ふゆになると、わたしのうちでは、まきストーブをつかいます。まきをもやしてまわりをあたたかくするストーブなので、まきをつくらなくてはいけません。(略)
おとうさんがきった(わった*)まきを、おにいちゃんとわたしではこびます。ゆきがないときには、一りん車ではこびます。あしと手にちからをいれて一りん車をおします。ちからがいっぱいいります。なんかいもはこんでいると、いきがハーハーしてきます。つかれます。つかれてくると、わたしはおとうさんのかおをみます。そうすると、おとうさんは、まきをわりながら、
「がんばれ、がんばれ。」
といいます。だからわたしはがんばってやります。
わたしとおにいちゃんは、ゆきのあるときもまきをはこびます。大きいあかいそりは、おにいちゃんがひっぱって、わたしは小さいあおいそりをひきます。ふゆはさむいので、はやくおわそうとおもって、うんとちからをだすのですごくつかれます。
だけど、まきストーブはとってもあったかです。わたしがはこんだまきが、いっぱいもえてくれるといいな。
「まきはこびをしているんだよ」
土田茂範編集代表『山形・くらしの文集8』1996.2
上は、今はもう縁を結んで山形市に住む娘が小学校1年の時につづった作文です。よく書けていたとみえ(担任の先生の指導よろしき)、公の文集に収めてもらったようでした。
書いたのが1995年で、ということは町場の借家から森の中に家を建てて引っ越してふたつの冬を越した時ということになります。
そういえばその頃筆者は、職場から早く帰ることができたり休日で時間があるとよくチェンソーをうならせては長い原木を(筒状に)玉切りし、それを斧で割っていたものです。
割ってできた薪は、子どもに声をかけて積み場に運ぶように指示していました。また冬分には、薪をそりに積んでストーブの近くのベランダまで運ぶようにと言っていたと思います。一緒にともに暮らす者として子どもには子どもなりの果たすべき役割がある、働けるところは大いに働いて大人を助けるべし、と私たち親は思っていたものです。
作文にはそういうところも描かれていましょうか。
薪つくりのはじめの頃のこと。
家屋が少しずつ出来上がり、引っ越しがあと1か月ぐらいとなった頃だと思います。薪ストーブに薪はつきものだけど、筆者には当時、肝心の薪はどうやって調達するのかは全く分からない状態でした。それで地区のひとに話したら山持ちが原木を分けられるということになり、とりあえず(ひと冬分という)一棚分を運んでもらいました(一棚とは、1立米のこと。イメージとしてはだいたい長さ約90センチの原木を高さ約70センチに積んで1間(けん。=約180センチ)分の幅の山です。重量にして450キロぐらい)。値段は28,000円の請求だったでしょうか。
そして引っ越し早々にも細切れの時間を見つけては、はじめて手にした安価な電動チェンソーで切り、太いものは斧で割って薪を作ったはいいものの、そんなものが用をなすはずがありません。木はじっくりゆっくりと時間と風とで乾かしてはじめて薪となるもの。当然のことですが、そんな基本も分かりませんでした(笑い)。
けれどもすでにリビングには(台湾製の鋳物の)薪ストーブが(業者によって)設置されており、くべるに値する薪の用意はならず、あるのは建築の際に出た残材とそれから工務店に頼んで運んでもらった他の現場の端切れがあるばかり。したがってそれらを大切に細々と燃やしてはわずかの暖を取り、あとは手持ちの円筒型対流式ストーブで寒さをしのいだものです。見かねた隣人が乾いた薪を差し入れしてくれたこともありました。ありがたかったです。
今思えば、可笑しいやら切ないやら(笑い)。何事も最初って、誰しも見通しがきかず、行きあたりばったりで、こんなもんですよね(笑い)。
そうして、薪こそは冬を乗り切るための生命線という自覚を持ちました。
下は、初代の薪ストーブ。デンマークはモルソー社製のアンデルセンの模刻と言えるもので、そのスタイリッシュさと安価さ(10万円を切るくらいだったと思います)が気に入った理由ですが、使用13年で鋳物の側壁が割れてしまいました。このストーブは接合部分には耐火パテが入っていて、それを1シーズンごとに替えることが面倒くさく、溶接工に頼んで隙間を鉄で充填してもらったこともありました(どんなに安いストーブでも、今ならあり得ない話です)。
何のことはない、最初から本物のアンデルセンにすればよかったのです。
ちなみにですが、下は、2007年に買い換えたリビングの2代目。アメリカはバーモントキャスティングス社製のイントレピッドⅡ(クラシックブラック)。ノルウェーのヨツール社のF100がいいかずいぶん悩みましたが、結局はデザインの好みを優先しました。トップローディングという、ストーブの上から薪を投入できるという大胆さも魅力のひとつでした(ドラフト=煙突内の上昇気流が効いている限り、素手で投入しても熱くはないのです)。大きな前面のガラスを通した炎の揺らぎの魅力という点では、この時にはアンデルセンは選択の外でした。
取扱店は山形市のぜいたく屋です。だいぶ勉強してくれたみたいで、当時で24万円で購入しました。今は定価(税抜き)で36万円のようです。
はじめての冬(ものすごい豪雪でした。雪かきをスノーダンプとシャベルでやっていたのですが1週間で音を上げました。背に腹は代えられず、家庭用除雪機を買いました)を越して、とにかく時間を見つけては薪つくり・薪割りに精を出しました。
そのうち気がつきました。電動チェンソーなど馬力が弱すぎて原木の玉切りには適さないと。それで日立工機社製の35センチバーのエンジンチェンソーに買い換えました。
チェンソーをうならせていると近所のひとが通りかかり、「見せてみろ」と言って刃の様子を点検してくれたことがありました。今にして思えば、エンジン音が異様で大きく、きっと刃の研ぎ調整がうまくいってないと察したようでした。
筆者は当時はまだ、研ぎの重要性を理解していなかったのです。そのひとが一通り研いでくれ、やってみるとなるほど弱い力でも切れていきます。
薪つくり・薪割りを少しずつ覚え、どんどんと薪を作るものの、今度はその置き場に困りました。最初は家の軒下のあちこち、家の外壁に簡易な庇をつけて、しまいに国鉄コンテナを購入して(輸送賃を含めてひとつ12万円くらいでしたかね。当時の国鉄清算時事業団から)薪小屋代わりとしました。でもいずれも、その場しのぎに終わりました。
国鉄コンテナは一見よさそうに思いましたが、これは失敗でした。
空気が密封され夏にはものすごく温度が上昇する上に、湿度もそれによって上昇して90パーセントを超えるほどになりました。そうすると薪は乾くどころか、腐っていくのでした。それではと、コンテナの鉄壁のあちこちにドリルで穴を開けたのですが、効果はさして変わりませんでした。悲惨な状況でした。
なお、用済みになったこのコンテナは知り合いに頼んで(ほんのバイト賃ほどで)クレーンで持ちあげて新たな開墾地に移動して、それは物置として生かされました。電線を跨いでの移動には仰天したことを思い出します。
下は、初期の薪積み。玄関わきの軒下に積みました。が、この程度の薪の量では知れたものです。
その下は、国鉄のコンテナを薪小屋代わりにしたもの。ふたつの隙間に屋根をつけてスペースを確保し、そこには自転車などを置いたのだと思います。
子どもたちも加わって無邪気に屋根つくりです。しかし、薪小屋としては大失敗!
下は、コンテナの移動。そして物置としての小屋へと再生。
で、薪小屋が必要だということを思い知って、はじめて作ったのが下のもの。大きさは2間×1.5間です。完成は1998年の11月のことでした。
この薪小屋には北海道土産の金属プレート「熊出没注意」を取りつけたことから、以後、クマ小屋と呼びならわしました。
これは梁や柱などの建築廃材等を保管する小屋(タヌキ小屋)に続いての2作目に当たります。
家族が手伝ってくれています。
クマ小屋これひとつで2年分くらいは十分だろうと思ったものですが、原木はどんどんと手に入るようになり、それをいつまでも野ざらしにしておくのはもったいなく、薪のストックをさらに増やそうと調子に乗ってもうひとつの小屋を作ることにしました。それがキツネ小屋です。この命名もプレートによるものです。
大きさは3間×1間です。これは構造的にもかなり進歩しています。完成は99年7月です。
そうして造作をひとつ、造作をひとつとこなしていくうちに、建築の技術を少しずつ覚えていきました。
このふたつの小屋に満杯まで薪を積んだら、棚数にして約20、重量にして10トン近く。経験上、5つの冬を十分の越せる量です。それこそ宝物です。幸せです。
先に、引っ越しの少し前に原木を一棚分を買ったことを記し、続いて「どんどんと手に入るようになり」とも記したのですが、この土地に住み地域のひとびとや建築や土木や伐採に関係するひと達ともつきあいが広がると、薪は買うものではなくなりました。というのは、あるひとは伐採地での木の処分に困るからと届けてくれ(今でならバイオマス発電所に持っていく手はありますが、処分費用はたいへんだったのです)、電線の支障木を切る予定があるがいらないかと声がかかったり、時には栗園の伐採した木があるがと声をかけてもらったり、あるいは通りすがりの春先のリンゴ園では雪折れの木が積まれてあるのを見つけてもらい受けたり……、情報はどんどんと入るようになり、原木の入手で苦労することはなくなりました。ありがたいことです。
ここに住んで26年が経過しますが、買ったのははじめの一棚分だけです。
この消費社会にあって、およそ25年間というもの、冬の主暖房に(補助暖房として灯油は使うにせよ)金がかかっていないということは自分たちながらとても素敵なことと思います。
奥には枝折れのリンゴ(林檎)が見えます。コナラ(小楢)やクリ(栗)も見えます。
道路の拡張工事の伐採地からのものか、カエデ類もあるよう。
これはヒノキ(檜)、地区のひとに持っていってくれと頼まれたもの。
アカマツ(赤松)やクヌギ(椚)、クリやコナラも見えるよう。これは電線の支障木を届けていただいたもの。
薪つくりのはじめの頃は、マツとかスギ(杉)とかのやわらかく比較的軽い針葉樹はタール分が多いという雑誌などの情報で避けていたきらいはありますが、今は何でも来い、ですね。問題は、薪に適する含水率(木材=全乾重量に含まれる水の割合。適正は20パーセントを割るぐらい)までちょうどよい具合に乾いているかどうか、乾かすことができるかどうかです。
下の写真はすべて、クリです。
割って気持ちいいのは、クリですね。どんなに太い径のものでも、途中に節(枝落とし)部分がないものなら、一気にスパ~ン!と割ることができます。コナラもいいです。
苦労するのはマツです。生木のマツは含水率が120パーセントほどもあるそうで、途中に節がないものでも斧はズボッと入るだけで一向に割れてくれません。したがってマツの場合は、寸を極端に短くして玉切りするということになります。
燃えに着目してみると、火持ちがよいのは当然ながら、堅木(かたぎ)である広葉樹、特に炭焼きの主材料であったナラ類(コナラ、ミズナラ、クヌギなど)がいいですね。
意外に火持ちがよかったのは5月の末に白い房状の花をつけるハリエンジュ(針槐。ニセアカシア)ですかね。ある年の大風の影響で公園の大木のハリエンジュが軒並み倒れ(ハリエンジュは根張りが弱いのです)、管理者の米沢市に問い合わせると持って行っていいということだったのでだいぶもらったことがありました。これは、船の甲板にも使用される木なんだそうで、水に強いらしく、実に堅牢。
下は、近くの施設の伐採木を大量にもらい受けたもの、樹種はコナラ。昨秋のこと。
ヒュッテのストーブ。
チェンソー選びで肝心なのは、まずは店だということ。
実は筆者は4代目まではいずれもホームセンターで購入していたのです。取り寄せなら気に入ったメーカーの気に入った機種も手に入り、しかも専門店に比べたら安く購入できると思っていたからです。けれど、ホームセンターの担当者というのは技術はあるにせよ会社からの雇われの身、ひとり一人の客の使用の情況に寄り添ってのていねいな使い方の指導や使用上の悩み相談などはするものではありません。店側からしたら、そんなの何の得にもならない。
5代目は2016年、伐採業者と知り合ったこともあって農機具・林業機具の専門店(米沢市の“むらやま”)を紹介してもらって購入したのですが、やはり正解でした。何でもっと早くそうしなかったんだろうと思うぐらい悔やまれるばかりでした。機種の説明が理解度に応じて実にていねいで分かりやすく、値段も決して高いなんて言えない。
店の主人の薦めのままに手にしたのがゼノアの40センチバーGZ3850。税別定価81,000円のところをずいぶんと値引きをしてもらって助かりました。そしてこれはとても使いやすいです。
購入前にはスウェーデンのハクスバーナ社製か長年の使用機種だったドイツのスチール社製をと思っていたのですが、エンジンのかかりといい、操作性といい、ゼノアも捨てたものではありませんでした(ハクスバーナは、今はゼノアの農林機器事業を買収してハクスバーナ・ゼノアとして100セント子会社化しているみたい)。
先にも触れたけど、チェンソー使いで肝心なのは刃研ぎに尽きます。
筆者はチェンソーを操作してあれこれもう26年になろうとしているのに、刃研ぎをマスターしたのは新たなチェンソーを買うために専門店に出入りするようになった2016年です。本当につい最近のこと。
棒ヤスリを使ってひとつひとつの刃に当てる角度は30度。
これをしっかりと行うためには筆者の場合は今は下の写真にあるよう、作った研ぎ台の上に、バークランプでしっかりとチェンソー自体を固定し、さらにマグネット付きのプラスチックの赤いガイドを付けるようにしました。さらにその上で、棒ヤスリにも専用のヤスリガイドをつけています。これはソーのガイドバーに対して直角(つまりは水平移動)を得る上でも役立ちます。
要するに筆者はそれまで、“刃に当てる角度は30度”にせよ“ガイドバーに対して直角”にせよ、感覚で理解していたものを感覚で処理していたというわけです。例として、水平を感覚で感じ取るのと水準器を用いて見定めるのは全く別ものというのと同じことです。
人間の空間の認知なんていい加減なものです。この気づきは重要でした。
ちなみに、下の写真でガイドバーが逆さになっているのは、長時間の使用によるバーの歪みの癖をとるための措置です。
下は、長年親しんだスチール社製のもの。
斧はもう26年愛用している相棒とのいうべきもの。購入当時は8,000円くらいの記憶ですが、今は15,000円くらいになっていますね。
下は、鳶口。林業業者の必需品です。材木に突き刺して移動させるのに活躍します。
実はこれは先端の金具だけのものを伐採地から運よく拾って、柄を新たに取りつけたもの。
下2枚は薪割りの実際です。
誤解しているひとは多いでしょうが、薪つくりの基本は、原木の玉切りから割りまでの作業は伐採時から近ければ近いほどよいということです。生木の方が乾燥の進んだものよりはるかに作業しやすい。乾燥が進んで含水率が下がるということは木が堅牢になっていくことを意味します。
木には末と元があり、幹なら末が空を指して伸びている方、元が根の方向です。枝なら、幹の方が元、枝先が末です。薪割りの基本は、同じように見える玉切りの筒状でも元の方を上にして斧を振り下ろします。節のないものなら末からでもさして問題はないのですが、節があったり、木自体が歪んでいたりするとその違いは歴然です。
さらに、木が発するサインを見つけることも重要です。
下は、玉切りしたクリの木の木口を見たもの、その下はその拡大です。よく見ると、芯のところにわずかな割れが入っていることに気づくでしょう。これが薪割りの重要なサイン、この方向に斧を突き刺しなさいという案内なのです。この方向には割りの邪魔になる節は入っていません。
筆者の場合、薪割りは一日の労働の最後、夕刻に行うことが多いです。
また、チェンソー使いも斧の振り下ろしもともに腰を使い、筆者は(腰痛持ちゆえ)長い時間の作業はとても無理なので、チェンソーへの混合油の給油は1回(ゼノアの機種で満タン310cc)ということにしています。燃料が切れたら玉切りは終了、あとは切った分だけ割る、割ったものを薪小屋に運ぶという労働です。この一連の作業でだいたい90分というところでしょうか。
この90分を夕刻に行うのです。そうすると下のようなすみれ色の空の下ということもあります。十分に汗をかいて、ビールをゴクリというのは至福のひと時でもあり。
ヘンリー=ソローは言っています。
「だれでも、自分の薪の山を見ると一種の愛情が湧いてくるものだ。私は自分の窓の前にそれを積んでおくのが好きだった。薪の山が大きいほど、仕事の楽しさが思い出された」(『森の生活』飯田実訳、岩波文庫)
そう、薪の山は割った者のこころを満たしていくものでもあります。
これは、乾いてちょうどよい薪に仕上がっていますね。乾燥を示す、ひびが入っています。
これは、積んだばかりの薪です。立派な薪になるには日光に力を借り、風に吹かれて、これから最低1年の時間を要します。
薪つくりの話はこれでおしまい。「その3」に続く。
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「その1」に貼りつけたものと同じものですが…。