森の小径旅の空、飛ぶ声

春の日の花と輝く

春の日の花と輝く。

陽気にさそわれて、少し遠くまで。
下は高畠町にある高畠石(凝灰岩)の石切り場跡(今は、“瓜割公園”として整備されています)。巨大な石壁に圧倒されます。
ここから産出された石は当置賜地方でも高畠町を中心として門柱だとか石垣だとか古い家屋ではその基礎にとそちこちに、めずらしいところでは鳥居にも利用されています。

旧高畠駅舎はこの高畠石で作られていて、国の登録有形文化財となっている見事な建造物です。筆者などは、これをビアホールにしたらどうかと思うのだけれど(笑い)。

写真;web高畠町観光協会

ちなみに、現在筆者が取り組んでいる工房の増築の際の基礎にも半分ほどは高畠石を加工したものを使っています。

高畠から二井宿峠(にいじゅくとうげ)を越えれば宮城県の七ヶ宿町(しちかしゅくまち)。高畠の市街から10キロもない距離です(七ヶ宿の県境に近い住民にとって、高畠は生活圏。買い物は宮城の白石よりもぐっと近い山形の高畠に南陽にという住民もめずらしくないという)。めあては、ミズバショウの群生地の玉の木原、県境付近の宮城側です。今が見ごろなのです。
ミズバショウ(水芭蕉。サトイモ科ミズバショウ属)は尾瀬が有名だけど、玉の木原もどうしてどうして。約3.5ヘクタール(サッカーコート4つ分くらい)に約10万株が自生しているとのこと。木道は総延長2キロにわたっています。ミズバショウでいえば裏磐梯の檜原湖西岸あたりもいい風景がひろがっているけどね。

でも、このコロナ禍の影響で県境越えの自粛、そもそも外出の自粛が呼びかけられている関係で、この時期なら普段は約50台ぐらいはキャパのある駐車場にほぼ満杯なのに、今回はたったの5台ほどでした。
全国を旅しているんだろう、群馬ナンバーの若いカップルもいたっけ。

この植物を一気に有名にしたのが「夏の思い出」(1949年)という歌でしたね。作詞の江間章子は、戦争によって荒廃した日本に寄せる思いがあった、とは雑誌「サライ」で読んだものだったか。いい歌ですよね。

そして、春の日の花と輝く。

以下は、筆者のところのルーザの森から下流に5キロほどの天王川添いの小径を歩けば……。

葉が特徴的なクルマバソウ(車葉草。アカネ科ヤエムグラ属)。
真っ白い小さな花の群落は見事、半日陰を好むようで。

カキドオシ(垣通。シソ科カキドオシ属)。
垣根をやすやすと通り越すという意味からの名前の通り、繁殖力はすごいです。よくよく見ると菫に似てそれぞれが美しい花をつけています。

ミヤマキケマン(深山黄華鬘。ケシ科キケマン属)。
華鬘(けまん)とは聞きなれない言葉だけれど、寺の本堂の仏殿の欄間に掛けてある装飾品。そういえばこんな飾りがありますよね。
ミヤマキケマンは有毒植物とあるけど、これを口にするひとはまずいないでしょう。

シャク(杓。セリ科シャク属)。
我が家ではあまり人気がなく(これよりおいしいものは他にたくさんあるという意味で)素通りしてしまいますが、これはれっきとした山菜です。おひたしや和え物、煮つけにも。
葉が人参に似ていることから、山人参、野人参の名も。

セントウソウ(仙洞草。セリ科セントウソウ属)。
林縁に咲く地味な花です。

エンレイソウ(延齢草。ユリ科エンレイソウ属)。
根が適量ならば薬となり、過量で嘔吐や下痢の症状も呈すという微妙な植物。ところがどっこい、黒く熟した大きな実はおいしい食べ物です。口にしたことがあるけど、酸っぱみと甘さが調和してうまかった。
下の実の写真は8月半ば頃のもの。

ご存じカタクリ(片栗。ユリ科カタクリ属)。
ずいぶんと楽しませてもらったけど、もうそろそろおしまいです。本当に、春の妖精(スプリング・エフェメラル)の名にふさわしく。

ここのカタクリ、コロナ禍で苦しむひとを表現するように、頭を抱え込んでしまっています(笑い)。
このコロナ禍、ひとの欲望そのままに物が自由に行き来し、ひとが思うままに移動することができるようになった、つまりは地球を小さく小さくしてきたところによる禍(わざわい)ですよね。グローバル化を推し進めた故の、グローバル化によってもたらされた、しっぺ返しとも言えるかもしれない。
当然にもできるだけ早い収束を願うのだけれど、これを機にヒト属が自分らも自然の一部という謙虚でつつましい認識が持てるようにと願うのです。

エゾエンゴサク(蝦夷延胡索。ケシ科キケマン属)。
これは青の色味が強いものだけど、エゾエンゴサクは花の色のバリエーションが豊かです。

ニリンソウ(二輪草。キンポウゲ科イチリンソウ属)。
1本の茎から2輪ずつ花茎が伸びることからの名です。こんな名の演歌もあった? 川中美幸?
若葉は山菜で、アイヌにとっては冬の貴重な備蓄食糧であったとのこと。
この山菜で注目すべきは、猛毒のトリカブト(鳥兜。キンポウゲ科トリカブト属。このへんにあるものはヤマトリカブトと思われる)と葉がよく似ていることです。毎年、誤食の事故が伝えられますね。“トリカブト殺人事件”って、よく聞くワードでもありますよね。
下の写真は、そのトリカブトとニリンソウが一緒に生えているショット。美しい白い花がついているのがニリンソウで、左側の少々茎を伸ばしたものがトリカブトです。葉はよく似ているでしょう。
ニリンソウを食べたいときは、花がついている茎を確かめることですね。

さらに、春の日の花と輝く。

我がルーザの森から高畠を抜ける広域農道(ぶどうまつたけライン)を走って……。

柳でもカワヤナギ(川柳。ヤナギ科ヤナギ属)の春の緑は何とも言えない趣きです。
石川啄木の歌に…、

やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けと如くに

があるけど、これは、なつかしさがあいまってよく目にしていた北上川の春の柳が映って思い出される、まるで涙を誘うような色だ、ぐらいの意味なのでしょうか。
春の柳は、心の琴線を揺らす色ですよね。

ハンノキ(榛の木。カバノキ科ハンノキ属)の若葉の美しさもたまらないのです。これから日々刻々と緑が増していく、その変化を目にすることのできる幸いを思います。
ハンノキを薪用にもらったことがあるけれど、チェンソーで切ったその木口のあざやかな赤橙色。地区の住民にナメコの菌を打つには最高だと教えてもらったっけ。
ハンノキは刃物がサクサクと入って、彫刻もできることを発見した木でもあり。

オオヤマザクラ(大山桜。バラ科サクラ属)。
山肌に見えるオオヤマザクラの美しい淡紅色、これこそ春の色です。

キタコブシ(北辛夷。モクレン科モクレン属)。
いやあ小生、これまでずいぶんと間違った認識をしていました。今まで、タムシバ(田虫葉。モクレン科モクレン属)と思っていたものはほとんどがキタコブシでした。キタコブシという名はタムシバの別名と思っていたのがそもそもの間違いでした。このsignlでもたびたび“タムシバ”を使っていたけど、間違いです。スミマセンでした。

確かに“コブシ”と“タムシバ”と“ハクモクレン”の花はどれも同じように白くて区別はつきにくいものです。
まず、ハクモクレンは人家の庭や公園に植えられ自生種はない模様、花は他に比して大柄です。
コブシとタムシバの違いは、タムシバには花の直下に葉がないこと、タムシバの花は基部に色味が差さず純白であることなわけです。
それではコブシと近縁のキタコブシの違いは何かといえば、それは葉の形です。コブシが割と卵型なのに対して、キタコブシの葉は細く先がとがっています。もう、これで判断に迷うことはなくなりました。
ともすると、宮澤賢治の名作「なめとこ山の熊」の重要なモチーフの“ひきざくら”は、タムシバでもコブシでもなく、このキタコブシなのかも知れません。

オオカメノキ(大亀木。レンプクソウ科ガマズミ属)の白い花。

ズミ(酸実、桷。バラ科リンゴ属)の白い花も満開です。
やがて実る林檎の原種を思わせる実を、鳥たちは宝物のようにして慈しんでいるんだろう。

オニグルミ(鬼胡桃。クルミ科クルミ属)の若葉。
このオニグルミの実にリスが大喜びするのです。いろんなところにエッセエッセと運んではそのうちどこに隠したのかが分からなくなってしまう。そこから芽が出る、木になる。これもオニグルミの拡散の戦略のひとつでもあるんだろう。

クロモジ(黒文字。クスノキ科クロモジ属)の花。
枝を折ると、精神が覚醒するような芳香が漂います。すばらしい香りです。これが先に上げた「なめとこ山の熊」の隠れたテーマでもあると思う。
現在の我が家の室内のしつらえは、このクロモジを活けています。

で、何と言ってもこの春に会いたかったのはアブラチャン(油瀝青。クスノキ科クロモジ属)。
昨秋、いつも世話になっている農機具・林業機具の専門店にソーチェン(チェンソーの刃)を買いに出向いたところ、店の女将さんが問うてきたのです。
「ホンマさん、この実、なんだか分かる?」と。「自分はまったくわからない。お客さんが除雪機を点検していたらこの実が出てきたんだって!」。その実は直径10ミリほどのきれいな球形なのです。筆者にもまったく心当たりがありませんでした。
で、調べました。そしてある図鑑で突き止めました。それはアブラチャンの実だと。アブラチャンは木全体に油分が多く薪炭として使われたこと、果実や枝から油を採って、灯油にしていたとも。チャンの意味がいまいち理解しにくいけれど、要するに油分をたくさん含んだ木ということだね。
除雪機から出てきたということは、リスかネズミが食糧の一時保管のために持ち込んだものと思われます。我が家の除雪機からもコナラ(小楢。ブナ科コナラ属)のどんぐりとかクルミが出てきますから。
で、その木を特定したかったのです。
そうして探したらありました、ありました。沢筋に何本も、何本も。新芽がそれほど目立たず無彩色がまだ幅を利かせる山肌にあって、黄色なペンキでも塗りたくったようにして咲く満開のアブラチャンの木が。この黄色とも黄金(おうごん)とも見まごう花には、感激しました。これから、結実する秋がまた楽しみになりました。

引き続いて、春の日の花と輝く。

春の日に、菫は素敵。ルーザの森に咲く菫から。

スミレの種類って本当にたくさんあって、スミレだけで1冊の図鑑が出来てしまうほどです(筆者の愛用は『日本のスミレ』いがりまさし著、山と溪谷社1996)。
スミレは実は山菜のひとつ。スミレで毒を持っているものはありません。ということは、サラダなどには彩りとしても最適な食材になります。
スミレと蟻は仲良し。スミレのタネには“エライオソーム”という飴のような物質が塗ってあり、蟻はタネを一生懸命に自分の巣に運ぶのだそうです。そして巣の中で甞めきったタネは不要となって、律義にもゴミ捨て場にまたわざわざ運んで捨てる、スミレはそこから発芽するという仕組みです。カタクリも同じ戦略を持っているみたい。
自然界は賢さに満ちていますね。お互いのよいところを都合よく取り込んで生きている、生かしている、生かされている。

下はタチツボスミレ(立坪菫。スミレ科スミレ属。以下の種の科と属は同じ)。
日本を代表するスミレのひとつ。

ノジスミレ(野路菫)。
ヒナスミレとも疑ったのですが、葉の形はノジスミレに近いようで。この淡いピンクが夕日に照り映えて美しい。

下は、ナガハシスミレ(長嘴菫)でしょうか。
花の背面に突き出た天狗の鼻のような突起(距)が長いことが最大の特徴です。

ツボスミレ(坪菫。別名、ニョイスミレ=如意菫)。
筆者が眼にするスミレでは最も小さな花で、花の幅が8ミリほどです。

我が家の庭にも咲くスミレサイシン(菫細辛)。
葉っぱが薄くて波打っているのが特徴です。この青紫ははっとさせられるほどのあざやかさです。鎮魂の色と言っていいかどうか。

紹介するスミレの最後は、我が家の名花、エイザンスミレ(叡山菫)。ちょうど車庫の後ろに自生しています。
スミレの葉というものはだいたいが心型か槍型もしくはへら型なのだけれど、エイザンスミレの葉は深くたくさん裂けているのが特徴です。
筆者がここに暮らすようになって感激したひとつは、このエイザンスミレに出会えたこととも言えるのです。この薄い韓紅(からくれない)の色の、何と幸いをイメージさすことよ。

またして、春の日の花と輝く。

この「春の日の花と輝く」という文言、どこかで聞いたことがあるなあ、何だったろうなと思えば、それはアイルランド民謡のタイトルでした(これって、賛美歌にも採用され、米ハーバード大の準校歌にもなっているんだとか)。
あらためて聴いてみました(ザ・スコラーズによるCD「イギリス民謡集」)。そして、歌詞を追ってみました。
原題は、“Believe Me, If All Those Endearing Young Charms”。
意訳の意訳で内容を平たくすれば、「君は今、若くて美しい。でもいずれ年老いて、その美しさは色褪せるだろう。それでも僕は君を思い続ける」、というもの。年老いても、というところがミソですね。
ネット検索でこの歌について見ていると、「私の妻は4年前病気で亡くなりました。今でもその時の悲しみは薄れることはありません。この曲を聴くと涙がでてきます」というコメントが目につきました。そういう歌だったのですね。
で、この歌の日本語訳はと意識すると、何と、堀内敬三センセイではないですか。かの「冬の星座」の作詞者(この詞の場合は原曲からは完全に離れている)、原詞の薄っぺらな恋歌を詩情よろしく「ものみないこえる しじまの中」の冬の星の世界に昇華させた、かの詩人によるものとはつゆ知らず。

春の日の花と輝く
うるわしき姿の
いつしかにあせてうつろう
世の冬は来るとも
わが心は変わる日なく
おん身をば慕いて
愛はなお緑いろ濃く
わが胸に生くべし

若き日の頬は清らに
わずらいの影なく
おん身今あでにうるわし
されどおもあせても
わが心は変わる日なく
おん身をば慕いて
ひまわりの陽をば恋うごと
とこしえに思わん

何と格調高い歌詞なんだろう。しかも、原作者トーマス=ムーア(Thomas Moore)の歌詞にはひと言も「春の日の花」なんて言葉はないのに、原作の趣旨・意向を失わせることなく日本語にしてしまう力はあまりに卓抜です。

そしてふと、気づきました。この「春の日の花と輝く」というワードで筆者の頭をめぐっていたイメージのいい加減だったことを。筆者はこれをしばらく、「春の日に輝く花」「花は春の日に輝く」風に思っていたのです。ちがいますね。本当は、「春の日の花のように輝く~~」なのですね。この歌の場合は“君”、歌から離れれば、“友”でよし、“人生”でも、“生活”でも、“風景”でもよし、もちろん“伴侶”でも“恋人”でもよし。とにかく輝くものですね。
いま世界はコロナ禍に覆われ、自粛を強いられ不自由に甘んじなければならない日々が続いているひとは多いと思うけれども、この苦痛の本質は「春の日の花と輝く~~」を奪われているということだと思います。そうなのです。本来のひとの活動が阻害されている、それが現実なのです。

そして、思い出は飛ぶのです。また近いうち、こんな日々が訪れますようにと。
例えばそれは、旧い友人夫妻と鑑山に登った日のこと。

例えばそれは、妙齢の女性がドアリラを求めにおいでになった日のこと。

例えばそれは、楽しいひと時を共に過ごした後の、さわやかな別れの朝のこと。

例えばそれは、親交のあった教育評論家の村田栄一さんの遺影を携えておいでになったご夫人と、一緒に過ごした夕べのこと。

例えばそれは、肴は熊汁にて身近なひとと酒酌み交わす夜のこと。

例えばそれは、若い友人が家族でおいでになったある夏の日のこと。

例えばそれは、家族が久しぶりにつどった日のこと。
等々の日のこと。

そしてしめくくりとして、春の日の花と輝く。

あたたかな日差しに誘われるまま、ヨモギ(蓬。キク科ヨモギ属)を摘んで。

まるまるとしたコゴミを手に抱えて。

いつもの青瞳淵(せいとうぶち、なんて名を考えてみたけど。陳腐だな(笑い))に立ち寄って。

そして庭に、ヤマブキ(山吹。バラ科ヤマブキ属)が咲きはじめました!

こうして地球の片隅の、日本国はみちのくの森に寓居する者に訪れている、2020年のあたらしい春。