製作の時間

水場の看板

筆者がその看板に目をとめだしたのは(被写体とした)最近、2017年ぐらいからだと思います。
古ぼけて今にも自然に還りそうなほどにボロボロの看板に、妙に引っかかりを覚えました。
今回のsignalは山中の水場の看板をめぐる物語、題して「水場の看板」です。

(山形県)米沢市と福島市、それに(福島県)北塩原村にまたがる(東西に横たわる)吾妻連峰の西吾妻ではお花畑の大凹(おおくぼ)は登山者の憩いの場所です。
登山道わきにはベンチもあって、ここで昼食をとったり、休憩したりするひとも多く見られます。このことは池塘(ちとう)が点在し美しい花々に彩られる風景とともに、水場があるというのも大きいと思います。

登山者にとって山中の水場は大切なもの。筆者にとってもいままでの様々な登山シーンにあって、水を渇望した経験はあまたです。
吾妻連峰にあっては東の一切経山から西の西大巓までの縦走路(およそ25キロ)で登山道にある水場はここひとつきりです(縦走路の中ほどから約1キロ離れた弥兵衛平湿原から20分ほど下って心細いものがひとつ、西大巓への道の窪地からそれて小流れがひとつはある)。
大凹の水場は貴重な存在なのです。

水場は西吾妻山(2,035メートル)の取りつきにあたり、ここで水筒に詰めたりのどを潤したりして、少しばかり汗しぼられる坂道に向かうのによいのです。
ここの水は年中枯れることなく、水量も豊か。それは何と冷たく、おいしい水であることか。

ここにその看板があります。

ここで“泉”が大きく表示されるこの看板に難癖をつけるのもなんだけど(笑い)、ここは水場であって、“泉”ではないです。長い年月をかけて地下にもぐってきたものが流れ出しているものと思います。
でもそれは今はどうでもよいこと。

看板は風雨や紫外線にさらされ、毎年の大量の雪に圧しつけられ、錆びが噴き、折れ曲がり、割れもかなり入って、それはもう痛々しいくらいに劣化しているのでした。

そして、想像をめぐらしたのです。
誰がいつどのような経緯でこの看板を作って、ここに置いたのかと。

筆者の直感で申し訳ないけれども、看板の作者(または依頼者)はデザインにおいては素人ではないかと思います。文字の配置や配列、色使いなどはセオリーからはずれた発想が随所に見えます。
作者(または依頼者)は西吾妻という山域をこよなく愛し、この大凹の水場を大切にしたい、西吾妻を歩くひとの憩いと潤いの場であってほしいという願いがあったのは確か、その思いを看板という形にしたかったのだと思います。

その思いはセンテンスに顕著です。
「ここに泉あり 山の泉 とわに 清し」…。
何という、簡潔にして麗しい言葉の並びであることか。何と、こころ打つ言葉であることか。
筆者は作者(または依頼者)の西吾妻を愛する心とこの語彙のセレクトに感銘をさえ受けたのです。
その看板が、ボロ屑同然になってしまっている。

そして思ったのです。
自分に復元(製作)はできないだろうかと。

それならまず、この看板の設置者は誰なのか、どういう経緯で設置することになったのか、もしそれが分かればその方にひと言申し入れを行うのが筋、順序というもの。

そこで人づてに、長い間(もう60年以上も)西吾妻の保全に尽力され、登山ガイド(西吾妻山案内人クラブ)に携わってこられた方を紹介していただいてお話をうかがったのでした。

その、話です。

昔から大凹の水場には行っているけれども、あの看板がいつごろから置いてあったのかは記憶にない。誰が作って置いたのかは自分には分からない。
あの水場は吾妻では数少ない貴重なもの、(看板は)ここでのどを潤してまた山歩きを頑張ってほしい、山歩きを楽しんでほしいと願ったものではないだろうか。
ただ、今は、道案内をしても、昔のように、「ここは貴重な水場だから水筒に水をつめていきましょう。ここの水は冷たくておいしいよ」、とは言わないようにしている。水質を検査しているわけでもなく、大腸菌がどうのといろんなことを言うひともあるし。
(看板を取り換えたいという)趣旨はわかった。新しく作って設置するなら、(山域を管理する)米沢市の観光課にはひと言、伝えておいた方がよいかもしれない。面倒くさいことになるといけないから。

ということでした。

で、さっそくにも、観光課に電話で連絡すると4日後に(!)、いかにも役所的な形式ばった回答がメールで返ってきました。

「協議の結果、当看板については、本市が設置したものではなく、個人が設置したものと推測される。したがって、国立公園敷地内に位置している当看板の取替えについては、本市としては関与できない」。
ということでした。当然の内容だと思います。

ならばと納得して大凹に行き、持ち帰ることにしました(うまいことリュックに入りました)。
7月8日のことでした。

その後、しなければならない仕事も入って、製作の開始はだいぶたった18日になりました。

筆者はまず、看板を次のように観察しました。

■看板の金属板の厚さの実測は1.1ミリだが、この厚みは全体に錆が噴いているもので実際は0.9ミリほどだったのではないかと想像される。
 Ø(径)は400ミリちょうど。
■上下左右の端に、一つずつ(設置のためだろう)Ø6ミリの穴が開いている。これからすると、看板は当初、何か杭にでも取りつけられていたのかもしれない。
■縁(ふち)は、金属板の強度を出すために丸みをつけて曲げられている(プレスされている)。
■中央に大きく、“泉”の文字がある。
■上からタテに読んで、“山の泉”、“とわに”(ここはヨコ配列)、“清し”と記してある。左からヨコに、“ここに泉 あり”と記してある。
■以上の文字は毛筆の楷書体で、いずれも黒でペイントされている。
■文字などはいずれもシャープな線で、これは筆による手書きではなくマスキングしたのちにカッティングして色を載せたものと思われる。
■看板を“面”としてみると、(今まで現場で見る分にはわからなかったが、)中心から面積の半分近くを占めて、波線で囲った形が見える。考えてみるに、これは泉から連想されるこんこんと湧き出る水のイメージの形象化かもしれない。この部分を仮にAとする。
■外周の縁約20ミリの帯に赤でペイントされている。この部分をCとする。AとCにはさまれた部分をBとする。
■AとBは白のような、似たような色のペイントがなされている。
■Bがいちばん褪色はげしく、錆による腐食が進んでいる。これは、まず全体をBの色で処理し、その上にAとCの色を重ねたように思われる(重ねることによって防食効果がより図られる)。
■ペイントは手作業ではなく、整った用具と施設設備による焼付塗装を施したように思われる。よってこの看板は素人が作ったものではない。
■長い年月、紫外線と日常の水にさらされ、雪による圧迫で劣化が進み、表と裏ともに全体に錆が噴きだしている。14か所にひび割れが入り、深いところでは10センチまでのき裂がある。欠けもある。もはやスクラップ然となっている。

そして、復元(製作)に当たっては、次のように考えました。

●金属板は手持ちのものを使う。厚さは1.1ミリ。元のものよりずいぶん厚く、重厚感・重量感がある。
●当方は焼付塗装の専用の用具の持ち合わせなく塗装設備が整っている環境ではないので、金属板の成型と塗装はすべて手作業で行う。
●外周の色の赤は禁止や制止のイメージがあって、ここはあえて水色に変える。
●AとBについては近似色と思われるが、Aは白よりも少しくすんだミルキーホワイト、BについてはAをよりはっきりとさせるためにシルバーとする。
●製作は、マスキングとカッティングをくりかえして、その都度、塗料を置きながら進めていく。

ということで、金属板をジグソーを使って切りはじめました。
1ミリ厚ぐらいの金属板を切る場合は、下に不要な合板を敷くとブレることなくスムーズに切断することができます。
ただこの作業で、ジグソーそのものが不調、耐用年数が過ぎたからか最終的には壊れてしまいました。トホホです(-_-;)。
何とかだましだまし、切断をクリアしました。

金属板の強度を出すための外周の丸みの曲げは必須の工程です。
そこで、今後どうやって作業を進めたらよいか、参考までに、同じ町内の金属加工を職とする懇意の方に意見を聴きに行きました。
それによれば、「こういう縁の処理は手作業では無理、自分ではできない。プレス加工の工場に持ちこむのは手だが、その場合は型をつくる必要があるのでべらぼうな金額が要求されると思う」とのことでした。

それでプレス加工はあきらめました。なら、無理と言われても自分でやるしかない。
ためしに、プライヤー(ウォーターポンププライヤー)で端の約1センチをはさんで力を加えると曲がるではないですか。これなら自分でもいける!と思いました。
外周にしたがってていねいにていねいに根気強く曲げを入れました。もちろん、曲げの面はそれ自体はでこぼこです。

下は、曲げをスムーズな曲面にするための、金槌による叩きのための下敷きを作っているところ。
つまらない合板をつなぎ合わせて接着して。

板を下敷きもろとも固定し、下敷きの丸みに沿って、カンカンカンカンカンと金槌で叩いて、叩いて、叩いて…。根気強く叩いて。

ようやく美しい丸みができました。これで強度が出ました。

現場に設置することを考えると、元の看板が折れてゆがんだりき裂が走ったりした原因は、それが金属板1枚だったからです。
ならば、下に補助材をつければ折れや曲げは防げるはずと考えて、取りつける際の下地を作りました。
30ミリの板を4枚つなぎ合わせて接着し、それを本来は(本業である)ドアリラ製作のために導入したドラムサンダー(米沢でもこのマシンを所有しているところはないのではないか)で表面を削って均一にしているところ。
このマシンは自動カンナが逆目に対応しない欠点を補ってくれるすぐれものです。木口の表面磨きもできます。

厚さを均一にした下地材。
ここにトリマー加工で丸みをつけ、木材の腐食をできるだけ抑えられるように防腐剤入りの塗装を施したところ。裏に桟(さん)をつけて接着を強化しています。
この下地が腐ってしまったら換えればいいだけの話です。

素材が出来上がって、いよいよ描かれている文字を原寸通りに割り出す作業に入りました。
現物を写真に撮り、それをA4用紙に印刷しました。それを元に、カーボン紙を使ってできるだけ正確に写しとりました。
看板それ自体が全面錆でおおわれ、それを写真に撮って白黒に置き換えたときの不明瞭さといったら(-_-;)。
文字の正確な境界を判別するのに苦労しました。

写し取った文字の用紙に10ミリ方眼を書き入れ、原寸にするためにあらかじめ作っておいた20ミリ方眼に拡大しました。これはとても神経を使う仕事です。
正確な文字のイメージを頭に入れるために、たえず傍らの実物を意識して見ました。

原版をもとにした文字等が定まって、次にはマスキングしたのちに線に沿ってカットし、そこにスプレー塗装で色を置いていく作業にかかりました。
そう、当初の塗装の方針は、すべての着色は油性のアクリルスプレー塗装を行うことを原則としました。スプレーこそはもっとも美しく均一に塗装することができるからです。

けれどもこれは大失敗でした。
油性のアクリルスプレー塗装の上にマスキングテープを貼り、カッティングののちに不要な部分をはがすと、マスキングテープは下の塗料を引っ張って塗料まではがすのでした。
それは、十分な乾燥時間をおいても同様でした。
その原因はそもそも金属板の透明な保護塗装にあるのではないかと疑って、塗装を完璧にはがしてから表面を紙やすりで削り取り、その上でさらにスプレー塗装をしてみましたが、結果は同じことでした。

原因は金属板の素材にあるのではなく塗料そのものにあることが分かりました。油性のアクリルスプレー塗料というのは粘度が高く伸びやすい、したがって接着面に引っ張られてしまうのでした。
スプレー塗料は、無駄な出費となりました。
マスキングが工程に入る金属板に油性のアクリルスプレー塗装は適さない、これはよい教訓でした。よい経験をしました。

ならば方針転換、塗りはスプレーではなく、油性塗料を手塗りで。

新たに、塗料を買いました。
わずか100ミリリットルで700円、塗料というものは本当に高いです(-_-;)。
黒は、(signal「リフレッシュ、2題」で紹介した)コンテナ小屋の全体塗装と車庫のトタン壁の塗料の残り。

まずは、全面にBの色としたシルバーで塗りました。
次に、Aの泉様形状の波線の囲いをマスキングしてカッティング、そこにミルキーホワイトを置きました。

 

同時に、縁の(ミルキーホワイトにアクリル絵の具のウルトラマリンブルーを混色して作った)水色を塗りました。

マスキングテープをはがしたところ。この上に文字が載っていきます。

幅広のマスキングテープで金属板全面をおおい、いよいよ文字を転写していきます。これはこの製作の佳境です。
カーボン紙を使ってマスキングテープの上に写し取るのは至難の業というもの。マスキングテープには表面にコーティングがしてあって、色(黒)がわずかしか乗らないのです。

そこで、カッティングのために、かすかな写り(映り)線と筆圧によるかすかなくぼみをたよりに、ボールペンで実線を確実にしていきました。

カッティングには普通のカッターナイフの他、小さく細い部分にも対応するデザインナイフも使いました。
マスキングテープをていねいにはがしとるために、ピンセットと千枚通しも使いました。

そうしてようやく、色を置くことができる下地が現れてきました。

文字部分のすべてのマスキング部分をはがして、黒を入れます。

十分な乾燥時間を取ったのちに、マスキングをはがしていきます。

そうすると、この通り。これはワクワクドキドキする時間です(笑い)。
もうすぐ、完成です。

そうしてようやく看板が出来上がりました。うれしいです。

とても、うれしいです。

記念にと、出来上がった看板の裏に(補強材としての木板に)こう記しました。

「ここに元あった看板は腐食と割れが進み、もはや用を為さぬほどに劣化していた。これを復元したく思った。さしあたって所用者に断りを入れようと探したが、古くより西吾妻を知るひとを頼っても、そのことにはたどりつけなかった。そこでアドバイスにしたがって所轄の米沢市にひと言入れ、勝手に復元・製作することにした。復元・製作 本間哲朗 2022年7月31日」。

けれどもよくよく考えて、これに難癖をつけられてはたまらないこと。
思い直してすべてを消し去って、“復元・製作 2022年7月31日”とだけにしました。

下は、設置のための、出発の日の(工房前での)記念撮影。8月5日のことです。

水場近くの木道で。けっこうな重量となった看板を背負って。

リュックから看板を取り出して、

元の位置に設置しました。
実に、感慨深いです。

記念に水を汲みました。

そうして、看板は風景の一部となりました。
筆者は、これを切に望んでいたのです。感慨深いことです。

近くのベンチに腰を下ろし昼食のサンドイッチをほおばっていると、西吾妻山から下りてきた登山者が水場を通りかかりました。
そして、「来た時にはこんな看板はあったかなあ」という少しだけ不審な表情をして、次には手のひらを杓子にして、水を口にしていました。
よい光景でした。
これから、こんな光景が何千何万とあると思うと胸がすく思いです、やはり感慨ひとしおです。

そして筆者も、看板の秀逸なフレーズ通り、“ここに泉あり 山の泉 とわに 清し”と願わずにはいられませんでした。

泉、水がわき出して注がれるところ、水の流れというのは、先のsignal「復活する木」で引いたジャン=ジオノの「木を植えた男」(「木を植えた人」)を持ち出すまでもなく、希望の象徴です。
時代は今、希望こそを待ち望んでいることだし。
そういえば、尾瀬の尾瀬沼のほとりにたたずんでいた沼尻休憩所(2015年に火事で焼失したんだとか)わきの水場には「賢者は水を好む ヘンリー=ソロー」と記してあったっけ。
そう、生きることの真っ先の価値は、水なのです。

あたらしい看板の設置を記念するように、水場近くできわめてめずらしいミヤマリンドウ(深山竜胆/リンドウ科リンドウ属)を発見しました。それは通常の青味の濃い青紫のものとはあきらかにちがう色味の、ほぼ白に近い(きわめて薄いすみれ色の)個体でした。
このことは長く記憶に残ることと思います。

下は、普通のミヤマリンドウ。その下が、今回発見したもの。

目的は達成されました。ひとつの、大きな満足です。
筆者の日々は、課題を解決して形にする、この積み重ねです。これが変わらぬ暮らしのトーンです。

本日はこのへんで。
それじゃあ、また。
バイバイ!

 

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