森の生活

復活する木

今年2022年は何と異常な時間を刻んでいることだろう。
異様なほどだった大雪(一日いちにちをしのぐのにたいへんでした)、COVID-19の感染は3年経っても収束ままならず、と今度はあろうことかロシア・プーチンによるウクライナへの軍事侵攻…。それから6月の猛暑と記憶にないほどに早い梅雨明け(6月29日)……。

この夏、家のまわりのチマキザサ(粽笹/イネ科ササ属)がいっせいに花をつけました。
この植物の開花は60年から120年に1度なのだそうで、きわめてめずらしい現象です。
花が咲くと、地下で網の目状につながっている株は消滅する運命にあるのだとか。
消滅して笹の葉が採れなくなって“笹巻き”ができなくなったらたいへん(笑い)、これからの推移を注意深く観察していこうと思います。
笹の花は不吉な予兆と言われているそうだけど、予兆どころか現実ですかね。

この(7月)2日、笊籬溪(ざるだに)を流れる清流・天王川にかかる笊籬橋の下(の淵)で、イワナ(岩魚/サケ科イワナ属)が大量死していました。ざっと数えただけで100匹は超えていたと思います。ぞっとしました。
イワナは冷涼で汚染のない清潔な川でしか生息できない指標生物。猛暑で水温の一気の上昇で、生息できないほどになったものなのか。
だとすれば、自然からの第一級の警告のサインということになります。
筆者たちがこの森に引っ越してきて来年で30年、まったくはじめての光景です。

6月29日のこと、主屋の玄関口すぐ、頭上5メートルほどのところに何か重そうな物体が浮かんでいて、よく見るとそれは2匹のオオスズメバチ(大雀蜂/スズメバチ科スズメバチ属)が空中でホバリングしながらくんずほぐれつ格闘しているのでした。見ていたならばそのうち、もつれたままで垂直に落下し、地面に落ちてさえももみ合っていました。
これは女王蜂? 覇権(支配権)の争い? テリトリー侵害への抵抗?
格闘して互いに気を取られていることを見て筆者は、近くの外の水場にあったステンレスの重い洗面器をつかんで、一打一撃して2匹もろとも仕留めました。
こんなのに向かって来られたらひとたまりもないですからね。
そしたらすぐです、まだピクピクと動いては尻の針を出したり引っ込めたりしているハチの身体全体に小さなアリがわき出したように群がってきたのは。
生きるとは、こういうことですね。

と数日して、今度は玄関上の雪切り屋根の直下に丸いものがあるなあと思ったら、何とスズメバチの巣ではないですか。それは日に日に大きくなってきています。
この巣は、上に記した2匹のオオスズメバチと関連があるのかどうか。

種(しゅ)はやはりオオスズメバチのようです。
でも刺激を与えない限り、オオスズメバチといえど襲ってくることはないので大丈夫。
11月末にはすべてもぬけの殻になるはずですから、それからなんとか巣を取ってしまいたいと思いますが。

でも、これは異変ではないです。森住まいにあっては自然なこと。

と今度は、アオダイショウ君(青大将/ナミヘビ科ナメラ属)ではないですか。
2階のベランダからゆっくりと下に降りてきたようです。
筆者とにらめっこをしても全然動じません(笑い)。舌をペロペロと出したり引っ込めたりとまったく悠然としたものです。
でも、これも異変ではないです。森住まいにあっては自然なこと。

アオダイショウの好物は野鼠のようで、そういえば我が家は築30年も経とうというのに家屋に鼠の音がまったくしないのだけれど、アオダイショウ君が捕ってくれているから? それなら歓迎、大いに感謝です(笑い)。
ただお願いがあるんだけど、君、家の中にはゼッタイ入らないで! ズエッタイだよ!(笑い)

で、今年の異様なことの極まりは、マイマイガ(舞舞蛾/ドクガ科マイマイガ属)の幼虫の大発生です。7年前にもあったことですが、規模においてはまったく違います。
マイマイガは草でも木でも一向お構いなく、葉という葉を食い尽くしていきます。
その数の多さと言ったら! その食い尽くしようといったら! 手の施しようがないとはこのことです。

車庫のシャッターを這うマイマイガの幼虫。

ヤマモミジ(山紅葉/ムクロジ科イロハモミジ属)についたマイマイガ。
気でもふれたようにむしゃぶりついています。
マイマイガの幼虫は、食べてはどんどんと身体を大きくしています。

ススキ(芒/イネ科ススキ属)もご覧の通り。 

そうして、我が家ヒュッテ前のシンボルツリーのブナ(山毛欅/ブナ科ブナ属)は丸裸にされてしまいました。
美しく繁茂した葉が一枚とてないのです。一枚もです(-_-;)
大切に大切に見守ってきた木だけに、ショックです。
今はまだ夏だというのに、これではすっかり葉を落とした雪が来る前の景色ではないですか。

主屋とヒュッテのあいだにある、これもシンボルツリーのイタヤカエデ(板屋楓/ムクロジ科カエデ属)もこの通り。
枝に串がくっついているかのようで(-_-;)。ショックです。

針葉樹はまさかネと思っていたら、トウヒ(唐檜/マツ科トウヒ属)までもがこの通り(-_-;)。
何たる風景だ!

ヤマモミジも、すっからかんとなりまして(-_-;)。

これは重大ニュース、たいへんな驚愕の事態です。
これが都心の(たとえば皇居の)森なら、当然トップニュース、新聞の一面を占めるほどの衝撃的な出来事、ワイドショーでも専門家とやらを招き入れてつぶさに解説し連日報じられることでしょう。
だが如何せん、報道というのはほぼ“東京基準”。東京(都会)で話題性がなければ、それはニュースとはならない。地方の災害とて、それは都市部のニンゲンの視点でとらえた想像からの報道なのであって、地方の現場からの発想ではない。
よって米沢の郊外の地がどんな異変をきたしていようがニュースソースにはならない。これが現実というものですよね。

木といえば……、
この歌。

青葉かげ深きところに沈黙の石ひとつ置けよ憩ひあるべく  安田章生

この歌は、読む者をして盛夏の日射し受ける樹木の影の、静かな石の深遠な世界に連れて行ってくれます。
筆者はこの静謐な風景に安心していることがあります。
木は、安らぎを与え賜ふもの。
大切にしている歌です。
※出典を記したいのですが分からずじまい。その昔、気に入って書取っていたものです。

木といえば……、
この句。
『世紀末の小町』砂子屋書房1989より。

なにほどの快楽か大樹揺れやまず  大西泰世
※快楽は「けらく」と読ます

これは現代川柳の大御所、大西泰世の代表的な句です。
句は、風に揺れる大樹の描写でしかないのに、ここにはひとの大いなるよろこびを重ねているのはあきらか。大いなるよろこびというワードで木にそれを映し見ることのできる大西はやはり詩人の目をしている。

俳句界の人間からすれば、大西泰世の句は川柳などではない、“無季”の俳句であると言いはって、無理に俳句界に引きずり込んで賞まで与えてしまっているよう。
でも筆者は、特にこの句は、川柳の真髄であると思うなあ。

木といえば……、
この詩。
「木」/川崎洋。『しかられた神様』理論社1981より。

木は遠足に行かない
木はしっこもうんこもしない
木は眠るのも立ったまま
木はくしゃみをしない
木はソフトクリームを食べない

ほんとうは
木は
口笛を吹くのかもしれない
泣くことだってあるのかもしれない
一人ごとを言うのかもしれない

でも
木は木を切らない
そして
百年も千年も生きる

この詩が好きでした。
木(植物)は、当然にして動くことができません。そこを動くことができないのであれば、その一生というのは何があろうとどんなことが起ころうが、事態をただじっとして受け入れる以外にはありません。
川崎が「ほんとうは」と置いて言葉を継ぐのは、木の本音なのかもしれない。
まあこの詩の核は、木は同士内で殺(あや)めたりしないとして愚かなニンゲンを揶揄していることは確か。

下はヒュッテ前のブナの幹ですが、キクイムシ(木喰虫)が入り込んでいるようで、小さな穴がたくさん開いています。
そうして幹を観察するに、あちこちでふくらみが見られるのだけれど、これは樹木内部で何とかしようと虫と闘っているようにも思えるのです。
薬剤を自分で作ってそこに集中して流し入れて、それ以上の浸食を避けるとか。やられてしまった箇所は包帯を巻くようにして保護しているとか。
そういう木の、受け入れてしまわざるを得ない災難と闘う姿はまったくいじらしい。

木といえば……、
この絵本(児童書)。
佐野洋子著『おぼえていろよ おおきな木』講談社1992。

内容をおおざっぱに紹介すれば…、

みごとに大きな木があって、その木陰におじさんが住んでいました。
朝、おじさんが寝ていると小鳥がたくさん集まってピーチクパーチク、うるさくて寝ていられません。
木があるために洗濯物はかわかず、毛虫がぶらさがり…。
秋ともなれば葉っぱが降りそそぎ、葉っぱで芋を焼いて食べたあとも始末に負えないほどの葉っぱが降りそそいでイライラ。冬が来て、木に積もった雪がおじさんの上に落ちました。
そのたびごとにおじさんは「おぼえていろ」「おぼえていろ!」とつぶやきながら木への憎しみをつのらせ、とうとう木を切り倒してしまったのでした。
そうすると、春になったのが分からないのです。花が咲かないから。朝が分からないのです。小鳥が来ないから。
お茶を飲んでも木陰がないので暑く、洗濯物を干すのにもロープをひっかける枝がないときました。焼き芋を食べたいが、芋があっても焼く落ち葉がない……。
そうしておじさんは気づくのです。自分は身勝手だったということを。悔やんでも悔やみきれないことをしてしまったと。木は本当はかけがえのない友人であったのだと。そしておじさんは切り株にひれ伏して号泣してしまいました。
やがて切り株から、あたらしい芽が出てきました。おじさんの喜びようといったら…。

おじさんの別名は、“ニンゲン”ですよね。
ニンゲンは実に身勝手、ものごとを都合のいいようにばかリ解釈したがる。

木といえば……、
この短編小説。
ジャン・ジオノ著『木を植えた男』。フレデリック・バック絵/寺岡襄 訳あすなろ書房1989
同著/原みち子 訳『木を植えた人』こぐま社1989。
※ジャン=ジオノが小説として発表したのは1983年
それにしても、フレデリック=バックの絵はいいね。
彼の絵にあこがれて、東京は深川の現代美術館に大回顧展を観に行ったのはいつだったろう。それは、彼はアニメーターである前に、優れた画家であるのを思い知ったときでもありました。

物語を簡略に記せば…、
荒涼とした不毛な土地にどんぐりをひとつずつていねいに埋め込んでいる男がいたのです。やがてそれは林となり森となって、森は水をため、そこにひとびとが住みつくようになりました。その壮大な事業を誰にほめられるではなく、たったひとりで黙々と行ったというお話。

下は、原みち子訳からその一部。

なんというかわりようだろう。空気さえ前とはちがう。かつて私をおそった乾燥した烈風のかわりに、いろいろの香りの混ざった優しいそよ風が吹いている。(略)
もっと驚くことには、水場に水が落ちる音が聞こえるではないか。いってみると、きれいな泉水ができていて、水量も豊かだ。なんとも心をうたれたことには、泉水のわきには菩提樹が植えてある。幹の太さからして、もう四年はたっているだろう。まぎれもなく復活の象徴だ。
それだけではない。ヴェルゴンでは、希望をもたないときには決してしないような仕事に人々がいそしんでいる様子が見られた。ここには希望がもどっているのだ。廃墟をきれいにかたづけ、くずれた壁を取りのぞいて、五軒の家が建てられている。

ロシアが隣国ウクライナに軍事侵攻したのは2月24日のこと。
病院や学校を標的にミサイルを撃ち込む、原子力発電所を襲撃する、核をもって脅す、無辜(むこ)の市民を拷問にかけて処刑する、性暴力が横行する……。とても許すことができない暴挙の数々……。
でも、国際社会の無力さを見せつけられながら、われら地球市民は刻々たる暴虐の前に心臓を鷲づかみされ、胸をかき乱され、ただただ打ちのめされて立ち尽くすのみだ。

この、あってはならない事態に至って、希望というものが消えた気がしました。
希望が消えたのなら、少なくともまずは己の中でのみでいいから、ともかく希望を探していかないと、と思いました。
今、この状況を受けて、世界中の多くのひとがそれぞれの方法で、生きるよすがを探しはじめているように思うけどどうだろう。
ひとって拠りどころがないと苦しいですからね。筆者もそうです。

そうして筆者は4月に入ってから、まずは我が身を守るため(ネガティブなワードが渦巻いて、これ以上不健康になってはいけない!)情報をほぼ遮断することにしました(情報は選ぶよりも、遮断する方がいい。選ぶには、比較選別の能力と労力を必要とします。遮断はほんのちょっとした勇気と思い切りがあればいいので)。
ひとなんてものは情報の海に浮かんだ木の葉のようなもの。いつでも波に吞まれてしまう。
自分としては、その情報の多さに溺れてしまったり、感覚をマヒさせたり、大切なことに反応できなくなるのはたまらないのです。

筆者にとってテレビは普段から遠いもの、それに加えて、考えないで済む作業中には何気に聴いていたラジオもやめることにしました。
新聞もさらっとめくるだけ、ネット情報もラインナップをさらっと。

テレビとラジオを特徴的に表すのは“放送”という言葉、文字通り“送りっ放し”ということ。自分の意志や面持ちとは関係なく(筆者としたら、土足で)、入ってきてしまうことです。
断りなしに自分の部屋に入られたら、やはりそれは困りものです。

情報をほぼ遮断してどうなったかといえば、別段不便に思うことはないし、意外にも何も変わらないのです。
むしろ、鳥のさえずりに敏感になって、同じ種の鳥(たとえばシジュウカラ)でも、個によっては声の質も刻むリズムも、抑揚もちがうということが分かってきました。名前が分からないのはくやしいけれども、いろんな美しい鳥たちが来ていることがはっきりしました。
風のそよぎも、遠くからやってくるクルマの音にも敏感になりました。500メートル先くらいのクルマが分かるのですよ。
そうして何より、自分との対話がふえたように思います。
ただ情報が乏しいとどうなるかの一例、7月8日の安倍晋三氏暗殺の報は、夕方帰宅した家人から「亡くなったんだって?!」と言われてはじめて知った次第、ビックリ。

そして思ったのです。
なんで自分は今まで“新しい”ということをまるで価値あることのように思い、新しい情報をありがたがり、それが堆積して(感覚がマヒして)無意識のうちに欲し、受け入れようとしてきたんだろうと。
本当に大切な情報って、何? 暮らしていくうえで、必要な情報なんてそう多くはないんじゃないのか。

さらに思ったのは、人間社会からは一方的に通信(マスメディア/テレビ、ラジオ、新聞、インターネット)がまるで洪水のように送られてくるけれども、かたや自然界からは何も送られては来ない。自分が聴く耳を持ち、受け止められる感性を持っていなければ信号(シグナル)さえもキャッチできない、ということ。
でも、こっちの情報の方がむしろ豊饒で大きな意味を持っているやもしれず。

筆者の敬愛するヘンリー=デイヴィッド=ソロー( Henry Daivid Thoreau 1817-62)の魅力って、そうした耳と感性をもって自然が発する多様なことばを敏感に受け取っていたひとだったんだなとあらためて思うわけで。

そうして7月3日のこと、イタヤカエデの枝先に、なんと葉がつきはじめたではないですか。
生れ出たばかりを象徴するように、葉の先を赤くして。
復活です、再生です! なんと素晴らしい光景でしょう! もうそれは、宗教的な奇蹟が起こったかのようです。
心からうれしかったです。

と、ブナもまた新葉をつけてきたではないですか。
奇蹟の連鎖です。

そして、ヤマモミジにも(こちらには異様な大きさの葉も混じり)。

それにしても、自ら動くことができない木という生命体は枝先にどんな信号を送ったのか、どんな命令を与えたのだろうと不思議な気持ちになりました。
ともすれば、葉がすっかりないので冬という季節を自覚し、ついては春がきたとの勘違い?
それとも、葉をすっかり落とされてしまったのは仕方のないこと、冬が来るまでにはまだまだ栄養を作ってたくわえ少しでも大きく育たなければならない、よってもう一度、葉よ出でよと指令を出したものなのか。
いずれにしても神秘的な出来事にちがいありません。

夏にして時間の逆戻り、今まるで春のような若々しいみどりがあふれ出てきたというのは、これはあきらかに希望です。
身ぐるみ剥がされ、何もないところから木が復活したのです。復活する木は希望そのものです。

下は、9日のイタヤカエデ。

13日のヤマモミジとブナ。

18日のイタヤカエデとブナ。

24日のヤマモミジ。

26日のイタヤカエデ。
葉の赤味もすっかりみどりにかわってきました。 

トウヒだけはもう助からないかもしれないと覚悟をしていたのですが、何と小さな針状の新葉が出てきたではないですか。
トウヒにあってはまだまだ油断は禁物だけれど。  

時ならぬ青葉若葉が今、ルーザの森をおおいはじめています。
木が徐々に復活したように、森全体が生命を吹き返しました。

生命あるもの、そうやすやすと死んでたまるもんですか。

本日はこのへんで。
それじゃあ、また。
バイバイ!

 

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