この8月のお盆前の4日間というものをずーっと楽しみに待っていました。岩手山に登るというその1点で。
近年、この山は噴火情報があって入山規制がしかれ、気にはかけてはいてもなかなか踏み切れないでいたのです。
これまでその麓から幾度となく見上げた巨大な山塊(小さな子どもたちを連れて歩いた八幡平からの勇姿、いわずと知れた小岩井農場の草原に映えるさわやかな景色等々)、宮澤賢治がほれ込んで通いつめた山巓(その足跡はどんなものだったのか)、その美しい高峰に一度は登ってみたいものとあこがれを募らせていたのです。
そして、いよいよこの夏!
約1か月前からほぼ毎日、天候の長期予報や“10日間天気”とにらめっこ。
ところが、出発の前の日までは天候が落ち着き、なんとも都合悪く出発の日から帰る日までの真っただ中の4日間が雨激しく、さらに帰ったのちにまた晴れが来るという最悪のシナリオは直前まで変わりませんでした。
結論から言えば、登山予定の8日早朝時点で激しい雨が予想されて、登山は残念ながら断念しました。
柳沢の先、馬返しより登って山小屋で泊、お鉢(外輪山)巡りをして、縦走して網張へ下るという魅力的なコースは次の機会へのリベンジとして残しておきます。
2日には東北南部が梅雨明けし、天候の急転にかすかな望みをつないではいたものの、1週間前には、では登山ができないならどうしようと考えこんだものです。
現地のレンタカーの手配はし、入山前後の宿の予約もして、もう予定は動かせません(レンタカーというのは、やはり制約がありますね。本当は自分のクルマで行けばいいものを、体力の消耗をできるだけ抑えようと考えての選択だったのですが)。
裏番組を至急、作っておかなければ!
そして手にしたのが力強い味方『d design travel IWATE デザイントラベル岩手』(D&DEPARTMENT PROJECT2018発行)(以下、“d”)というガイドブックです。やはりこれが大いに役立ちました。これなくして充実した時間はなかったと思います。
これは2016年のときの北海道旅行にも大活躍、それから地元山形の知られざる魅力的なスポットの発見という意味でも大切にしているガイドブックです。
書店で扱っているのはごく一部。今回のものは、amazonを通しての注文です。全国47都道府県について漸次発行と思いますが、発行済みは現在、23道府県。東北では山形と岩手のみの模様。
何がそんなにいいかというと、それは、この本の編集方針に端的です。こう、あります。
・必ず自費でまず利用すること。実際に泊まり、食事し、買って、確かめること。
・感動しないものは取り上げないこと。本音で、自分の言葉で書くこと。
・問題があっても、素晴らしければ、問題を指摘しながら薦めること。
・ロングライフデザインの視点で、長く続くものだけを取り上げること。等々。
信用に値する宣言文ですね。
すべての記事に英語で対応しているのも“d”の特徴のひとつです。これなら、来日客に上質の日本を案内できるというものです。
今回のsignalの記事の題を「盛岡ぶらりぶらり」としたのは、盛岡以外も歩きはしたけれども、結局、旅の中心は盛岡に集中したということによるものです。
せっかくの岩手行き、花巻の宮沢賢治記念館ははずせないところ。新幹線を新花巻で下車してまずは記念館に。なつかしいなあ。
筆者はサークル(宮澤賢治の読書会・米澤ポランの廣場)を続けて今年で30年にもなるし、ずいぶん賢治作品を読んできたけど、5年前というリニューアルからまだ1度も来ていなかったし。実際は24年のブランクなのです(笑い)。
館内の展示物は時間をかけて見て回ったけど、正直、リニューアルにしては刺激的・感動的ということはなかったなあ。展示される内容に自分が見聞きしてきた以外の情報はあまりなかったということもあったと思うけど。
けれどもひとつだけ、パネルとして掲げてあった詩に、ちょっとウルウルしました。賢治の詩についてはあまり詳しく読んでいない筆者なので当然ではあるけれども、その詩「告別」ははじめて触れるものでした。
それは詩集『春と修羅 第二集』のうしろよりひとつ前に収められているもので、賢治はひとりの農民になるとして農学校教諭の職をたった4年で辞するのですが(この軽さ!このおめでたさ!)、その時に、ひとりの教え子にあてたのが「告別」です。対象をひとりに絞っていたとはいえ、これは教え子総体への惜別の念というものでしょう。
その末尾。
みんなが町で暮したりあそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
「生徒諸君に寄せる」など賢治の教え子に向けたまっすぐな思いを表明する詩は有名だけれども、これもいいね。実にいい。「おまえはおれの弟子なのだ」という思い込みと独断がいい。
それにしても、新型コロナの感染者がずっと0(ゼロ)できた岩手県のこと、記念館への入館ではアルコール消毒のチェック、マスク着用の呼びかけ、検温をはじめ住所まで書かせてのものものしい対応でした。しょうがないか。
下は、通りすがりの人に撮っていただきました。
レンタカーで移動し、昼食は“d”で紹介されていた盛岡市郊外、雫石川近くの“ぴょんぴょん舎”で、盛岡冷麺を食べました。やはり、これぞ冷麺という感じの本場の味でした。舌鼓です。
で、ぴょんぴょん舎のこの冷麺、相棒のヨーコさんに言わせると、生協でも扱っている製品なのだそうで、家であなたも食べたことあるって!、だって(笑い)。
ぴょんぴょん舎本店は、食堂の構え、外のテラス、室内の落ち着いたインテリアも心地よいものだったことをつけ加えておきます。
で、食べて真っ先に向かったのは、鞍掛山でした。
天気予報は若干ずれて、1日目の7日(金)はどんよりとはしていたものの雨はほとんど降らなかったのです。ならば、せめて予定通りの鞍掛山。
登山口の相の沢キャンプ場に着くと、駐車場わきに賢治の有名な詩、その名も「くらかけの雪」の碑がありました。有名なわりに、一般にはよく理解されていないもので、筆者もこれまであいまいにしてきた嫌いがあります。
少々調べてみると、よく似たものが「手帳」に記してあるそうで……、
くらかけの雪
友一人なく
たゞわがほのかにうちのぞみ/かすかなのぞみを托するものは
麻を着/けらをまとひ/汗にまみれた村人たちや
全く見知らぬ人の/その人たちに/たまゆらひらめく
詩をこれと対照して解釈すると、単純に賢治は寂しさの中にあって(自分が他に対して突出していたことからくる寂しさだろう)、自分を支える確かなものがほしいと願っていた、それは額に汗する農民たちだ、と。それを詩的に、鞍掛山の雪に置き換えたということなんでしょうか。
こういう前提を持ってこないとわからないわけですよ。賢治の魅力のひとつは、この“わからなさ”ですよね(笑い)。
登山口の相の沢キャンプ場は広大な敷地の大規模な施設です。駐車場も50台のキャパはありそうです。
目の前が滝沢市営の“相の沢牧野”(牧場のことを、こちらではマキノというのですね)が広がる絶好のロケーション。なのに、キャンプをするひとがひとりもいません。ミルクボーイ内海よろしく、「どうなってんの!?」(笑い)。
登りはじめると、まもなくキブシ(木五倍子/キブシ科キブシ属)の青い実が。
この実はやがて黄褐色になり、かつては染料の原料にしたということです。
知り合いから教えてもらったところによれば、いにしえの(明治以前の)女性のたしなみであった“お歯黒”はこの実を使って着色していたのだとか。
道端のところどころに、ヤマジノホトトギス(山路杜鵑/ユリ科ホトトギス属)が。花弁の模様がホトトギスの身体の模様に似ているところからの命名ですね。
標高は、登山口で530メートル(山頂は897メートル)ですから、普段筆者たちが目にする植物とだいぶダブります(ルーザの森は350メートル)。このヤマジノホトトギスも我が家の敷地内に咲いていますし。
よく整備された登山道です。
森林が非常に若々しく感じるのですが(青年のようです)、これは火山灰土におおわれ荒涼としていた地に(裏磐梯がそうであったように植林からはじまって)ようやくのこと(第2次の)自然林として成り立ちはじめたということなのでしょうか。
ママコナ(飯子菜/ハマウツボ科ママコナ属)。
高山型のミヤマママコナかと思いましたが、先っぽに毛がたくさんあるので、ママコナでした。これもルーザの森にもたくさんあります。
ハクサンボウフウ(白山防風/セリ科カワラボウフウ属)でしょうか。このセリ科の見分けというのがむずかしいんだよね。ミヤマセンキュウ(深山川芎)の可能性も。
もうこれは高山植物ですね。
かたわらは火山(岩手山)の巨大な噴石だと思うけど、ここを何度も歩いたであろう賢治は、こういった石にもいちいち想像を働かせたのだろうと思います。
クルマユリ(車百合/ユリ科ユリ属)がところどころに。標高が上がってきた証拠ですね。今がちょうど見ごろのようです。
ヤマハハコ(山母子/キク科ヤマハハコ属)。
エーデルワイスで有名なウスユキソウ(薄雪草)……、岩手には早池峰山にハヤチネウスユキソウという名花がありますね…、“属”の上の階層である“連”がハハコグサ連なので、まあこれは、ウスユキソウの親分という感じですかね。
ヨツバヒヨドリ(四葉鵯/キク科ヒヨドリバナ属)。
この花が咲きはじめたということは、もうすぐ1,000キロにも及ぶ渡りの蝶のアサギマダラが鞍掛山にもやってくるということです。
この美しい蝶にとって、ヨツバヒヨドリは麻薬のようなもの? “猫にマタタビ”よろしく“アサギマダラにヨツバヒヨドリ”です(笑い)。
一部急坂はあったけど、苦もなく楽しい山道の末に、鞍掛山山頂(897メートル)に着きました。
背後の巨大な山は当然にして岩手山(この時までは、小雨が降るにしても、もしかしたら岩手山に登れるかもしれないと淡い期待をつないではいた)。
実は、鞍掛山を岩手山登山の前日に組み入れていたのは、足慣らしでもあったのでしたが。
でも、計画のひとつが達成できてよかった。
稜線の右下が岩手山の登山口の馬返しあたりだと思うけど、ほぼ直登の登山道、登るのにつれてどんどんと角度が増していくのが分かります(笑い)。
帰りはピストンではなく周回コースをとりました。
ツリガネニンジン(釣鐘人参/キキョウ科ツリガネニンジン属)。
ルーザの森にもある美しい花ですが、山菜でも特においしいのがツリガネニンジンなんだとか。「山でうまいはオケラにトトキ」のトトキがツリガネニンジンなのです(オケラは食べなくてもうまいとは思えない)。
筆者たちは、花をめでたいがために食べたためしがないのだけれど、その若い芽を一度は味わっておく必要があるかもしれない。
この花、はじめて見ました。収穫です。調べると、クサボタン(草牡丹/キンポウゲ科センニンソウ属)というものでした。
花の先がくるんと巻いている独特な姿なのだけれど、これは花弁(はなびら)ではなく、萼片なのだとか。クサボタンに花弁はないとのこと。賢治の童話「かしはばやしの夜」を彷彿とさせるような、木の枝の曲がりっぷりが面白い帰りの道々。これは、枝が暴れて、いつの間に他の木の幹にくっついてしまっている図です。
これ、クマ除けのようです。こういう仕掛けははじめて見ました。自分でやってみたけど、ぶら下がっている鉄の棒で上部の鉄の筒をたたくと、すごい音があたりに響き渡ります。
当然筆者たちはクマ鈴をつけて歩いていますが、クマを避けるのにはこういうのもいいアイデアですね。
字を彫り上げて塗料を詰めた(手は込んではいるが)素朴な味のある標識。
キャンプ場に誰もいなければ、こんな手軽な素敵な山にも誰ひとりすれ違わず。どうなってんの!?(笑い)。
下山後に、網張温泉の湯につかりました。硫黄の匂いかすかな乳白色のいい温泉でした。
このあとに岩手高原のペンションに泊まったのだけれど、その主人がとにかくしゃべり好きで、こちらからの質問も投げかけもすべて自分のことにして回収して、自慢話やら失敗談やらにしてしまって辟易、筆者たちは酒の肴にされたようでした。よい印象は持てずにここはカット。
ペンションって、個人あるいは家族経営なだけに接客についてのセオリーをきちんと学んでいないところもあることは承知しています。そういう意味でペンションというものに当たりはずれはありますね。
宿の早朝、天候は回復に向かうのではというかすかな望みをかけて天気予報を見ると、麓の滝沢も八幡平も雫石も80パーセントの降水確率。
山を登れるかどうかの判断は、一説には麓で20~30パーセントが境界ということです。麓がそれで山中ではさらに確立が高まっていると予想するのが普通で、これを以ってすっきりとあきらめがつきました。気持ちを切り替えました(次の日の9日は町なかでさえ大雨でしたので、この判断は正しかったことになります。たいへんな下山になるところでした)。
で、裏番組として用意していた第一が、岩泉町の龍泉洞です。片道でゆうに3時間ほどもかかるようだけれど、一度は行ってみたいところでもあって。イメージとして脳裡に焼きついている水のディープなコバルトブルーに会いたくて。
岩手高原を出発して郊外に抜け、国道455号を一路岩泉へ。
ずーっと中山間地域をどこまでも行くのだけれど休憩場所はわずか、こういうロングドライブには飲み物とかトイレとかを事前に気をつけて出かける必要がありますね。
道々目についたのが、外来生物法の特定外来生物16種に指定されているオオハンゴンソウ(大反魂草/キク科オオハンゴンソウ属)の大群落でした。それはどこを走っても異様なほどの繁殖ぶりでした。人家近くにもたくさんあったのですが、それを刈るでもなく住民はむしろその黄色を楽しんでもいるようで。
それから特徴的だったのがハナガサギク(花笠菊/キク科オオハンゴンソウ属)。これはオオハンゴンソウの八重咲き種なのだけれども、これも指定の中に含まれる種です。
特定外来生物の指定というのは生態系の保全という大切な役割があるわけで、これは岩手県として啓発活動が必要だと思うなあ。まずは県の職員、それから住民の意識改革が必要ですね。
オオハンゴンソウの群落。
ハナガサソウの群落。
セイタカアワダチソウによく似ているけれども、こちらはオオアワダチソウ(大泡立草/キク科アキノキリンソウ属)。セイタカアワダチソウが咲くのは秋が深まった10月下旬から11月はじめにかけてですね。
実はオオアワダチソウも外来種で、法によって要注意外来生物に指定されているのだそうで、北海道の礼文島では意識的な駆除が行われているということです。
オミナエシ(女郎花/オミナエシ科オミナエシ属)。
こちらは古来から親しまれている秋の七草のひとつ、美しい花ですが野生のものはとんと見なくなりました。オミナエシは外来生物によって駆逐されている可能性があります。ルーザの森でもわずかなものしかありません。
写真のものは野生のもののようですが、ことすると人為的に栽培によって増やしたもので、そこから種が飛び散っている可能性もあります。何か所かで見かけましたが、いずれの場所も人家が近くにありました。
ようやくにして、龍泉洞に着きました。
龍泉洞は、秋芳洞(山口県美祢市)、龍河洞(高知県香美市)と共に日本三大鍾乳洞の一つに数えられるのだそうです。一大観光地とあって、雨交じりの天候とはいえ結構な人出で、ひっきりなしに洞窟に吸い込まれていました。
筆者には2016年の台風被害で地底湖の水が入洞口にあふれ出たというニュースが耳に残っていましたが、それもすっかり回復のよう。
地下の鍾乳洞の中に川があって、ごうごうと音立てて流れている光景はやはり不思議な感覚です。
水のきれいなこと。
その深淵なる世界にいざなう青さ、蒼さ、碧さ……。
このアオ、この深いコバルトを見にきたのです。しっかりと目に焼きつけました。
道々、休憩とともに魅力的な土産物を探して、沿線の道の駅にはすべて(岩泉では逆方向6キロ先のにも)立ち寄ったのですが、なかったですね。筆者は、心動かされないものは徹底して手にしない。
土地土地にはいろんな特色があると思うのだけれど、地方のデザイン力が不足しているようにも思ったなあ。もったいないなあ。
イカをまぶした南部せんべいを買って、クルマでポリポリぐらいはしましたが(笑い)。
帰り道は周回コースをとって、国道340号線から106号線に入って盛岡へたどり着くルートを選びました。
道に添った渓流・刈屋川がきれいでした。太公望たちがアユ釣りの糸を流していました。いい風景でした。
途中、興味を持って新里村と川井村を通ったのだけれど、今はいずれも宮古市に吸収合併されているのですね。
かつて早池峰山登山のあとにタイマグラキャンプ場で1泊したことがあったのだけれど、それが川井村だったのです。
早池峰山麓のタイマグラについては“d”でも紹介されています。ひとつは民宿の“フィールドノート”。もうひとつが桶職人のこと。
桶職人の奥畑正宏さんは、筆者のめあてとしているクラフトフェアのひとつ、“ふるさと会津工人祭り”(三島町)にも出展されている職人。その桶の技術は見事なもので美しかった。
民宿の経営は正宏さんの兄の充幸さん。充幸さんについては、サルディニア国際民俗学映画祭(イタリア)で大賞受賞など国際的な映画祭で数々の受賞を重ねているドキュメンタリー映画「タイマグラばあちゃん」(監督:澄川嘉彦、制作:ハヤチネプロダクション他2004)の登場人物のひとり。老夫婦だけになったタイマグラ集落に大阪から越してきたのが充幸さんでした。ドキュメンタリーは山間地域の、手をかけ知恵を働かせる豊かな暮らしと滅びゆく集落の悲哀を描いて圧倒的な映像だったことを思い出します(公開が2004年なのに、いまだ上映活動は続いていて、昨年だったか筆者も山形市でふたたび見ました)。
道の途中の趣のあるトンネル。緑の中の小さなトンネルのアーチにあたたかな灯がともって……、相棒も筆者も思わずカメラを向けた風景。
途中、宮古市(ずいぶんと広大な面積を持つ市になったのですね。面積が1,250平方キロで米沢市の2.3倍とはすごいです。人口密度が1平方キロ40人というのもすごい数字です…ちなみに米沢は143人、盛岡は329人とのこと)と盛岡市を結ぶ高規格道路(宮古盛岡横断道路)の建設が進んでいたけど、道路というのは得てして大きなものが小さなものを飲み込んでゆく機能を果たすんだよね。道路ができて便利になると、皮肉にも住民は村落に定着するのではなくて村を下りてどんどんと都会へ都会へと流入してしまう現象が起こるのです。
これから人口が徐々に徐々に減っていくというのに、こんな大層な事業を続けて大丈夫なんだろうかと余計な心配をしてしまいました(これ、復興支援事業なんですね)。
ようやく盛岡にたどり着きました。
実はこの日の朝、山小屋泊がかなわずに2日目の宿はどうしようかと思って、“d”で紹介されていて気になっていた宿の“北ホテル”に一か八かの電話を入れていたのです。これがまたいい雰囲気を醸すのです。そしたら、11月までは休業予定なのだそうで、残念。それで3日目予約の駅前のビジネスホテルに連泊ということにしました(このご時世、都市中心部のホテルに空室があるのです)。
さて、夕食です。ここはやはり“d”で知った“熊ヶ井旅館”に行くことに。
まあ、宿から近いのだけれど、雨も降っていることだし、暗くなってもきて、ここはタクシーを使って。
旅館とはいっても併設して食堂部が設けられており、ここは宿泊客だけでなしに一般にも開放されているらしいのです(本当は、2日目の宿はここでよかったのです。そこまでは気が回らず)。
入店して、いやあ、相棒も筆者も感じ入りました。漂う空気でまず、ここはいい店だと直感したものです。こういう空間を筆者は求めていた、探していたのです。
壁面や棚には諸国のマスク(仮面)や民芸品が、とても多いけれどもうるさくなく整然と並び(この旅館は外国からのお客さんもあり、宿泊者がお土産として持ってきてくれたものも多いのだとか)、(テレビはついているけれども音声は気にならない)空間には(ご主人の趣味なのか)こころよくジャズが流れていました。
調度や什器は安っぽくなく、かといって威張っているような格式・格調もなく、自然とそこに腰を下ろしている風で客を落ち着かせます。
こういうのを調和っていうのだと思うけど、やはりここを切り盛りするひとの感性がそうさせるんですよね。
小旅行に乾杯ということで、日本酒を頼みました(普段の夕食でもわずかながら日本酒または手作りの果実酒をふたりで飲みます)。少々記憶が薄いけど、頼んだのはいずれも岩手の地酒、純米酒の“堀の井”と“紫波の匠”だったような。
女将の一升瓶からのつぎ方も絶妙で、グラスにも升にもすごい表面張力!(笑い)。
この“もっきり”、久しぶりだったし、よかったなあ。それにとても冷えていて、おいしかった。しかもリーズナブルときています。
それから大いに舌鼓を打ったのが、“おまかせ小鉢”。
これは“d”にも紹介のあった(看板)メニューだけど、これで850円とは驚きでした。これなら、2倍でも2.5倍の値段でもよさそうな内容です。
中央がクラゲとウドの芽(と女将は言ったけどどうだろう)の少々酢がきいたおひたし、その左下がつぶ貝とズッキーニの煮つけ(相棒はほのかにトマトの味がしてニンニクも効いていたという)、上に行って牛肉とマイタケとダイコン・ニンジンの煮物、その右がトマトの姿煮、そしてきゅうりの浅漬けです。
その味つけがどれも絶妙な甘さ加減しょっぱさ加減なのです。そして一品一品が決して主張しないのです。
特に筆者には、トマトの姿煮がおいしかった。米沢の伝統料理に“冷や汁”というものがあるけれども、その“だし”を思い起させるようなやさしい味の中に、ほんのりとしたトマトの酸っぱみが調和していました。
ついつい相棒と相談、再現できるだろうか(笑い)。再現願望は多いね(笑い)。
こうやって、ひとつひとつを口に運んで酒を飲んでいると本当に幸いを覚えるのでした。この料理を丹精込めて作るご主人、それを提供する女将の人柄もしのばれ。
女将の心遣いはこころよいこまやかなもの(ひよこ豆のデザートもいただいたのだっけ。おいしかった)、こういうのを本物のホスピタリティーというのだと思います。めったに出会えないことです。
帰り間際に途中に顔を出していた大女将と話す機会があり、こちらが米沢から来ましたというと、ここの旅館にかつて米沢出身の医大生が下宿していたこともあったとか、米沢牛の味噌漬けなどいただいたこともあったなあ(笑い)、とか。実に気さくな方でした。この空間に彼女が寄与しているのも大きいのかもしれないと思ったりもしたのです。
それにしても幸いな夜でした。
帰りはそぼ降る雨の中、傘さしてゆっくりと歩いて、不来方橋を渡ってすぐの宿に戻りました。
岩手山登山をしていれば、ここに来ることはなかったのです。なぜって、ここの定休は日曜、この日は土曜日でして。禍転じて、というのはこのことですね。
セーフ!(笑い)。
つづく。