森の小径

笊籬溪の四季

 

世の話題はどこも深刻さを増すコロナ禍で持ち切り。
なら、鬱陶しさからしばし解放されようと、自然の美しさ、厳しさ、強さそしてやさしさを。我がルーザの森のビューポイント、笊籬溪(ざるだに=天王川)の風景から。

以下の画像は、筆者の家(工房)からほど近い笊籬溪の1年に渡る定点記録です。
筆者がまだ勤め人であった時(2016年3月まで)、職場に向かう途中の橋(笊籬橋)から毎朝(7時50分頃)欠かさずにシャッターを切っていたのです。それを約4年ほど続けたものでしょうか。
筆者はもうここには1993年以来住んでいるのだし、毎日のように必ずや通るこの笊籬溪の四季折々の美しさを肌で感じてはいたものの、定点で記録すればまたちがった発見があるやも知れぬ、そういう興味からの撮影でもありました。出勤途中であればほぼ同じ時刻にわずか数秒で事足りる、それを続けたのです。

以下の写真は36枚、(2013年4月から14年3月のものに限定しての)膨大な数から月にして3枚、ほぼ10日間隔でセレクトしたものです。

4月。
右端の落差約10メートルと思しき滝は、右上部につながる笊籬沼からの雪解け水。
溪の水量はどんどんと増して、ゴオゴオとした音が森全体に響きわたります。
春は、笊籬溪の音から。

春とはいえ、雪も降れば、吹雪の日もあって。

5月。
日差しが降りそそいであたたかくなって、みんなみんな、芽吹く時を待っています。
我々ヒトももう心はウキウキ、心は野山に飛んでいます。
コゴミにタラノメ、コシアブラ、ハリギリ、タカノツメにウルイ、アイコ、シオデ、そしてゼンマイにワラビ……、山菜採りのはじまりなのです。目の前にその美しい?姿がチラチラするのです(笑い)。山菜採りはアドレナリン全開の、もう興奮ものなのです(笑い)。

美しい季節になりました。命が横溢しはじめました。

ちょっと脱線するけど、“美しい季節になりました”という何気ないフレーズは、加藤登紀子の歌から。
大学在学中に聴いていたLPアルバム『悲しみの集い』(1975)の中に、「あなたの気配」というアコースティックな楽曲があって、とても気に入っていたのです。
この歌への彼女自身による注釈には、「1973年7月10日、長女が生まれてはじめての夏、夫不在の中で」とあります。ここの“夫不在”とは、学生運動でとらえられた夫の藤本敏夫が獄中にいるという状況を指しています。
めぐる季節の中で、不在のあなたが恋しいという、夫に捧げられたラブソング。ほとんど知られていない曲だけど、マイ名曲。

下の写真をよく見ると、右岸から左岸から生えだしたアオダモ(青梻、モクセイ科トリネコ属。=コバノトリネコ)がポシャポシャとした美しい真白い花穂をつけているのが分かります。
アオダモは家の敷地にも普通に自生している木だけど、これ、野球のバットの素材なんだとか。そんな硬い木には思えないんだけど。
アオ(青)は枝を水に差しておくと、水が青味がかってくることから、とか。

6月。
右下手前はヤマハンノキ(山榛木、カバノキ科ハンノキ属)の葉。
葉を繁らせてきましたが、以後、その変化に注目を。

6月も半ばともなれば、緑はこんなに濃くなって。こうなると、すべては目隠し。

唐突だけど、この時期、人目を避けたツキノワグマ(月の輪熊、クマ科クマ属)の交尾・性交がはじまります。
でもクマの不思議なことは、性交し受精はしてもその受精卵の子宮壁への着床は11月とか12月とかになるのだそうです。これは独特の生理で、“着床遅延”というものらしい。
秋のブナやクリやコナラのどんぐりなど堅果類の作不作はクマにとって重大事。着床遅延は、作不作によって体内に蓄えられる栄養や脂肪が限られ、冬眠中に出産する(!)クマにとっては、何人(疋)の子どもを誕生させることができるか、それを調整する機能ともいわれているのです。
クマって、そうやって命をつないできたんだ! スゴイ!
なお、この溪はツキノワグマの遊び場です。相棒のヨーコさんは一昨年、この橋の欄干を伝う子熊を見ています。実に、かわいらしかった、と。

この溪には、イワナ(岩魚、サケ科イワナ属)とヤマメ(山女魚、サケ科タイヘイヨウサケ属)が混在して棲んでいます。両種が混じることができる絶妙な水温を保っているということでしょうか。
清流の証明ということでもありますかね。

7月。
緑はさらに濃くなって。
この溪の水は、気温が35度を超えるような時も20度を下回っています。かつては、そんな猛暑の時、筆者は橋の下の淵でプカプカと身体を浮かせていたものでした(笑い)。

かつてですが、1995年あたり、7月のとある夕べに、ここはホタルの乱舞する場所となりました。その飛び交う光は川面に反射して、全方位・全空間がホタルの光に包まれたのです。それはいまだかつて見たこともない見事なものでした。(ホタルの種類は不明です。大きさからヘイケボタルと思いますが)。
しかし、翌年に大水が出て、川底が掬い取られて餌となるカワニナが流されてしまったものか、その光景の再現はそれ以来ありません。
けれども毎年、7月の半ばの夕暮れに笊籬橋を訪ねてみると、ホタルは数匹はいて、ほのかな灯りをともしています。ルーザの森の変わらぬ夏の風情です。

8月。
ヤマハンノキの葉はどうしたわけか枯れてきました。確かに、この年の夏は気温が平年より高めに推移していたようで、相当のダメージがあったものか。
ヤマハンノキが夏に枯れるのはここだけの現象かと思っていたのですが、同時期に所用で、山形県の内陸部と沿岸部を結ぶ幹線道路の月山道を通った時にも同様のものがあって、決してここだけのものではないと確認したものでした。この年以降も、同様なことを観察しています。
でも、なぜ、ヤマハンノキなのだろう。

ヤマハンノキの葉はもう、8月だというのに茶色です。そして落葉しはじめています。と同時に、あたらしい若葉も出はじめて。とても不思議な光景です。
当時は気づかなかったけれど、右岸よりアカマツが倒れはじめましたね。

9月。
あたらしく芽吹いたヤマハンノキの葉は瑞々しい緑色を湛え、どんどんと大きくなっています。

倒れたアカマツが他の木に寄りかかっているものか、どんどん傾斜を強めています。

10月。
右岸から左岸から、臙脂色(えんじいろ)がかった赤が見えはじめましたが、これはアオダモの紅葉です。
左に、黄緑がかっているのはアオハダ(青膚、モチノキ科モチノキ属)。木の膚は青味がかった灰色でなめらか、とても美しい株立ちをします。

右岸の中ほどから、枯れてしまったアカマツが倒れてきたのが分かるようになりました。
橙色の代表はウリハダカエデ(瓜膚楓、カエデ科カエデ属)、赤のひとつはハウチワカエデ(葉団扇楓、カエデ科カエデ属)だと思います。
※カエデ科は新しい分類法(APG体系)ではムクロジ科にされているという。

11月。
笊籬溪の紅葉のピークは、例年だと11月1日から3日頃です。
暖色から緑のそれぞれの変化まで、どれほどの色を数え上げればいいのだろう。実に美しい紅葉です。
筆者がこれまでに見た最も美しい紅葉は、秋田は小安峡から木地山高原にかけてのもの、まるで山が燃えているほどの色彩のあざやかさでした。このあたりでは天元台が圧倒的だと思います。にしても、紅葉は東北ですよね。

実は筆者は、50代に差しかかるまで紅葉を愛でたことはあまりありませんでした。というのは、枯れ行く赤や黄色に美しさを見出せなかったからです。けれども、立松和平だったかと思うけど、彼の言う“紅葉の極彩色は死に装束”という言葉でイメージがガラッと変わったことを覚えています。
生きとし生けるものは、最期の心の内はこんなにもあざやかな心持ちを抱えて死んでゆくんだと思うととてもうれしく。

11月も半ばともなると、雪はいつ降ってもおかしくありません。彩りを残したままの溪に、美しい雪化粧。

見えにくいですが、葉を落とし切ったアオハダには赤い実がたくさん。木全体が赤い実で覆われて、まるで赤い木のようです。

12月。
葉はほとんどが落ち、残っているものでも色は褪せて徐々に飴色に枯れ色にとなっていきます。そうすると、本格的な雪がやってきます。

倒れたアカマツが徐々に角度を徐々に狭めてきています。

1月。
雪はどんどんと嵩を増し、流れのあるところだけが際立って深く濃い紫紺、茄子紺色になっています。
雪国の冬の水の色ってこれですよね、深く濃い紫紺、茄子紺。

猛吹雪もやってきて。天候が荒れ狂って。

2月。
息もつけないほどの吹雪。
さっと出て、バシャとシャッターを切って、すぐ車に(笑い)。

2月の下旬ともなると、もう雪は峠を越えます。これで安心です。
この頃から筆者たちは堅雪渡りを楽しみにします。日中に雪の表面が解け、それが夜間に凍りつき、その繰り返しで雪がしまって堅くなるのです。そうなればこっちのもの、野原や林を縦横無尽に歩き回るのです。
ただ、今年はあまりの雪の少なさゆえ、悲しいことに1度も叶いませんでしたが。

3月。
3月の声を聞くと、もはや春への連想、妄想がはじまります。

半ばともなると、美しい羽根を持つカケス(懸巣、カラス科カケス属)があちこちで飛び回るようになります。でもカケス君はギャーギャーと鳴いて、姿に比してずいぶん汚い声です(笑い)。
なんでカケスが飛び回るようになるのかというと、理由はその別名の“カシドリ”にあります。カシは木の実を指します。カケスは特にコナラの実を好むようで、雪が消えて昨秋のコナラがちらほらと目につくようになったというわけです。
カケスは春の使者、ですね。

木々の根も明け(根回り輪もでき)、雪解けの水が一気に増えだすと春がほとばしるようになります。心も一気に解放されてきます。

これで1年のめぐりはおしまい。
これが、筆者が住むルーザの森の笊籬溪です。幸いの降る場所です。

季節は春夏秋冬とめぐるのはちがいないけれど、同じめぐりってものはありません。それを、ロシアの児童文学作家(動物文学)のヴィタリー=ビアンキがこう言っています。
“春は毎年やってくるが、二度と同じ春はめぐってこない”。
箴言です、警句ですよね。

それでは、バイバイ!

*写真は、クリックすると拡大することができます。
*写真にはスライドショー機能がありますので、連続写真もお楽しみいただけます。
*なお、同じ題、切り取っている時期(こちらは2013年の1月から12月まで)は少々ちがうけれどもほぼ同じ素材で、youtubeに動画(静止画の連続、音楽)を公開しています。興味の向きは「笊籬溪の四季」で検索してみてください。また、ちがった印象を持つでしょう。