ドアリラの朝 ドアリラの夕べ
森の生活

薪ストーブのこと、その1。炉台と煙突と

この冬は異様なほどの暖かさで、この豪雪の地にして雪かきをただの一度もせずに過ぎている日々は(とても楽なものとはいえ)尋常ではありません。時はもはや(2020年)1月の最終週。通常ならあと30日ほどで冬のつらさ厳しさからは解放されるのが普通なのです。これから先、たとえ大雪が来たとて猛吹雪に見舞われたとて、もうたかは知れています。
ただこうなると、夏場の水が心配になります。作物に影響は出ないのか、(我が家のように伏流水に頼っている者は特に)生活用水や飲料水は大丈夫なのか、気になります。滋養を含んだ水が海に到達することによって保たれている海洋環境の質的な変化は……?

雪がない冬、筆者にとって時間が思いのほか手に入っているのも事実で、この機会をとらえて、当signalにフォトエセ―を加えることにします。テーマは、いつかはきちんとまとめておかなくちゃと思っていた薪ストーブのことについてです。
3回のシリーズとして、その初回、「炉台と煙突と」。

で、本題に入る前に、ヘンリー=デイビッド=ソロー(Henry David Thoreau 1817-62)という人のひとつの箴言(しんげん)を記しておきます。
ソローはアメリカの博物詩人ともいうべきひと。マサチューセッツ州コンコードのウォールデン湖畔に自らの手で小屋を建て、2年と2か月に渡ってひとりで暮らしました。その思索と行動の記録が『森の生活』(WALDEN,OR LIFE IN THE WOODS 発行1854)で、ここには人生や社会への数多くの教訓や示唆が含まれています。筆者にとっては、バイブルのような存在です。

もし昼と夜とが歓びをもって迎えられるようなものであり、生活が花や匂いのよい草のように香りをはなち、より弾みがあり、より星のごとく、より不朽なものであったら— それが君の成功なのだ。

ヘンリー=デイヴィッド=ソロー
『森の生活』神吉三郎訳、岩波文庫1979

この言葉に(ということはこの本に)出会ったのはいつ頃だったかしら。それは今から約30数年前、筆者がまだ30歳になるかならないかの頃だったかもしれない。
筆者はもとより勤め人にしてその組織で出世しようとかより重要な位置を占めたいとかのいわゆる上昇志向というものがからきしなく(逆に言えば、国や権力の言葉を伝えるような位置にだけは決して立ちたくないと思っていた)、その方が一度きりの人生の本質により適っていると思っていたのです。
つつましいこと、簡素であること、独立していること、充実していること、そういう価値の上にソローの上の言葉はどんなにか響いたことでしょう。「君の成功」は「私の成功」でもあると。

そうして、この箴言(生活信条)を心にしまうだけではなしにその世界を肌で感じていたいがため、実際に家族もろとも森の生活をめざしたのはごく自然なことでした(アンタはいいけど、家族はどうなのよ、というツッコミは当然あるでしょう。でも相棒のヨーコさんは町場よりは郊外の暮らしを好んでいたし、子どもたちは幼くて状況を判断する年齢ではなかった。巣立った今、子どもたちは森の生活の時代はどうだったのかについて客観視していることだろう)。
この本に出会うずっと前から森へのあこがれはあったので、それも含めれば森の生活の構想に約10年、実現して26年という年月が過ぎます。そして現在も変わらず、この地上にあって森の生活こそが最高の醍醐味と筆者は思っています。

で、森の中で暮らす上で最もあこがれたのは日々の暮らしに火が寄り添っているということでした。
火というのは不思議なもので、熱やひかりを発するそれだけではない何か特別な感化力を持っているものです。その特別な感化力に惹かれながら、冬の暖房は薪ストーブにするというのは自然に行き着いた結論でした。もうそれ以外は頭にはなかったです。
薪を得るためのたいへんさだとか、そもそも高価な薪ストーブを得る苦労とか、設置するまでの困難もぜんぜん考慮するに値しないことでした。直感と思いの強さがすべてでした。

晩秋のある日、薪ストーブを設置する木の家の内覧会があって興味半分にのぞいて見たときのこと。ある(当時の)自分ぐらいの40代後半の、公務員と思しき男性が工務店のひとに薪ストーブのことをしきりに聞いていました。薪ストーブの醸す雰囲気がとても気に入っているようでした。
ストーブに使用する薪はどうやって調達するのか、ひと冬にどのぐらい要るのか、それは金額にしてどれぐらいなのか、現在の灯油と電気による暖房と薪ストーブのそれでは費用負担の上でどれぐらいのちがいがあるのか、つまり“ランニングコスト”はどうなのかが最大の疑問のようでした。それから、火のつけ方や消し方や、まわりの家屋から煙のことで苦情など来たりしないのか等々も気になる様子で…。
想像するに、結論としてそのひとは薪ストーブを暮らしに取り入れる選択はしなかったと思います。なぜなら、火のある暮らしのダイナミズムをこよなく愛してはいなかったから。優先して愛していたのは、つまらないことに、“金”と“便利さ”と“楽すること”であったので。彼にとって、火はファンタジーに過ぎなかった。

思いが強ければ実現しないことなんてないというのが筆者の信念、とはいえ実際に薪ストーブの暮らしにたどり着くまでには様々なことがあったのは事実。その様々なことの大方は、ストーブ(に付随する煙突なども含め)を買う以外はすべて自分でやると決めていたことから来るものです。

金をかけて実現するなんてこんなに簡単なことはありません(かのゴーン君なんて、裁判中の身でありながら金のあるのをいいことに悪知恵働かして海外逃亡さえやってのけるんですから。すごいですね、金の力!(笑い))。でも、金の力で簡単に解決してしまうなんて、それはまったくおもしろくも何ともないことです。
業者に任せきりにするということは、石工、左官屋、大工、施工業者等の仕事の楽しさを自分で味わえないのですから。金でもってものつくりの醍醐味を自ら摘んでしまうなんて実にもったいないことです。

ソローも言っています。
「われわれは、家を建てる楽しみを、いつまでも大工にゆずり渡したままでよいものだろうか?」(『森の生活』飯田実訳、岩波文庫1995)

まあ、金をかけることができないという現実があったのは事実で(笑い)。
金がなければ、知恵と労働を駆使すればいいのです。そう、森の生活で肝要なのは、この、知恵と労働なのです。

ストーブを入手したとして、まず取りかかったのは、ストーブを設置する炉台つくりでした。
炉台は木の床の上に鉄板一枚とかの簡易なものもありますよ。でもそれは味気ないこと、そもそも間に合わせるという発想が筆者は好きではありませせん。やるならしっかりとやる、作るならしっかりとしたものを作る、しないならしない、事を中途半端に済ませない。

構想ははっきりしていました。炉台は周りより一段高くし、レンガを使って覆い(遮蔽壁)を作るということです。
幸い、レンガは十分です。というのはこの場所にはかつて陶芸をするひとが住んでおり、住まいを引き払って町場に引っ越す折に、総レンガの登り窯を土に埋めていったのです。それを知人を頼って大量に掘り出してもらいました。2000年頃だったと思います。

糊(耐火レンガ用モルタル)をストリッパーではがし、たわしでていねいに洗えばレンガは見違えります。(このレンガは建物の布基礎の材料としたり、花壇の枠にもたくさん使ってきたものでまったくありがたい材料です)。
遮蔽壁としての積みレンガは、本当はストーブ周りの壁材としたケイカル板(ケイ酸カルシウム板)だけで十分なのですが、耐火効果をさらに高め蓄熱も兼ねての造りにしたのです。写真では分かりにくいことでしょうが、壁と積みレンガには約1センチほどの隙間を意図的に作っています。こうすることによって耐火構造は完璧に近くなります。
そばでセメントと砂と水を混ぜ合わせて捏ねてモルタルを作り、それを盛ってはレンガを積んでゆく作業のくりかえしは決して楽でも簡単ではないものの、満たされていく時間でした。
下の写真は、ストーブ設置4箇所の一例として工房での炉台つくり。ここの炉台は玉砂利表しを施しました。

下は、ヒュッテの炉台。
ヒュッテの床は大引きの上に板張りしたレベルで、隣の工房のコンクリート土間より約70センチ高くなっています。そこに重量約100キロのストーブを載せるわけですから床にかかる負担は相当なもの、したがってここの炉台は地面から直接に砂利や石を積み上げてレベルを取ったもので、頑丈にできています。
炉台の平面は高畠石(大谷石と同様の軽石凝灰岩)を切って組み合わせて使っています。石材はかつて実家のあった南陽市(宮内)からの持ち帰り品。

炉台にストーブが置かれれば、あとは煙突の設置となります。これが実にたいへんなことで、これを素人がやるのは相当なハードルでしょう。

ちなみにですが、薪ストーブが30万円としてそれに付随して煙突を取りつける場合、ストーブを含んだ総費用は100万円を下ったりはしないでしょう。第一、煙突部材そのものの値段がまず高いし(ステンレスシングル直筒1メートルが1万円、二重ならその倍額でしたからね)、煙突工事こそは高くつくものなのです。それほどたいへんな工事ということでもあります。

そこで筆者は、リビングの2代目のストーブ(最初は台湾製のもので、新築時に購入したが13年の経過で鋳物そのものに割れが生じてしまった。それで新調したのがバーモントキャスティングス社製のイントレビッドⅡ)を専門店(山形市のぜいたく屋)から購入した時、煙突設置の図面を起こして安全面と構造上の強度についての意見を業者に聞いてから工事に取りかかったものです。
煙突をしっかりと固定し安定して支えるにはアルミ梯子を抱かせること、アルミ梯子は壁から三角構造の金属板で固定すること、最長のアルミ単梯子の長さを補うための底上げは燻製小屋を兼ねたレンガ積みとすることをポイントとしました。
なお、この支持構造はかの2011年の3.11の巨大地震にもしっかりと耐えた!

しかしこの工事、地面から煙突の先までがおよそ8メートル、怖かったなあ。ブルブル震えながらの作業でした(笑い)。時間もずいぶんかかりました。

リビングの2次燃焼システムがつくストーブ“イントレピッドⅡ”には、それなりの煙突をと思ってステンレス1ミリのシングルとしたのですが、一部中古の直角部材を店(ぜいたく屋)からもらってさえ、煙突部材だけで総額で9万円ほどだったと思います。これが2重煙突なら、煙突部材だけで20万円は超えたものと思います。煙突は高価です。

でその後、ヒュッテと工房とさらにはアトリエ(兼ギャラリー)にもストーブを設置していくことになりますが、上記の品質のものは高価すぎてもはや手が出ません。したがってやおら、いちばん安価な、ステンレス0.3ミリほどのハゼ折りを使うこととしました。薄いということは軽く、造作が楽なことを意味します。
3つのストーブの煙突には、直筒、直角曲がり、煙突トップ(H笠)、ウォールバンドなどいずれも部材単品を買いそろえるのではなくセットで、すべてネットオークションでそろえました。セットには眼鏡石や眼鏡石カバーもついて、それぞれが2~3万円ほどだったと思います。単品でそろえたのなら、こうはいきません。

煙突工事の難しさは、まず煙突の内への出にあります。壁に埋め込んだ眼鏡石をヨコの直筒が室内外を貫き、室内の筒の端から垂直にタテの直筒が落ちます。それがストーブの煙の排出口、すなわちストーブの置かれる場所となるわけです。ここでストーブの位置が決定されます。

室内外を貫いたヨコの直筒の外の端が外の煙突の立ち上がりの位置になるわけですが、この位置は外壁はもちろん屋根の破風板(けらば=切妻の先端)から離れる必要があります(これは防火とともに、雪からの影響を避けるねらいもあります)。これら一連の工程には緻密な計算を要します。

以下は、工房とヒュッテの煙突工事の様子です。この工事は非常に神経を使うことは分かっていました。そこで、あらゆる準備を行って気合を入れ、建物の建築工事の最後としたものです。

煙突を抱かせるための梯子は平たいリップ溝形鋼を組み合わせて作りました。軽さのわりに丈夫で、しかも切断や穴あけの作業が比較的容易です。
さて、左右の煙突のヨコ鋼のピッチが同一であるのがお分かりでしょうか。これは、左右の煙突の出の高低差をピッチの単位としたもので、合理性とともに意匠性も意識したものです。
規格4メートルの鋼材では梯子の長さが若干ながら足りず、そこで足元にフェンス用束石を履かせることにしました。羽子板ボルトをモルタルで束石に埋め込んで梯子の足に接続させています。

木酢液というものを聞いたことがありましょうか。この木酢液は木や竹を燃やすことによって発生するもので、煙の成分が冷却して生ずる燻臭のする水溶液です。これが薪ストーブを使用すると大量に出るのです。
実はこの液は強度の酸性で、経年の滴りでコンクリートをも溶かしてボロボロにしていきます。よって筆者は束石の崩壊をできるだけ避けるよう、木酢液の落下位置にステンレス板を取りつけて対処しています。
以前は主屋の煙突で、うまく回収して畑の土壌改良材や虫の忌避剤として活用していましたが(木酢液は買えば高価です)、産出量に活用量がとうてい追いつかず、今はただ出しっぱなしにしています。

筆者が冬分、ヒュッテにいるのか工房にいるのか、はたまた主屋のギャラリーにいるのかリビングにいるのかいないのかが一目瞭然ですよね(笑い)。

下は、ギャラリーの煙突。抱かせている梯子の左右の柱は木材、ヨコに軽鋼材(リップ溝形鋼)を使用しています。
煙突の出が屋根の軒下になっていますが、壁からも屋根からも十分な距離にあるので火災になることはありますまい。

ストーブと煙突は切っても切れない関係にあります。
煙突はタテに長ければ長いだけ空気を吸う力が強く、したがって燃焼力が上がります。たまに店舗や住宅で煙突のヨコの引きが長いものが見られますが、これは実際の燃焼の様子を見るまでもないこと、燃焼力が弱いこと必至、着火にも相当苦労することでしょう。なるべく壁からストーブを離して燃焼による熱を効率的に得たい気持ちは分かるのですがねえ。

着火が肝心で、紙などの燃えさしをストーブ内の煙りの排出口(煙突に直接つながる部分)に近づけるとゴーッという音とともに空気の上昇がはじまります。このことをドラフトといいます。このドラフトが十分でないと、空気が逆流して部屋に煙が入り込む結果となります。家人も筆者も何度も失敗しているので、特に着火には気をつけています。

そうしてようやく、ストーブは本来の機能を発揮するのです。
薪ストーブって、めんどうくさいでしょう。“便利病”、“快適病”、“即感病”、そして“物ぐさ病”にかかっているひとにとっては、遠い、遠い存在でしょうね(笑い)。

当然のことですが、シーズン中に1回、シーズン終了後に1回の煙突掃除は欠かせません。ヨコの筒にタールや煤がたまりやすく、目詰まりを起こすようなら空気の流れを遮断して第一燃えませんし、過度なタールの付着は危険な煙道火災につながるからです。

ようやくここで「炉台と煙突と」もひと段落。

冒頭にソローの『森の生活』を取り上げましたが補足します。
同書は写真で2種紹介していますが、他にも講談社版、筑摩書房版、小学館版など数種あるようです。いずれもロングセラーになっていて、いかに愛されている書物かが分かります。かの有名な園芸家のターシャ=テューダーが最も尊敬していたのもソローでしたね。
筆者は、岩波文庫の飯田実訳を好んで読んでいます。ソローの博物誌人としての文の格調やそれを生かしながらの読みやすさも備わっているように思います。

それでは、また。
その2につづく。

下は、タイアップで作ったyoutube用の動画「薪ストーブ篇」です。あわせてご覧あれ。

error: Content is protected !!