(4月)17日の深夜、ふと目が覚めると外が何だか妙に明るいのです。
で、外に出てみると、美しい満月が頭上にポッカリとフワフワしながら浮いているではないですか。
春の森閑とした夜の月もいいものです。
筆者が幼いころ、萱屋根葺きを生業(なりわい)としていた父親は地区の青年たちを集めて川柳会を開いていました(今にしたら、民衆の文化と言えますね)。
結社の名は、“秋葉川柳吟社”だったと思います。
“秋葉”とは町(山形県東置賜郡宮内町。現在の南陽市宮内)の東方に位置するシンボル的な山・秋葉山からの名です。
筆者は我が家を会場として行われた会に(11歳くらいだったろうか)加わっていたものか、あるいは何気に青年たちの様子を観察していたものか、その時の様子を記憶しています。
なんで川柳、川柳会なのかというと、その時の宿題(事前に選者が出していた題)が「月」だったから。
その時に最高位の天位に選ばれたのがユノムラコウイチさんの…、
地球から見た月月から見た地球
というものでした。
もう55年も前に知った句が記憶に残っているというのはそれだけ印象が強烈だったということでしょう。
月を課題(宿題)にしたのは、その当時アメリカとソ連による月面探査の競争で月への関心が国際的に高まっていたためだったと思われます。
それにしてもこれは、俳句とはひと味ちがう川柳らしい川柳、見事な句だと今も思います。
宇宙空間にあって目の方向(ベクトル)がふたつに交差する壮大な句、しかも視覚的にシンメトリーを成しています。
月は、木陰の恋人たちや静かに眠る動物たち、地球の片隅、そうウクライナの様子も事実としてちゃんとご存じだ。
ウクライナに軍事侵攻して残虐な行為の限りを続けるロシア軍のこと、そして逆にロシア系住民がウクライナ政府によって迫害され虐殺されてきた近年の事態も……。
ああひとが死ぬなんて、やだやだ。戦争は早く終わってほしい。
ロシア軍はまず、自国に即刻帰ってほしい。
そんなことも思わせる月です。
*
下は、その17日の我が家。
雪がことのほか多かったこの地区(米沢ならず日本海側の内陸部ではどこも)では消え残りも多く、現在(29日)に至ってもまだ残っています。
雪を越えて、散歩に出ました。林を通って、野を過ぎて。
雪があたりにひと切れふた切れと残っているうち(こういう状態を“斑雪間”と書いて、“はだれま”と読むのだという)のフクジュソウ(福寿草/キンポウゲ科フクジュソウ属)の美しさ。
あたりはまだ冬枯れのブラウンのままで、その枯れ枝や枯れ草のホダが太陽の熱をたくさん含んであたたかになって、フクジュソウはそうした温(ぬく)い布団の中から一斉に顔を出します。
フクジュソウの一個一個の花は電波ならぬ光を集めるための精巧なパラボラアンテナのよう。
フクジュソウの咲き誇る様は、空気がまだひんやりする中のすがすがしい早春の光景です。
近くの榛(はん)の木林。
ハンノキ(榛木/カバノキ科ハンノキ属)は谷地(湿地)を好んで生育しますが、元はといえばここは田んぼの耕作放棄地。
ハンノキによって、元の自然に還ってきたというわけです。
それにしても麗しい、ハンノキの若いみどり。
溪はゴウゴウと音立て…、
水はしぶきを上げ…、
溪は時に澄んだ流れとなって…、
そして、沼(笊籬沼/ざるぬま)は静か。
遠くの山肌には、オオヤマザクラが彩りを添えて。
*
春です。
ルーザの森にもようやくのこと、春が来ました。
そして、七郎右衛門桜が今年も約束したように咲きました。
下は、オオヤマザクラ(大山桜/バラ科サクラ属)の七郎右衛門桜(これは筆者の命名)。七郎右衛門桜を背景にしたナイスショット。
右がご当主の嘉藤七郎右衛門さん、左が同じ町内会の山田富士男さん、3人でサクラを見に行こうと相なったのです。
富士男さんは山形県の登録無形文化財の梓山(ずさやま)獅子踊りの踊り手にして奏者であり、保存会の会長でもあります。
小さく写る奏者右が本人(撮影は2017年8月、法将寺にて)
このオオヤマザクラは七郎右衛門さんの祖母が李山(すももやま)という米沢の南部から嫁いできた際に地元のサクラを分けてもらって植栽したとのこと、約100年前のことだそうです。
ここは元の家屋の住居跡ですが、サクラの背後にはかつては飲料水ともした清涼な川が流れており(屋敷うちには石垣が築かれ、水をていねいに管理していた様子がうかがえます)、今回伺って驚いたことには、かつてこの小川のほとりに月山詣でのための行屋(ぎょうや)が建っていたというのです。
広さは他の行屋と同じく、2間(約362センチ)×9尺(約271センチ)だったということです。
“行屋”とは、山岳信仰の修験道(しゅげんどう)に連なる民俗。13歳から15歳に至る男子が成人を記念し、霊験(れいげん)あらたかな山に登るために事前に籠る小屋のことです。
この小屋で質素な食事をし、すぐわきの小川で水垢離(みずごり)をとって何度も何度も身を清めてから山に登ったのです。
山というのはそういうふうにして向き合うもの、山はそれだけ霊力宿る神聖な信仰の対象だったのだと思います。
筆者の理解では、行屋とは公共のものであって一個人で所有するものではないと思っていたのですが、嘉藤家のように行屋を持つ家もあったのですね。
下は、山形市内を眼下にする現在の真白い月山(1,984メートル)。山形への所用ついでに撮影してきました。
この山容はいつもながらたおやかです。
月山は出羽三山のひとつ、羽黒山や湯殿山とともに修験道の色濃い山岳ではあるけれども、一方東北でも有数の高山植物の宝庫でもあります。
月山は筆者も花の山としてとても好きです。
町内にほど近い場所に鎮座する湯殿山碑。
里人は、碑を祀って、山々がもたらしてくれる恵みに感謝しつつ現地に行けないまでも遥拝(ようはい)をしたのでしょう。
月山を含めた出羽三山信仰、そして飯豊(山)信仰はこの地にも深く根づいていたようです。
3人で向かった先は、李山。
実はこの李山地区は、“トトロの木”があることで有名です。
七郎右衛門さんに言わせると、東京の孫にせがまれて何度も来ているのだとか。
「あのー、トトロって、“北の国から”とかいうドラマで有名になったのだっけかなあ?」
「はあ? ちがうべ!」(笑い)。
この七郎右衛門さんのゴ発言に、宮崎駿と倉本聰は真っ青になったかもしれない(笑い)。
今は前面のケヤキの大木がまだ裸木のままだけど、みどりに変わる頃には、なるほど立派な巨大なトトロだ。
展望台に設置してある看板。
今回の李山行きのお目当ては、当然にサクラ。蘖(ひこばえ。根元から生えてくる若い芽)の取り木による七郎右衛門桜の、その元の木を見ようということです。
その前に立ち寄ったのは、今は惜しまれつつ閉校になった米沢市立南原小学校李山分校の校庭にあるサクラです。
葉と同時に展開するのもめずらしければ、この花の色の白さといったら。まるで桜桃(おうとう/サクランボ)の花の白さです。
筆者は未だ実物を見る機会がないけれど、基本野生種のひとつのオオシマザクラ(大島桜。分布域は関東以南の島嶼部など)のような雰囲気です。
筆者が信頼する植物のエキスパートは、ソメイヨシノからの交配種の可能性ありとも言っていました。
これが七郎右衛門桜の元のオオヤマザクラ。
200年前300年前のその昔、村人が美しく咲く山のサクラの苗木を掘り起こして里に持ってきたものでしょう。
この品格ある美しさは、人知れぬ名木というものです。
花びらは普段目にするオオヤマザクラより大きく(ひとつの花の直径は500円玉くらい)、赤の色味は花びらの縁より中心に向けて染色したように微妙な諧調(かいちょう)を持っています。
オオヤマザクラを特徴づけるひとつの葉の赤さ、花が満開近くとなって赤い葉がつきはじめていました。
記念にふたりで収まりました。
七郎右衛門さんにしても李山は久しぶりのこと、ずいぶん感慨深げのようでした。
その足で見た野生のカスミザクラ(霞桜/バラ科サクラ属)。
遠くから見ると、ほんとうに霞がかかったようなのです。
カスミザクラの皮目と花びら。
花の柄(花柄)や葉には毛がたくさんついているので、ケヤマザクラ(毛山桜)の別名もあるとのこと。
以上は、サクラをめぐっての、3人の小さな旅でした。
*
近くの鑑山に登りました。
タムシバ(田虫葉/モクレン科モクレン属)の白い花は今が盛り。
タムシバの花びらの中。おしべとめしべ。
こちらはコブシ(辛夷/モクレン科モクレン属)、またはキタコブシ。
日本海側の多雪地帯のコブシを指してキタコブシと言う場合があるのだそうで、本種に対して葉が大きく薄いということです。
タムシバとコブシは本当によく似ているのだけれど、決定的にちがうのは、花の直下に一枚の小葉があるのがコブシ、ないのがタムシバです。
ひとつひとつの花の大きさから言ったら、コブシの方がぐっと小さい感じです。
ふたつとも、雪国の春先を代表する花です。
アカマツ(赤松/マツ科マツ属)の初々しい若いみどり。
イワカガミ(岩鏡/イワウメ科イワカガミ属)の、冬から春への色の移り変わりの葉。
葉は臙脂(えんじ)色から徐々にみどりになっていきます。
とても似ているけれども種がちがう、こちらはヒメイワカガミ(姫岩鏡/イワウメ科イワカガミ属)。
イワカガミがピンクの花なら、こちらは純白なのです。
最初の発見では、色素喪失の突然変異かと思ったものです。
なごりのイワナシ(岩梨/ツツジ科イワナシ属)の花。常緑小低木。
なごりのマルバマンサク(丸葉万作/マンサク科マンサク属)の花。
マルバマンサクの若葉。
マンサクは花のイメージが強く、花が終われば見向きもされないもの。実はこんな大きな葉がついて出てきます。
野山の春先を彩るショウジョウバカマ(猩々袴/メランチウム科ショウジョウバカマ属)はあちこちに咲いて。
我が家の名花、イワウチワ(岩団扇/イワウメ科イワウチワ属)も咲きはじめました。
これは飯豊山のふもとの林の中から2、3株ほどいただいてきたものをわが庭に移植したもの。
どんどんとふえて、いまでは満開時には百もの花をつけるまでになりました。
ここルーザの森は、東北の日本海側に典型的なブナ帯。その主木のコナラ(小楢/ブナ科コナラ属)に覆われた森です。
今コナラはぐんぐんと加速度を増して葉を展開しようとしています。
その若葉はたくさんの産毛に覆われて光っています。まさに銀の色。銀を粉にしてまぶしたようなのです。
よってルーザの森は今、つかの間ではあるけれど銀の森なのです。
この銀の森はこれから徐々にみどり味(み)を差し、ついては若々しいみどりに染まり、やがて濃いみどりへと変貌していくのです。
筆者の好きなエマソン(1803-82)は主著『自然』(『エマソン論文集』酒本雅之訳、岩波文庫)で語っています。
自然はけっして卑しい相貌を帯びることがない。
神の植林場には、ある種神々しい儀礼が支配していて、終わることを知らぬ祭礼が美々しく催され、招かれた客は、たとい千年を経ても、よもやこれほどのものに飽きることはあるまいと思う。森のなかで、われわれは理性と信仰をとりもどす。
不幸しか産み落とさない戦争をするニンゲンって、嫌気がさすほどに本当のバカ。他の動物たちに嘲笑されていると思いますよ。
それに反して自然や森は決して裏切ることはありません。存在そのものが希望なのです。
希望がわいてくる森がワタクシはとても好きです。
それじゃあ、また。バイバイ!
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