森の生活旅の空、飛ぶ声

木花のことなど

米沢市の郊外に笹野観音という古刹(こさつ)があります。正式には真言宗長命山幸徳院笹野寺。梅雨の季節になると境内にアジサイ(紫陽花)が咲き乱れるため、あじさい寺とも呼ばれて親しまれています。創建は806年(大同元年)とのこと。
総茅葺屋根のどっしりとした姿は雄壮、筆者はこの寺院のたたずまいが好きで、四季のうちに何度か訪ねます(実はこの近くに野生の大きなキハダ〈黄膚。ミカン科キハダ属〉があって、その実のために向かうということもある。キハダはその黄色い皮が胃薬になるし、実はおいしい果実酒になる。アイヌの大切な食材=シケレペ)。
紅白歌合戦が終わってすぐ出発する我が家の初詣も決まってここです。雪の杉木立の中に浮かびたつ姿の幽玄。参詣は地元の人びとぐらいでわずか、その森閑とした静寂さもいいのです。
山門のシダレサクラもまたよし、です。

web 笹野観音

ここで小正月明けの17日に決まって、“十七堂祭”が開かれます。
山伏たちが法螺貝を吹いて入場し、柴燈護摩祈願をし火渡りをします。宗教に明るくない筆者の感じでは、これは修験道と仏教が混ざり合った風情です。
(いつまでも不確かなこととしておきたくなかったので調べました。出羽国羽黒山の山岳信仰と修験道に基づく神仏習合の神が羽黒権現。廃仏毀釈を免れて現在でも羽黒権現を祀る希少な寺院として笹野寺があるということです。だから山伏なのですね。筆者の匂いは間違いでなかった)。

webまいぷれよねざわ

この火渡りは一般のひとも希望によってでき、その荒々しさ痛々しさ(?)と神聖さゆえに世に知られてか、この祭りをひと目見ようと観光客が各地から(近隣だけでなしに全国からも)おいでになるようです。最近は欧米の旅行客も目につくようになってきました。筆者も、今年で4回目。

web 笹野観音

例年のこの十七堂祭、普通は大雪の中、ときに猛吹雪の中というのもめずらしいことではないのですが、今年の極端な暖冬でなんとも穏やかなもの。下は今年の舞台です。

下は、2015年のときのもの。いやあ、これはつらい吹雪の中でした。まんじりともしない薄着の山伏たちの本心と言ったら……。でも、これが修験者というものなのですね。

約300メートルの参道の先に風格のある仁王門があり、ここが寺院の入り口です。ここには阿吽(あ・うん)の対の仁王像が控えています。

この仁王門から続いて、十七堂祭に限って5軒ほどの花小屋(出店)が立ち並びます。
主は地元農家と思しきこの小屋には、例えば地場産品が置かれています。そのひとつが、ユキナ(雪菜)です。これはかなり局地的な野菜で、米沢でしか作られていないのでは。
ユキナはこの時期、普通は雪の中から掘り出して収穫するもので、日光が当たっていないために全体が白色です。ふすべる(熱湯をかける)ことによって身の辛みが引き出され、それを数度繰り返して冷水にとって漬けたものが“ふすべ漬け”というものです。サクッとした食感よろしく、ピリッとした辛さが何とも言えず、当地方の季節の味となっています。
それからもうひとつ、“漬けりんご”がありました。これも県の南部の置賜地方に伝わるもので、(近隣の南陽市宮内に生まれ育った)筆者も幼少の冬時分によく食べていました。単に塩で漬けただけなのにリンゴ本体の甘みと塩気が相まって味が絶妙で、漬けることによって加わった弾力のある食感もまた独特です。なつかしくなって、思わず手に取りました。
花小屋のメインは当然ながら、笹野一刀彫です。サルキリと呼ばれる幅広な蕎麦包丁を思わせる刃物一つで削って彫って簡単な彩色を施したもので、笹野地区の農民によって伝統的に継承されてきた技術です。商品の中心をなす“お鷹ぽっぽ”はもとより、今年の干支の子(ね)もたくさん並べられていました。そして筆者のめあては何と言っても木花、“笹野花”です。花小屋と称されるのは、ここから来ていましょう。

20年ほど前の正月明け、ここルーザにも笹野の木花売りがやってきたものでしたが、今ではもうそれは途絶えています。欲して来なければ、こちらから行くしかありません。そうして毎年この1月17日という日を楽しみに待つのです。
この日、筆者が到着したのは朝9時過ぎでしたが、まだ祭りにはずいぶん早いというのに(祭りは午後から)、もうお客さんが大勢出ていました。買った木花を抱えてもうすでに帰るひとにも何人かすれ違いましたので、筆者同様この木花をめあてにしていたひとも多いようでした。

この木花細工のすばらしさ……、その削り花の技法はアイヌのイノウ(=イナウ。カムイへの供物)に通じて繊細にして華やか、そして特に材となるコシアブラ(漉油。ウコギ科ウコギ属)の木身の白さを引き立たせてから指す紅のあざやかさ、さらに茎を常緑のイヌツゲ(犬黄楊。モチノキ科モチノキ属。正確にはアカミノイヌツゲ=赤実犬黄楊ではないか)としてそこに花を添えるという発想の豊かさ……、これは民芸・工芸としても第一級の作りものだと思います。
当然ながら木花は、冬場に花など咲くはずもない雪国の知恵、巧緻すぐれた手わざ、せめて作りものでも仏間に霊の間にお供えしたり、居間に座敷にと飾っては暮らしに彩りを添えたりもしたのでしょう。当然それは団子木飾り同様、春を待つ心でもあるわけで。

以下は、今年の木花、笹野花から。

以下は、かつての木花。身が枯れきったので除いて、花だけを取って飾ったもの。仏壇の前。
筆者の手による18歳の母をモチーフにした版画(写真)や母の母の写真を前に。しつらえは相棒のヨーコさん。

下は、玄関口のしつらえ。敷地に生えている常緑のイヌツゲにカンボク(肝木。レンプクソウ科ガマズミ属)の赤い実を一緒にして。

雪国の米沢にはこんな風習がある、こんな風習が今に息づいているということです。