下界はじめじめしたと梅雨真っ盛りで、しかも野の彩りといえばウツボグサ(靫草)ぐらいなもの。花の咲き乱れる山への憧れが募るのです。
この時期、山の天候もぐずついているのは織り込み済みなのだけれど、まあ小雨や曇りで御の字と思って山行きを計画しました。
めざすは栗駒山。
栗駒は秀峰にしても、かつて20代の頃にいわかがみ平からコンクリートの登山道を団体で歩いたきりで何とも味気ない思い出しかなく、今度は山岳らしいコースをと思ったのです。それでコースとしては最も長いトレイルのひとつ湯浜コースを選びました。決め手は帰り着く宿の(ランプの宿として有名な)三浦旅館でしたけど(笑い)。憧れでしたので。
けれど、無理は禁物、頂上往復で8~9時間では体力の消耗は激しく、身体が持たないと思われ、途中に久しぶりの山小屋(避難小屋)泊まりをはさむことにしました。
山中泊となれば、日帰りとはまったく別のパッキングとなること必至です。寝る道具(シュラフ、敷物)と炊事道具(ストーブ=バーナー、コッヘル類、水、食料)を持参しなければなりません。さらに雨具や夜間の明かりなど、必需品は増えてゆきます。
必要なものをはずさず、余計なものを持たず、その上でいかに軽く、いかにコンパクトに詰め込めるかが登山の肝です。でもこうした工夫も山行きの魅力のひとつではありますね。
筆者は行程に応じて20~40リットルの4つのバックパックを使い分けることにしています。今回はマウンテンダックスの35リットルを使います。
山に行くとはパッキングひとつでこういうことですから、山は、計画や見通しを得意としない人は向かないと思います。命取りになりますので。
さて、登山で問題なのは足です。
どのようにして登山口に行くのか、だいたい登山のための公共交通機関というものはどこも乏しく、この湯浜口も途絶えてしばらくたつようです。かと言って行き着くまでのクルマの運転で余計な体力を消耗したくはなく、当初は新幹線でくりこま高原駅まで行き、そこからタクシーを使う(片道12,000円×2)か、レンタカーをチャーター(2泊で23,000円ほど。プラス、ガソリン代)しようかと思ったものでした。が、考えてみたら登山の前に泊をもうひとつくっつければすべては解決するわけで、それでクルマで現地までゆっくりと行って泊、翌早朝に登山を開始し山小屋泊、翌々日下山して泊と、3泊4日のゆったりとした日程としました。
まあ、筆者はもう勤め人ではないわけで、時間はどうにでもなるわけです。ただこの空白は大きく、数日前から早朝より工房に入って、少々オーバーワーク気味に作業はしてましたがね(笑い)。
今回はソロです。相棒は職場の研修で出かけるし、宮城の友人を誘ったものの「もう自力で山登りする体力がない、気力がない」などと情けないことを言うし(笑い)。
7月9日(火)朝8時に出て、近くの東北中央道の米沢八幡原インターチェンジから入って尾花沢まで、そこから国道347号で鍋越峠を越えて大崎に入りました。
道々目にしたのは、オオハンゴンソウ(大反魂草)。この名「反魂」は死者の呼び戻しという意味なのだけれど、よくよくこの葉を見ると、幽霊のあの手の形(笑い)。
この花、テレビドラマの「北の国から」の小道具にも使われていましたね。蛍に正吉君が求婚した時、抱えていたのがこの花の花束だったような。「百万本のバラ」は買えないが、この花ならと(笑い)。
似たような名の花にハンゴンソウ(反魂草)があるけど、やはり葉は幽霊の手です。花はまったく違って、身近であればヒヨドリバナ(鵯花)のように頭花を散房状につけます。ちなみに、ハンゴンソウの若いものは山菜です。
一迫(いちはさま)に入ると、水車の風景が。動力源でもなさそうだし、揚水とも違うみたい。単なる風景としての設置?
登山の前泊も湯浜温泉・三浦旅館でもよかったのだけれど、ここはもうひとつ気になっていた秋田は奥小安大湯の阿部旅館にしました。宮城県花山の湯浜温泉と秋田県湯沢の奥小安大湯ではクルマで20分少々、意外に近いのです。
その道々に、エゾアジサイ(蝦夷紫陽花)。素朴でいい花です。
下は、鍋越峠を越したあたりから気になっていたのだけれど、あとで三浦旅館の女将さんに教えてもらったところによれば、シモツケソウ(下野草)というのだそうな。あとで図鑑で確かめたところではかなり大形なのでオニシモツケ(鬼下野)かも知れず。万緑にあって、薄いピンクがよく目立ちます。
阿部旅館は風情あるところ。主屋それ自体もいいけど、川原わきの湯小屋に下りていくアプローチがいい。湯も最高でした。こういう場所に来ると、一句詠みたくなってくるもの……(笑い)。
溪合の湯や上弦の月おぼろ
俗音を追いやり夜鷹の冴えわたる
萬緑や吾が占めたる湯宿かな
梅雨時ということもあってか、筆者ひとりの宿でした。秘湯ビール(あの、わらび座が作っているクラフトビール)を飲みながら夜も更けて。
翌10日(水)は、何と降水確率0パーセント。絶好の登山日和。自分でも晴れ男とは思っていたけど、ドンピシャでした。
6時前には宿を出て、湯浜口(三浦旅館、標高700メートル)通過が6時30分。旅館までは車で行けず、歩いて10分ほどのところです。途中、一迫川の清流が走っています。
湯浜温泉登山口に旅館の家人が移植したであろうシモツケソウが。赤いものはアカバナシモツケソウ(赤花下野草)と区別することもあるようで。
登山道に入るとすぐに道標が現れましたが、湯浜コースに限ってこの道標が500メートルおきごとに設置されているのには感激でした。
登山、特に初めてのコースというのは山岳地図が頼りなのだけれだ、どのくらいまで来ているのか、あとどれぐらいで目的のポイントに着くのかというのが重要になってきます。何でもそうだと思うけど、見通しが利くって気持ちが楽になるものですよね。ていねいな道標に感謝です。
そう、栗駒山山頂(標高1,626メートル)までは8.2キロ!標高差約900メートル!
鬱蒼としたブナ林を歩くのは気持ちの良いもの。そしたら、道端にはギンリョウソウ(銀竜草)の見送りです。これが結構な距離に渡って続くのですが、こんなのは初めてのことです。
腐植土に生える色素を持たないギンリョウソウを不気味なものとして忌み嫌うひともいるようだけど(ユウレイタケ=幽霊茸という別名あり)、何も何も。
筆者は約20年前に尾瀬で初めてギンリョウソウを意識したけど、実は家の敷地内でも林の中で何度か見ています。
ブナ林が途切れ森林限界を越えたのは9時を回ったころでした。やはり、視界が開けるというのはいいものです。しかもこの晴れ上がった空! 正面は虚空蔵山。
そこはもう、美しいお花畑。タテヤマリンドウ(立山竜胆)はまるで天空の星のように散りばめられているのです。タテヤマリンドウのこんな群生地ははじめてのことかも知れない。それに混じって、コイワカガミ(小岩鏡、小岩鑑)やゴゼンタチバナ(御前橘)も美しく咲いて。
そして、気になったのが下の花。
筆者は結構いろんな山に登ってきたけれど、はじめて目にしました。もちろん見落としてきたのかも知れないけれど、この花の美しさには心奪われました。のちに、登山者に聞いたところによれば、オノエランではとのこと。帰って図鑑に当たったところによれば、やはりオノエラン(尾上蘭)という花でした。尾上は山上という意味とのこと。
今回の山旅の大きな収穫のひとつはこの花との出会いであるのは確かなことです。
それにしても、この大規模な美しいお花畑に名前がないのはどうしたことか。地図には「美しい草原帯の道」とあるのみなのです。地元の山岳関係者は登山(特に湯浜コース)振興の意味でも検討してはどうなんだろう。
だいたいにおいて参照している山の地図(昭文社「山と高原地図」)に、湯浜コースの解説すらないのは変ですね。
思わぬ時期の、ミズバショウ(水芭蕉)。
たっぷりの残雪。今年はずいぶんと多いというのは慣れた登山者の話です。
そして虚空蔵山の分岐にさしかかった頃だったか、目に飛び込んできたのは美しい鳥海山の姿でした。栗駒山は360度全方位とは頭に入っていたのだけれど、鳥海の雄姿はまったくのサプライズでした。
この麗しい円錐形は庄内側や秋田側からは見えないものです。鳥海山は実は東鳥海と西鳥海があって、ふたつの重なりが鳥海山を形成しているのですが、栗駒山から見た場合は、西鳥海が東鳥海に隠れてしまっていてそれで美しい姿を作るようなのです。
下山後に入った三浦旅館の息子さんが言うことには、“出羽富士”という言い方は栗駒山から見たことから発したものではという説には納得がいったのです。まったく素晴らしい風景。
イワオトギリ(岩弟切)がところどころに。
草地より天狗平あたりを見ているところ。
下界の(我がルーザにも咲く)ツリガネニンジン(釣鐘人参)の高山型、ハクサンシャジン(白山沙参)はガレ場の痩せた場所に。
天狗平(1,570メートル)についたのは10時半を過ぎた頃でした。日差しも強くなって、上下を脱いで衣服を調整したところ。
天狗平にして雲海がグーンと下に張り出しています。
ここから頂上までは、ふりかえって鳥海、ふりかえっては鳥海、もう様々な角度から鳥海山を眺めたものです。真白い月山も、うっすらと飯豊連峰も見えて。
今回の栗駒山登山の最大の収穫はこの鳥海山の眺望ですね。間違いないです。
山頂についたのは(ずいぶん写真撮影に興じていたこともあり)、11時20分。約5時間の行程で、頂上ではじめてひとに会いました(笑い)。それほど静かな山なのです。湯浜コースって、手軽ではないという理由でそれほど敬遠されているのです。もったいないことです。
それからほどなくして、千葉から来たという中高年の団体客が須川温泉からのコース(約2時間)でどどっと15人ほど、それからソロで4人ほどが。イワカガミ平からも若い人が何人か。山上のひと時のにぎわいでした。
下は登山客に撮っていただいたもの。北方には焼石岳が雲海の上です(次は焼石に登ってみたいなあ)。
頂上で昼食(軽食)をとって、山小屋めざして北側に下りるのですが、そこからも美しい鳥海山が。
山小屋をめざしての下山では秋田は羽後町からの愛好家Sさんたちとご一緒しながらの山歩きをしたのですが、彼曰く「栗駒は何十回と来てきているけど、こんなに晴れて雲海が下にあるのは初めて」と感激していたものでした。筆者はよほどの幸福者らしいです。
山小屋と須川温泉の分岐から15分も歩いたところの水場、清冽な雪解け水。そこからさらに15分ほどして笊森避難小屋に着きました。ちょうど13時でした。湯浜口から6時間半の行程でした。
筆者の住むところが笊籬(ざる)地区で(これが“ルーザの森”の由来で(笑い))、ここに近くに笊森(1,355メートル)があり、そして笊森避難小屋があるわけです。何か、縁を感じますね。
余談だけど、秋田と岩手には“森”と名のつく山岳が多いことに驚かされます。このふたつの県では“森”という言葉には特別な意味を持たせているような。
小屋は2000年築のとても美しく清潔なものです。筆者は山小屋もいろいろと泊まってきたけど、これほど清潔で美しい小屋はなかったと思います。
なお、貼り紙の情報によれば、トイレはバイオ式水洗だが冬場の凍結によって設備が壊れ今季より給水を停止したとのことです。トイレの前にバケツがあって水が張ってあり、それを使えとのこと。なくなれば歩いて15分先の水場に汲みに行くことに(笑い)。筆者は翌朝、不要な水1リットルを注いできましたが、他のひとらも同じようにしているらし。
でも、トイレひとつとっても、ひとっていうものは家をもって住むこと自体が自然に負荷をかけているということに改めて気づかされるのです。
昼寝をしーよおッと(笑い)。
夕食は、17時!(笑い)。
今夜?は温めるだけの牛丼ですね。でも、とてもおいしかったです。ワインを飲んでゆったりして、おとなしく寝ました。
泊り客は筆者ひとりと思いきや仙台からおいでだという中年のご夫婦も一緒でした。
夜中目を覚まして窓の外を見ると、満天の星でした。
以下、栗駒日記2に続きます。