ドアリラの朝 ドアリラの夕べ
山歩き

花の焼石岳

7月31日から8月1日にかけて、岩手県は南西部の奥州市と西和賀町にまたがる焼石岳(やけいしだけ/1,547メートル)に登ってきました。
今回のsignalはその山行記録です。

筆者の愛読書のひとつは『東北の避難小屋150』(髙橋信一著、随想社2005)というもので、このところの眠る前のひと時はこのガイドブックのページをペラペラとめくっては悦に入(い)るというのがもっぱらです。
山や山小屋のことを思うと幸せな気分になり、安眠を約束するのです(笑い)。

下は、会津駒ケ岳の駒ノ小屋(2010.8)。

登山道に山小屋はつきもので、そこでひとびとは休憩を取ったり、トイレで用を足したりということもありましょうが、筆者の場合は特に宿泊を目的としています。というのは、気軽に山を楽しむためです。
気軽に山歩きするにはできるだけ荷物は軽い方がいい、山小屋で泊ることができるならテントの用意がなくて済むし、要るのはシュラフ(とマット)、それにわずかの調理器具と食材を少々、これで十分です。
山小屋泊は歩く時間を適度に制限することでもあります。
かつては1日の歩行時間が7時間とか8時間ということもあったのですがそれはもう昔のこと、今は歩いてせいぜい5時間ぐらいが適度な運動量(疲労度)と思い定めていて、これを超える場合は山小屋利用ということにしているのです。山登りは苦痛であってはならない。

下は、鳥海山の河原宿小屋(2008.8)。※ここは簡易な食事の提供があります。

“山小屋”という響きがいいですね。
山小屋(ここでいう山小屋は“避難小屋”を指します)は、家屋の中でもシンプルの典型、寝るだけの平面が確保されているに過ぎないのです。電気や水道やガスなどのインフラは皆無です。
こういう場所に身を置くと、何と簡素にして自由で豊かなんだろうと筆者は思うのです(笑い)。
ひとは便利と快適に慣れ過ぎて、何が必要で不必要なのか、何が大切で何がそうではないのか、そういった区別があいまいになっている気がします。それはニンゲン性の麻痺でもあると。山小屋はそんなことを気づかせてくれるといったら大げさかなあ。

下は、我がフィールドの吾妻連峰の、慣れ親しんでいる弥兵衛平小屋にて(2019.8)。

飯豊連峰の御西小屋(2014.8)。ここは泊ではなく、休憩地として利用しました。

だから、関東・越後以南の“営業小屋”に慣れたひとにしたなら東北の山小屋は少々面食らうかもしれない。基本的に食の提供もなければ買う物品もない、当然、風呂なんてありません。
筆者から言わせると、営業小屋というのは山小屋ではなく、あれは“山の中の旅館”ですね。
何で東北の山に営業小屋がないのかと言えば(ただし月山山域にはあり、鳥海山山域には簡易な食事提供をする小屋が多い)、いろんな理由があると思うのだけれど、いちばんは各山々、登山口までの交通の便が悪く、山歩きのひとが少ないために営業として成り立たないからなのでは。

で、『東北の避難小屋150』でずっと気を引いていたのが焼石連山に位置する金明水避難小屋と銀明水避難小屋でした。山自体は知らずとも、名水があって居住性抜群の小屋、この小屋にはいつか泊ってみたいと思っていました。
それからおととし(2019年7月)に栗駒山に登ったのだけれど、そこから見た北方の焼石連山の白く美しく輝かしかったこと。残雪の多い山はきっと花の山だろうと想像したのです。
というわけでの今回の焼石だったのです。

筆者は車の運転で疲れるのがイヤなので、このところの遠出しての山登りは列車で拠点の駅まで行き、そこでレンタカーをチャーターして移動するということになってきています。

東北新幹線の水沢江刺駅に着いたのは朝の9時、その日は登山口から山小屋(銀明水避難小屋)までの2時間ほどの余裕の山歩きで、午前中は観光ということにしました。
向かった先は、正法寺(しょうぼうじ)。福井の永平寺、横浜の總持寺とともに曹洞宗の三大名山と数えられるのだとか。我が家が檀家として加わっている寺の和尚はここで修業をしたと聞いていました。

それにしても壮観な建造物群(国指定重要文化財)。素朴な石積みの階段を上った先に現れるのは法堂で国内最大級の萱屋根葺きとのこと(この法堂の裏側の屋根には草ならぬ、何と決して小さくはない松の木が生えていたことにはビックリ…笑い)。
この日は強い日差しが照りつけていましたので、屋内に入ればそこは大伽藍(だいがらん)、天井の高さゆえの涼しさは格別でした。

水沢のソウルフードという“銀蝶”の素朴なラーメンをいただき、いよいよ山登りです。

取りつきは奥州湖(胆沢ダム)から約7キロの未舗装林道の先の中沼登山口(720メートル)。
そこには40台ほどの駐車スペースが用意されているのですが、筆者たちが着いた午後1時半頃にはすでに満車に近い状態でした。やはり、焼石岳の特にこの中沼コースはみんなに愛されているようで。

最初に出迎えてくれたのは、エゾアジサイ(蝦夷紫陽花/アジサイ科アジサイ属)。
こんもりとした園芸種もいいけど、この素朴な青紫はいいものです。

ハクサンオミナエシ(白山女郎花/オミナエシ科オミナエシ属)。
里のオミナエシはどんどんと数を減らしている印象だけど、ここにはたくさんな数でした。
このハクサンオミナエシに初めて出会ったのは飯豊登山の帰路の1,500メートルくらいの標高であったと思うけど、ここらはまだ800メートルくらいのところ。垂直植生の、緯度による変化(緯度が高くなれば、標高を下げて同種の植物が生育する)も影響していますね。

ウゴアザミ(羽後薊/キク科アザミ属)。
東北地方と新潟県に分布するアザミ類の一種です。普段目にするノハラアザミ(野原薊)によく似ているけれども、鋭いトゲを持つ葉も花も野性味がいっぱい。

銀明水小屋までの道は(特に中沼までは)結構な勾配でしたが、体力があるうちは特に負担にも感じずに。

午前中はよく晴れていて本日はよい登山日和と思っていたのです。ところが歩きはじめて1時間が過ぎた頃から雲行きが怪しくなり、やがて雨が落ちはじめて雨具を羽織ることに。

景勝地のひとつ中沼からの眺望は得られずも、沼の向こうに何ともあざやかな黄色の帯が見えるではありませんか。
筆者たちの頭には黄色とくれば裏磐梯の雄国沼(おぐにぬま)のニッコウキスゲ(日光黄菅)の大群落があって、ああここにもだと思いきや、近づけばそれはトウゲブキ(峠蕗/キク科メタカラコウ属)でした。
トウゲブキはあちこちの亜高山帯(東北では標高1,000~1,400メートル)の開けた場所で目にしますが、こんな群生ははじめてのこと。まさに圧巻でした。

ここに特徴的なのは、上の画像で雨のようにタテに線が走っていますが、これはトクサ(砥草、木賊/シダ植物門トクサ科トクサ属)という植物が入り混じっていることです。
トウゲブキとトクサがほぼ2種で沼端を占有し共生しているというわけです。

トクサは画像のように、スギナを巨大にしたような姿かたちです。
この植物は、東京駒場の日本民藝館の玄関わきに植栽があります。創設者の柳宗悦(筆者も大いに影響を受けている“民藝”の提唱者)が好んだものかどうか。

それから南会津(旧舘岩村)に秘湯・木賊温泉というところがあるのですが、これもこの植物から名のついたものです。
この温泉は素朴そのもの、かつて(筆者が敬愛する)つげ義春が訪問していたことでも有名です。
木賊温泉は尾瀬の玄関口に近いこともあって、もう、何度行ったろう。

何故にトクサというのかと言えば、字のごとく、研ぐ草だから。古来、煮て乾燥させたものを研磨に用いたとのこと。有用植物として大切にされてきたということでしょう。
アイヌでは“シプシプ”といい、これは研ぐ際の音(オノマトペ)からきているということです。

そしてようやく、銀明水避難小屋に到着しました。
その名のごとく、近くには銀明水という水場(湧水)があって、これが冷たくておいしい水なのです。

先の図書に「おいしい水場の避難小屋ベスト20」という小コラムがあって、その中にも同山系の金明水小屋とともに銀明水小屋も入っているほどです。
水場が遠いあるいはそもそも水場などない避難小屋も多い中、小屋のすぐ近くにおいしい水をたたえた泉があるということのすばらしさ。
筆者はこれを見据えて、“金麦”とワインをつめたペットボトルを持ち込んで冷やしたというわけです。オレって、何て準備周到なのだろう(笑い)。

いやあ、山で飲む(“第3の”だけれど)ビールとワインのおいしいこと。乾杯!

登山口の駐車場はほぼ満車だったので、山小屋の宿泊者も少なからずではと思ったのですが、筆者たちふたりのほかは金明水小屋の管理人をなさっているというおふたりがこちら銀明水に出向かれての(草刈り)作業のための投宿以外にはありませんでした。
そういえば、ここに来るまでの間に多くの登山者とすれ違いましたが、この焼石岳というのは基本的には日帰り登山が主だということが分かりました。

下は、金明水小屋管理人のおふたりと。
おふたりにはたいへんお世話になりました。
“鰹のたたき”という山ではとうてい考えられないようなごちそうのご相伴(しょうばん)にあずかったのにはまことに恐縮しました。こちらは持ち合わせのキュウリの浅漬けを提供するぐらいで(笑い)。
この山域の特徴的なこと、あちこちの登ってきた山の話やこのあたりではツキノワグマの出没が多いこと、その際の行動の仕方なども話してもらいとても参考になりました。

焼石岳は標高こそ1,547メートルとそう高くはない山ですが、けっしてハイキング気分の安易な山ではありません。けれども登山者に特徴的だったのは、(こう言っては失礼でしょうが)足元が少々危なっかしい高齢の女性がけっこうな数で登っていたことでした。それだけ花の山としての焼石に魅せられるということだったのでしょうか。

翌朝、5時起きして朝食を済ませ、6時には出発して山頂をめざします。
ゆっくり寝て体力充実、目覚めスッキリは相棒のヨーコさん。

銀名水小屋をあとにして。

道々、寄り添ってくれた花々…。

これは、オニシモツケ(鬼下野/バラ科シモツケソウ属)。
花は白から淡い赤紫までグラデーションがあってとても美しいです。

お久しぶりです、シナノキンバイ(信濃金梅/キンポウゲ科キンバイソウ属)。
花びらのように見えるのは萼片です。
この花が見られるということは標高が上がって、いかにも高山という感じになってきました。

ミヤマキンポウゲ(深山金鳳花/キンポウゲ科キンポウゲ属)。
里型のキンポウゲ(=ウマノアシガタ/馬足形)は我がルーザの森にも咲きます。花も葉もこれよりはずいぶんと小型です。

ハクサンチドリ(白山千鳥/ラン科ハクサンチドリ属)。
この美しい赤紫が山旅を彩ってくれます。

リュウキンカ(立金花/キンポウゲ科リュウキカンカ属)。
地元の西吾妻にはない花であり、新鮮な再会でした。

ヒオウギアヤメ(檜扇菖蒲/アヤメ科アヤメ属)。
湿地帯に今が盛りと咲き競っていました。

ミヤマホツツジ(深山穂躑躅/ツツジ科ホツツジ属)。
ホツツジ(穂躑躅)は我が庭にも咲きますが、こちらはぐっと矮小化された高山型。目立たないながら美しい花姿です。

ミヤマナラ(深山楢/ブナ科コナラ属)。
葉柄がなく一見ミズナラ(水楢)に見間違うのですが、これはミズナラの高山型。ここはもう1,500メートルくらいの地点です。
実はこんな高山の植物が我がルーザの森にも生育していることが最近分かってびっくりしたところです。

これは、ノリウツギ(糊空木/アジサイ科アジサイ属)。
里でもごく普通に見られる種ですが、こんな高山にまで分布を広げているとはつゆ知らず。こんな矮小化したノリウツギに出会うのかはじめてかもしれない。
この樹液によって和紙の原料の繊維が底に沈み込むのを防ぐのだとか。よって、“糊”という使われ方は少々違うのでは、という話を聞いたことがあります。

東焼石岳(1,507メートル)と焼石神社経由の焼石岳への分岐の姥石平(1,420メートル)。
この辺から広大なお花畑が広がるのですが、あいにく雨足がどんどんと強まってきました。
本当はここから30分ほどで着く東焼石岳にも寄りたかったのですが、途中で断念しました。
やはり同じ雨でも稜線上の雨は強いです。

そんな雨の中に写した花々…。
本当はもっともっとたくさんの花を撮ったのですが、ピントが合わなかったり、水滴で画像が邪魔されたりで、アップできるのはごくわずかで。
それにしても焼石のお花畑はすばらしいです。

今まで、「印象的なお花畑は?」と問われると、「月山とか鳥海山!」と答えていたものでしたが、これからはそれに“焼石岳”を加えようと思います。まったく、圧巻です。

クルマユリ(車百合/ユリ科ユリ属)。
クルマユリの生育は高山に限らないけれども、高山にあってこのオレンジ色は異彩を放ってほどよいアクセントとなっています。

ミヤマリンドウ(深山竜胆/リンドウ科リンドウ属)。
西吾妻でもなじみの花です。
雨空なのに花開いているのはめずらしいこと。少し前までは晴れていたという証拠ですね。

タテヤマウツボグサ(立山靫草/シソ科ウツボグサ属)。
里でも見られるウツボグサの高山型です。

トモエシオガマ(巴塩竃/ゴマノハグサ科シオガマギク属)。

こちらはエゾシオガマ(蝦夷塩竃/ゴマノハグサ科シオガマギク属)。

上に共通する“シオガマ”は宮城の塩竃。“浜で美しい”を“葉まで美しい”とした洒落言葉、掛け言葉。
でも葉が美しいのはヨツバシオガマ(四葉塩竃)を指したのでは、と思います。

ミヤマアキノキリンソウ(深山秋黄輪草/キク科アキノキリンソウ属)。
アキノキリンソウの高山型です。8月下旬に盛りを迎えるというのに何とも早い開花です。

キンコウカ(金光花/キンコウカ科キンコウカ属)。
湿地に群生しますが、もはや終わりかけていた印象です。

ハクサンフウロ(白山風露/フウロソウ科フウロソウ属)。
高山にあってハクサンフウロは決してめずらしいものではないけれど、高山植物の華のひとつであるのは確か。
このピンクはお花畑の妙なるアクセント。

焼石神社は天然の岩場。
“豊水祈願”の標識も見えます。もう水は十分なのだけれど(笑い)。
素朴な祠(ほこら)の好きな相棒は手を合わせていました。

打ちつける雨で視覚が定かではありませんが、焼石神社から焼石岳山頂までというのは結構な岩場の連続で登山の醍醐味といったところでした。
途中にはいまだ残雪もあって。

焼石岳山頂。

下山途中に泉水沼が。
ベンチも備えつけてあり、晴れた日ならよい休憩場所のようです。
こんなところで湯を沸かしてコーヒータイムならどんなにか素敵なことだろう。

シロバナトウウチソウ(白花唐打草/バラ科ワレモソウ属)。
時に、紅色を帯びます。

キオン(黄苑/キク科キオン属)。
色は違えど、花姿がシオン(紫苑/同科別属)に似ています。

ハクサンボウフウ(白山防風/セリ科カワラボウフウ属)。
円形の花序の広がりが美しいです。
高山にはセリ科植物がたくさんあって、識別同定がややこしいのは確か。

ミネウスユキソウ(峰薄雪草/キク科ウスユキソウ属)。
できればヨーロッパのエーデルワイスに近いヒナウスユキソウ(雛薄雪草)にも出会いたかったのだけれど。

ハクサンイチゲ(白山一華/キンポウゲ科イチリンソウ属)。
焼石のお花畑のネット画像を見ると、このハクサンイチゲの大群落が目につきます。時期的には終わりかけていたけれども、焼石岳山頂直下の南斜面にはまだ咲き競っている群落がありました。

ハクサンシャジン(白山沙参/キキョウ科ツリガネニンジン属)。
我がルーザの森にも咲き競うツリガネニンジンの高山型です。高山のお花畑の代表選手のひとり。

チングルマ(稚児車/バラ科ダイコンソウ属)。落葉小低木。
花から実(写真)への特徴的な変身。葉は9月下旬には真っ赤に染まってゆきます。これまた美しいです。

そうして下山すると、小屋でお世話になったおふたりは仲間の援軍を得て、崩れかけた登山道の修復に取り組んでおいででした。下から石をひとつひとつ受け渡して上げ、ぬかるんだ登山道を固めてくださっていたのです。
ありがたいことです。感謝です。
こういう作業の上に我々のような登山が成り立っているということを思い知らされたひと時でした。

今回は、小屋に寝具などの荷物をおいての山登り、いわゆる“デポ”をしました。
背負う荷が軽いというのは本当に楽なものでした。

山小屋に帰り着いて。

そうして焼石登山は終わりました。

帰りしな、山小屋と中沼のほぼ中間地点あたりで、ツキノワグマと遭遇し、ちょっと肝を冷やしました。

管理人さんからも聞いていたのです。このあたりは出没が多いと。
自分は草刈りの最中に一度、数メートルの距離で出会ってしまって、その時はじっとクマの眼を見つめたそうです。そうしたら、クマの方から向きを変えて動き出したので、自分も背中を見せずに少しずつ後ずさりしてその場を離れたとのこと。
ただ、管理人さんの口調にはクマを恐ろしいものというよりはクマの生活領域にこちらが入ってきているという認識や、生き物としてはクマもヒトも同じという意識であるように筆者は感じ取りました。
その話を聞いて、クマはヒトを見たのだなと思ったものでした。

そんな話を聞いた矢先のこと、筆者たちが木道を歩いて小さな川を渡ったところ、すぐ近く(相棒は3メートル、筆者は5メートルという距離感覚の違いはあるが)で、ググッ、グッ、グオウー!という大きな唸り声が上がったのです。
クマは、小川の中にいて木立に隠れて姿は見えずじまい。見えないのはたぶん、こちらに目視する余裕がなかったのだと思います。
そうして、クマは唸り声を立てたあとは身動きすることなくじっとして、静かにその場を離れた私たちを見送ったのでした。

このことを冷静にふりかえると、私たちはふたりともとてもよく響く鈴をつけていた、その鈴音は遠くからクマの耳にも伝わっていた、クマは私たちと同じように相手への警戒音として唸り声を発した、お互いは面と向かって出会いたくはないと思った、よって遭遇の不幸は免れた、ということです。
ここで私たちが遭遇に際して驚きの声を発していたならきっとクマを興奮させたでしょう。とっさの判断が明暗を分けたのだと思います。よかった!

そういえば前日に、下山する独り歩きの妙齢の女性が、狼のような、コヨーテのようなよく通る遠吠えと思(おぼ)しき声を発しながら歩いてくるのに会って、(遊んでいるのかな、戯れているのかな?と)少々ほほえましくも思ったのでしたが、女性は「ごめんなさい、大きな声をあげて。クマがコワイもんですから」と言っていたのでした。
これって、正解ですね。

やれやれです。
次回は、警戒5連発花火を打ちあげてからの入山もよいかもしれないと思ったものでした。ニンゲン由来の爆音も遭遇を防ぐためには時に大切な道具になりますので。

本当はこういう山の風景を想像していたのです(笑い)。

bluesky.rash.jpさんより

中沼からの眺めはこんなふうに想像して(笑い)。
まっ、次回のお楽しみということで(笑い)。

bluesky.rash.jpさんより

この日は東北線水沢駅近くのホテルに宿泊。
翌8月2日には、1852年創業という及源鋳造(おいげんちゅうぞう/地場産業の南部鉄器製造)のファクトリーショップに立ち寄りました。
そこはデザイナーの力量と職人の技がひとつひとつの品に結晶していて実に居心地のよい場所でした。
案内の千葉さんにはていねいな説明をしていただき、鋳造の世界に連れて行ってもらいました。ありがたかったです。
鋳物って、いいですね。製品のひとつひとつが豊かな言葉を発してきます。時間が許すならいちにちたたずんでも飽きは来ないなあ(笑い)。

oigenより

下は、記念に購入した鍋敷き(花瓶敷き)。値は張ったけど、その価値、十分にありです。
これから家の鍋も花瓶も幸せな気分になるのでは。

この日は晴れの絶好の登山日和となって、相棒に言ったのです。「今日ならよかったね」と。
それに対して、「今日ならあの親切な管理人の方たちには会えなかったのは確か。同じ日に山を下りたんだし」と返す相棒。
人生、こういうことですよね、すべてがすべて思い通りにいくとは限らない。今回はむしろ、出会いの機会をよしとすべしと。

そいじゃ、バイバイ。

 

※本文に割り込んでいる写真はサムネイル判で表示されています。これは本来のタテヨコの比から左右または上下が切られている状態です。写真はクリックすると拡大し、本来の比の画像が得られます。

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