直に下ろすということの何とむずかしいことか。

ここで一考、遊びを十分に持たせるためにドリルに換えて3oミリ角のカクノミ機で穴を開けることにしました。これなら比較的自由に位置を調整できます。
まあこの大胆さについては、本職の大工は笑ってしまうでしょうが。

位置取りで唯一有効だったドリル穴。

ほとんどはカクノミ穴を施し、微妙な位置調整ができるように。

アンカーボルトを通して土台を基礎の上に仮置きしたところ。

仮置きはOKと見て、土台に防腐剤を塗布しました。

防腐処理した土台部材を再度据えつけて、尺杖(しゃくづえ)を当てて最終的な位置確認を行いました。
建物の幅と奥行きはともに(芯から芯までで)12尺=2間(けん。3,640ミリ)にあって、土台位置は誤差2~3ミリの精度で据えられたと思います。

土台の位置決めは正確にできたものの、アンカーボルトの Ø10.5ミリに対して穴が大きく隙間ができているのは確かなこと。
それで、土台を固定すべく(隙間を埋めるべく)ビニール袋の中で砂とセメントを混ぜ合わせ、水を加えてゆるめのモルタルを作り、隙間に注ぎ込みました。
ドリル穴で一発で決めずに大きめの穴を開けてから隙間をふさぐなど、こういうのを邪道というのだと思います(笑い)。これは素人ゆえの発想です。
これにて土台の据えつけが完了しました。

と、土台を全部据えつけてから、この期に及んで柱のホゾ(臍)穴の開けまちがいに気づきました。ガビ~ンです(笑い)。
それで、開けた穴を木材で埋めて接着したのちに余分なところを切り落とし、カクノミ機を持ち込んで再度の穴開け作業となったのでした。
カッコワルイ!(笑い)

 

頼んでおいたタルキの上に張る野地板(ザラ板4分=12ミリ)と主に壁の張り板(5分=15ミリ)が用意できたというので、家から20分ぐらいのS製材所に取りに行きました。軽トラで2往復しました。

製材所によれば、コロナ禍のこともあって輸入木材が入らない影響で国産材も値上がりの一途なのだそうで、ザラ板7坪分と張り板10尺60枚で計58,000円ほどでした。これが現在の相場なのだと思います。

製材所で挽いたばかりの材料というのは往々にして余分な水分が抜けていないもの。それでできるだけ乾燥を促すため、間に桟(さん)をはさんで板を積みました。
こうすると風が隙間を通り抜けて徐々に乾燥が進むのです。木材は乾燥が命です。


そうして棟上げの日程を助っ人の大工のタカシシショウ(師匠)に相談し、10月3日と定めたのです。
シショウは日々忙しく働いている故、ようやく彼の休日を割いて筆者の棟上げに当ててくれたのです。

棟上げの準備をすべて整え、棟上げ当日までのぽっかりと空いた5日間に、一切経山(いっさいきょうざん。筆者的には、いっさいきょうやま)を含む東吾妻に出かけたのは既報の通り(signal「彩りの東吾妻」)。

ここで一服。コーヒーブレイク。

いただき物のタルキ材は少々濡れていたので乾燥させようとコンテナ小屋に立てかけていて、そのわきには薪にしようと思って玉切り(丸太切り)の杉とかコナラ(小楢)を無造作に積んでいたのですが、何とそのコナラに天然のヒラタケ(平茸/ヒラタケ科ヒラタケ属)がボコボコと生え出していたのでした。
森の生活にあって天然のヒラタケは見ないことはないのですが、収穫して大きなキッチンボウルいっぱいのヒラタケの量というのははじめてのこと。以後、4回ほども収穫しました。
それはもううれしくて、舞い上がるほどでした(笑い)。

庭に勝手に生えているヤマモミジ(山紅葉)に絡まったミツバアケビ(三葉木通/アケビ科アケビ属)に、約束したように今年も5個もの実がなって。

とくれば、迷うことなく“アケビの肉味噌詰め”でしょう。
ヒラタケとゴボウを刻んで豚肉と味噌と混ぜて、油で炒めて。
厚くやわらかく少々苦みの残る皮とヒラタケと肉味噌のハーモニー、これはまちがいなく絶品です。日本酒との相性はバッチリです(笑い)。

アケビ(の皮)の消費が多い山形県では栽培も日本一(全国シェアは何と94.7%)とのことで、秋たけなわともなるとアケビはマーケットに普通に並びます(我が家では買ったことはありませんがね)。
この料理は県民のソウルフード、それほど愛されているのです。
この時期の(特に米沢を含む)置賜(おきたま)地方の旅館などではアケビ料理が供されることも多いのでは。

筆者は土日といえどウイークデーと変わらぬ大工仕事に掛かりきり。
休日、相棒のヨーコさんはといえばいつものサンクチュアリ(sanctuary/聖地)で(笑い)、ガーデンハックルベリー(garden-huckleberry)の収穫をしていました。

このガーデンハックルベリーを巷(ちまた)では“ハックルベリー”と呼んでいるようで、なるほど苗をいただいた町内のカトウさんもそう言っていました。
が、ハックルベリーとは園芸種のブルーベリーや野生のクロマメノキのようなおいしい実のなるスノキ属の総称なのです。スノキ属はツツジ科にして樹木。
ガーデンハックルベリーは1年草にしてナス科ホオズキ属の植物で、ハックルベリーとは別種別属別科、まったく無関係。単に「ハックルベリーの一種のブルーベリーのようだ」という印象からの呼び名のようなのです。
こういう用例が流布するのはよいことではないと思います。紛らわしいです。
この植物の実際を最もよく表現しているのが和名で、“アメリカイヌホオズキ(亜米利加犬酸漿)”というのだそうな。

アメリカイヌホオズキの熟した1粒を口に入れてみましたが、(聞いてはいましたが)その不味さといったら(笑い)。ブルーベリーとは大違い。
ところがこれを砂糖で煮、レモン果汁(または酢。我が家では昨冬いただいたレモンを絞って冷凍していたものを使用)を加えるとどうだろう。ブルーベリージャムに匹敵する、もしくは一種格別なおいしさではないですか。びっくりものです。
ジャムとしてパンに塗っても、ヨーグルトに載せてもgoodです。
これなら、野生の動物にも食い荒らされることなくおいしい食材として収穫できます。

というわけで、(前にも書いたと思うけど)我が家の食材って、もらいものと自家製とでますます占められてきた感じです(笑い)。

下は、ある日の朝食。
ジャムが4つ並んでいますが、左から自家製のアメリカイヌホオズキ(ガーデンハックルベリー)のジャム、いただきものの南高梅の、自家製ジャム。いただきものの手作りクランベリージャム、そしていただきものの八朔と甘夏の、自家製マーマレード。
パンは友人が焼いてくれたもの。ブドウも小松菜もきゅうりも、黄色な彩りよろしいコリンキー(果皮が黄色くなる西洋カボチャ)もいただきもの。

下は、相棒がすぐ近くの道端で拾ってきた野生の栗を使った栗ご飯。
「とても見過ごすことはできなかった!」(笑い)とは彼女の弁。
彼女は山菜にしろキノコにしろこういった果実にせよ、野生からの採集が好きなんだなあとつくづく思います。端から見ても感心するほどです。

茹でた栗を近くの栗園オーナーから届けていただきました。

友人や知人、それに食材をもたらしてくれる天然に感謝です。
我が家では貨幣経済が一種、破綻しています(笑い)。
これは脱資本主義の先進的形態(笑い)。これには、『人新生の「資本論」』(集英社新書)で彗星のごとく現れた若き経済思想家の斎藤幸平クンも仰天するのではないか(笑い)。

さて、いよいよ棟上げの日です。タカシシショウは約束の8時前にはおいででした。
彼は必ず時間前に来て、仕事の準備を確認してから作業に入ります。

筆者は土台に立てるべく位置を記した柱をそれぞれの場所にすでに配っていたのですが、それを見たシショウ曰く「末(すえ)と元(もと)がほとんど逆だ。ちゃんとしているのは(10本のうち)1本だけだ」という先制パンチです(笑い)。
ショックでした(笑い)。

木材には末(すえ。木が生えている状態で先の方)と元(もと。根元)があって、(末と元では木の繊維の組織や比重に違いがあり)柱の場合は元を下に、末を上にするのが常識だというのです。
しかし筆者はすでに柱の上と下ではホゾの長さを違わせて作っていてこの期に及んで作り直すのは無理、したがってこのことは無視して作業を進めることにしました。確かに不満ではありますが仕方ないことです。

白状すると筆者は、木材に“末と元”のあることは知ってはいましたが、実際、木の表面を見てもどっちがどっちだかはすぐには分からない。なのでどうやって見分けるんだと問うと、「この節を見てみろ、枝の延びる方向が出ているだろう」と説明してくれました。これが本職の片鱗というものです。

その時シショウは「東照宮の一本違い」という話をしてくれました。筆者ははじめて聞く話でした。
東照宮の建物ではわざわざ1本だけ柱を上下逆にして使っているというのです。つまり、“満つれば欠ける”、物事は完成と同時に崩壊が始まるということから、縁起を担いでわざと完成させなかった、つまりは魔除け、とのことでした。
我が方、“満つれば欠ける”どころか“欠けに満つる”のだから、崩壊がはじまるどころかこれから創造にあふれてくる、幸いがどんどんと押し寄せてくるということでもあるね(笑い)。失うものは何もない気軽さです。
末と元が逆だなんて、ドンマイ、ドンマイ!(笑い)
ちなみに現代の建築では、末と元(上下)をわざと逆にして水分の抜け具合を考慮する使い方もあるそうな。

下は計10本の柱を土台に刺して、横架材たる(両脇の)軒桁と中びき(または桁)を渡したのちに、基準となる柱の垂直をとって、仮の、さらに仮の筋交いを入れているところ。
筆者はシショウの言うままに柱に水準器を当てています。

以下の(ふたりが入っている写真の)撮影は相棒によるものです。

下のような作業が随所に入るので、棟上げはひとりというわけにはいきません。

助っ人をシショウにお願いする最大の理由は建築のその時々の知恵を得たいこと、それから(筆者は持っていない)手持ちの道具を貸していただけることもあります。
横架材を叩いている(大きな木槌のような)“掛矢(かけや)”もそう。のちの“下げ振り”も“引っ張り機”もそう。
これは実にありがたいことです。

力と息を合わせて、カ~ン、カ~ン、カ~ンと掛矢で横架材を柱に叩き込みます。
この槌音のこころよい音の響きは、ルーザの森全体に響き渡っていたでしょう。
この響きはまるで音楽のよう、このリズミックな音をクマもキツネも、タヌキもカモシカも心安らかにして聴いていたのでは(笑い)。

軒桁と中びきに梁を渡している最中、筆者の火打ち梁(水平方向に変形するのを防ぐために各コーナーに斜めに組まれた部材)の受けの彫りの甘さを指摘されて作業を中断しました。
シショウの技を観察する筆者。

積んであった部材がどんどんと減ってゆき。
3本の梁も渡されました。

で、棟上げのここが一番のポイントですが、梁が載った段階で、建物のゆがみを矯正・修正して、本格的な仮り筋交いを入れてゆくのです。
建物の基本に関するこういう手順が素人には新鮮に映ります。

3メートルほども上から下げ振りという錘(おもり)を垂らして、垂直に対しての傾きを見ます。
当てている定規(曲尺/かねじゃく)は、1分=3ミリの傾きが出ていることを示しています。

傾きを引っ張り機で調整するシショウ。
こうして、3カ所4カ所と下げ振りを垂らしては垂直を決め、仮の筋交いを入れていきます。これで建物の骨格が決まるのです。

それから9本の小屋束(こやづか。屋根を支える脚)を梁に差し込み、2本の母屋と頂部の棟木を載せ、棟上げが終了と相なったのです。

タカシシショウと記念撮影。
本日は、これにて終了。
タカシシショウにはたいへんお世話になりました。お疲れさまでした。
あとはひとりでコツコツとやります。

それにしても、本職の大工の技のすごいことといったら。
屋根にはタルキが途中まで載っているけれども、シショウはほとんど足場らしい足場のないところの軒桁とか梁とかをまるでサーカスのように歩いてを打ちつけていきます。しかも不安定な格好で。釘を打つだけでなく、ノコギリ遣いをしたり、ノミを振るったりもするのです。
筆者なら足がすくんでしまってとてもダメです。想像しただけでブルブルものです(笑い)。

下は棟上げ翌日の、これから残りのタルキを取りつける前の思案中の筆者。
で、まずは足場と思って、角材2本を梁の上に渡すことからはじめたのです。

素人が建築に手を出す場合に肝要なのはまずは安全、そのためには(ロッククライミングを想像するとよいと思うけど)“3点確保”が重要です。
つまり、手と足4カ所の着地(接地)点のうち3点が確保(接地、固定)されている時に1カ所の手(または足)は自由に動かせるということ。これさえできていればひとは移動するにも作業するにも安全なのです。
では2本の手を自由に使うにはあと1点をどうするのか。それは尻なり肩なり、背中なり肘なりを1点に代えるのです。脚立に上がって作業するにしても、梁に登って釘を打つにしても。
それだから筆者は、より安定的に3点を確保するために足場を意図して作る必要があったというわけです。
危なそうな作業に入る時には、「3点、3点」と唱えることにしています。
大工の動きがサーカスのように華麗なのは、実はこの3点確保を様々な姿勢で表現しているからなのです。ワンダフルです。

この、仮りの筋交いの威力!
やがて間柱が入り、本筋交いが入ってはじめてこの仮りの筋交いが撤去されることになります。

そうして、タルキはすべて載り、

この美しい姿。

タルキの端は切りそろえられ、

もう夕暮れ時。

もう少し先まで進めたいと、ヘッドライトを灯しての野地板張り。
本日はもうこのへんでおしまいにします。

ぼやぼやしてると、そのうち雪が来ます。急がなくては。
それにしても、秋だなあ。セイタカアワダチソウ(背高泡立草)が黄色なシャッポをつけはじめている。

それじゃあ、また。バイバイ!

 

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