製作の時間

軽トラに住まいを 4 木取りと墨つけ

シリーズ「軽トラに住まいを」はこれまで、第1回「整地」、第2回「土間コン打ち」、第3回は「基礎づくり」と綴ってきました。
そして今回第4回は上物(うわもの)の木材の部材をどう準備していくか、「木取りと墨つけ」について記すことにします。

タイトルに“木取り”と“墨つけ”いうことばを使いましたが…、
まず木取りはというと二様、三様の意味で使われます。
用途に応じて丸太から製材して角材や板にするのも大きな意味での木取りだし、その角材なり板なりから実際に使う部材に合わせて適切な長さや幅にしていくのも木取りです。

筆者の場合の木取りはといえば、材料そのものが(解体現場からもらい受けて少しずつストックしてきた)廃材・古材なので規格はまちまち、その材料から建物の構想にしたがって幅や厚さを整えて見合う長さを取ることを指します。
具体的には設計図に沿って、(大きいのものでは)土台、柱、“梁”、“桁/けた”(屋根を掛ける際に“垂木”が載るところの、“軒桁”、“母屋/もや”、“棟/むね”を含んで)をどう取っていくのか、限られた材料から1本1本に手を加えて修正していく、これが廃材利用の木取りのポイントです。
工務店や大工が用材の規格や数量を割り出し、製材所に発注するのとはここがちがいます。材料をそろえるための廃材の木取りには時間を要するのです。

下は織物工場の織機解体にともなって出た木材をいただいたもの。

那須野桂子さん提供

下は、今までにストックした手持ちの廃材のすべて。自分としたら宝の山です。


そして墨つけとは、木取りした部材に実際の切断や欠き込みのための線、“ほぞ”や“継ぎ手・仕口”の形などを書き記すものです。
この際に古い大工は“墨つぼ”の中の真綿に染み込ませた墨を“墨さし”(竹でこしらえた筆記具)の先につけて材料に記したようですが、現在では墨つぼは機能性に優れたプラスチック製、墨さしは鉛筆に置き換わっているようです。
筆者も墨つぼはプラスチック製、墨さしには4Bの鉛筆とともに水性顔料マーカー(三菱鉛筆の“プロッキー”の細軸)なども使います。

さて、今年はことのほか暑いですねえ。梅雨が明けた7月16日以降というもの、時には予報が36度37度(これは米沢のアメダスの地点。ここは市中より標高が130メートルほど高いため、気温で1~2度の差はある)という日も何日もあって。この暑さにはまいりました。
うだるような暑さっていうけど、頭が茹で上がるような、脳みそが溶けてしまいそうな、身体がコンニャクのようにグンニャリするような(笑い)。

このクソ暑い夏、君んちにはエアコンとかクーラーはないのかって?
我が家にはいまだひとつもないのです。そういう文明の利器はここにはまだ届いてなくて(笑い)。
正直を言えば、暑い暑いと嘆いていても所詮は長くて1週間程度のこと、それなら水風呂で我慢ができるとの軽い考えでいるのです。
皆がみな快適さに慣れきって消費感覚をマヒさせてしまったら、電気の需要は果てしなく広がるばかり(電気というのは、“回す”という動作と“熱する・冷やす”という動作ではその電力消費は大違い)。そうした電力大量消費の拡大にこたえて原子力発電は生まれたのでしたね。そしてその延長線上にあの悪夢たるチェルノブイリと福島の過酷事故が起こったのでした。けれども誰ひとり責任を取ろうとせず、ひとびとは棄てられたままで…。ひどいことです。
筆者の冷房へのささやかな拒みは、原子力発電への小さなアンチテーゼでもある。

木取りからの作業には広い面積を使うため屋内(工房)だけでできるものではありません。それで、作業現場の強烈な日差しと雨を避けるために、天幕を張ることにしました。
本当は以前(子どもたちが小さかった頃。特に東北と北海道の全域をめぐりました)キャンプに使っていたタープテントを張ろうとしたのですが、これが大きすぎるのです。それで、2本の脚だけはタープテントのものを使い(中央の1本は木で作って)、天幕はブルーシート(2×1.5間/約360×270センチ)を使うことにしました。
こういう時に単位規格というものが生きてきます。広さによって種々あるブルーシートは建物と同じ規格(尺や間/けん)でできているのです。

天幕は、張り出し小屋の屋根の下3箇所にスクリューフックをねじ込んで固定し、片方は3本の脚を立たせ、それぞれの脚は2本のひもで引っ張っています。脚を6方向から引っ張って固定していますのでけっこう頑丈な造りとなりました。

下は、2間(約360センチ)以上の長さの材料を天幕の下に運び入れたもの。これから木取りがはじまっていきます。

写真手前が土台の部材を木取りしたもの。そのワキが切断して余ったものです。これは別な用途に使うことにします。

土台の規格は115×100ミリとしました。115ミリを100まで落としてタテとヨコが等しい正角にしてもよかったのですが、より頑丈にと考えてあえて115ミリのままにまとめました。

柱を木取りをしているところ。


基本の柱は土台の幅が100ミリゆえ、タテ幅(厚み)が100ミリと決めていてヨコ幅はまちまちでもよいと当初は考えていました。
けれどヨコ幅がまちまちなら、土台や桁にあけるほぞ穴もそれぞれまちまちになってしまいます。それを避けるために柱はいずれも100×100ミリの規格にしました。
けれども必要10本のうち2本は規格に足らず、1本はタテ幅が100ミリあるためにそのまま使いとし、もう1本はタテとヨコそれぞれが足らずに壁を作る際にタテ幅が100ミリに足らない分(10ミリ)を張り合わせることにしてしのぎました。
廃材から木取りをしていくというのは、十分すぎるほどの量の材料がいるのです。

丸ノコで幅を粗く出しているところ。ここからねじれや歪みを修正して自動カンナにかけて均一な幅としていきます。

古材・廃材の多くの樹種はスギ(杉)とかマツ(松)ですが、いくら古い材でも(下の材は新品としての使用から60年が経過しているというスギ)刃物を入れるとものすごい木の香りが立ち上るものです。特に、スギの中心部の赤身の部分にさしかかるとそれは格別です。
スギにはフィトンチッド(森林の香り)の一種のセスキペンテル類という成分が多く含まれ、これは心地よい芳香であると同時に熟睡効果があるとのこと。スギ材は、よく言われている防虫防腐効果や抗菌作用があることから酒樽や味噌樽に使われたりします。また、血圧の低下や心拍数を少なくする効果は著しく、リラックス効果があり抑うつ状態の改善にも寄与するのだとか。これだけでもスゴイね。
今世界中を大混乱に陥れている新型コロナウイルスで注目の免疫力においても、この効果をつかさどるNK細胞の活性化にも期待できるとのことです。スギで新型コロナも撃退なのです(笑い)。
スギといえば、花粉がどうのと何か悪者扱いのイメージもついて回るけどとんでもないこと、日本原産のスギは偉大な木材なのです。
現場はそんな香りに包まれて。

ひと休み。
普段は昼の強烈な日差しの時間帯を除いて、朝から夕方までたったひとりの作業が続きます。
いいとか悪いとかではないですが、大いなる孤独を感じるのは確か。そんな時、陣中見舞いになど来てくれる友人もいてありがたく、ほっとします。
いくら楽しい木の仕事とはいえ連日の作業では気づまりすることもあって、そんな時はたまった買い物リストにしたがって町に出て気分転換をします。それにしても町は相変わらずのマスク風景だ。

外はものすごい日差しです。暑いです。
エゾゼミ(蝦夷蝉)は我らが季節とばかりに大合唱です。それに混じってミンミンゼミの「ミーンミン」の鳴き声は堪(こた)えますね。暑さが倍加するようです。

下は熱中症対策のために常に用意している凍らせた飲み物、キリンの“ソルティライチ”(笑い)。
午前の部はせいぜい11時半をめどに引き上げ、それから全身ビショぬれの衣服をぬいで水風呂に身を投じて身体を冷やします。

ラジオは連日、食傷ぎみに伝える東京オリンピック。
筆者はこの感染急拡大の時期のオリンピックの開催とは何ぞやと疑いを持っていたものだから、中継放送は素直には入って来ずにすぐに消してしまいました。

テレビで観たのは卓球(ミックスダブルス決勝には興奮しました)とサッカー男子のひと試合だけ(スペイン戦は延長で点を入れられて惜しい試合のようだったけど、実力差はありましたね)でした。
それから試合後のコメントとして印象深かったのはバドミントンの奥原希望サンの「5年間の答え合わせが今日の試合でしたね」というもの。期待されながらも準々決勝で敗退し、いろんなことが逡巡したんだろう。けれど冷静な自分がそこにいて、この“答え合わせ”という言葉のチョイスにちょっと感動しました。
彼女は答え合わせをして、何を思ったんだろう、得たんだろう。

けれどもオリンピック後は危惧された感染爆発と医療のひっ迫は現実のものとなってしまいましたね。
“医療の崩壊”を“自宅療養”とはよくぞ言ったものです。この先、どうなるんだろう。
こぞって虚栄を優先する愚かな政治家たちの判断ミスばかり。そんな政治家を選挙のたびに選んでしまう、こちらも愚かな選挙民、ということだね。

さて次の写真ですが、幅出しのために丸ノコで挽き割った材ですが、太い梁材を釘や金物を使わずに継ぐ“金輪(かなわ)継ぎ”というものに出会って驚いてしまいました。これは大工の超絶技巧です。この技術は世界が驚愕するものでは。
材の長さが限られる木材にあっては、継いで長くするというのは必要不可欠の技術ですが金輪継ぎでは下からの支えなしに継ぐのです(下からの支えがあれば筆者にも継げます)。
中央に栓(せん)が挿してありますが、この栓は元(もと/下部)と末(すえ/上部)では太さが微妙に違い、打ち込みが進むにつれて左右の材がきつく締めつけられるようになるのです。すごいことです。

継ぎ手というのはひとつの有形文化財に相当します。
現代にあってはこんな継ぎ手を使う大工などは(宮大工を除いて)もうどこにもいないのでは。たとえ最高の継ぎ強度を得られるにしても手間暇が厭(いと)われる時代になっているのですから。悲しいことです。

周りには安直なものがあふれるばかり、手間暇が厭われる時代に未来はないと思うんだなあ、筆者は。
筆者は、テマヒマこそはニンゲン性の回復であると思っているのですよ(笑い)。
こうして古材は技巧と技法に触れることのできる宝庫でもある。

雨が落ちてきたらそれまでで、野外でできる作業には時間の限りがあります。
雨が落ちてきて木材を濡らしたくなく、さりとて仕事を引き上げるにはまだ早すぎて時間がもったいなく…、そういう場合はできる仕事を探します。
で、霧雨の中、タワシでゴシゴシと積み上げた基礎の洗い出しをはじめました。
レンガの赤と自然石(凝灰岩)の白と枕木ブロックのブラウンが美しく映えてきました。
基礎を洗うなんてもうしないだろうし、よい機会でした。

挽き割って、ねじれや歪みのない材(またはねじれや歪みを修正した材)は規格にそって自動カンナで仕上げていきます。
この自動カンナはもうかれこれ20年来の大切な友ですが、この道具なくしてこれまでの小屋の建築はありませんでした。

木取りして出来上がってきた部材。土台。

梁の部材、桁(軒桁、母屋、棟を含む)の部材。

ちょっとここで、コーヒーブレイク。

野外の作業のためにブルーシートの天幕を張ったのは7月24日のこと。
翌25日には、近くに、約束したように今年もカワラナデシコ(河原撫子/ナデシコ科ナデシコ属)が咲きました。カワラナデシコは秋の七草のひとつ。美しいです。
日本女性のしとやかさや奥ゆかしさ、あるいは清らかさや美しさを讃えていうところの“大和撫子”は、この花をさしてのことです。
だから、日本サッカー女子のナショナルチームの“なでしこジャパン”という命名自体はすばらしく詩的です。

同じころに敷地内では3株ほどのヤマユリ(山百合/ユリ科ユリ属)が咲いていました。こんな豪華な百合が野生だなんて素敵なものです。
栽培種にカサブランカという百合があるようだけど、その母種のひとつがこのヤマユリだということです。

ネコのヒタイほどの畑は、今や相棒のヨーコさんの神聖不可侵なサンクチュアリ(笑い)。
相棒は職場から戻ると作物の成長と収穫を楽しんでいるよう。
本日収穫のトマト。

トマトは食卓に大活躍。
添えられたブルーベリーはいただきもの、左の野菜類は自家製といただきもの、上のヨーグルトにかけてあるハックルベリージャムはいただきもの。
「何か我が家の食事って、いただきものと自家製で成り立っているみたい」(笑い)とは相棒の弁。確かに。

下は、地区の方からいただいたハックルベリーの苗が育ったもの。
熟しても実自体はおいしくないためサルにもタヌキにも鳥にもやられないということで、それならと育てたのです。
この実を砂糖で煮てジャムにしたものもいただいたのだけれど、それはもうブルーベリーに劣らない絶品なのです。収穫がとても楽しみ。

さて、軽トラの車庫の建築に当たっては今まで頭の中のイメージに頼っていたのですが、だいたいの構想がまとまってきたので、正面図や側面図、平面図、それに材料の伏図や取付詳細図なども描いてみました。
こうすると、頭の中のあいまいな部分が浮き彫りになってきます。この作図によってモヤモヤとした課題が解決することも多いのです。

下は、一番難儀すると予想される部分の、柱に軒桁が載り、軒桁に梁がかかる部分の取付詳細図。

正面図。左の部分は薪置きのスペースになります。
軽トラに乗るのはボクです(笑い)。近眼のボクは運転の時だけメガネをかけます(笑い)。
建物に対して軽トラはほぼ実寸ですので、こんな納まりのイメージです。

古材・廃材で厄介なのは、長期の経年のために木材がねじれたり歪んだりしているものが含まれていることです。ねじれたり歪んだ木材を素人の建築においてはそのまま使うことはできません(大工は正確に芯の墨を打ってそのままで使う技術がある)。
そこで筆者は材料が規格より痩せない(細くならない)ことを前提に、ねじれと歪みを取る作業をします。

材料の端に直角定規たる“さしがね”を固定し、一方にもさしがねを当てて(手前)ヨコ腕同士の平行を見てゆきます。

下の木材の端の角度と筆者が当てた定規の角度がずいぶんとズレていますが、この材は両端でこれだけねじれていたのです。
こういった場合は、墨を打って直線を出し、その部分をカンナである程度まで削って平面とひとつの直角を出し、その後は自動カンナに持ち込んで修正するという工程が待っています。木材は芯(木の中心、年輪の中心)を抱え込んでいると経年の乾燥によって、芯部分と周囲部分の収縮の違いから割れたりねじれたり歪んだりするのは普通のことです。特に広葉樹にこの傾向が強いです。
建築材料でスギやマツなどの針葉樹が重宝されるのはこのねじれと歪みが少ないためですが、それでも芯持ち材を扱うのは厄介です。

木取りをほぼ終え、次は墨つけにかかります。
墨つけの前に、ボール紙で継ぎ手・仕口の型を作ってみました。木材と木材の接合は土台にはじまり、桁、梁に至るまで実に多く使用するために、そのマスターを製作したのです。

下は、筆者の建築のバイブルの2冊。
特に左の『建築工事の進め方』(山室滋著、市ヶ谷出版社1981)は古本屋で200円で仕入れたものですが、大変役立っています。
この書は、従来の大工の技術を今に伝えんとする技法書。出版された今から40年前でさえ、在来工法の衰退と技術の継承の危機を訴えていたのですから、今となってはもう古典の部類でしょう。

もう一冊は『木造住宅〔私家版〕仕様書』(建築知識1998)。在来工法の技術を現代の住宅によみがえらせることを意図する技術書です。これは継ぎ手・仕口の詳細な寸法採りに重宝しています。

でも、これらのテキストでも分からないことがあると(理解が及ばないと)シショウのタカシ大工に駆け込んでアドバイスを受けます。
シショウはこちらの疑問にていねいに答えてくれます。実にありがたい存在です。

継ぎ手・仕口の型をもとに墨つけした土台の、“大入れ腰掛けアリ継ぎ”のオス型(上)とメス型。

木取りした木材に芯の墨打ちをしているところ。
この墨打ちというのは実際に行う自分でもほとほと感心してしまう技法です。どんなに長い材料でも(たとえ10メートルでも)、墨つぼから引き出した墨糸を張って持ち上げて放せば、瞬時に直線が引けるのです。墨つぼというのは、考えてみればとんでもない道具です。
このところ親指と人差し指の先に墨が入り込んで真っ黒ですがね(笑い)。

そうして墨つけした土台の部材を現場の基礎に合わせているところ。
土台はやがてこの基礎の上に据えつけられ、この上に柱が立ち上がっていきます。


下は、墨つけのために欠かせない“尺杖”。建築用の巨大な物差しです。12尺(約364センチ)もあります。
これはシショウからありがたく頂戴したもの。わざわざヒバ(檜葉)という伸縮とねじれ歪みに強い材でこしらえてくださったものです。
本当は筆者は建築のたびごとに尺杖は作っていたのですが、こんなに長尺で正確なものがあれば鬼に金棒というものです。 

そうして墨つけは順調に進んでいます。
あと少し、あともう少し。

墨つけが済めば、大きな山をまたひとつ越えることになります。
ここらで小休止をしたいもの、また、吾妻をふらっと歩いてこようかな(笑い)。

連日暑い日が続いたなあと嘆いていたら今度は連日の雨模様で、作業も滞りがち。九州では災害が発生している模様。なんだか極端に走っているんだよなあ、どうかしてるよ、まったく(笑い)。
でもこれって明らかに気候変動、ニンゲンのあくなき経済活動のツケが回ってきた、これはほんの一部の現れですね。

そいじゃ、また。バイバイ。

 

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