その桜が1輪2輪と咲きはじめたのは、4月1日のことでした。
この桜の木は同じ町内の方の旧の住まい跡にあるもの。そこはかつてこのsignalで「オウレンの水辺」として紹介した小川のほとりです。
筆者がその枝欲しさに家主に、「少し、もらってもいいべがネス?(もらっていいものでしょうか。*当地方は、言葉の末尾に“ス”をつけるとすべてが相手への敬いになるという便利な話法を持っている)」と問えば、「いいどごでネ!(もちろんいいですとも)。なんぼでも、どうぞどうぞ」というふたつ返事が返って、それで枝を3本ほどもらってきたのです。それを大壺に活けて。
この桜は、日本各地の花見の名所の代表格と目されるソメイヨシノ(染井吉野、バラ科サクラ属)とは違い、自生種にて花のひとつひとつが大柄です。そして色は、蕾のうちはまさしく韓紅花(からくれない=濃いピンク)、開花ののちは一斤染(いっこんぞめ)と思しき絶妙な淡いピンクを帯びています。花びらの1枚に着目すれば、外周に近いほど色が濃くなります。
植物でも桜の同定はとてもむずかしいのですが(山桜の類は本当にむずかしい)、この色こそは種を特徴づけるものだと思います。きっとこれは、オオヤマザクラ(大山桜、バラ科サクラ属)。
で、筆者はこの桜を、“七郎右衛門桜”と呼んでいます。
七郎右衛門というこの古風な名前は、何のことはない、家主の名前です(笑い)。
家主は今頃、ハックション! 大きなくしゃみでも(笑い)、ふたつも三つも(笑い)。
でもいい響きです、シチロウウエモンザクラ。特別純米大吟醸の銘酒の名にでもしたいような(笑い)。きっと、売れますぞ!(笑い)。
北海道に多く自生するのでエゾヤマザクラ(蝦夷山桜)、その淡紅色からしてベニヤマザクラ(紅山桜)という別名もあるそうな。分布としては、北海道、本州中部以北、サハリン、南千島、朝鮮とのこと。
例えばゼンマイ採りの頃に、山野に自生するオオヤマザクラと思しき桜を目にして感動することはあります。が、その住まい跡のものは、小川に沿って3本が間隔よろしく並んでいるので、もしかしたら家主の祖先が自生していた苗木を山から掘り起こして植栽したものだったのかも知れません。
七郎右衛門桜のもうひとつ魅力は、相当の年月(短く見ても100年)を経た古木ということです。ゆえに、枝々が武骨に曲がり、枝の膚には苔類(たいるい)や蘚類(せんるい)が付着して、白、灰色、黒の微妙な無彩色の貼り絵のよう。
(以上のことは長い年月を経ての樹勢の衰えを意味しているとも言われる)。
下は、現地の、粗いモルタルでも塗りつけたような特徴的な膚の七郎右衛門桜の幹。
空に枝を広げる七郎右衛門桜。咲くのは、あと3週間後の月末では。
下は、福島県の北塩原村の大塩桜峠にあるオオヤマザクラの植栽地です。喜多方から檜原湖に抜ける幹線道路(国道459号)の途中、保養施設のラビスパ裏磐梯のすぐ近く、ひときわあざやかな色の桜が目について立ち寄った時のもの。2016年の4月下旬のことでした。
調べるとこれは2001年の植栽、現在は3,000本の規模になっているとのことです。あと30年先50年先が楽しみな(筆者はもうこの世にいないと思うけど)、実に壮観な眺めです。
下は、米沢の市街地の南、畑の中に2本並び立つ大きなオオヤマザクラのひとつ。その樹形も花も、実に美しいです。
で、七郎右衛門桜。満開は本日3日。部屋のあたたかさゆえ、一気に花開きました。
背景の額は、筆者撮影の吾妻連峰・弥兵衛平湿原の木道。モノクロの画面と、花の色がマッチしているようで。
上から見下ろして。
活けている大壺、この飴色の釉薬の色と墨薬の掛け模様はなかなかの景色で島根の石見(いわみ)焼きかなと思うのですが、確証はないです。
この大壺は会津三島の工人まつりとタイアップの(町の中心部で展開される)“てわっさの里まつり”の一角、骨董屋から購入したもの。目玉が飛び出るほどの、心臓バクバクものの、安さでした(笑い)。
この大壺は、上部と下部を分離してそれぞれ轆轤作りして、それをドベ(接着剤の代わりになる泥)で貼り合わせて成形したもののようです。
花を愛でて歌をうたい、花を愛でて酒酌み交わし、酔いつぶれて千鳥足、“花より団子”にしても花あっての団子なのだし、日本人ってなんでこんなに桜に惹かれるんだろう。
桜と言えば、西行。
以下に、平安末期から鎌倉時代に生きた武士、僧侶でもあった西行法師(1118‐90)の歌から。『山家集』より。
今よりは花見ん人に伝へおかん世を遁れつつ山に住まへと
雲にまがふ花の下にてながむれば朧に月は見ゆるなりけり
願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば
あくがるる心はさてもやまざくら散りなんのちや身にかへるべき
心に響く西行、いい歌の数々ですよね。
西行はこんなに桜を愛して、望み通りに、“きさらぎの望月の頃”(太陽暦の3月31日)に逝ったということです。幸せな人生です。
冒頭の、「今だから言う、人混みを逃れて山に住んだらどうだ」、というのは800年先の予言でもあったということかも(笑い)。コロナ禍への鋭い察知!(笑い)。
友人がかつて教えてくれた俳句に、こんなものがあります。
山桜泪のいろはかくあるべし 進藤一考
いい句ですよね。桜の花の色をして、涙の色と来た。
花の色して涙をくっつける感性など、アングロサクソンには決してなしえぬだろうことよ。
一隅を灯し七郎右衛門桜哉 (拙句)
心をば染めし桜の散りぬるを (拙句)
今夜は、七郎右衛門桜を愛でながらの盃です。カンパーイ!
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