山歩き

鳥ノ海ノ山を行く 1

昨年(2022年)の9月21日のこと、「紅葉の月山」のキャッチコピーに魅かれて、羽黒ルートの8合目口から月山山頂をめざしました。でも、期待するほどには紅葉はうつくしくはなかったというのが正直なところでした。
地元のひとが言うには、「今年は赤の出がかなり弱い。普通はこのへんは真っ赤になるんだ。来年にリベンジ!」だそうで、そう言われてみれば、同じ時期の同じ場所だという佛生池小屋に飾ってあった写真は別物のようにうつくしく赤いものでした。
二度と同じときというものはないのだから、まあ、こんな年もありでしょう。

けれども、紅葉はどうでも驚いたのは登山中の背に巨大な鳥海山があったこと。
下は昨年秋の、月山行での、背中の鳥海山。

ふり向きふり向きつつ、その風景に圧倒されて月山に登ったものです。そして右手西側には日本海ときたもんだ。そのパノラマのすごいのなんの。
筆者にしたら決してはじめてのコースではないのに(まあ、43年も前のことだけどネ。当時の筆者には感じる力というものが弱かったのかもしれない)、その印象は強烈だったのです。

それで昨年のうちから、今年の7月下旬に鳥海山に行こうと決めていたのです。
ということで6月半ばから毎日のように天気の長期予報を気にしていたのですが、どうも今年の梅雨明けは遅いみたい、8月に入ってさえも雨の日が多いみたい、8月の第1週がすぎたら花のピークも過ぎて興味は薄れてしまう、ならば比較的晴天が見込める7月の20日から行くのがよいと見定めたのです。いわゆる梅雨の晴れ間をねらって。

ということで今回のsignalは鳥海山山行のこと、題して「鳥ノ海ノ山を行く」です。
風景と花、それぞれにすばらしく、前回の月山の山行紀行同様今回も、1と2に分けようと思います。
その1は、主に風景をつづります。

鳥海山の山形県側からのコースは、南側から北の頂上をめざす湯の台口コースと日本海側の鉾立(ほこだて)口のコースが一般的です。
今回は(上りとしては)はじめてのコースとなる鉾立口コースを取ることにしました。

で、起点は(最県南ともいうべき米沢の我が家から最県北の遊佐までは約190キロ、約4時間半の所要時間)秋田県との県境の遊佐(ゆざ)町、その起点中の起点が吹浦(ふくら)の名勝・十六羅漢です。
せっかくの遊佐、ことのついでに十六羅漢にはじめて立ち寄ってみました。

地元の観光協会の資料によれば、十六羅漢は…、吹浦の海禅寺21代寛海和尚が日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って造仏を発願し、1864(元治元)年に自身は近村から酒田まで托鉢をしながら地元の石工たちを指揮、5年の歳月をかけて(16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせ)22体の磨崖仏を彫りあげたということです。いやあ、みごとな仏の群像。
祈りを形にするって、こういうことをいうのですね。

鉾立口を登りはじめるとすぐに見えてきたのは、東雲荘という私設の山小屋でした。
東雲荘は電子部品メーカーのTDKが社員のためにつくった保養施設だそうですが、一般のひとも利用可能とのことです。
帰りに内部をのぞかせてもらったのですが畳敷きの部屋は清潔、鉾立口のここで前泊しての登山もありです。

鉾立口から歩いて約2時間半もの距離、御浜(おはま)小屋をすぎて扇子森あたりまで、登山道は下のような石を敷き詰めた道が続きます。
この道を見るときに、請け負い人夫が現地の石を割って敷きつめて登山道をつくっていったことがよく分かります。本当にいにしえびとの苦労がしのばれる道なのです。実に、ありがたいことです。

途中、10数人の中高年の女性のパーティー(ツアー登山?)とすれ違って、その引率者と思しき先頭の男性に声をかけられました。
「今日は遠征ですか」???
「いつも西吾妻でお見かけしてます」???
そしてようやくにしてその方は、直接には存じ上げないけれども地元天元台の登山ガイドとして有名なKさんであることに気づいたのでした。
プロの登山ガイドだから、それこそ遠征して鳥海にもおいでなわけだ。
お相手は70歳前後と思しき女性ばかり、体力や経験の差というものもあるだろうし、ひとりひとりについて体調を気にしたり、歩き方に細やかな注意をはらったり、それでよろこんでもらってナンボの世界…、たいへんなお仕事です。お疲れ様です。
それにしても、筆者はKさんを一度もお見かけしていないのに、逆にKさんは筆者を見ているとはどういうことだろう?
こんな印象の薄い、取りたてて特徴のない男をどうして?(笑い)

そうして歩くこと約2時間、目的地のひとつ御浜(おはま)の鳥ノ海(鳥海湖。湖岸の標高で1,600メートル)に着きました。
鳥ノ海のようなカルデラ湖は裏磐梯の山上湖の雄国沼(おぐにぬま)だったり、東吾妻は一切経山直下の五色沼(魔女の瞳)だったり、蔵王のお釜だったりするけれど、筆者はこの鳥ノ海もとても好きです。
鳥ノ海は8月の半ばでも近辺に雪を残していますし、あたりには静かな中に雪解け水が流れ下る音だけが響いているのです。いいところです。

そして今回の山行の目的のもうひとつは、はじめての道、下の鳥ノ海の西側(右手)にそびえる(3つのこぶの左端)の笙ヶ岳(しょうがたけ/1,635メートル)まで歩くこと。鳥ノ海からは約50分の行程です。

鳥海山域ではほとんど行くひとのいない笙ヶ岳への道だけれど、実はここは有数の花の道であることを最近知ったのです。
これは行かない手はない。花を愛でながら歩く山の道ほど気持ちのよいものはなく。
この時期の笙ヶ岳の道々にはハクサンイチゲ(白山一華)やハクサンフウロ(白山風露)、トウゲブキ(峠蕗)やチングルマ(稚児車)がさかりでした。

丘の上に、巨岩がどっしりと。
半ば固まりかけた地中深くのマグマが地上に噴き出されて、着地の瞬間に衝撃で割れ込んだものでしょう。
何といううつくしき自然の造形、自然の彫刻! 感激です。
約16万年前のできごとのこと、この岩も久遠(くおん)の時間を宿してます。

笙ヶ岳からの帰り道に地元の遊佐町吹浦の青年に会いました。
青年は荷物の様子からして一般の登山者ではなく、小屋(今回は御浜小屋)からの依頼で物資の荷揚げを頼まれてきたようでした。彼はこれを仕事とはせず、“遊びの延長”と言っていましたが。
なぜ主要ルートから外れている笙ヶ岳への道で会ったかというと、それは彼のお気に入りの道だったから。
主要ルート上の賽の河原から(一般的ではないところを通って)近道してきていたのでした。半ば、道草をくって小屋に行こうとしていたということです。
さすがは鳥海を愛する青年、花にもとてもくわしく、教えていただくことが多かったです。
下は、その彼に撮ってもらったもの。

いかにも溶岩の噴出物そのものの山の斜面。

せっかくの機会のこと、湖面まで下りて鳥ノ海の縁を歩きました。

何とも深い青、コバルト。
静かです。

湖面の端にはまだ雪が。

雪がたくさん残る斜面からはゴウゴウたる雪解け水の音が。

静かです。

鳥ノ海から見上げた鳥ノ海ノ山、鳥海山。
左端が山頂の新山、右が外輪山の崖で、中央の凹みが爆裂火口の現場です。ここに山頂小屋・御室(おむろ)が建っています。

焼けてきた鳥ノ海ノ山の山頂。

夕日が日本海に沈もうとしています。
下界は雲海の下です。
「下界のニンゲンは、今日も鳥海は雲の中だな、天気が悪くて(登山者は)かわいそうだとか言ってるんでないかノ(笑い)」とは御浜小屋の小屋番のつぶやきです。

どうして、どうして(笑い)。

「今季、今までで最高の天気だノォ」とは小屋番の女将さんのつぶやき。
最高の天気の幸い。

東の雲も、頬染めて。

「月も、一番星も見えるでノォ。今日は最高だわ」とは、荷揚げの青年のつぶやき。

もう帳(とばり)が下りた稲倉岳(1,554メートル)。
ワタクシはホンジツ、地球のカタスミにおります(笑い)。
よい時間が過ぎていきました。

この日は御浜小屋泊。
(ただし、この小屋の利用はおすすめできない。小屋番は決して悪い方ではないけれども、建物空間自体への美意識が乏しく、小屋内は感染症対策の名残りもあって雑然とし、床はブルーシート敷きでした。宿泊で大切なのはあくまでも趣きですからね。前回15年前のこの小屋はこうではなかった)。

下は、鳥海山山頂の左側からのサンライズ。

霧の中の鳥ノ海。

そうしてしばらくするとガスが切れてきて、絶好の登山日和となってきたのです。
下は、休憩地の七五三掛(しめかけ/1,800メートル)から見下ろした千蛇谷と山頂の絶景。
このあと、ここから一気に下って、雪渓を登って山頂をめざしました。

千蛇谷の雪渓から山頂を望む。

雪渓から、右手の外輪山の崖壁を望む。

雪渓上で、セルフで。

新山の上に、山容のすばらしさを祝福しているかのような日輪が。

千蛇谷のコースを下る何人かの登山者とすれ違って話をしました。

新潟から来たという50代と思しき男性は、「はじめての鳥海は素晴らしかった。実は昨日は雨で羽越線が止まってしまい、代行のバスで遊佐まで来たんですよ。そしたら今日はこの天気、来たかいがありました。最高でした」と興奮冷めやらず、というふうに。
よかった、よかった。

広島からおいでだというご夫婦、ふたりとも70代の半ばぐらいだったでしょうか。
「妻がノ、“おくりびと”という映画に感激して、それでモトキはんがチェロを弾く場面のバックにあった山が鳥海山、それで、鳥海山に行きたい行きたい言うて、何年もせがまれて、それで来たんジャケン(笑い) 。念願かなったケン。今朝などはご来光を見に山頂まで登ったケンノォ。満足、満足!」と、こちらも大感激のご様子で。
よかった、よかった。

山頂が近づくあたりでビンズイ(便追)が鳴きかわしていました。
我が家にも来るミソサザイ(鷦鷯)の声にも似て、いやあ、いい声だなあ。

web 世界の鳥

で、山頂小屋の御室に着いたのは12時少し前だったと思うけど、荷物を預かってもらい、さっそくにも新山山頂へ。
新山山頂へは、こんな不安定に見える大きな岩石の積み重なった、しかも急斜面を、白ペンキの印を頼りにたどってゆくのです。
眼下にうっすらと見えるのが御室。

狭まった岩場を通り抜け。

道なき道は、荒々しい岩の連続で。
雲が、岩場の形を真似しだしまして(笑い)。

新山の途中から見た、外輪山の崖壁の下の御室。

山頂はもうすぐ。

そしてついに、新山の山頂です。
バンザーイ!(笑い)

九州佐賀は唐津からおいでのご夫婦も、バンザーイ!(笑い)
おふたりとも感極まっていたのは無理からぬこと(笑い)。
何せ、九州から飛行機を使って、列車を乗り継いで、クルマをチャーターしての、その果てのあこがれの鳥海ですからね。
よかった、よかった。

そうそう、頂上に立って思い出したのは、19年の7月に登った栗駒山のこと。
あのときも「こんな日和って、シーズン中にあるかどうか」と地元のひとたちが言うぐらいによく晴れていたけれど、感激したのは、栗駒山頂からほぼ真西に見えた鳥海山の姿でした。
直線距離にして約50キロ先の、その美しい鳥海の円錐形は出羽富士の名にふさわしいものだったのです。
下はそのときのもの。

新山からの復路の、胎内くぐり。
ここは安産の神様だとか。
こんなところで地震でも来たら、ゾゾッですね(笑い)。

そうして復路は雪渓に下り(ここは万年雪なのかもしれない)、休む間もなく今度は一気に、(1801年に大噴火があって新山が形成)かつての鳥海山のピークであった七高山まで登りました。
登り道は急なガレ場のこと、ここも少々、足がすくむ場所ではありますね。


下が、七高山山頂(2,229メートル)。

七高山から見た新山。

いたるところに高山植物が。
新山の復路でもそうだったけど、外輪山にあたるこの七高山付近も高山植物の宝庫です。
この山域はどこもそうだけど、高山植物がすばらしいです。
このことは月山と双璧です。

七高山につどって、爆裂火口の御室あたりや新山をながめる登山者たち。

御室への下山口からの、新山。

七高山からの下山。
ちょっとこの道はねえ(笑い)、ブルブル(-_-;)。
遠くに御室が見えます。

鳥海山の固有種のチョウカイフスマ(鳥海衾)。
何と岩にへばりつくチョウカイフスマは我が東北の地図じゃないですか(笑い)。

御室からの落陽を求めて、小屋泊の諸君が集まってきました。
当日御室には50人ほども泊っていたでしょうか。約7割は筆者のようなソロ、女性のソロも多かったよう、夫婦でというのも4組ほどはあったか、あとは友人同士でという構成だったでしょうか。
山小屋泊デビューという、盛岡からの女性が言っていました。
「小屋泊まりというのは、夕方から朝の時間を我がものにできるということですね。よく分かりました、感激です」、確かに。

外輪山が焼けてきました。

ここで、コーヒーブレイク。

今話題の朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルの牧野富太郎も1930年8月に鳥海山を訪れていました。
3泊4日の山行だったよう、きっと牧野も鳥海山に魅了されたことでしょう。

中央の蝶ネクタイ姿が牧野。
この背景の心字雪渓の風景からして、ここは(筆者も慣れ親しんだ)河原宿でしょうか。
このとき牧野は68歳、いかに慕われいかに影響力をもっていた人物かが知れようというものです。

なお、この写真は最近発見され、朝日新聞紙上に掲載されたものです。

太田幹人のアルバムから
同上

翌朝の帰路、外輪山に登ってからの新山の風景。
山頂のアルペンビュー(山岳風景)のすばらしかったこと、この風景を思い出すだけで、しばらくはずっと夢心地でいられる気がしました。

鳥ノ海ノ山は花の山。
鳥海山はまったくすばらしいお花畑の連続なのです。
下は、ヨツバシオガマ(四葉塩竃)とミヤマトウキ(深山当帰)と思しき白い花。

イワギキョウ(岩桔梗)の群落。
この花にもあこがれを募らせて来ました。

外輪から見る鳥ノ海と笙ヶ岳、そのうしろには青い日本海です。

朝の鳥ノ海が近づいて。

 

もう、名残惜しいけど、鳥ノ海ともサヨナラです。

下山は土曜とあって、鳥ノ海のビュースポットには多くの登山客がやってきていました。

このあと下山で目にしたのは、アリの行列のごとくの、途切れることのないものすごい数の登山客の列。
土曜休日、絶好の登山日和も手伝って、ということでしょう。
それこそ、老いも若きも、こぞってというところです。
鳥海山が親しまれているのはよく分かったけど、山で行列の風景は、筆者にはちょっとです。

下は、登山口の鉾立の風景。
駐車場は満杯にして、延々とした路上駐車。
んーん(-_-;)(笑い)。

このあと筆者は遊佐の西浜の温泉で汗を流し、鶴岡の知人宅にうかがって昼食をごちそうになり、帰路についたのでした。
いい山旅でした。

帰路、カーラジオが伝えたところによれば、「東北南部が梅雨明けしたとみられる」。
何ですって、もう?!(笑い)。予想よりもずいぶん早いなあ!

もう、夏だなあ。

以下、signal「鳥ノ海ノ山を行く」その2に続きます。

それでは、本日はこのへんで。
じゃあまた、バイバイ!

 

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